おまねきさん

大塚

第1話

「おまねきさんって覚えてる?」

 コーヒーをひと口飲み、ナプキンで口元を軽く拭ってから布マスクを着けた山川やまかわが、おもむろに言った。

「……覚えてるよ」

 少し悩んだが、忘れたと答えたところで最初から全部説明されるだけだろうから、素直にそう応じた。山川(専門学校を卒業してすぐ結婚して苗字が変わったのは知っているが、今は呼び慣れた山川という呼称で通す)は「よかった」と呟いて少し微笑み、それからすぐに真顔になった。

「やばいんだよ。昨日ミキからLINE来たんだけど、ミキん家に出たんだって、おまねきさん」

「はあ?」

 出た? おまねきさんが? ていうかミキっていうのはわたしが知ってるミキか? 小柄で小太りでいつも控えめにニコニコ笑っている銀縁眼鏡の矢野美貴やの・みきのことか?

「そうだよ、矢野美貴! あ、ミキも結婚したから今は矢野じゃないんだけど……」

「それは知ってるからいいよ、ていうかうちらどっちも結婚式行ったじゃん。子どもも生まれたんでしょ? それで、おまねきさん?」

「そうなの! ……出るはずないじゃん、ね?」

 ダークグレーのマスクの下ではくちびるをへの字に曲げているのだろう。山川が上目遣いにこっちを見詰めてくる。わたしは大きくため息を吐く。

「いるわけないじゃん。あれ、うちらが作ったんだから」


 『おまねきさん』というのは、10年前同じ専門学校の同期だったわたし石井いしいと山川、そしてミキの3人が捏造した怪談だ。創作都市伝説といっても良いかもしれない。なぜそんなものを作ったのかというと……暇だったからだ。

 わたしたちの通っていた専門学校はそもそも明治の時代に金と時間を持て余した実業家が同じような立場の人間の子息に勉強する機会を与えるために作られた学校で、歴史だけは古いが就職率は極端に低い。当たり前だ。明治の時代から平成の最後に学校自体がなくなるまで、誰も勉強なんてしなかったんだから。わたしたち3人もそうだった。実家はそれなりに太いが学業に対する意識は低い。高校はどうにか卒業したが大学受験はそもそもする気がない。高卒即就職という手もあったが親としてはもうひとつぐらい履歴書に書ける学歴がほしい……という理由で入学させられたのが、我らの母校だったのだ。

 わたしたちは暇だった。定められた時間に幾つかの授業に顔を出していればずっと寝てても単位はもらえる。この学校を卒業できない者なんていない。あまりの居心地の良さに卒業を拒否して三十路を過ぎても未だに在学している先輩もいるほどだった。

 まあ、それはそれとして。

 母校は、歴史は古い割に、代々語り継がれる怖い話とか入ってはいけない部屋なんかを所持していなかった。つまらない。たしか学食で、いや図書室でだったかな? とにかく山川とミキとわたしの3人が顔を合わせた時に、ないならば作ってしまおう! という話になったのだった。


 おまねきさんを呼び出すにはそれなりの手順を踏まなくてはいけない。まず男女一組のペアを作って学校の正門を出る。石造りのアーチの下を通って外に出る。それから右手に少し歩き、街中(母校はオフィス街に程近い坂の上にあり、オフィス街そのものに行くためには何らかの手段で坂を降りる必要があった)に通じる裏道の階段を、段数を数えながら降りる。そこからまた平坦な道をまっすぐ進み、左手に急に現れる公園に入る。その公園でふたりでけんけんぱを行うのだ。儀式なので、階段を降りるところもけんけんぱをしているところも誰にも見られてはいけない。これはなかなかにハードルが高い。しかしそれらのミッションをすべてクリアすると、男女どちらかの家におまねきさんが現れる。

 おまねきさんは家のチャイムを鳴らしてこう言う。

「おまねきいただきありがとうございます。おみやげをお持ちしましたよ」

 でも絶対にドアを開けてはだめ。だっておまねきさんは怪異なんだから。


「ミッションクリアすんのがまず無理でしょ」

「いやそれがさぁ、ミキの子ども今年小学生になるからってふたりで学校に行ったらしいのね」

「閉校になってるじゃん、もう」

「でもほら学校のビジュアルがいいから、なんとかいうIT関係の会社が買い取ってそのまま使われてるんだって、建物は」

「……あるんだ、じゃあ、アーチ」

「ある。で入り口で卒業生です少しだけ中見せてくださいって頼んだら中庭とか元図書室だった場所とか見学させてくれて」

「すごい親切なIT企業だね」

「でしょ。で、見学終わって外に出て……」

「待って待って。ミキの子どもって」

「息子」

「うわ」

「それで、例の階段を息子が発見しちゃって、ふたりで数えながら降りて」

「なぜ……」

「誰にも見られないで公園まで辿り着いたんだって」

「コロナだし、外に人出てないもんね」

「で、けんけんぱ……」

「どうして……」

「その晩すぐピンポン来たって。旦那が帰ってくる前だから20時ぐらい」

 届け物か何かだと思いインターフォンで応じかけて、そこでようやく『おまねきさん』の名を思い出したのだという。図らずも自分と息子が、儀式を済ませてしまったということも。

「3日連続でピンポン来て、これやばいってLINEが来たのが昨日」

「全部同じ時間?」

「ううん、昼に来た日もあるって。とにかくその、ミキと息子がふたりきりの時間に来るんだって」

 (詳しい事情は伏せて)不審者が来ているかもしれないと旦那に相談し、警察にも届け、マンションの管理会社にも頼んで防犯カメラも確認してもらったのだという。

「でも、なにも映ってなかった……」

「そう」

「やばいやつじゃん」

 やばいやつだが、わたしには、わたしたちには何もできない。だって『おまねきさん』なんていないんだから。わたしたちが作り出した架空の存在なのだから。

「ちなみに……」

「うん」

「言われたの? 例の台詞」

「言われたって。それで、その、初回インターフォンで応対しちゃったからさ、『おみやげ』ってフレーズに息子くんが『わーい!』って大きめの声で言っちゃって」

 ミキと息子の存在は先方にバレているということか。先方が『おまねきさん』なのか単なる不審者なのかはともかくとして、これは本当に良くない。

「それでね石井ちゃん。わたし考えたんですよ」

「なにを」

「わたしたちで『おまねきさん』にオチをつけない?」

「はい?」

 山川曰く、物語が投げっぱなしになっているのがいちばん良くない、らしい。たしかに『おまねきさん』にはオチがない。家に招き入れたら呪われるのか、殺されるのか、お土産というのはいったいなんなのか、何も分からない。

「追い払い方を決めよう、今から」

 どうやら彼女は端からそのつもりでわたしをこの辺鄙な喫茶店に呼び出したらしい。埼玉と東京のちょうど境目の、少し埼玉寄りの小さな純喫茶。母校の周りにも山ほどカフェはあるが、わざわざ怪談の舞台になった場所で対策を練る気になれないのはまあわたしも同じなので、すっかり冷たくなってしまったコーヒーをひと息に飲み干して首を縦に振った。

「決めよう」

「そんでミキに知らせよう」

「OK」

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