花粉症と鎌鼬 (前編)
(うむ・・・。)
いなりは、大きな姿見の前でうなった。
セーラー服のリボンを結ぶのは難しい。中学の時はワンタッチのものだったので、自分で結ぶのはあまり慣れない。
スマートフォンの動画と見比べながら、なんとか納得のいく形に収めた。
これで身支度は完了。
スクールバックを手に取り、階段を駆け下りる。準備に手間取ってしまったためか、少し時間に余裕がない。
急いで弁当を受け取りに居間に行くと、佐助が珈琲を片手に譜面とにらめっこをしていた。
プロ棋士である佐助は、対局がない日はよくこうして居間で研究をしている。書斎にいることも多いが、大抵は朝食をとるながれでそのまま没頭している。
いなりは邪魔をしないようそっと入り、音を立てることなく机の上に置かれていた弁当を持ちあげる。
「いなり。」
「・・・・・ばれましたか。」
普段はほのぼのとしており、マイペースな佐助だが、さすが棋士と言うだけあって鋭い一面を持っている。敏感に人の気配を察し、顔をあげなくとも誰か当ててしまう。
正直みずめよりよっぽどこちらの方が妖怪に向いているのではないか、と思ってしまった。
「配慮してくれるのは有難いですが、別に気配を断つまでしなくていいですよ。」
「すごく真剣そうだったので。」
「あはは・・・そんなにですか。では、いってらっしゃい。」
「はい。行ってきます。」
◆◇◆
いなりの家から高校までは徒歩で三十分ほど。八坂高校は商店街を抜け、山道を登ったところにある。
山道、というのは地元民の愛称であり、実際は普通の舗装された国道のことだ。しかし、かなり急な坂道なのと、周りを木々や竹に囲われているのでそう呼ばれている。
多くの学生はコミュニティバスで通学しているが、中には自転車でこの坂を上る猛者もいたりするようで、途中何度かすれ違った。たくましいものだ。
黙々と一人歩くこと十五分。ようやく校門が見えてきた。
息を切らすことなく、いなりは校門をくぐる。
(おや?)
その時。地響きのような音が耳に聞こえてきた。
「うぉぉおおおおお!!」
雄たけびを上げながらこちらに向かってくる生徒。赤毛の短髪を風になびかせ、陸上部員顔負けの素晴らしいフォームで疾走している。
昨日丁度クラスであった鬼の半妖怪、愁だ。
が、どうも様子がおかしい。
「いなりぃぃぃいいい!!!ヘールプミーーー!!!」
「はい?」
「待てぇぇぇえええい!!」
死に物狂いで走る愁の背後には、プラカードや画用紙を抱えた大群が迫っていた。
「大江山愁!ぜひ我が陸上部に来てくれ!君の足の速さを生かすならここしかない!!」「いや、ラグビー部にきたまえ!」「駄目だ!サッカー部だ!」
同じ生徒のようだが、制服の二人とは異なり、Tシャツやジャージ姿の者ばかり。しかも全体的に筋骨隆々している。
しかもそれは愁を追いかけているようで、その追われている愁はまっすぐいなりの方に向かっていた。
これは逃げるしかない。
瞬時に判断し、いなりは愁の横を並走する。
「なんですかあれはっ。」
「部活動の勧誘!校門の前で待ち伏せされてた!!」
言われて校門の方を見て見れば、昇降口に向かってずらりと並ぶ生徒の影。
登校してくる新入生たちを待ち構えるようにスタンバイしている。新入生と思われるものが一歩踏み込んだ瞬間、群がるようにチラシやら入部届やらを押し付けているのが目に入った。
「そのずば抜けた運動神経で数多の部活にヘルプとして入り、関東大会へ導いた男!」「中学時代の君の活躍は聞いてるぞおおお!!」
「良かったじゃないですか。人気者ですよ。」
「良くねえ!!」
なるほど。さすがは部活強豪校。期待の新星ルーキーはすでに顔とともに周知済みであり、有望株は奪い合いが起こるわけだ。
愁はいなりと同じく半妖怪。つまり、人間離れした身体能力を受け継いでいる。しかも妖怪の中でも鬼は戦闘に優れた種族だ。それはそれは輝かしい部活経歴をお持ちなのだろう。
いなりは隣で死に物狂いで走る男に関心のまなざしを向けた。
しかし、いくら半妖怪いえどこの団体から逃げきれるかと言われたらそうでもない。後ろの団体は着実に迫っていた。このままでは追い付かれる。
「とりあえずあそこに隠れますよ。」
「ぐえっ!」
いなりは直進する愁の学ランの襟首をつかみ、校舎裏へと回り込む。
丁度校舎横の庭木が死角となってくれたおかげで、後ろの団体と切り離された。
「お・・おい、行ったか?」
「大丈夫です。音はしませんよ。」
足音はすでに過ぎ去り、追ってくる気配はない。校舎の影から少しだけ顔を出し、確認するが人影のようなものは見えない。ほっと、息をつき、その場に三人へたり込む。
「もーホントなんなんだよ朝っぱらからー!」と思いっきり叫ぶ愁。それはこちらの台詞だと言い返したいが、呼吸を整えるのに忙しい。
「お二人さんどうだったー?なかなか楽しそうに追いかけっこしてたよねー。」
突然、頭上から降ってきた言葉に顔をあげた。
そこには、木の上で愉快そうに二人を見下ろす黒羽の姿が。
「いつからそこにいたんだお前。」
「愁が登校してきた瞬間追われてくとこあたりー?」
「一部始終じゃねえか!!見つけた時点で助けろよ!」
「えー。だって、面白そうだったからさー。」
けらけらと笑う黒羽に向かって小石を投げつける愁。
だが、石は当たることなく空しく木の幹にぶつかった。
(そういえば・・・)
左腕の時計に目を落とす。針はもうすぐ6の位置を指そうとしている。
「今時間って・・・」
いなりが呟いた時。始業を告げる鐘の音が校舎に響き渡った。
「「「あ。」」」
登校初日、三人仲良く遅刻である。
◇◆◇
「なんで三十分も正座なんだよ。足まだ痺れてんぞ。」
「巻き込まれたこっちの身にもなってください。」
初日から問題児という印象を教師に根付けてしまった。
あの後、三人でなだれ込むように教室に駆け込んだが、一時限目の教科担任にこっぴどく怒られたのである。しかも、恐ろしいことに部活動勧誘は一週間もの間続くらしい。
こんな騒動が一週間も続くなんて考えただけで憂鬱な気持ちになる。
いなりは出かかったため息を押し殺すように唐揚げを口に放り込んだ。
「うわっ。すごい弁当だよねー、それ。」
「?おう。」
黒羽の指さす方を見ればもくもくと食べている愁。その手元には三段重がおさまっていた。
一、二段目がおかずで三段目におにぎりがみっちりと詰め込まれている。驚くべきは豊富なおかずのレパートリーで、すべて手作り。どれも丁寧に作られており、みるからにおいしそうだがどう見てもひとり分の量じゃない。
しかし、愁はリスのように次から次へとおかずをほおばっていた。
「ああ、虎がめっちゃ張り切っていつも作ってくれるからな。」
「よくそんなに食べれますね・・・。見てるこっちが満腹です。」
「つーか黒羽はそれで足りんのか?」
両手のおにぎりをほおばる愁に対し、黒羽は購買の菓子パン一個。しかも袋には『激アマ!苺メロンパン~練乳入り~』とめちゃくちゃ甘ったるそうなものである。
「それご飯ですか?」デザートか何かじゃないのか。
「うんー。僕は燃費はいいからねー。」
「いや燃費どうのこうのの前に肉は?野菜は!?」
「えー、甘くないじゃん。」
そういう問題か。五大栄養素はどこにいった。
「ところでさー、結局愁は部活動するのー?あれだけ引く手数多だとさすがにどこかしらには入るでしょー。」
パンを半分まで食べ終えると、黒羽はキャラメル・オレにストローを通す。飲み物まで甘いもので通すのか。見ているこっちが砂糖を吐きそうである。
「んー、色々やりたいもんはあんだけど、今んとこ剣道かなー。」
「へー、意外。いなりはー?」
「私は家の手伝いがあるので帰宅部にしようかと。」
「家の手伝い?」
「母が居酒屋を経営しておりまして。」
みずめは小さな居酒屋を商店街で経営している。
食事は出ないが(出したら死者が出る)、美しすぎる女主人とうまい酒でそこそこ有名だ。時折黒くて長い車に乗り、たくさんのスーツの男性を連れた人たちが足しげく通ってる。控えめにいても繁盛してると言えるだろう。平安の時代、その傾国の美貌と相手を虜にする話術を武器に国を崩しかけた大妖怪の名は伊達ではない。
いなりはそこでバイト代わりに接客を手伝っていた。
「へー。黒羽は?」
「僕もまだ迷走中ー。どっか文化部の幽霊部員あたりでいいやーって。」
「幽霊部員前提で入るのな・・・って、うおっ」
喋っている最中。突然風が三人の間を駆け抜けた。
それもかなり強めで、屋上に積もっていた桜の花弁が巻き上げられる。花弁は風に乗ってしばしつむじを巻いたのち、曲線的な動きをして通り過ぎていった。
「なんだあ?今の。」
「さあー。」
不規則すぎる風の吹き方に、三人は首をかしげた。
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