第28話 懐かしさ香る


 お互いの嗚咽のようなものが聞こえなくなってきた時にはお互いの距離は少しだけ近づいていたのかもしれない。


 ……いや、少しだけこの解釈は間違っているのかもしれない。


 今まで離れてしまっていた分の時間を、距離を埋めている最中なのかもしれない。


「泣いちゃってごめん」

「私の方こそ……」


 お互い顔を合わせて少し俯く。

 暫くの間顔を合わせていなかった友達と久しぶりに再会し号泣とか今考えてみたらすげえ恥ずかしくね……? よく見れば椎名のほうも少し顔が赤くなっている。きっと同じような恥ずかしさに襲われているのかもしれない。


 少しだけ冷静になってきた頭に、ふと疑問のようなものが浮かんでくる。


「なあ、椎名そう言えば何でここに居るんだ?」


 至極真っ当な疑問だった。というよりも何よりもまず先にこの疑問が出てこなければいけないはずだった。

 それなのに俺の中で過去になっていた記憶が甦ったことですっかりそれを忘れ去っていた。


「うん……とね、帰ってきたんだ」

「本当に?」

「親の都合もあって転校してくることになって、微妙な時期すぎて少し緊張していたとこ」


 彼女が緊張するのも無理は無い。だってここは彼女にとっては因縁の土地。かっこよさ気に表現したけれどいってしまえば嫌な思い出の詰まった土地、そんなところに戻ってきてまたあの頃の連中と出会ってしまえばおそらく平常ではいられないだろう。


「そうなんだ……大丈夫か?」

「うん。もう乗り越えてるから……それにここにいい思い出もあるし、なにより真っ先に駿と会うことが出来たから……」

「そうか、それならいいんだ」


 俺が覚えているあの泣き顔のままの彼女ではない。俺らの身長差が入れ替わっているように、彼女の心もまた離れていた月日分強くなっているのだろう。


 さわさわと彼女を連れてきた夏風が青々と茂った緑の葉を揺らす。そこから感じられる夏を感じさせる匂いだけはあの頃となんら変わりなかった。


「どこの高校に通うの?」

「桜女子なんだ」

「まあ意外と近いな。俺は緑涼高校だよ」

「そうなんだ!」


 今彼女がどこに住んでいるのかはわからないが学校だけ見れば桜女子は俺らの通う緑涼りょくりょう高校から一番近い高校であり女子高だった。


 俺の家を基準とするならば、俺の家から緑涼に向かう道の逆方向にある。ただ、逆方向といえどJRなどで通う生徒は大体同じ駅で降りるためそこかしこで桜女子の制服を見る。

 そしてその女子高に通う女子生徒に対し、俺ら男子生徒は少しだけ憧れのようなものを抱くのだ。


 なんにせよ彼女が桜女子に通うことを考えれば、昔の嫌な記憶についての俺の心配など杞憂に過ぎなかった。だって桜女子はその名の通り女子高だ、そうそう昔の男子共と会うことなんて無いだろうし、何よりそいつらと会ったところで椎名の名前を覚えているかすら怪しい。


「でも、また近くだね駿!」

「え? そうなの?」


 素直に驚く。

 というか離れ離れになっていた昔の友人がいきなり帰ってきて、それだけでなく近くに住んでいるなんて本当に偶然に偶然を重なった奇跡のような出来事だろう。


「今度からは一緒に出かけたりしようね! 堂々と!」


 彼女本来のさわやかな笑みが返ってくる。その笑顔を見ているとどこかあの懐かしい日々を思い出して胸の中に懐かしさに似た感情がこみ上げてくる。


 しかし、これからは懐かしさだったものも俺の中の新たな日常の一つとして組み込まれていくことになるのだろう。


「遅くなっちゃったけど、これからまたよろしくな椎名」

「うん。よろしくね駿」


 夏風が彼女の長く少しだけ茶色がかった髪を揺らす。夏風がさらってきた彼女の匂いは懐かしい匂いではなく今の彼女の匂いがした。


 ふありと香る甘いフローラルの香りが、彼女がしっかりと成長したことを示してくれる。


 今はまだ嗅ぎなれない彼女の香りなのかもしれない。しかし今後はこれが彼女の匂いとして頭の中でアップデートされていくのだと思う。

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