第125話 おのれらに告ぐ

まず動いたのはテメレール公であった。

眼前の巨大なマボガニーの机を蹴り上げ、宙に浮かせる。

我ら女王親衛隊全員が抜き打ちで放ったナイフは、全て机に突き刺さる。

なるほど、良き判断である。

だが、もはや袋のネズミよ。


「テメレール。この館はすでにランツクネヒトで取り囲んである。もう逃げ場はない」


カタリナ様は堂々としており、椅子に座ったまま動じた様子もない。

嗚呼、我らが英傑レッケンベルよ。

ヴァルハラからご覧になって頂きたい。

カタリナ様が、見事ヴィレンドルフの女王として成長なされた姿を。


「その首ここで切り落としアナスタシアの奴にでもくれてやるとしよう。まあ、選帝侯となる宴への祝いの品もすっかり忘れていたので、ちょうどよい」


ポリドロ卿へのケジメもつけてあげられない、脆弱なモヤシのアンハルト選帝侯へ贈り物をさしあげるのさ。

そう呟き捨てて、ぱちん、と指を鳴らす。

我々は二手に分かれ、中央に転がっている巨大な机――テメレール公の姿は見えない。

ドアは、我々の背後にある。

要するに、すでにテメレール公とその配下は詰んでいるのだ。


「……所詮、レッケンベルの乳母日傘で育った女か」

「何?」


強がりを。

我らは内心嘲笑いながら、慎重に側面から挟み撃ちにしようと企む。

だが――私たちは理解していなかった。

テメレール公は愚かな女なれど。


「レッケンベルならこのような下手を打ちはしないものを」


紛れもなく、武力においては超人である。

それこそ英傑レッケンベルに一歩届かないだけの。


「我が配下どもよ。前進して退却する。脱出を優先せよ。私は、ついでに蛮族カタリナの首をもらっていく!」


テメレールが金切り声をあげた瞬間。

マボガニー製の机が、テメレール公の気合一拍の拳一撃にて粉々に吹き飛んだ。

思わず眼を疑う。

いくら超人とはいえ、そのような事が可能なのか!?

宙に舞う木片を身体で弾き飛ばしながら、テメレールとその配下は前進する。

――拙い。

我々は部屋の壁際へと回り込んでおり、カタリナ様は椅子に座っている状態である。

カタリナ様の傍にいるのは、たった一人だけ。


「ユエ!」

「かしこまりました」


客将にして、超人たるユエである。

彼女はああ、やっぱり、という顔をしている。

この展開が読めていたかのように、カタリナ様の傍から離れなかった。

両手にてナイフをそれぞれ掴み、こり、と小さな骨音を立てるように首を捻っている。


「邪魔だ! 東方人!!」


テメレール公の怒声。

浅く、息を鋭く吸い込んでの口笛が鳴る。

ユエが戦闘時に放つ、特殊な呼吸音。

それが静かに、部屋に流れる。

交差は一瞬である。

テメレール公は、カタリナ様の首に刃を叩き込もうとした。

ユエは、膝を動かすことで対応する。

蹴り。

靴の踵をこじり、刃先を力任せに引っ張り、そのままテメレール公を捉えようとするが。

あっさりとテメレール公はナイフを手放す。


「――仕方ない」


逃亡を優先したのだ。

テメレール公が脇目もふらずにドアを乱暴に開け放ち、その後に配下全員が続く。


「追いましょう!」

「待て」


我らが後を追おうとして、カタリナ様に止められる。

ユエ殿は先ほどよりカタリナ様の傍から離れる様子が無い。


「駄目だなあ。私は失敗した。追うな」


カタリナ様は、未だ椅子に座ったままである。

慢心していた。

やはりレッケンベルにはまだ及ばぬ、と呟き捨てる。

私は進言を行う。


「今から追いかけて殺せばよいだけでは?」

「いや、多分逃げられる。逃げの一手を打たれると駄目だ。レッケンベル相手に逃げ切れる超人が、逃げの一手に回って捕まるとは思えない。拙いな」


カタリナ様が、ゆっくりと椅子から立ち上がる。

腰元からナイフを抜き取り、その刃を見つめ、そうして――自分の腕を一つ掻くようにして傷をつけた。

血が、地面へと滴る。


「これは戒めである。この傷跡を見るたびに、私は今日の失敗を思い出そう」


カタリナ様が、血の付いた刀身を布で拭い、また鞘に納める。

血をふき取った後の布は、そのまま傷口を縛るのに用いられた。

失敗したとき、身体に傷を刻んで覚えるヴィレンドルフ騎士の作法である。

カタリナ様は、これで禊は済んだ、とまたゆっくりと椅子に座る。

そうして、ユエの顔へと視線を向けた。


「ユエよ。何故止めてくれなかった。私の傍に離れなかったのは展開が読めたからであろう?」

「私が彼女の立場であれば、テメレール公の立場であるならば、正面からの脱出を図ります。本当の超人であるならば、私やポリドロ卿のように真実本物であるならば。机を粉々に破壊して、突撃してくることはありましょう。ドアは私たちの背後にしかなかったので」


――なれど。

そうユエ殿は、少し眉を曇らせる。


「とはいえ、回り込んで挟み撃ちにするのは悪手とは思えませんでしたので。テメレール公の力量を測りかねました」

「ふむ」


テメレール公の怒号が混じり、罵倒が混じり、金切り声が聞こえている。

屋敷中の人間に声をかけ、脱出させようとしているのだ。


「元気なものだ」

「カタリナ様。そんなにのんびりしていていいんですか」

「いや、失敗したからには焦っても仕方ないだろう。これはまあ逃げられた。だがまあ、嫌がらせぐらいはしておくか」


カタリナ様が、自分の唇を撫ぜる。

合図である。

私はすぐさま懐から水晶玉を取り出し、通信を開始する。


「ランツクネヒトを屋敷に突入させろ。テメレールを討ち取った者には格別な報酬をくれてやる」


カタリナ様の命令が下った。











「テメレール様! 早くお逃げください!!」

「判っている! ええい、蛮族どもめが!!」


話の分からぬヴィレンドルフの蛮人どもめが。

筋骨隆々の醜い男に好意を寄せる、アンハルトの変態選帝侯めが。

私だけだ!

私だけが、この神聖グステン帝国を救えるのだ!

私こそが、このテメレールこそが皇帝位にふさわしいのだ。

「何もしない」マキシーンなどという小娘ではなく。

「全てをやり遂げる」覚悟がある、このテメレールこそが相応しい。

そんな簡単な事が何故わからぬ。

あの遊牧騎馬民族国家から、あの『モンゴル』から帝国を守れるのは私だけなのだ!!


「家人よ! 貴様らの私有財産は私が全て補填してやる! 着の身着のままにて逃げよ!!」


ランツクネヒトが来る!

あの薄汚いズボン姿の、乞食の兵隊が、我が館の財産目当てに襲い掛かってくるのだ!

私の叫びと共に、家人が全員家から飛び出していく。

側近が叫び返してきた。


「大丈夫ですよ、テメレール様! 普段からの逃亡訓練は家人全てが欠かしておりませんので!」

「死んだら終わりだからな!」


私は絶叫する。

そうだ、死んだら終わりだ。

死んだら何もかも失ってしまう。

逆に死なない限り、それは勝利である。


「逃げは負けではない! 私は頭を下げてない! 次にあった時、あの蛮族カタリナはぶち殺す。全員、生き延びるぞ! さあ逃げるぞ! やれ逃げるぞ!」

「はい、テメレール様」


さあ、勝利するぞ。

私は見事あの蛮族ヴィレンドルフの女王から生き延びた。

つまり勝利である。

次は館からの脱出である。

私は伊達眼鏡の縁を抑え、一呼吸だけ息を吐く。

まずは状況把握だ。


「カタリナは!」

「追ってきません!」


まず、カタリナは動かない。

あの蛮族女王は、動かない事を選んだ。

ならばよい。


「武装している暇はない。荷物をかき集めている暇もない。ランツクネヒトが来るぞ!」


ランツクネヒトだ。

甲冑を着た乞食どもだ。

さて、乞食には乞食に与えるにふさわしい餌というものがある。

配下の一人が、袋を担いできた。


「金貨袋を持ってまいりました! 逃げる際に撒きましょう! あの乞食の殆どは、我らなんぞ無視して這い蹲って拾うでしょう」

「よろしい」


乞食には小銭こそ役に立つ。

金なんぞ幾らでも後で稼げる。

今は、命を優先すべきであった。


「正面玄関から逃げるぞ。我が配下ども、殺しの準備は済ませたか」

「は!」

「おのれらに告ぐ。いつもの話だ。いつものように返事せよ」


鎧を着ている時間は無い。

我が配下どもはその礼服に仕込んだナイフだけを手に掴み、完全武装のランツクネヒトを相手どらねばならぬ。

甲冑を着た乞食の数は数百名を超える!

こちらは私を含め、ナイフで武装しただけの数名である。

なれど!


「我が配下ども。私はおのれらの事を知っているぞ。誰よりもよく知っているぞ。おのれらは本当にどうしようもない者たちだ。クズばかりだ。私に侍っているだけの犬にすぎぬ。その価値しかない。おのれらはそれだけの存在でしかない」

「理解しております」


配下は声を揃えて応える。

私の犬ども。

人殺しにおいては何よりも優れたものたち。


「私はおのれらの主人だ。おのれらの出自は知っているぞ。酷いものだ。弱い民を襲うが仕事の元山賊、人殺しが生きがいの元傭兵、食い扶持にあぶれた元農民、親姉妹親族が山賊に皆殺しにされて孤児になった元旅芸人、どこでも石を投げられる被差別民、明日のパンにありつけない捨て子、生まれついて神から祝福なんぞ与えられなかった、犬コロとして産まれついた運命の奴隷どもの集まりだ。カスだ。墓に埋もれる価値すら無く、死体すら地面から引きずりだされて野良犬に食われる末路が精々であったものだ。私のように貴種の中の貴種として生まれついた者とは天と地の違いがある。貴様ら偽物の青い血と、私の純潔とでは違いがあるのだ。理解せよ!!」

「理解しております!」

「おのれらは犬に過ぎない。くだらぬ人生を生きて、くだらぬままに死ぬ。そのようなものだ。だが、たった一つ良いところがあった」


たった一つだけ。

たった一つ、『超人』という全てを覆す鍵を生まれついて持ってきた。


「おのれらは『超人』であり、おのれらは私にそれを見込まれた。人の首を、草花を千切るように平気でへし折れるものとして産まれてきた。私は言ったぞ、おのれら犬に約束したぞ、私の領地にて産み落とされるという栄光を与えられたゆえに、おのれら超人の全てに約束したのだ。私に絶対の忠誠を誓うならば、全ての栄光を与えて良いと。輝かしい人生を与えてやると! 貴族としての地位も! 領地も! 城も! おのれらの血をそっくり青い血にしてやると約束して、その約束通りに何もかもをくれてやってきた! 人生をひっくり返してやったんだ!!」

「理解しております!」


私の心のボルテージは上がっている。

そうだ。

雑魚どもが、畜生どもが、私の野望を打ち破れることなどない。

負けるとすれば、悪魔として生まれるはずが、うっかり人間として間違って産まれてきたあのレッケンベルくらいのもの。

死んだ以上、もはやこの世に恐れるものは何もない。

私が人生で恐怖を覚えた相手など、獣が火を恐れるようにして怖がった相手など、レッケンベルのみだ。

それが死んだ以上、もうこの世に怖いものなどあるものか!

私は、この世の全てに勝利することができるのだ!!


「レッケンベルはもういない! あの悪魔はくたばりやがった! つまり結局のところ、私はレッケンベルにどうしようもないほどに勝利してしまったわけだ! レッケンベルに勝ったという事は、この世で一番強いという事にほかならぬ!!」


私は屋敷の全てに響き渡るような絶叫を行う。

ヴィレンドルフの阿呆どもにも、聞こえるような絶叫を行うのだ。


「おのれらは生きているか! 勝利しているか!! まったくもって完全勝利してしまっているのか?」

「まったくもって生きております! テメレール様! まったくもって完全勝利であります!」


配下全員が答える。

背筋はしっかりと伸びている。


「おのれらは負けているのか! どうしようもない人生だからと全て投げてしまったのか!? 負け犬に過ぎぬのか!!」

「まったくもって違います! テメレール様! 仮に負け犬という言葉が裏返るとすれば、我々は勝ち犬と呼ぶべき存在でありましょう!!」


配下全員が答えている。

声を張り上げて、いつもの儀式を行っている。


「よーし、よし、よし。負け犬はいないのだな。これで終わりだなどとふざけた事を抜かすような者がいれば、ここで死んでもらうところであった」

「我ら死に至るのであれば、全員がテメレール様の御傍にて!」

「よろしい! おのれらに告ぐ!」


私は歓喜に震える私の犬どもに、どうしようもなく惨めな人生を与えられてきたものに、私の領民であるがゆえに全て与えてやった慈悲に対して。

貢献を以てして応えてもらうのだ。


「今から館を放棄し、近くの堡塁へと向かう! あそこには食料がある! 潜ませていた配下もいる! 大砲もある! 我が領地から救援が来るまでは、完全に持ちこたえることが出来るであろう!!」

「承知いたしました!」

「ランツクネヒトどもが来る! 最低でも3桁はぶっ殺すぞ! 殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ!!」


ボルテージをあげていく。

血肉を滾らせ、超人としての暴力を薄汚い乞食どもに振るうのだ。

こんなところで私が死ぬわけがない。

シャルロット・ル・テメレールが死ぬなどと、神が許してしまうならば。

私は生存という形を以て、神に完全勝利してしまう事になるだろう。

そう、神でさえ私は屈服させてみせるのだ。

眼鏡の縁を撫ぜ、私は高笑いをしながら正面玄関へと、我が犬どもを引き連れていくのだ。

誰よりも威風堂々として、私は強く胸を張った。

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