99 処理士、冴島一希


「お疲れ様でした」


「どうもお世話様です。ありがとうございました」


 二百キロのマリトンの安全化、無事終了だ。


 一希は手袋を外し、履いている左右の安全靴の入口に突っ込んで車に向かった。靴からぴょこんと手袋を覗かせて水筒のお茶を飲む一希を、立ち会いに来ている埜岩のいわ伍長ごちょうが指差して笑う。


に染まりすぎでしょ」


 足元を見下ろして一希も笑う。一希は皆そうするものと思い込んでいたが、他の処理士や補助士と接するうちに気付いた。これは新藤個人のくせだったのだと。それがわかってからも、この作法は手袋の紛失対策に一役ひとやく買っている。


 先日は埜岩の面々と補助士たちの前でデトンを「やっつける」と口走ってしまうし、ふとしたところで「新藤さんっぽい」と言われることはちょくちょくある。本人は今頃鳶代とびしろでくしゃみでもしているだろうか。




 一希が処理士に昇格してから、もうじき二年が経つ。


 二年前の秋、推薦状を書いてくれた檜垣は、処理士としての一希の門出かどでを一家で盛大に祝ってくれた。檜垣家での団欒だんらんに新藤の姿がないことにもいつかは慣れなければいけないが、この二年間、寂しさは変わらない。


 一希を処理士にと推す推薦状は、全部で六通あった。檜垣のほか、一希が補助したことのあった処理士が二人。それから、早川技術訓練校の土橋どばし教官。一希に手を焼いていたはずの彼が何を褒めてくれたのかは謎だ。


 さらに、陸軍大尉たいいが一人。一希は面識がなかったが、処理士の資格を得た後、お礼かたがた挨拶に行った。軍員であることを感じさせないほど気さくな男で、どうやら新藤の父、隆之介に恩義を感じている人物らしい。


 そして、六通のうち一番分厚ぶあつい封書が新藤からのものだったという。推薦状は推薦者から不発弾処理協会に直接送られ、本人には見せてもらえないのがつくづく残念だった。新藤が誰かを正式に推薦するなんて初めてだと、埜岩で語り継がれている。


 一時はやっかみもあってか、まるでプロポーズだ、下心によるものだ、公私混同だ、とさんざんな言われようだった。一希はよっぽど「私が勝手に恋慕れんぼして振られたんです」と明かしてやろうかと思ったが、それはそれで新藤に迷惑がかかるだろうと自重じちょうした。結局、新藤が鳶代に移ったことが知れるとすぐに非難の声は静まった。


 中には頼んでも断られたことだってあっただろう。新藤が一体何人の相手に頭を下げて回ったのかと想像すると、一希はあり余る感謝と慕情とで気が変になりそうだった。


――どうしてるかな。ちゃんとご飯食べてるかな。


 今頃また眉間にしわを寄せて仕事のことばかり考えているのだろうか。


 別れの挨拶はなかった。一希にを言い渡した美夜月みよつきの日の翌日、新藤は早くも家を出た。外から通って来て荷物の処分や運び出しを少しずつ進め、処理室関連の書類上の手続きに取り組んだ。


 その間、二人の間には事務的なやりとりのみ。鳶代に住まいを見つけたような口ぶりだったが、片道二時間の距離をそう何度も往復したとは考えにくい。


 おそらく、あのときはまだ近くの知人の家にでも宿を借りていたのではないか。一希から見れば新藤は失恋相手。きっと数週間の同居継続をいるのが忍びなかったのだろう。




 珍しく年内に古峨江こがえに雪が降った日。また来るとも来ないとも言わずに新藤は去った。荷物も手続きももう残っていないことは、一希にもわかっていた。


 それからというもの、一希はときどき鳶代の研究所宛てに手紙を書き、日々の仕事の様子や手応てごたえなどをつづっているが、返事は一度もない。


 研究所の電話番号は住所からたどれば調べがつくだろうが、誰かに取り次いでもらってもし居留守でも使われたら、それこそ立ち直れなくなる。


 結婚でもすれば業界の噂になるだろうが、その手前かもしれない。そんなことを考えてはため息をつく。自宅の住所や電話は誰に聞いてもわからなかった。知らせていないか、あるいは口止めしたのか。


 一希の心のリハビリには数ヶ月を要した。この住まいには、隅々まで新藤の気配が根を張っている。


 座敷をのぞけばそこに姿があるような気がして、今にも処理室の重たい扉がガコンと音を立てそうな気がして、電話に応じる声が聞こえてきそうな気がして。そのたびに一希は、「死んだわけじゃあるまいし」と自嘲の笑みをこぼした。


 一人分の食事を作るのがやるせなくて、食事処ナガイの出前を取ることも多かった。しかし、いつまでも泣き暮らしているわけにもいかない。


 ある日思い立って早川技術訓練校の同級生に連絡してみると、すでに半数以上が業界を離れたと聞かされた。残っている者たちの中でも、安定して仕事を得られているのはさらに少数らしい。処理士にまでなっているのは、一希の他にもう一人だけだった。


 一希は自分がいかに恵まれているかを思い知り、新藤のお陰で手に入ったこの立場を無駄にすまいと決意を新たにした。


 自分のものになってしまった処理室で、不活性部品を使ってオルダの解体練習を繰り返し、無難な探査から始めて少しずつ現場に復帰していった。


 二人で使っていた処理室を一人で使い始めたとき、新藤はどうやってその喪失感に耐えたのだろう。一希は、自分の寂しさなどまだましだとおのれ叱咤しったした。ここで一緒に作業をしていた新藤は、まだまだ元気でいるのだから。



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