神聖グステン帝国編 上

第108話 旅は道連れ

旅は道連れという言葉がある。

より詳しく言えば、「旅は道連れ世は情け」であり、同行者がいる旅が心強いのと同様に、世の中を渡っていくには情けをお互いに掛け合う事が重要という慣用句である。

まあ、とにかくも旅には同行者がいるに越した事は無いのだ。

故に、ヴィレンドルフ戦役以来の戦友であるアスターテ公爵の旅に同行する。

より厳密には、私とは少し反りが合わないアナスタシア第一王女殿下が帝都に出向き、神聖グステン帝国皇帝陛下からアンハルト選帝侯の継承を認めてもらう儀礼を行うための旅路である。

要は、私など添え物にもならない。

武の超人であり、アンハルトにおける最強騎士の立場であろうとも。

領民300名の辺境領主騎士に過ぎぬ身では、神聖グステン帝国という巨大な権力機構において何の価値もない。

まあ、それ自体には別に不満なんて無いのだ。

何の役に立てるかは判らないが、旅費も出してくれるし、こちらの事情で同行させるのだからと相応の謝礼も貰っている。

私が領地経営することで得られる額よりも、その金額が多額である以上、誰にとっても不満はない。

私は何一つ損をしないのだから。

私の騎士見習いが、マルティナがどうしても話を受けてくれと、何度も懇願してきたのもある。

繰り返すが、それ自体には不満が無いのだ。

では、何が問題かというと、隣席のアスターテ公爵である。


「アスターテ公爵、近いです」

「私は気にしない!」


私は気にする。

今は旅の途中。

神聖グステン帝国、その帝都へ向けて、私たちを乗せた馬車はひた走っている。

馬車に設けられた長椅子には豪奢な布が敷かれており、そこに私とアスターテ公爵が並んで座っている。

うなじを覆いつくす、燃えるような赤毛の編み込みに目を奪われた。

強引に首を振って、アスターテ公爵の細い首から視線をそらし、情欲を蹴散らそうとする。

が、駄目。

彼女は隣席から私の腕に手を絡め、その爆乳に身を引き寄せようとする。

口元からはハアハアと息荒げな声が届いており、その瞳は涙が零れ落ちそうなほどに潤んでいる。

アスターテ公爵は、明らかに発情している。

女性に対してこのような言い方はしたくないが、まあどう見ても発情している。

この人、何でこんなに私の身体に対して情欲を催しているのか。

今までの言動から知る限りでは、もう本気も本気で私の事を好きなのは理解しているのだ。

だが、それは私が忠誠を誓うアンハルト王国においては、相当な変わり者と言ってもいい。

私はあの国では醜男なのだ。

母マリアンヌから産み落とされた、この筋骨隆々の身体に恥じ入るべきところなど、私には一つもない。

だが、それはそれとして、世間の価値観は理解しているつもりだ。


「ファウスト、いいよな! もういいよな!」


さわさわと、私の丸太のような太腿が撫でられる。

その手つきは酷く嫌らしく、なんなら股間近くに触れようとしてきたので、やんわりとその手を止める。

何がいいのかと問いたいが、まあ意味はわかる。


「何一つ良くありません」


状況を考えて欲しいのだ。

そりゃあ私だって、性欲はあるというか、そもそも前世ではこのような頭悪い貞操観念が逆転した男女比1:9の世界と違い、男性の方がケダモノのような存在であった。

いや、もう今世の方が歳月では長いのだから、ひょっとしたら前世の方がおかしかったのではと、最近は思うのだが。

――どうでもいい。

とにかく、そんな状況ではない。


「アスターテ公爵、あの、さっきからアナスタシア第一王女殿下が見ておられるんですが」


公爵家の馬車と言えど、帝都までの街道を通る旅である。

馬車のサイズには限界があり、調度や装飾に凝っている以外は特別な馬車というわけではない。

ゆえに、馬車内には4人しか座っていない。

そして、私の向かいの席にはアナスタシア第一王女殿下が座っておられる。

蛇目姫。

アナスタシア第一王女殿下が持つ瞳の虹彩の部分は人よりも小さく、白目の部分が多い。

そして瞳孔は爬虫類を感じさせ、他者に威圧感を与えるのだ。

その三白眼でじっと、私とアスターテ公爵を見つめている。

人肉食べてそうな目つきで、私たち二人を見ている。

その瞳は明確に、こう告げていた。

『殺すぞお前ら』と。

アンハルト王家の、選帝侯としての継承式。

領民100万をゆうに超える責任が、彼女の双肩にはかかっている。

この帝都への旅は、これから全ての責任を背負って立つための重要な儀式であり、万が一つにも失敗は許されない。

この私ことファウスト・フォン・ポリドロという男に政治劇はとんと判らないが、それでも皇帝陛下や他の選帝侯、そこまで届かずとも強力な封建領主達との関係を考えれば、この旅は重要なのだ。

それぐらいは、本当に小さな領地の、小さな封建領主でも理解できるのだ。

なのに。


「見られてる方が興奮するんだ!」


アスターテ公爵は、どうしようもない変態の台詞を吐いた。

第一王女相談役にして、アンハルト王家の血族にして、公爵という立場にあるアスターテはこの有様であった。

『殺すぞお前ら』。

アナスタシア殿下がそのような視線で、私とアスターテ公爵を射抜くのは当然の権利と言えた。

その視線に怯えている。

私は何も悪い事はしていない。

そう言いたいが、アナスタシア殿下から見れば、本当にただの言い訳にすぎないだろう。

それに。

私とて、正直本当に恥じ入るべき点が無いかというと、そうではない。

チンコが痛い。

本当にどうしようもない話をするが、言いたいことはそれだけである。

アスターテ公爵が胸を私の腕に擦り付け、さすりさすりと太腿を擦っている。

甘い吐息は私の首筋にかかり、口からは爽やかな柑橘類の香りがした。

前世の貞操観念が残ってる私としては、そろそろ限界である。

貞操帯がキリキリと痛むのだ。

アスターテ公爵の変態性に応じるつもりはまるでないのだが、このような状況下で人肉食ってそうなアナスタシア第一王女殿下に睨みつけられている。

何か妙な興奮と、生存本能が刺激され、背筋にぞくぞくとした物を感じるのだ。

誰か助けてほしい。


「見られてる方が興奮するんだよ!」


横でどうしようもない主張を続けている、アスターテ公爵も助けてやってほしい。

多分頭の何処か大切なところが可哀想なんだと思う。

戦場では酷く有能な人物であることを知っているし、普段は公爵として真っ当に政務をこなしている方なのだろうが。

どうにも、この変態性にはついていけないのだ。


「アスターテ公爵。ポリドロ卿が顔を真っ赤にして嫌がっておられます。すぐに離れてください」


顔が真っ赤なのは、股間が痛いからである。

嫌がっているのは事実であるが。

何も語らずにこちらを睨み続けているアナスタシア殿下の隣席から、救いの声がかかる。

彼女の名は、アレクサンドラ。

第一王女親衛隊長であり、昨年行われたアンハルト王国における馬上槍試合の個人戦優勝者である。

団体騎馬武術大会、ようするにトーナメントでも優勝してはいるものの、才覚ある人間で構成された第一王女親衛隊を率いている以上は勝って当然である。

団体戦には興味をそそられないので、そちらはまあどうでもいい。

私が気になっているのは、彼女個人の強さである。

容姿としては身長190cmと高く、髪は天然と思われるウェーブがかかった金髪を首の長さまで伸ばしており、全身はスプリング鋼のような特別製の筋肉で覆われていると推測される。

仮に彼女と一騎打ちするとすれば、苦戦を覚悟しなければならない。

まあ、負けるとも思わないが。


「アレクサンドラ、お前とてファウストが嫌いではあるまい」

「はあ。確かに嫌いではありませんが」


ともあれ、彼女を一言で称するならば、立場通りの「第一王女親衛隊長」としての能力と忠誠に満ち溢れた人物であった。

アナスタシア殿下からの信頼においては、私よりも評価は高いであろう。

実のところ、彼女とは割と仲が良い。

たまに王宮で顔を合わせれば、部下の指揮統率論において会話することもあった。

会話内容は、私が明確に指揮官としては彼女より劣等であると認識せざるを得ない結果に終わるのだが。


「この間、3人で話した時も言ってたよな。ファウストの嫁になるというなら喜んでなるし、次代の超人を産むと」

「はあ、確かにそう発言しましたが」


さっきから、アスターテ公爵何話してるんだ?

訝し気に思うが、少し会話の内容は気になる。


「親衛隊長という立場的にポリドロ領には常駐できぬものの、子を作り、ポリドロ領を継がせることは可能と考えましたので。きっと私とポリドロ卿の二人であれば、良い超人の子に恵まれると思います」


彼女はあっけらかんとした顔で喋る。

私とてアレクサンドラ殿は嫌いじゃないが、3人で何の話してたんだろう。


「ヴァリエール第二王女殿下が、ポリドロ卿の婚約者となられた今では過去の話でありますが」


横から口を挟むのは躊躇われたので、会話内容から想像で補う。

要は、私がヴァリエール様のための第二王女相談役としてではなく、もしアナスタシア殿下の傘下に加わるようであれば、アレクサンドラ殿との縁談話もあったのだろうと推測する。

少し下品ではあるが、自分の婚約者と彼女を比較する。

私の婚約者、貧乳低身長ロリータ14歳美少女、ヴァリエール様。

もしかしたらあったかもしれない未来の婚約者、豊乳であり身長190cmの高身長モデル体型にして、おそらく18歳の麗人たるアレクサンドラ殿。

私の好みとしては、もう明らかに後者であった。

この身長2m超え、体重130kg超えの自分の体躯について、アレクサンドラ殿は醜いとは感じてないようだ。

それが仮に良質な遺伝子の継承への期待から来る縁談としても、私には悪い話ではなかった。

婚約者たるヴァリエール様には申し訳ないが、そのように思う。


「今からでも遅くないだろ?」

「何が仰りたいのですか?」


アスターテ公爵とアレクサンドラ殿の会話を聞きながらも、一つだけ主張したいことがある。

とにかく私は14歳と婚約したものの、決してロリコンではないという事だ。

これだけは主張しておきたいのだ。

このようなことは誰にも聞かせられぬし、私とてヴァリエール様への好意はちゃんと有るのだから、生涯公にするつもりはないが。

私はどこか爛れた大人の女性が好みであり、清純な14歳の美少女へ情欲を向けるなど低俗であると思って生きてきたのだ。

それだけは、譲れなかった。

何かに対する言い訳のようにして、私はそう考える。


「婚約者のヴァリエールには後で適当に言い訳するとして、もうここで3人がかりでファウストを襲っても許されると思うんだ」

「頭大丈夫ですか?」


アレクサンドラ殿は、アスターテ公爵の正気を疑う視線を送った。

私も、本当にアスターテ公爵はどうしようもないなと思った。

誰がこの公爵を狂わせてしまったのだろう。

以前はもう少し、私の人格に配慮があったのだが。

少なくとも私に嫌われてまで、性的な接触はしてこないという配慮は有った。


「駄目なんだよ! とにかく、この馬車の中という密閉空間が、私を興奮させるんだ!」


知ったことではない。

アスターテ公爵は頭を両手で抑えながら、なんか叫んでる。


「さっきからファウストはお触りし放題で、あんまり抵抗しないし。ファウストから、なんか良い石鹸の匂いしてるし! もう駄目なんだよ!!」


駄目なのはアスターテ公爵の頭なのは、もう明らかであるのだが。

それなら、隣に座らないで欲しかった。

アナスタシア殿下の眼力は、いつにも増して強くなっている。

変わらないのは、とにかく人肉とか食べてそうという威圧感である。


「アスターテ」


ついに我慢しきれなくなったのか、アナスタシア殿下が呟く。

何一つ悪い事をしていない私まで、何故睨まれているのだろうか。

それは理解できないが、何故ちゃんと抵抗しないのかと責められれば返答に困る。

というか、もう立場に格差がありすぎて、本来なら直言すら許されない関係である。

ヴィレンドルフ戦役で生死を共にした戦友であるからこそ、許されているところがあった。


「これ以上、私に恥をかかせるな」


視線一つ。

顎をあげ、殺される前の家畜を見るような目で、アスターテ公爵を見やる。

それだけで、アスターテ公爵は両手の平をぱっと開き、子供のように言い訳する。


「なんだよ。確かにちょっと本気だったけど、そこまで怒る事ないじゃん」


表情は胡乱だ。

不誠実としか言いようがない表情をしているが、アナスタシア殿下は小さくため息を吐き、目を閉じた。

アスターテ公爵が私へのセクハラ行為を止めることで、矛を収めたようだ。


「悪かったな、ファウスト」

「別に気にしてはいません」


冷静になるように努め、アスターテ公爵の謝罪を受け入れる。

アスターテ公爵と、アナスタシア殿下。

この二人、実のところ私には未だ良くわからない部分がある。

付き合いは戦場にてお互いの生存を願うほどに濃厚であったが、正直期間としては短い。

初めて出逢ったのは二年と少し前の戦場にて。

それから私は第二王女相談役として、アンハルト王国における最強騎士として、この二人との関係を維持している。

アスターテ公爵はまだわかる。

私に対し、欲情している。

アナスタシア殿下というと、悪い人ではないと思っているのだが、正直たまに怖い。

この人の性格が良くわからない。

……この先の人生において、アナスタシア殿下の内心について触れることはあるのだろうか?

あまりにも立場が違いすぎる。

そのような事を考えるが。


「ファウスト」


そんな殿下から、名を呼ばれる。


「そろそろ帝都だ。私はアナスタシア・フォン・アンハルトとして、これから継承式のために皇帝陛下にお会いすることとなる。我が母リーゼンロッテは、選帝侯として不足はなかったし。父ロベルトは生前皇帝陛下との文通をやり取りしており、その印象もある」


声は鋭く、為政者として申し分ない。


「特に問題はないだろう。だが、私は帝都で失敗をするわけにはいかん。よろしく頼む」


そんな事言われても、私に出来ることなど何もない。

それが本音であるが、そのような事口に出来るわけもない。

私が言えるのは、ただの一言。


「私はアンハルト王家に忠誠を誓う領主騎士であり、粉骨砕身を以て、何もかもに応えるのみであります」


ただただ、求められた命令に応えればよいのだ。

それ以上に出来ることなど、有りはしないのだから。

私は目を閉じたままのアナスタシア殿下に、力強く答えた。

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