第173話 全て貴女のせいだ

夢を見ているのだろうな。

旅団内を通り過ぎると、夢に浮かれた阿呆どもが嫌でも視界に入る。

誰もが夢に浮かれているのだ。

この旅さえ終われば、自分の将来はきっと幸運であふれているのだと。

夢見たものが、ひとつの幸福が手にはいるのだと。

半傭半賊の傭兵団や黒騎士連中にとっては騎士の地位であり、正規兵という立場であり。

商人にとっては市民権であり、貧しい出自から抜け出すための財産であり。

法衣貴族の三女四女にとっては一代騎士として認められ、世間や家族を見返すための憧れを手にすることであった。

――先程、ヴァリエール殿下には『何もかも貴様の自業自得であり、何があろうとも貴様はその責任をとるべきなのだ』という言葉を投げつけたが。

さて、彼女はどこまで責任をとるつもりなのだろうな。

私の知る限り、ここまで膨れ上がった夢全ての責任などをとることはできない。

同時に、そこまでしなければならぬ責任があるわけではなかった。

元々はそういう約束で誰もが参加しているのが、この旅だった。


「全員が全員、夢叶うということにもなるまい」


殿下の腹心である狂人ザビーネ卿が計画した案では、夢が叶い救済されるのは精々1000名といったところだ。

たとえ選帝侯一の財力を誇るアンハルトであろうとも、集まった人間全てを雇用することはしない。あの王家連中は一族全員がドケチで有名だ。お優しいヴァリエール殿下も含めて、金勘定に異様にうるさいのがアンハルト一族だ。

もう集まった人間全てを処理するくらいならば、いっそのことアンハルトの領地一つをくれてやって全員を移住させ、もうお前らそこで暮らせとぶん投げてしまうくらいはやるだろうな。

それで集まった連中が納得するのかは全く別な話になる。

要するに開拓民になれというようなものであるからな。

既に開拓された土地に住む領主の土地を取り上げて、どうぞというわけにもいくまい。

封建領主は土地を分け与えることに死に物狂いで抵抗し、余所者が入りこむ事すら普通なら拒む。

くだらぬ思考を続け、停止中の本陣内を歩く。

威勢の良い商人の声が、そこら中で響いていた。


「美味しい林檎です! 立派な騎士様、おひとつ如何ですか!!」


林檎売りか。

ロバ二匹を連れた馬借が、先日通過した街で仕入れたばかりの林檎を売っているのだ。

旅団の酒保は十全に機能しており、今回の旅に参加した商人は自由に物を売り買いすることができた。


「ひとつ貰おうか」


私は馬借に金を払って、林檎を齧る。

酸味が口を満たし、ふと昔の事を思い出した。

このアメリアの幼少のみぎりである。

幼心の私は本当に幼稚で、世の中の事など少しも分からずに――アレが欲しいだの、コレが欲しいだの、自分の欲求を満たすことに必死であった。

手に入れたい物が市場に溢れかえっているのに、このアメリアの手には何一つ手に入らぬ。理由はただ一つだ。

貧しかったからだ。


「下らぬ事だ」


山賊から剥いだ血まみれの服などと林檎を交換しようとして、馬借に眉を顰めて嫌がられている傭兵などを見て薄く笑った。

まるで我が母親のようだった。

無学で無教養で計算すらろくに出来ず、ちゃんとした交渉もできない阿呆だった。

林檎が欲しいと私が強請ったところでいつもは「金が無い」の一点張りで無視するのだが、その日は何故か叶えてくれた。

今になって推察すれば、おそらくはその日祭事とあって煌びやかな恰好をした聖職者や騎士たちが、大通りの中心を歩いていた事が原因なのだろう。

彼女たちに対し、まあ母や私などは晴れの日にも関わらず貧しい恰好をしていた。

主君も領地も持たず、税も払えぬ強盗紛いの黒騎士が身繕いの金など持っているわけもない。

私などはまあ大して気になどしていなかったのだが、多分母は屈辱を感じると同時に、私に酷く申し訳ないと思ったのではなかろうか。

継ぎ接ぎだらけの服を着た私に、小さな林檎を与えた。

あの酸味だけは強く頭に残っている。

どうやって林檎を買う金を工面したのか知らぬが、まあ多分悪い事をしたんだろう。

先程の傭兵のように、殺した相手から奪った血まみれの布切れと林檎を交換したと言っても、何一つ驚くべきところはない。

母が得意なのは暴力だけであり、それ以外に何も無かった。

多分、母にとってはそれが最大のコンプレックスであったように思う。

いつもは陽気に笑っていたが、どうもその点だけは拭えぬように思えた。

身繕いの金など持ってないほどに貧しかったが、他にも貧しい原因はある。

強盗騎士の傭兵風情にも同業組合と言えるような横の繋がりはあり、そこには家出してきた貴族の三女四女、文字や計算ができるようなものは僅かにいた。

母はその者達に金を払い、私への教育を求めた。

最底辺の出自である私が文字を読めれば計算もでき、交渉術を用いることが出来るのも、そうした教育あってのものである。

代わりに、もう笑えないぐらいに本当に我が家には金がなかった。

私には少しだけ、分からないことがある。

どうして母は本当に貧しかったのに、私を救貧院などに捨ててしまわなかったのだろうな。

そうしてしまえば、もっと気楽に生きれただろうに。

学も教養もない母親にとっては、私の立身出世のみが人生の勝利条件で、此の世全ての幸福があるように思っていた節があるのだ。

何故そこまでしてくれたのだろうな。


「結局、貴女の望みは何一つ叶わなかったのに」


わかってはいるのだ。

母の望みは今の強盗騎士たる私ではなく、忠誠の限りを尽くすに値する本当に立派な主君に恵まれた騎士だったのだろう。

あの祭りの際に大通りの中心を歩く、見栄えの良い騎士だったのだろう。

史上最悪の強盗騎士として歴史に残るような大悪辣ではなかったろうに。

誰もが夢を見ているのだ。

こんなの現実じゃないと。

私はこんな人生を送るべき人物じゃないと。

もっと、もっと、もっと価値のある何かを掴める人物なのだと。

全て勘違いだ。何もかもが嘘だ。この世という地獄に産まれてきて、ふざけたことを考えるな。

自分の人生が嘘ではなかったなどと胸を張って言える人物など、万人に一人もおらぬ。

ありとあらゆる努力を果たしてきた、このアメリア・フォン・ベルリヒンゲンとて全てを手に入れることはできなかった。

母の想いを全うしてやれる夢はもう叶わぬ。

此の世は私が本心本音で忠誠を尽くすに値せぬクズばかりだからだ。

誰もが真実本音では自分の事しか考えておらず、自分の全てを費やしてもよいと考えるに値する人物などおらぬ。

私は。

夢かなわぬ私は、横を歩く旅団の連中が少しばかり羨ましく思えた。

もつれた交渉の結果として林檎の半分を齧っている傭兵も、残り半分をさらに割って二匹のロバに食わせている馬借も。

馬に乗って騎士振る舞いの真似事をしながら、家紋のデザインなどを口にしている勝ち組の傭兵団の団長も。

団員に叱咤を飛ばし、どんな小物でも良いから殺していい盗賊を見つけ出せなどと命令している、未だ何も掴んでいない負け組の傭兵団長も。

一日の休憩をとって陣幕をそこらで開いている、旅団の後列から先頭までを練り歩いて、そこで出会う全ての連中が。

誰もがこう思っているのだろう。

これは夢の行軍なのだと。

彼女たちにとっては人生で一度巡り合えるかどうかすら分からない、自分が本心本音で全ての力を振り絞ることができる夢の行軍なのだと。

ヴァリエール殿下は私の夢全てを叶えてくれる、命を擲つに値する御方なのだと。

私はふと、どうにもくだらぬことを考えてしまった。

もし、私がまだ幼少のみぎりで、母がこのような夢の行軍に出くわしたならば参加したのだろうか。

きっと、参加してしまっただろうな。

まだ幼い私を連れて、この子だって役に立つと無茶苦茶なゴリ押しで旅に参加して、盗賊どもを見事撃ち破って武功一番となり、ヴァリエール殿下に私と一緒に謁見して。

衆目の前で叙任式を行い、母が立派な一代騎士となって誰からも称賛されるようになる。

そんな夢のようなことを考えてしまった。

本当にくだらないことだった。

財産も城も領地も、何もかも手に入れたはずの私が、そのような夢妄想を抱いたことに怒りすら抱いた。

私は目を瞑り、小さく呟いた。


「人に夢を見させることを、安易に考えすぎてやしないか。ヴァリエール・フォン・アンハルト。貴女は罪深いことをしている。八つ裂きにされて殺されても仕方ないことをしている」


愚痴のようなものである。

本当はわかっているのだ。

別に、ヴァリエール殿下が悪いのではない。

彼女に勝手に夢を見ているのは、我々の方である。

まして、あのお優しいヴァリエール殿下は自分が罪深いことをしている自覚さえあるのだ。

だが。


「さて、この旅はどういう結果になるのか。何事もなく旅を全うすることになるのか。それだけは決してあるまい。夢見たのに裏切られた誰かが、暴発をして無茶苦茶になるに決まっている」


夢と絶望は表裏一体。

望んだところ叶うとは言い難いし、全てが思い通りになることなどは本当に夢だけだ。

現実は違う。


「いずれにせよ、この夢の行軍に狂いし連中を、どうやって貴女が導くのか。どこまで行けるのか。本当に興味深いよヴァリエール殿下」


この旅がどのような形で終わりをつげても。

きっと私は楽しめる事だろう。

私は本陣の椅子に座り、何かを楽しみにするように目を閉じて。

小さく、本当に呟いた。


「全て貴女のせいだ」


この言葉は。

哀れな者達に、手が触れれば消えてしまうかもしれぬ夢を見せているヴァリエール殿下に吐きかけたのか。

未だに私の心に巣食っている、何もかも私のために尽くしてくれた母へと優しく投げかけたのか。

それは私自身にもわからなかった。

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