第15話 反論

 家族を。


 虐待。


「え?」


 人間、寝耳に水のことを言われると冷静になってしまうらしい。


 リド殿下の言葉を聞いて、わたしの体の震えは一気に収まった。


 だって家族を虐待するだなんて、身に覚えが微塵もない。それは本当に、わたしの話なのだろうか?


「とぼけているな、証拠は上がっているんだ。おまえは長いこと、ムールカをはじめ家族を虐待してきた。つい先日も、彼女にひどい暴力を振るったそうじゃないか」


「いえ、あの子に手を上げたことなんて、一度も……」


「ウソをつくな!」


 大広間に響き渡る恫喝。だけど、心当たりなんてあるはずがない。


「二日前、泣きはらした顔で僕のところに来たムールカ、その背中には、ベルトで鞭うたれたような跡があったんだぞ。なんでも朝、彼女の部屋に無理やり乗り込んで、寝ていた彼女の背を傷つけたそうじゃないか」


「二日前……?」


「ああ。その日も、おまえは城に来ていたな。つまりおまえは、妹を殴りつけたその手で僕たちとこのパーティーの打ち合わせをしていたことになる。厚顔無恥にもほどがあるぞ!」


 それはおかしい、と思った。

 ここ二か月の間、わたしは毎日早朝から城に通って天族のトレーニングを受けているから。


 その後で披露宴の準備に顔を出し、打ち合わせをした後に家に帰るという生活をしている。

 帰りは夕暮れより遅く、その頃にはムールカは招待されているという夜会に出発しているので、ここ最近は妹とまったく顔を合わせてはいなかった。


「あの、リド殿下」


「なんだ。ようやく自分の悪事が明るみに出たことが分かったのか? もう言い逃れはできないと知れ」


「……言い逃れもなにも、事実無根の疑いです」


 リド殿下に対して、自分の意見を自分から言うなんて初めてだった。


 案の定、殿下はとんでもなく嫌そうな顔をしてわたしを見る。


 以前はこの目で見られることが怖かった。

 でも今は、鎧がわたしを守ってくれる。


「二日前、わたしは夜明け前から家を出て、こちらに通っていました。衛兵の方に聞いていただければ、証言していただけるかと思います」


「そんなもの、金で抱き込めばどうとでもなる。正体を現したか。事前に手を回していたな、女狐め」


「正体もなにも……他の方にも聞いていただいてかまいません。わたしと今まで一度も接したことがない方なら、抱き込むことはできないでしょう? わたしは……どこにいても目立ちますので」


 ムールカは良い意味で目立つ子だが、わたしは悪い意味で目立ってきた。

 城のようにいつでも人の気配が絶えない場所なら、早朝だとしても、衛兵さん以外にもわたしを見た人はいたはずだ。


 しかし、誰かの証言を求めるように周囲を見ても、みんなわたしの視線から目を背けた。


 違和感を感じて彼らの表情を観察して、

 仮面のように感情をなくし、平坦になった顔を見て、その理由に思い至る。


 心当たりがあったとしても発言しないのは、わたしに好意的な感情を持っていないからだけじゃない。

 それよりもきっと、王太子の言葉に逆らうことなんて、恐ろしくてとてもできないからだ。


 リドさまは時折、感情に任せて暴走する傾向がある。

 彼の機嫌に振り回されて、巻き込まれて不利益をこうむりたくはないのだろう。


 証言してもらえなくても、この人たちを責めることはできない。

 わたしだってずっと、そうだったのだから。


 諦めに似た気持ちで視線をリドさまに戻そうとしたとき、後ろから声が聞こえた。 


「確かに、ルミシカ様はここ最近、朝早くから城に来ています。中庭で天族の方々とお話している様子を、私も何度も見ています!」


 ミーナの声だった。


「私、水くみのために誰よりも早く起きだして働いています。ルミシカ様と直接お話したのは今日が初めてですが、壁みたいなお顔を覚えています。

 ルミシカ様は確かに、朝早くから城に見えてます。あれは朝というよりまだ暗い深夜です! だから朝、妹さまのお部屋に乗り込むのは無理だと思います!」


 リド様はミーナを睨みつけて黙らせる。

 可哀想なミーナは、ぶるぶると震えてしまった。


「それも替え玉だろう。白塗りをしたドレスの女なら、誰だってルミシカに見えるさ」


 わたしはリドさまとミーナを結ぶ対角線上に立ち、リドさまに向かって反論した。


「なぜそんな回りくどい真似をすると思うんです? それに最近のムールカは積極的に夜会に参加しており、帰るのは深夜も大分ふけたころだと聞いています。あの子が起きるころの朝に、わたしは家にいません。

 さすがに、家の者に聞けば、朝わたしがいないことはわかっているかと思います。……どうでしょうか、お父様。いらっしゃいますか?」


 わたしとリド殿下を取り巻いているたくさんの人の中から父の姿を探す。


 わたしにもムールカにも関心を見せない父だけど、さすがに王太子の婚約者である娘を庇わないほど、自分の地位に無頓着ではないだろうと思った。

 そして思ったとおりに、陛下の側に控えていた父は頷いて見せた。


 その隣に母の姿はない。

 あの人は、娘の婚約披露宴すら欠席したようだ。


「ああ、確かにここ二か月、ルミシカは朝から家にいません。……城で何をしていたかはわかりませんが、外泊をしていないことは確認しています」


 陛下の信用も厚いシェンブルク伯爵の言葉を無下にできるほど、リドさまも考えなしではない。

 眉根を寄せて、疑り深いまなざしをわたしに向けて、次の疑問を口にした。


「百歩譲って、おまえが早朝から城にいたとして。一体そんな時間から、何をしていたと言うんだ?」


「天族の方々に化粧や所作を指導していただいていたのです。殿下との婚約を披露する今日と言う日に、ふさわしいふるまいができるように、天族の方々が協力してくださいました。

 さきほど、殿下が美しいと言ってくださったわたしの姿は、彼らの力あってのものなのです」


 二か月前のようにずっと家に引きこもっていたら、きっとどんな疑いをかけられても反論なんてできなかった。


 だけど今は、二か月間のわたしの行動が、わたしの無実を証明してくれる。


 変身でもしたかのようなわたしの姿が、わたしが二か月の間がむしゃらに取り組んでいた何よりもの証拠だった。


 朝から体のトレーニング、化粧の技術を学び、午後からは婚約披露宴の準備ばかり。

 帰るころにはへろへろで、入浴して倒れるように眠ってはまた朝を迎えて繰り返す。


 誰かを害するような時間なんて、絶対にない。


「だから、ムールカを虐待なんて、絶対にしません」


 リド殿下は、これまで絶対に逆らわなかったわたしの反論に面喰ったようだった。


 「だが」とか「しかし」を繰り返し、顔色が赤くなったり青くなったりする。


 その様子を見るにつけ、わたしたちを取り巻いて様子を見る人々のヒソヒソ話も大きくなっていった。


 「王太子は何を言っているんだ?」「ルミシカ様の噂を聞いたことはあるが……証拠がないのでは」「殿下は、証拠もなしにご自分の婚約者を糾弾しようとしたのか?」


 そんな言葉が聞こえてきたかと思うと、リドさまは顔を上げて今度は嫌な笑顔を浮かべる。


「そうだ、証拠だ! おまえみたいな証言だけじゃない。こっちには証拠があるんだぞ。おい、ムールカ。こっちに来い!」

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