第164話 深刻な問題


「ヴァリエール様に逆らった者には降伏すら許さん!」


命乞いをしていた盗賊の首が刎ねられた。

首を刎ねた者は、傭兵団に入り混じって戦列に参加していた法衣貴族の三女である。

今回の接敵においては一人で数名を斬り殺しており、今殺した盗賊などはわざわざ生け捕りにしてヴァリエール様の御前に引きずってきた。

そして、その御前にて首を刎ねたのだ。


「ヴァリエール様! 御見届け頂けましたか!!」


膝を折り、敵の血にまみれた両手を広げて、ヴァリエール様を見上げる。

主人に褒めてもらいたくて仕方ないのだ。

確かに、あの者は飢えた功名餓鬼なれども、今この時ばかりは違う。

騎士としての戦功など、とうに確約されている。

彼女はただ。


「見届けたわ、貴女の名前はしかと覚えておく。理解しているだろうけど――貴方にはこの後、叙任式があるのだから、返り血を拭きとって準備をしておきなさい」

「はい!!」


飼い犬のように、ただヴァリエール様に褒めてもらいたくて仕方ないのだ。

犬が主人にただ純粋に褒めてもらいたくて、投げられた棒切れを拾ってきただけの行為であり、それ以上の意味は無かった。

このザビーネは、その心境をよく理解できる。

理屈でも、感情でも。

ヴァリエール様の犬であることを自負する者であるがゆえに、心から理解できた。


「……なんでわざわざ私の目の前で殺すの? 私が褒美を与えるには、首だけ持ってきたらいいのよ」


表向きはご機嫌に見える笑顔のままで、横に立つ私に聞き取れる程度の声で愚痴を漏らすヴァリエール様。

同じように小声で返す。


「あの者はヴァリエール様に直接褒めてもらいたくて、もうどうしようもなかったのです。死に物狂いで抵抗する盗賊を捕らえる際、自分が反撃されるリスクを鑑みても、その魅力に抗えなかった」


私が言わなくても理解しているだろうに。

一言そう返すだけで、ヴァリエール様は胃の辺りを少しばかり抑え。

馬鹿にするのではなく、楽しむでもなく、ただ悲しそうな顔をした。

嗚呼。

そうだ、その顔だ。

貴女が他人からの精一杯なる誠意を侮辱するなど、このザビーネ一度として見た事はない。

それがどれだけ傍目からは滑稽でも、貴女だけは侮辱などなさらないのだ。


「……以後、同じことをしないように通達しなさい。私は自分の配下がリスクを背負って、無理をすることを嫌う。旅団の指揮官からの、絶対順守の命令よ」

「承知しました。彼女にはどうします? 馬鹿な事をしたと他人に言われないよう、面子を考えてやらねばなりませぬ」

「叙任式の際に、私から直接伝えるわ」


ヴァリ様のことだから、さぞや優し気に話すのだろう。

肩を剣で叩いた後に立ち上がらせて手を握り、優しく言い聞かせるのだ。

今回の旅団において私の正式な部下になった以上は、その命を無駄に散らす行為など絶対に許さぬと。

凛とした、それでいて花香りのする優しい声で。

旅団全員が居並び、羨望と嫉妬の視線に満ち溢れる中で叙任式が行われ、ヴァリエール殿下が直接声をおかけになり、お前の今後を気にかけているから無鉄砲をしてはならぬと念入りに気遣いをされるのだ。


「また一人、脳が蕩けるな」


そのような事をされたらあの三女、自己からも他者からも承認欲求の全てが満たされ過ぎて。

脳が液体になったかのようになってしまうぞ。

ヴァリエール様は人の脳味噌を破壊する性癖でもあるのだろうか?


「……意図してやっていることじゃないんだろうけど。これも教育のおかげなのかね」


人を褒めるときは大声で、誰にでも聞こえるように。

叱るときは理由を告げ、本人にしっかりと納得をさせること。

そして、どちらの時も必ずや相手の名前を呼び、この王族がお前個人をしっかり認識して気にかけているのだと伝える事。

この三要を抑えることが、アンハルト選帝侯家に伝わる人心術とも配下の運用方法ともされている。

ヴェスパーマン家の当主として教育を受けた私なれば、それを聞き及んだことがあった。

ヴァリ様は能力値において、正直貴族としては凡人と変わらぬ。

だが、受けた教育を教科書通りに全うするだけの能力に足らぬわけではない。

凡人ではあるが愚劣ではないのだ。


「……きっと、ヴァリ様の魅力は、人心術だけは他のアンハルト王族にも引けを取らない。けれど」


誰にでも通じる魅力ではないのだろう。

世の拗ね者にだけ、異常に通じる魅力なのだ。

アンハルト王族という出自と、妖精のような容姿と、凛とした花香のする声と――どんな身分の者であれ侮蔑をせずに、その者が精一杯の誠意を示したならば、それになんとしても応えてやらねばならぬと考えて動く。

本心本音でそう動いているからこそ、教養が足らぬ者でさえも、いや、それらにこそ。

ヴァリ様の魅力は特効的に、このザビーネのような卑しい人間に届いてしまうのだ。


「――うん」


今のところは、ほぼ予定通りに行軍が進んでいる。

ヴァリ様のための軍隊を作ること。

ヴァリ様がポリドロ領の統治をすることになった際に役立つ、第二王女派閥と権力の組み立て。

だが、ほぼであり、不安要素を感じつつもある。


「ヴァリ様、叙任式の時間まで少しお休みください。私は小用を済ませてまいります」

「小用?」

「ベルリヒンゲン卿に会いに」


整理をしよう。

不安要素は三つある。

ケルン派について。

旅団の増員について。

アメリア・フォン・ベルリヒンゲン卿について。

この三つは予想した通りに状況が動かなかった。

ヴァリ様から離れ、少しばかり歩いてベルリヒンゲン卿のところへと向かう。

歩きながらに思考をまとめる。


「ケルン派について」


小さく呟く。

ケルン派が出発時点で30人、その時点で警戒していたのだが。

数が――増えている。

現在は40名と言ったところだ。

旅団内での布教に成功して修道女が加わったとか、そういう話ではない。

単純に、旅団が行軍する途中でケルン派の教会に立ち寄ることがある。

その際に、随行員数が少しづつ増加しているのだ。

全員がマスケット銃とメイスで武装しており、そこらの雑兵など一方的に殴り殺せそうな連中であった。


「何を考えている? 何をやらかすつもりなんだ?」


武装修道女の数を増やす理由が、このザビーネにすら考えつかぬ。

明らかにケルン派は何らかの目的があって行軍を共にしているが、それを咎める権利は私にはない。

親衛隊100名を銃兵として充足するにあたってケルン派から強い便宜を図ってもらった過去がある以上、どうしようもないことである。

ケルン派信徒として、ただひたすらに協力してやるのが筋であった。

何か大きな問題でも発生しない限り、このまま見守るしかない。

私はケルン派問題をとりあえず保留とした。


「次だ」


旅団の増員について。

まず、アメリア・フォン・ベルリヒンゲン卿が100名ばかりの精兵を連れてきている。

これについては、まあよい。

あれは卿の私兵であり、彼女が制御可能な暴力である。

いわばヴァリ様の客将という立場であって、旅団の行軍目的を邪魔する気が無い以上、連れてきても問題はなかった。

問題は――それ以外の連中だ。

ベルリヒンゲン卿の領地を後にしてから、旅への参加を申し出る傭兵団や黒騎士などが絶えない。

理由はいくつかある。

私が事前に流していた噂通り、傭兵団どもに内密に約束していた通り。

盗賊どもへの戦功を明らかにした傭兵団の団長に対して、ヴァリ様が授爵を行った。

これにより噂は真実となり、ヴァリ様は約束を誠実に守られ、傭兵団の団長は正式な騎士となりあがった。

その部下100名ほどが明日も知れぬ傭兵から正式な兵士となりて、国から給金が支払われることになる。

なるほど、羨望と嫉妬のまなざしで見る厚遇である。

ひょっとしたら自分も同じ立場にと、目の色を変えるのは分かる。

分かるが――


「下級階層の欲深さを侮っていた」


このザビーネの誤算である。

今回の旅に参加している傭兵どもが、都市の酒場にて「これで団長は騎士様だ!」「私は先日から正式な兵士だぜ!」などと吹聴しまくった。

それは予想できた。

ヴァリ様の名声が上がる行為であるため、私はそれを良しとした。

甘かった。

この旅団に途中参加してくる人数など知れてると考えていたが、そんな幸運妖精の後ろ髪を一本掴める話が目前に転がってきて。

いきなり押しかけるなど無礼であろうと、躊躇いを感じて踏みとどまる行儀の良い奴らなど一人もいなかった。

旅の途中で出くわした傭兵団に黒騎士、誰も彼もが必死な形相にて付き纏いて、旅への参加を嘆願する。

これが使えぬ連中であれば「いらぬ」の一言で斬り捨てればよかったが、面接してみれば普通に実戦経験豊富な傭兵団で、どこそこの領主の戦に出て感状をもらったなどと証拠を叩きつけてくるし。

黒騎士なども試しに模擬戦をやらせてみれば、超人に一歩届かぬ技量程度の武人であればゴロゴロといた。

こんな連中が仕官も叶わずに野に埋もれているとなれば、どうしても勿体ない気がしてならず、結局受け入れてしまった。

参加を拒んでヤケになって暴れまわられて、こちらに被害があっても困る。

それに色々考えても、軍の数は多ければ多い程に良いのだ。

そんな経緯で、旅団は1000名から1500名に膨れ上がっている。

流石にここまで数が膨れ上がるとだ。


「どこまで旅団の規律を維持できる? 暴走して掠奪を働く危険性はないか?」


このザビーネの能力限界を現在すでに超えていた。

正直言えば、もうヴァリ様が持つ不思議なカリスマに任せるしかない。

ヴァリ様の魅力に丸投げするしかないのだ。

こうなってしまうと、さすがに人としての心がどこにもないと罵倒される私とて、ヴァリ様に酷いことしてるような気がしてきた。

でも、ヴァリ様ならなんとかしてくれる。

ヴァリ様ならなんとかしてくれるんだ。

それを考えれば、今後も発展余地のある二つ目の問題は解決と言っても差し支えなかった。

倍の3000名くらいに増えても、ヴァリ様ならいけるんじゃなかろうか?

だってヴァリ様だよ。


「ヴァリ様ならなんとかしてくれる」


二つ目の問題は解決だ。

三つ目の問題を考える。

アメリア・フォン・ベルリヒンゲン卿そのもの。

正直言えば、まあこうやってヴァリ様の旅についてくる可能性は多少考えないでもなかった。

一番高い可能性は少しごねた後に少額を払う事。

一番低い可能性は心の底から激昂して、このザビーネが反撃する形で彼女を殺害すること。

実のところ暴力を背景とした交渉術に長けているだけで、あのベルリヒンゲン卿自身は酷く冷静沈着に物事を運ぶ。

あの時ヴァリ様に激昂してみせたなど、ポーズにすぎぬ。

そう考えていたし、この見立て自体はまあ間違っておらぬ。

問題は――


「なんか楽しそうなんだよな」


ベルリヒンゲン卿が今回の旅についてくるならば、それは緻密に計算した上で利益があるから。

人の看板で金儲けができるからに他ならず、それ以外はどうでもよい。

そのような考えからである。

そのはずだと予想していたのだが。

なるほど、人は単純ではない。


「……ヴァリエール様の魅力は、盗賊騎士にも通じるのか?」


ヴァリ様の事が気に入ったという彼女の言葉に嘘など一つもないのだ。

本当に気に入っているから、今回の旅についてくると決めたのだ。

金は欲しいが、それだけが目的ではない。

そのような様子が、このザビーネの観察眼では見て取れる。

別に、本当にヴァリ様を気に入っているならそれでよい。

旅団の合法的掠奪(フェーデ)を強力に補佐してくれるのであれば、文句など何もない。

問題は。


「さて、旅の中でベルリヒンゲン卿のお気に召さない事があった場合、彼女はヴァリ様をどうするのかね?」


正直言えば、金だけが目的であれば信用はできた。

だが、あの悪名高き盗賊騎士が複雑な感情の揺れで付いてきたというなれば、もう何も信用できない。

旅団の統制が崩れた時などに、わざとヴァリ様の不利益になるような動きをする可能性があった。

彼女は客将であり、旅の補佐であり、精兵の軍権をこちらに握らせたわけではない。

少し、悩む。

二つ目と同様、この問題も私には対処できず、ヴァリ様の魅力云々で揺れ動いてしまうものなのだ。

ベルリヒンゲン卿が怪しい動きを見せたならば、すぐに殺せるようにナイフを研いでおくぐらいしかできない。


「……とりあえず、彼女の所にいくか」


私ができることは、いくつか質問をし、彼女の真意を読み解く事だ。

私は自分が質問した相手の表情を見るだけで、その回答が本当か嘘かを理解することが出来た。

それが本音か嘘ならば、だ。

だが。

本人すら本音か嘘なのかわからない、その表情だけは読み解くことが出来ない。

私は自分の能力不足に強く舌打ちし、ベルリヒンゲン卿の馬車へと歩いて行った。

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