15 入居


 噂の威力を甘く見ていた。


 一希が学校を中退して住み込み修業を始めるという話は、早川技術訓練校の職員室を起点として瞬く間に町中を駆け巡り、在校生はおろか、高校の同級生までもが知るところとなった。


 女だからもぐり込めたのだ、三十を過ぎて未だ家庭を持たぬ自由気ままな不発弾処理士が、私的な意図を持って連れ込んだに決まっている。そう陰口を叩く者は後を絶たないらしく、一希の元には数人のから「気にするな」と励ましが寄せられた。しかし、彼らとて果たして祝福ムードかといえば、本心はうかがい知れない。


――気にしてたまるもんですか。新藤先生に後悔されないようにしっかり頑張らなくちゃ。




 引っ越し当日には、相変わらず埃にまみれたブルーの軽トラが学生寮に横付けされた。


「新藤先生、お迎えわざわざありがとうございます。今日からどうぞよろしくお願いします!」


 一希は改めて頭を下げる。


 新藤は「ああ」と答えただけで、さっさと寮の入口に向かう。荷物は昨晩のうちに玄関にそろえてあった。


「これか?」


「あ、はい」

 

 一希が応じるが早いか、新藤が箱の一つをひょいと持ち上げる。


「あ、すみません、私やりますから……」


「ボーッと待ってろとでも言うのか? ほら、早くしろ」


「は、はい」


 これから居候いそうろうさせてもらう身で、荷物まで運ばせるなんて申し訳ない。一希は小走りで新藤を追い越し、他の箱を次々と軽トラに積んでいった。


「走れとは言ってないだろ。転ぶなよ」


「はい、大丈夫です!」


 これも仕事に必要な体力作りのうち。そんな心境で一希は懸命に荷物を運んだ。


 お陰で積み込みはあっという間に終わり、早朝のうちに新藤宅に到着。


 車から降りると、荷台の荷物を新藤はまたしても当然のように運び始める。


「あ、すみません!」


 一希も慌てて他の段ボール箱を抱え上げ、後に続いて母屋に入る。打ちっぱなしの土間から奥へと伸びる板の間の廊下。ここから先が居住空間だ。


 荷物を奥の部屋に下ろし、再び車へと向かう途中で一希は足を止めた。


 先日、遠隔抜きのテストを課されたときから気になっていた。玄関に向かって右手。壁に作り付けられた棚の両脇に鉄扉がある。


「先生、これって……」


 玄関から新藤が振り返る。


「ああ、処理室だ。オルダ解体用のな」


――やっぱり。


 やたら大きなこの母屋。きっと住居以上の用途があるという一希の読みは当たっていた。


「輸送可能な場合は現場から撤去して、他の場所で爆破もしくは安全化することもある。それは知ってるな?」


「はい」


 他の場所というのは、たとえばだだっ広い空き地、あるいは海上や海中。安全化なら軍の専用施設になることもある。


 大量の「子爆弾」をばらまくオルダ。単体の爆弾よりもさらに信管が不安定なため、個々の不発弾は爆破処理が通例。……だったのだが、十数年前、その安全な解体に成功した者がいた。


 新藤隆之介りゅうのすけ。この新藤建一郎の父親だ。


 元軍員にして我が国初の不発弾処理士。二十数年前に、陸軍がになっていた不発弾処理を民間に委託させ、ビジネスとして確立した人物。


「さすがですね。自前の設備で安全化できるなんて」


 無資格者は立ち入りを許されない不発弾処理施設。それを当然のように自宅に備えている超一流処理士。彼のもとで、助手としての新生活がとうとう始まったのだ。


――いつか私も……。


 この中で爆弾を解体する。一希はつい立ち尽くし、処理室を見つめた。


「中を見たいか?」


「あ、でも、初級未満は立ち入り禁止じゃ……」


「お前が立ち入ったら俺の首が危ない。だが、見ちゃいかんという決まりはないぞ」


「あ、そっか」


 新藤はポケットから鍵を出し、一希にとっての夢の扉をあっさりと、いや、ガコン、と重々しく開いた。かすかに爆薬の匂いがただよう。


 灰色一色の長方形の部屋。十五畳ほどあるだろうか。中央には小学校の理科室を思わせる作業台が二つ。出入口はこちら側に二つと反対側に一つ。つまり、直接外に出られる造りだ。


 壁には頑丈がんじょうそうな棚があり、工具の他に堂々とオルダの子爆弾の部品が並んでいる。


「あれ、本物……ですよね?」


「ああ。外に出てるやつは全部処理済みだ。未処理の分は台の下に入ってる」


 なるほど、作業台の側面に扉が付いている。


「好き好んで触らなくても、地震だの火事だのがあれば爆発しないとも限らんからな。なるべく長くは保管しないようにしてるんだが」


 この処理室自体が防護壁の役割を果たすわけだが、万一爆発が起きれば、子爆弾とはいえ室内には相当な被害が及ぶはずだ。


 古傷がうずいた気がして、一希は左腕をそっと撫でた。天慕てんぼの切り通しが目の前に広がっているような錯覚さっかくを覚える。


 あのとき一希が見つけた第二の爆弾と同じく、爆発した子爆弾もサラナだった。飛散した破片は一希の左半身に容赦なく浴びせられ、幼い体を穿うがっていた。二度に及ぶ大手術で摘出された破片は二十数個。


 医者は奇跡だと言った。内臓破裂もなく、骨や肉の損傷もごくわずかで、少なくとも機能的には完治可能。あと一メートルでも近かったら障害が残ったかもしれない、と。


 だが、距離だけの問題ではなかったことを、一希自身も、世間も察していた。そこには、一希を守る「たて」が存在したのだ。


 爆弾に覆い被さるようにして覗き込んでいた忠晴。衝撃の大半をその身に受け、即死した。


 事故という扱いではあるが、忠晴の死にざまや一希の怪我の程度は、兵器の設計者にしてみれば狙い通りだろう。不発弾と化すことも織り込み済みで、長期的にダメージを与える計画が最初からあったというのだから、人類とはつくづく恐ろしい。


 生み出すのも人間なら、始末するのもまた人間。この処理室だって人間が作ったものだ。


 室内の壁には、防爆衣ぼうばくいが二着るされている。


「あ、もしかしてここ、お父様のときから……」


「ああ」


 作業台が二つあるのもそのためかと合点がてんがいった。


 新藤が早くから父親の英才教育を受け、大学在学中に上級補助士の資格を取ったことは、専門誌のプロフィールにも書かれていた。オルダの解体についてはきっと、ここで父親から指導を受けたのだろう。


 五年ほど前、隆之介の死去はニュースでも取り上げられた。業界や軍から見れば歴史を大きく変えた功労者。火葬場での関係者の集合写真を一希も業界誌で見たことがある。


「自慢の処理室だが、俺が作ったわけじゃない。もちろん協力はしたが」


「協力っていうのは、具体的な設計とかの部分ですか?」


「まあそれもあるが、主に交渉の方だな」


「交渉?」


「各所から許可をもらったり、施設管理の制度について話し合ったりってとこだ」


「むしろメインじゃないですか。お父様、それだけ先生のこと買ってらしたんですね」


「いや、逆だ。人間を相手にことを進めるのは俺の苦手分野だったからな。克服させるのにいい機会だと思ったんだろう。まだ学生の頃だったが、お陰で根回しに懐柔かいじゅう、譲歩、いろんなことを学んだ」


 父親に鍛えられる新藤の姿は、一希には想像がつかなかった。


「あの、ちなみに、ここにはどれぐらいお住まいなんですか?」


「この家には……俺が処理士になると同時だったから、ちょうど十年か。まあ古峨江には十三、四年になるが」


 ということは、十一年前の事故のときにはもう古峨江に住んでいたことになる。


 あの日見かけたオレンジの作業服の二人。ヘルメットを被っていたせいもあって顔まではおぼえていないが、新藤があの場にいた可能性はなさそうだ。



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