第25話 最後の片付け

 それからの日々は、あっという間だった。


 リドさまの王位継承権の剥奪、グラッド殿下の帰国と王太子への叙任式は速やかに行われた。


 叙任式でグラッド殿下は諸国を外遊してきた経験から、力を増してきている外国列強への懸念を述べ、急ぎ国力を高める必要があると訴えた。

 貴族政治への疑問を隠さず、広く有能な官吏を募ることを始め革新的な政策を打ち出した彼の演説は、参列した貴族たちに激震を走らせたらしい。


 わたしは叙任式には行けなかったが、天族の使者として参列したルールーさんやシャラからその様子を聞いた。


「ルミシカも参加すればよかったのに! 新しい王太子の話を聞きながらどんどん顔色が悪くなっていく貴族連中の顔は、とっっっても見ものだったよ!」


 シャラはそう言って楽しそうに笑っていたが、新しい王太子殿下が持ち込んだ大きな爆弾は、まだしばらくこの国に混乱をもたらしそうだった。


 シェンブルク家はというと、醜聞の責任をとって爵位を返上することになった。

 貴族としての身分はかろうじて残るが、領地は返上、財産も多くを没収されるという重い処分だ。


 つまり、もうこのシェンブルクの屋敷では何人たりとも暮らしていくことが許されない。

 それがわかった途端、使用人たちは蜘蛛の子を散らす勢いであいさつもそこそこに去っていった。


 薄情な、と罵るのは難しい。

 我が家は義理を感じてもらえるほど恵まれた職場ではなかっただろうから。


「感情労働が多すぎたのよね、きっと」


 仕えるべき家族間の仲が険悪で、ともすればそれに巻き込まれて職を失う恐れもある中で、今まで働き続けてくれたのだ。それだけでもありがたいと思おう。


 もう、両親も妹もこの屋敷を去った。


 父は爵位を返上したあと文官となり、城に勤めることになったようだ。

 陛下の側近に近い立場で、今後とも治世を支えていくらしい。


 爵位もないのに陛下の側に仕えるなんて、二人の間によっぽど強い絆がないと難しい。

 陛下と父がこれほど親しいだなんて思わなかったので、それを知ったときは随分驚いた。


 今まで父と胸襟を開いて話すことなんてなかったから、当然なのかもしれないけれど。


 父は別れ際に、「すまなかった」とわたしに謝ってくれた。


 家の中に問題があることに気づきながら、放置していたこと。


 仕事が忙しいことを言い訳にして、わたしの言葉に耳を貸さずに盟約を果たすために婚約を実現させようとしたこと。


「言い訳に過ぎないが、家を継がないおまえに盟約のすべてを打ち明けていいものか迷っていた」


 そう告げた顔には、葛藤の跡が刻まれていたように思う。


 天族とシェンブルク家と王家との関係は、ひたすらずっとこうやって隠されていたのだろう。


 家を継ぐ者だけがそれを教えられ、古の聖女から続く天族たちとの交流を守ってきたのだ。


 それもわたしたちの代で途絶えることになってしまったけれど、父とてシェンブルクの血筋である。

 したたかな父はそれを存分に生かして天族と交渉していくと言っていたので、もしかしたら今後は違う形でこの国と天族が関係を結べる日がくるのかもしれない。


 母は、コーライル子爵の家に身を寄せることになった。ムールカも一緒だ。


 以前はあれほどたくさんの人に囲まれて社交界で活躍していたというのに、醜聞が明らかになると巻き込まれてたまるものか、とでも言うように、母と妹を庇おうとする人は誰もいなかった。


 愛人を抱える貴族なんて掃いて捨てるほどいるのに、不義密通が公になった途端に地位のすべてを失うほど追い詰められるのは何故なのだろう。

 何が違うのかわたしには理解が及ばないが、連日わざわざ家まで来てまで非難や罵声を浴びせかける人々に晒されることになった二人は、まるで夜逃げするかのようにこの屋敷を去って行ってしまった。


 その後コーライル子爵の家に匿われたと教えてくれたのもシャラだった。

 天族の情報網を使って、どこにいるのか探り当ててくれたらしい。


 コーライル子爵が本当に母を愛してくれているなら安全かと思うが、子爵にも当然妻がいて、子どももいる。

 自分の味方になってくれない人々に囲まれて暮らしていくのは、つらいことだろうとも思う。

 わたしもずっと、そうだったから。


 婚約披露宴の騒動を見た人の中には「今までさぞやお辛かったでしょう」とわたしに声をかける人もいる。

 しかし、わたしはこうなってしまった後も、母も妹も恨んではいなかった。


 母にとって、わたしは政略結婚の一環として産んだ娘で、ムールカは愛した男性との間に授けられた娘だった。


 恋をすると、理屈の通らない行動をしてしまう。

 今回の件でそれを知ったわたしは、母が妹ばかりに愛情を向けるのも当然だったのだと深く納得してしまった。


 妹のことは、むしろ可哀想だと思う。


 ムールカの方が優秀であるのは明らかなのに、王太子の婚約者に選ばれ、未来の王妃と呼ばれるのはわたしだった。


 わたしが重荷に思っていたその立場を、あの子はずっと欲しがっていた。

 自分だってシェンブルクの娘で、盟約を果たすことができると自負していただろうに。


 だが母の不義密通という、自分の努力と才能とは関連のないところで、道を阻まれてしまった。

 集まるべき賞賛を自分のもとに集めようとした結果、集まったのは汚名と醜聞だった。


 ここまで深く皆の印象に刻まれるような醜態を晒した以上、今後社交界に再び出て行くのは難しいだろう。

 あの子がこれからどうなるのか心配だが、どれほど心配したところで、わたしにはどうすることもできない。


 だけど、いつかまた、ゆっくり話ができる日がくればいいと願っている。


 そうすれば今度は、以前より姉妹らしく振舞えるだろうか。



 空っぽになった家の中で物思いにふけりながら、最後の片づけを終えてわたしは立ち上がった。


 天領へ出発するのはもう明日だ。この屋敷に入れるのも、今日が最後になるだろう。

 この家の中で一番居場所がなかったのはわたしだったはずなのに、最後に残ったのがわたしだなんて不思議な気分だ。


 片付けと言ってもわたしの持ち物なんてほんの少しだ。

 荷物にならない質素なドレスと生活用品、祖母の形見の手鏡ひとつ。

 トランクひとつに詰め込んでもまだ余裕がある。


 あとは、ルールーさんに貰った化粧品。これは、天領にも持って行こうと思う。

 たとえルールーさんがわたしから離れて行っても、これがあればいつでも思い出すことができるから。


 思い出を確かめるように化粧品の入った瓶を手に取ったとき、玄関の方で物音がした。


 シャラが迎えに来てくれたのだと思って玄関に向かったのに、そこに立っていたのは、ルールーさんだった。

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