第21話 緑の瞳
広間の視線が今度はムールカに集まる。
父だけはこちらを見ようとはしなかったが、ムールカはそんなことを気にもかけずに主張を続けた。
「大体、リド殿下に王としての素質がないっていう天族の言い分は的外れだわ。
殿下は私をルミシカから守るために、今日みんなの前でルミシカの罪を明らかにしたのよ。
どうしてそれが、シェンブルクの娘を汚すことになるの?
私だってルミシカと同じ、シェンブルクの娘なのに!」
ムールカの言葉に、天族の人々はほとんど反応らしい反応をしなかった。
ただ一人、ルールーさんだけはムールカの方を向いて、歩み寄ってくる。
「天族の武器は、優れた知識と技術だけではない。芸術と交易品を携え、各地を回って商売をし、その過程で情報網を作り上げることも得意だ。
天族の目は、あらゆる場所に潜み情報を見聞きする。……この城の中にも、天族の目として情報を集める者はいる」
ムールカの近く。わたしの近くまで、ルールーさんが歩いてくる。
「ムールカ。ここ最近のあなたの動向についても、天族の目はすでに情報を得ている」
ムールカは威嚇するように、すぐ近くまで来たルールーさんを睨みつけた。
だけどルールーさんは、そんな視線をものともしない。
「あなたはルミシカが虐待したという嘘を真実にするためにリド王子に虚言を吹き込んだ。
ルミシカとの婚約を破棄したいリド王子は、あなたの虚言を真実と思い込んだ。
王子が『信じたい』情報を嘘に盛り込み、甘言を用いて王子を篭絡したその手腕は見事と言っていいだろう。
だが、天族の情報網を甘く見ていたな」
「それこそ虚言だわ。私の背中の傷を見ても、ルミシカが無実だって胸を張って言えるのかしら。
こちらには証拠も証言もあるのよ。私のメイドに聞けば、嘘をついてるのはあなただってわかる」
ルールーさんは、笑いをこらえるように顎に手を当てた。
「あなたのお抱えのメイドは、すでに証言を覆した。
金で動くものは、それを上回る金を積めば簡単に河岸を変える。そんなことも、知らなかったか?」
ムールカの、顔色が変わる。
「そのメイドの証言によれば、あなたの背中の傷は、ルミシカに罪を負わせるためにメイドの力を借りて自分で仕込んだものだという。
ルミシカがあなたを虐待したという主張は、自作自演の茶番劇に過ぎない」
先ほどわたしの虐待を認めたメイドさんはカリンという名前で、幼いころからずっとわたしたち姉妹の面倒を見てくれていた人だった。
成長するにつれムールカの側につくようになり、わたしとはここ数年ろくに会話したことすらなかったけれど、まさか本当にあの人がムールカの背に傷を作ったというのだろうか。
信じたくない。だけど、ルールーさんがこの場で嘘をついているなんてもっと信じられない。
リドさまの後ろ盾があれば、権力の威光によってムールカの言い分は多少無理があっても通っただろう。
しかし、陛下がルールーさんたち天族の主張を尊重するという態度をとったことで、状況は変わった。
この国で最も権力が強いのは当然、陛下なのだ。
今のルールーさんの話を疑うことは、陛下の意向を無視することになる。
ムールカは虚言を使い、王族を騙した。
このルールーさんの主張はもう揺るがない。
だから、ムールカの立場は今、ひどく危うい。
「……だとしても、私とリド殿下は愛し合っている!
嫌われ者のルミシカより、私の方が殿下の婚約者にふさわしい」
背中の傷が痛くないのか、ムールカはわたしの前に立ちふさがるようにして、ルールーさんに宣言した。
ルールーさんはすでに、ムールカの目の前に立っている。
そのはちみつみたいな瞳が悲し気に揺れているのはなぜだろう、と思って見つめていると、ルールーさんはムールカの耳元にそっと唇を寄せ、囁くように声を出した。
きっとルールーさんの背後にいた人たちには彼の言葉が聞こえなかったと思うけれど、ムールカには聞こえる。
そして、わたしにも。
「ここまで言わずに済めばよかったのだけど……。
あなたのその、素敵な緑の瞳。あそこにいるコーライル子爵にそっくりね?」
コーライル子爵は、母の愛人だ。
わたしもムールカも、おそらく父もそのことを知っている。
「不義は両親の罪。あなた自身に生まれの罪はないけれど、ごめんなさい。
あなたをシェンブルクの娘として認めることは、あたしたちにはできないの」
愛人に似ている子どもを、シェンブルクの娘とは認めない。
つまりルールーさんは、ムールカが父の子ではないと言ったのだ。
その告白の衝撃は大きかったが、驚きは、意外なことに少なかった。
瞳の色だけでなく、ムールカのぱっちりした二重のまぶたも、愛らしいクセのついた金の髪も、わたしや父とは全く違っていたから。
点と点がつながって謎が解けていく感覚すらあった。
なぜ、父は家庭への興味を失ったのか。
なぜ、母はムールカばかりを気にかけていたのか。
なぜ、リドさまの婚約者が優秀な妹ではなく、わたしでなければいけなかったのか。
なぜ、シェンブルクの娘を尊重する天族が、ムールカに興味を示さなかったのか。
すべて、ムールカがシェンブルクの血を継いでいないからだとすれば、辻褄が合う。
周囲に聞こえないように配慮してそれを告げたことは、ルールーさんの優しさだとわたしは思う。
見栄とプライドに命をかける貴族にとって醜聞は、何より鋭い刃になるから。
だけどムールカは、そのことに気づいていないみたいだった。
わなわなと震え、顔に両手を添える。
自分の瞳を確かめるように指をあてて、目を見開いてわたしを見た。
この国では珍しい緑の瞳が、信じられないものを見たかのように血走っている。
わたしと一度視線を交わしたのち、ムールカは父の姿を探して、叫んだ。
「そんなはずない! そんなはずない! 私は不義の子なんかじゃない! 私はシェンブルクの娘です!
そうでしょう、お父様!」
その一言で、周囲の人々はルールーさんが何を言ったのか察してしまったようだ。
父は相変わらずこちらを見ようとはせず、リド殿下の背中を押して階段を登り、陛下の近くに控えた。
その挙動が、ルールーさんの言葉がすべて真実だと、何よりも物語っている。
「だからだったのね! だからお父様は私に何も与えてくれなかった。愛情も、尊厳も、王子様も! シェンブルクの娘として恥ずかしくない教養を身に着けろ、と言われるのはお姉さまばかり! 私がどんなに優秀な成績を残しても、お姉さまを焚きつけるダシにしかしなかった! 全部、私が愛人の子だからだったんだわ! コーライル子爵の娘だから!!」
「黙れ、ムールカ!」
ムールカの言葉を止めたのは父ではなく、コーライル子爵だった。
「愚かな娘め。黙っていればシェンブルクの娘で押し通せたものを。そうすれば王太子の婚約者として王宮に入り、王妃となった暁きには父の名乗りをしてやろうと思っていたというのに! すべて台無しではないか!」
叫ぶように喚き散らしながらムールカに近寄り、その肩を掴んで揺さぶる。王家を乗っ取ろうと画策していたのだと自白しているも同然の言葉の数々に、周囲がどよめいた。
その様子が目に入らないムールカは、肩を掴んで揺さぶり続けるコーライル子爵に対して、いやあ、触らないで、汚らわしい、の三つの言葉を繰り返しながら子爵の髪を引っ張ったり、爪で引っかいたりして暴れていたが、ついに力を失い、倒れてしまった。
「ムールカ!」
わたしは駆け寄ろうとするが、ルールーさんに制される。
「近寄ってはダメ。もし気絶しているのが演技だったら、あなたが近づいた瞬間に喉に噛みつかれたっておかしくないんだから。この子がどうやってあなたを陥れたのか、もう忘れたの?」
確かに、ムールカはわたしを追い出そうとしたけれど、だけど、
今の状態のムールカを放っておけなんて言われたって無理だ。
だって妹なのだ。父親が違っても、どんなに嫌われていても、姉妹として育ってきたのだ。
「せめて、早く手当てを……背中の傷も、もう見ていられません」
わたしの言葉に反応したのか、天族の一人がムールカの体を抱き上げて大広間を出て行こうとする。
コーライル子爵はそれに抵抗しようとしたけれど、天族の睨みに怖気づいたように言葉を引っ込めてしまった。
抱きかかえられるムールカの後ろに、メイド長に何事か言付けられたミーナがついていく。
あれほどずっと一緒にいたはずのカリンの姿は、どこにも見えなかった。
その背中を見送っているとき、今度は吹き抜けになっている二階の方から声がした。
「ち、父上……!! 僕にはもう、何がなんだか……ぼ、僕はただ、ムールカに騙されていただけなんです。それは、見ればわかりましたよね? 今日のところは一度父上に預かっていただいて、後日改めて婚約披露宴を行うのが一番いいですよね?」
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