89 家庭


「ミレイが何年か前に勘付いたんだ。父親が俺と仕事するときは危険度が高いってな。ま、そんなことは数年に一度あるかないかだが」


 檜垣が新藤と組むというのはつまり、全国でもトップクラスの二人を同時に駆り出すことであり、その必要がある任務という意味になる。一希は、理知的でどこか寂しげなミレイの眼差まなざしを思い出した。


かしこい娘でな。親父を出動させまいとして車のキーを隠したこともある。そのときは芳恵さんがミレイを押さえ付けて、その間に俺の車で檜垣をさらうしかなかった。残酷だろ」


 本当は芳恵だって、夫をそんな危ない仕事に行かせたくない気持ちは同じだろうに。


「カイトもああ見えてバカじゃない。幼稚園の頃、画用紙の全ページに爆弾の絵を描いてな。庭にばらまいて、一枚ずつ破って回ったそうだ。親父を手伝ってるつもりだったんだろう。あいつは人の役に立つのが好きだからな」


 いつかの似顔サラダを思い出す。


「なんか本当の親子みたいですよね。先生とあの子たち」


「そんなこと言ったら檜垣がひがむぞ」


「そうですね。でも、先生も檜垣家の一員って感じがするんです」


 新藤の目に、ふと力がこもる。


「あいつに万一のことがあったら、あの家族の面倒を見るのは俺だ」


「そういう……約束を?」


「昔一度だけ、あいつがそんなことを言ってきた。しかし、代わりになれるわけじゃなし、何ができるわけでもない。財布の足しになってやるぐらいがせいぜいだ。ま、あいつにはお前のケツ拭いなんか冗談じゃないと言っておいたけどな」


 たった一度のはぐらかしのようなやりとりが、生涯を懸けたちぎりに代わる。こんな話を聞くと、やはり男の世界というイメージが強まってしまう。女が髪を振り乱し、命をして職務を果たしたところで、何だかさまにならない気がしてくるのだ。


「ちなみに先生は、それがあるからずっとお一人で?」


「あ?」


「万一のときに檜垣さんのご家族を引き受けるために独身主義をつらぬこうと?」


「バカ。俺がそんなお人よしに見えるか?」


「見えませんね」


「正直だな」


 笑いまではしなかったが、新藤は檜垣家の子供たちに接するときと同程度には相好そうごうを崩した。


「独身は別に主義じゃない」


 ぽつりと呟かれて我に返る。


「え? あ、すみません、差し出がましいことを……」


 一希はときどき、この男が師匠であることを忘れそうになる。


「お前はどうなんだ? 檜垣んちとか、世の家族を見てて家庭に憧れたりはしないのか?」


「まあ、いいなとは思いますけど……」


 いずれ処理士になったとして、その仕事をあきらめてまで家庭に入ろうと思えるだろうか。かといって、果たして両立が可能かといえばはなはだ疑問だ。


 色気のない作業服を着、大量の工具を積んだかわいげのない車で出かけていき、命の危険をおかして爆弾をいじり、爆薬の匂いと土埃つちぼこりにまみれて帰ってくる。そんな嫁を欲しがる男がどこにいるだろう。一希の喉から、禁断の一言があやうく飛び出しそうになっていた。


――じゃあ先生、もらってくれますか?


 相手が処理士ならありかもしれない。一希が結婚との両立にいくばくかの可能性を見出し始めたのは、たまたまれた男が処理士だったからだ。


 しかも、一希の心身の傷のことを知ってくれているし、一般人に比べたらずっと事実に近いものを想像できているはず。それは一希にとって、かけがえのない安心感だ。


 しかし、今ここでそんな胸の内をさらけ出すのはルール違反。何とか本音を飲み込み、冗談めかして言った。


「今さら、私には見込みがないからさっさと嫁に行けとか言わないでくださいね」


 新藤はまばたきだけを返した。二度、三度。


「見込みがない人間を二年も置いとくようになったら、俺もいよいよ終わりだな」


――二年……。


 この暮らしにいつ終わりが来るのか。その問いが再び頭をもたげる。


「まあ、結構な重圧ではあるだろうな。自分が死んだ後のことをあれこれ考えなきゃならんってのは。家庭人になって、残していく人間を持つってのはそういうことだ」


 あなたにもいます、と一希は思った。後に残されて悲しむ人間は、あなたにも。


「なんか私たち、縁起悪い話しちゃいましたね。芳恵よしえさんに怒られちゃう」


「縁起なんか気にしてたら、この仕事はとても務まらんぞ。俺たちがここで何をしゃべろうと、檜垣が死ぬ確率は変わらん。お前も、お守りだのまじないだの、縁起をかつぐような真似はやめとけ。一度でも欠かせばそれに引きずられて集中力を乱される。マイナスにしかならん」


 迷信のたぐいを簡単に無視できない一希にとって、これは価値ある忠告だった。爆弾は物理と科学。処理士や補助士が頼りにすべきは、自分と仲間の技術だけなのだ。


「明日、何か私にできることは……」


「残念ながらお前は立ち入り禁止だ。うちで電話番してろ」


 一希はごくりとつばを呑んだ。それはつまり、上級補助士が下見の見学すら認められないほど危険な等級ということになる。


「クラス四、ですか?」


「六だ」


――六⁉


 教本では、カルサでも比較的実例の多いクラス一から三までは、全体的な外観と各部の状況がわかるカラーの近接写真数枚で紹介されていた。


 それがクラス四になると、爆破処理の様子を望遠で撮影したらしきものになり、クラス五は処理後のパーツを並べただけの白黒写真、六と七は図面のみだ。写真資料が入手できないほど珍しいその二つの型は、一希や他の生徒たちにとって理論上の存在にすぎなかった。


「俺も研修で模型をいじったきりだからな。本物をおがめるとは光栄だ」


 その表情に不安は微塵みじんも感じられない。一希が何よりも憧れる、プロの顔だった。



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