第116話 何で殺さなかった!
「なんでぶっ殺さなかったんだ! 腕でも首でも引き千切ってしまえばよかっただろうが!!」
アナスタシア殿下が私を責める。
何故私が責められるのか。
あの私を罵った少年を殺さなかったこと、それを責められるのは理解できない。
私は少しばかり、報復に情けを与えたにすぎないのに。
どうもややこしい事になっている。
今は騒動冷めやらぬテメレール公の屋敷からひとまず帰り、帝都ウィンドボナにて皇帝陛下から借り受けている貴族用の大邸宅。
その屋敷にて、問答を行っている。
「拙かったでしょうか?」
「拙い! ぶっ殺せばそれで終わりだ。 始末の付けようがあるが……その」
殿下は怒っておられる。
だが、途中で口を噤み、何か迷っているようだった。
アナスタシア殿下の脳内では、狂ったように今後の計算が行われているだろう。
思考能力が高すぎて、戦場のように一撃たる決断が下せないのだ。
「アスターテ! これからどうなるか予想は!!」
「まず、お前はファウストを責めるのをやめるんだ。確かに殺した方がお前にとってもテメレール公にとっても都合が良かった。侮辱された人間が、侮辱した人間をぶっ殺した。テメレール公の顔を多少潰せど、それだけだ。それだけですんだが――こうなるとな」
殺した方がよかったか。
私はあの場では相手を『伊達にしてわからせる』に留め、上位者の判断を仰ぐべきだと考えた。
「だが、少なくともファウストは侮辱された被害者であり、本人は何度もこの事態を予想して進言していた。マトモに聞かなかった私たちの責任だぞ、これは」
「別にファウストを責めたいわけでは――私そういう風に見えるのか?」
アナスタシア殿下は眼力が凄すぎるのだ。
完全に激怒しているようにしか見えない。
「ファウスト、そう見えたなら謝る。私はとにかく――少し混乱しているようだ」
殿下は一つ息を吸い、それだけで冷静さを取り戻す。
「状況を考えよう。お前は何も悪くない。侮辱に対し応報した。それ自体は何も悪くない。だが、できれば殺してほしかったんだ。当事者の殺し合いなら良かったんだ。夫を殺された領主騎士が激怒したところで、面子を潰されたテメレール公も、事情を知る他の誰もが怒りに賛同しない。そいつに因果を含めて終わりだ」
私があの少年をその場でぶっ殺したケース。
それをまず例に挙げ。
「拙いのは、まだ生きてることなんだ。そして上位者たる私たちに判断を委ねたことなんだ。こうなると、私とテメレール公の面子に関わってくる。状況を見れば、もう悪いのは完全にテメレール公側だ。あちらさんだって、そんな事重々理解しているし、馬鹿なことをやらかした男をぶち殺して終わりならば喜んで実行するだろう」
そうすればよい。
それどころか、私はすでに侮辱に対する応報を済ませている。
あの少年の生死すらどうでもよかった。
私はこれ以上の賠償や謝罪を求めているわけではない。
今回の報復さえ正当であると認めてもらえれば、それでよいのだ。
「だが、テメレール公は今回のホストとして、自分の配下たる領主騎士の夫が主賓のパートナーにやらかした侮辱を謝罪せねばならない。テメレール公は、被害者であるお前に対して謝らなくてはならない。テメレール公にとっては『何故私が!?』と言いたくなる。性格からして、素直に認めるかというと……」
そこはどうしようもないんだから、素直に認めて欲しいものだが。
そうしてもらえれば私は評価するが、まあ面子商売であるがゆえに、小領主にすぎない私に謝罪するのはキツいだろう。
「だから、ともかく殺してくれた方が良かったんだ。こんな馬鹿話――嗚呼、判っているとも。ファウストは本当に何も悪くない。騎士として侮辱した相手を伊達にしただけ。だから、その先の責任は今回の役目を任じた私にあるんだ」
アナスタシア殿下は手で目を覆い、天を仰ぐ。
私、母親侮辱した相手の鼻をもいだだけなので、何も悪くないよ。
そう言いたい気持ちもあるが、まあ確かに双方の上位者にとっては面倒くさい事態である。
その場で殺した方が確かに良かったのだ。
私の考え足らずであった。
しかし。
「確かに私は上位者であるアナスタシア殿下に差配を求めました。そこまで面倒くさいのであれば、撤回――」
できないか。
アスターテ公爵の赤い唇が、滑らかに動いた。
私が口淀んだ言葉を、そのままに吐き出す。
「できないんだよ、ファウスト。もはやお前と侮辱した相手の争いで終わる話ではないんだ。これ以降はアンハルト選帝侯となるアナスタシア、そして帝国における有力者たるテメレール公の面子商売になるんだ。色々と複雑な話になるんだ。物事は幻想物語のように、単純じゃないんだ。お前が敵をぶっ殺さなかったから、ストーリーはそれで完結せずに続いちゃうんだ。だから――皆こういう面倒くさい事になるのが嫌だから、普通は侮辱なんか誰もしないのに」
本当にその場で殺してほしかったよ。
そうアスターテ公爵が呟く。
だんだん私が悪い気分になってきたが、私だって散々代理を立てろと訴えたのである。
それを口に出す。
「アスターテ公爵、私がパートナーの変更を求めた際に、私が危惧するようなことは絶対ない。有れば全ての責任をとると――」
「言ったよ! 言ったけど、私は常識論言っただけじゃん! そんな極まった馬鹿出てくると思わないじゃん!」
責任は取るよ!
私、ファウストに言った言葉には責任持つよ!
お前の一生の責任をとってやりたいよ!
やや悲痛な声色で、アスターテ公爵は部屋に響き渡るように叫ぶ。
「でも愚痴くらい言わせてくれ! 本当にこの事態の責任私たちが取らなきゃならないのか!? 今頃テメレール公も部屋で荒れ狂ってるよ!!」
まあ、そうだろうが。
だが、貴女の愚痴は私のミスを思い切り責めていて、私の心をチクチクとさす。
私は被害者であると言いたい。
「愚痴をおやめください! お二人ともみっともない!!」
アレクサンドラ殿が叱責する。
その声は鋭く冴えわたり、私の心にも突き刺さるようであった。
――実際、私の失敗を上位者に転嫁する見苦しさにも言ってるんだろうな、これは。
「アレク!」
アナスタシア殿下は、とりあえずアレクサンドラ殿の肩をぶん殴った。
衝撃音が鳴り、痛いですアナスタシア様、と小さな批難が漏れる。
「良く言った。お前の言う通りだ。愚痴ばかり言っていても何も解決しない」
「わかってくれましたか。じゃあ何で今殴ったんですか?」
アレクサンドラ殿の疑問を、殿下は無視した。
ぱん、と手を合わせて大きな音を立て、思考を開始する。
「現状を整理しよう。私はファウストの上位者として、夜会でパートナーが侮辱された者として、テメレール公に謝罪を求めなければならない。そして、私もファウストも、事を荒立てたいわけではない。面と向かっての謝罪すら不要。謝罪の手紙一つもあればそれでよい。そうだな」
「そうです。テメレール公に謝っていただく必要すら本来はないのですが」
「そう考えるだろうが、誰が悪かったかは明確にしなければならないのだ」
今回の夜会は、テメレール公の配下のみが参加したわけではない。
すでにファウストが侮辱された事、それに報復したこと、その解決をどうするかは噂になってしまうだろう。
もっとも――。
「すいませんが、噂の制御は不可能なのですか? 今回の来客全員に対して、醜聞であるから口にしないで欲しいとテメレール公とも協力して……」
一つの案を出す。
殿下と公爵の二人から出ない案である以上、すでに考えられて駄目なのだろうが。
「駄目だ。テメレール公とて可能であれば、あの時事件が執務室に伝わった時点で私に話をもちかけたろう。あの場には50人以上の貴族と、それ以上の従者が居たんだ。口を塞ぐことは絶対に無理だ。帝都ウィンドボナでは市民の娯楽としての情報網。劇場、社交的な行事、そういったものが発達しすぎている。明日の新聞には醜聞として、貴族間はおろか市民の耳に――そうだ、私もテメレール公も、初期対応を間違えたんだ」
ファウストにその場で馬鹿を殺すよう、両上位者許諾の元に命じればよかった。
確かに、それが一番早かった。
その意はおそらく無いといえ、何度も何度も私の失敗を執拗に話すのは止めて欲しいのだが。
もうさすがに私が悪かったとは理解している。
「だから、この話を今更矮小化させることも、貴族や市民の口から噂されることを防ぐこともできないんだ。そして、私が出来ることはただ一つ。テメレール公に形だけでいいので謝ってくださいと、そう連絡するだけなんだ」
出来ることがあまりにも少ない。
簡潔に言おう。
テメレール公が、ごめんねと言ってくれたなら終わり。
テメレール公の面子が潰れるだけで終わりだ。
その怒りが何処に向かうかは知らないが。
「使者を送る。もう夜も遅い。明日にはアレクサンドラ、お前がケジメつけろとテメレール公に言ってこい」
「え、嫌なんですけど」
アレクサンドラ殿は物凄く嫌そうな顔をした。
実際に物凄く嫌な役目である。
「そもそもあの猪突公が素直に謝るんですか? プライド無茶苦茶高そうですよ」
「実際、貴族としても騎士としても、異常に高いと聞いている。馬鹿にされるのが殺されるよりも嫌いなタイプだからな」
「そんな人に、こんなアホみたいな内容の責任取らせて謝らせるんですか」
人間には謝らなくてはならない時がある。
それは仕方ない。
「こんなの予想しろという方が馬鹿みたいな話なのに、常識的な事一つ守れない馬鹿が一人混じっていただけで。それが身内だったからというだけで、テメレール公は責任取らされるんですよ。言わなくても分かることを言わなかったと、それも言ってても防げたかどうか判らない内容の謝罪ですよ」
だが、こんな事件の責任取らされたくないな。
被害者に納得を求めるために謝罪するのであるが、加害者にだって謝罪するための納得は必要であった。
私はテメレール公が、あまりにも哀れだと思った。
「それが責任者なんだ。悲しいけれど責任者なんだ。テメレール公には責任があるんだ。その責任を果たす時が来たんだ」
私はただ戦場にて剣を振るうだけが取り柄の騎士であろう。
そう確信した。
自分の愛する領地の民がやったことであれば、どんな責任でもとろうさ。
それ以上は絶対に御免である。
「テメレール公に謝らせよう」
別に私はちっとも謝ってほしいわけではないのだが。
なんなら、テメレール公に同情すらしていた。
なれど、悲しいけれど謝ってもらわなければいけない。
そうでなければ、私がテメレール公に侮辱されたままで終わってしまう。
殺せばよかった。
私悪い事何もしてない気がするが、ともかく行動の責任を背負わされている。
「アレクサンドラ、行ってこい」
「私はかつてアナスタシア殿下に、直接勧誘されて第一王女親衛隊長となりました。ですが、こんな事のために親衛隊長やってるわけじゃないんですけど」
嫌な役目。
可哀想なテメレール公に謝らせるために、ケジメつけさせるために、出向くことになるアレクサンドラ殿。
もう誰もが嫌な役目を命じられているのだ。
上位者は、嫌な役目を配下に押し付けるのである。
まあ、こんなことのためにアナスタシア殿下が出向くわけにもいかないのだが。
「いや、もう誰か適当な隊員に任せては駄目ですか? それかもう、アスターテ公爵が行けばいいじゃないですか」
第一王女親衛隊長は、人に嫌な役目を押し付けようとした。
アレクサンドラ殿は善人であるが、確かにこんなの嫌だろう。
アナスタシア殿下に肩を殴られるために生きてる存在でもないし、立派な騎士なのだ。
「最低限、騎士団長クラスが。お前クラスが行かないとテメレール公の面子が潰れるだろうが! 私は行きたくない! お前が行け!!」
アスターテ公爵は酷かった。
お前が全部責任とると言ったから、私ことファウストしては今回の役目を果たし。
結果的にアホの鼻をもぎ取るといった次第になったわけである。
責任とると発言した以上は、アスターテ公爵が行くべきではないかと思うが。
「一応アンハルト選帝侯の血族たる公爵家の当主だ。私が使者として赴いた場合、なんかテメレール公を威圧してるような感じになる! お前が行くしかないんだアレクサンドラ!!」
一応理由はあったので、仕方ないと納得する。
アレクサンドラ殿は、なにか可哀想な生贄の羊みたいな目で、私を見ている。
私には何もできない。
「猪突公が相手です。素直に謝るなんて報告は期待できませんよ。交渉はしませんよ。それでもいいですよね! 私何の判断も出来ないですからね!!」
アレクサンドラ殿は怒っていた。
可哀想なアレクサンドラ殿は、かなり怒っていた。
だけど、もう私には何の努力もできそうになかった。
まさか被害者にして小領主にすぎない私がテメレール公に会いに行くわけにもいかないのだ。
「何でぶっ殺してくれなかったんです!!」
だから、アレクサンドラ殿が少し理不尽に私にキレるのも許した。
あの時は、殺さずに上役に話を持っていくのが良策と思えた。
だけど、もうさすがにここまで責められると、私の判断は間違ってたと。
そろそろ認めよう。
『舐められたら殺せ』、母マリアンヌの言葉が何もかも正しかったのだ。
「ごめんなさい」
私は部屋にいる三人に、素直に頭を下げた。
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