第106話 選帝侯家内紛

こめかみに、指を押し当てて悩んでいる。


「――」


本のように束ねた紙の全てを読み上げ、それを製本せよと部下に告げようとして。

はた、と立ち上がるのを止めた。

製本には時間がかかりすぎる。

というよりも、人目に触れるのが不味いのだ。

秘密を守れる人間にしか、これは見せられない。


「さて、どうするか」


今、王都にいる。

本来ならば、公爵家当主なれば自領に腰を据え、その統治を行うのが正しい。

だが、爵位継承こそ済ませど、このゲオルギーネ・フォン・アスターテはまだ若い。

齢は未だ18であり、当然、その母も若かった。

まだ母の齢は35にも達しておらず、領地経営を退いて私に公爵領の領民・騎士、それらの命全てを預けようとする様子はまるでなかった。

歳は若いが、齢16にして当主を娘に任せることにした。

だが、別に実権の全てを任せるわけではない。

働ける限りは、後見人として働くつもりでいるのだ。

後継者問題があるから、ある程度の領主教育が身についた長女を当主としてしまおう。

妹達がまだ幼い内に全てを決めてしまった方が、問題も起きぬ。

そういう母の意図により、若くして公爵家を継いだ。

神聖グステン帝国において、またアンハルトやヴィレンドルフなどの選帝侯領においても、そのような考え方は貴族において一般的であった。


「うーん」


だから、私には時間があった。

領地経営を母に任せ、第一王女相談役として、親戚にして親友であるアナスタシアのために王都にいる時間だ。

リーゼンロッテ女王陛下とアナスタシア第一王女の争いをなんとか仲裁するために、最近は時間を割いているが。

争いといっても、別に地位や財についての争いではない。

そろそろアナスタシアに女王の座を譲ると約束していたし、厳密にいえば、別にその約束を翻すつもりは女王陛下側にも毛頭なかった。

ただ一つ、但し書きを付け加えたのだ。

ファウスト・フォン・ポリドロという男の取り扱いについて。

リーゼンロッテ女王陛下は、ファウストをしばらく私に預けろとアナスタシアに命令した。

内容に関しては、こうだ。


「ファウストを私室に招き、ヴァリエールの夫として、そしてアナスタシアとアスターテの愛人として生きていくための教育を行おうと思うのだ。もちろん、その際に二人の愛の結晶、もとい王宮にて歩き回る幼児が一人産まれることとなるかもしれぬ。だが、もちろん誰が父親とも判らぬ子であるゆえに、王位継承権は持たぬ。何の問題もないゆえに、速やかにアナスタシアは了承してよい」


要は、リーゼンロッテ女王陛下は女王の座を退く際に、ファウストに手を出して自分を孕ませようと企んだのだ。

目の前に差し出された肉食って何が悪い!

自分の娘の婚約者に手を出して何が悪い!

その結果、産まれた幼児が王宮を歩き回っても何の問題もない!

凄く自然!

もうどこにでもある風景!

そのような事を平然とほざいたのだ。

アナスタシアは露骨に拒否した。

怒れる感情を抑え込み、ぺこりと頭を下げ、今までの人生全てへの感謝を告げ、暴発した。


「今まで育ててくれて有難うございます。そして死ね」


アンハルトを受け継ぐことになる次代の女王として、明確な殺意ある返答を行ったのだ。

ここにて、王都にて男の取り合いという親子喧嘩が勃発したのだ。

あまりにも醜い。

小さく呟く。


「リーゼンロッテ女王陛下も業が深い」


何よりの問題は、再度言うが、別に地位や財を争っているわけではない。

リーゼンロッテ女王陛下は多少の助言はすれど、本当に自分の立場を権力から遠ざける気であったし。

自分が育ててきた実務官僚や紋章官といった、全ての人材をきっぱり譲るつもりでいた。

アスターテ公爵家や他家に見られるそれではなく、後見人としての自分を守る権力さえ、全てを愛娘に譲るつもりでいた。

この娘であれば、自分が心血注いで育て上げた娘であれば、全てを預けて引退できる。

実際のところ過不足などなく、アナスタシアならばアンハルト王国を引き継げるであろう。

それは私の目からも事実なのだ。

だが、一つだけ紛れがある。

お前の愛人となる予定のファウストを私の寝室によこせ、という紛れであった。

悲しいくらいに頭が悪い案件であった。

アナスタシアはもう明確にキレた。

頼むから死んでくれと叫んだ。

お互いに理性はあるので、愛用であるハルバードを持ち込んでの殺し合いにまでは至らずとも。

そりゃあもう、見苦しい程の罵りが王宮に響いた。

お互いに完全武装の女王親衛隊、第一王女親衛隊を並べての罵り合いである。

見苦しさのあまり、面を合わせた親衛隊は酷くげんなりしており、お互い大変ですねえなどといった哀愁さえ感じられた。

私は現場の酷さに、思わず横から口をはさんだのだ。


「それはそれで、もう凄く興奮できるからいいじゃないか」


ファウスト・フォン・ポリドロ。

アンハルトの価値観では美しいとは呼べない、身長2m、体重130kgを超える筋骨隆々の領主騎士。

だけど心根は本当に優しく、悲しいぐらいに実直であった。

そのファウストが、叔母の欲望により穢されてしまう。

未だ亡き夫に想いを抱いているくせに、それはそれ、これはこれと、自分の次女の婚約者にして、長女の愛人となるべき男に手をつけてしまう。

あのファウストは立場上逆らえず、アナスタシアよりも先にリーゼンロッテ女王陛下の手によって穢されてしまうのであろう。

私たちは奥歯を噛み締め、泣きながらそれを見守るしかないのであろう。

もうそれを考えると、凄く興奮できた。

パンが美味しく食べられるのだ。


「お前百回くらい死んで、その性癖直してこい」


アナスタシアは酷く、私を罵った。

お前は、何故このように産まれてきた?

そのような、心からの罵りであった。

ビックリするほどに、冷たい声であった。


「このように産まれてきたのだから仕方ない。原体験であるのは、ファウストと同じく筋骨隆々であった、叔父ロベルトの尻を幼い頃にずっと眺めてきたことにあると思うのだ。もうこれは仕方ない」


私は弁明した。

この弁明には正当性があると考えたのだ。


「お前は、昔から夫ロベルトをそんな汚らわしい目で見ていたな。お前が幼い頃、何度か首を引き千切ろうかと迷った」


リーゼンロッテ女王陛下は、恐ろしい事を言った。

本気でかつては、そのような事を考えていたのだろう。

おそらくは実行に移そうとしたことも、何度かあるのだ。

そのような恐ろしい告白であった。

私はこの時、少し悩んだ。

自分の母であれば、ゲオルギーネが悪いなどと見捨て、私の首が千切られるのを健やかな面持ちで眺めたのではないかと。

皆が皆、アスターテ公爵領の長女にして、今は当主になりさえしたアスターテ公爵である私に対し、どこか冷たかった。

才能自体は認めるが、何か間違ったのが産まれてきたようにさえ、思われている気がする。


「嗚呼、そのような痴情はどうでもよい。私を今悩ませているのは、マルティナとファウストが差し出してきた本についてだ」


『銃・砲・騎士』という短いタイトルを論題にした、一掴みの資料。

それはファウストの知識について、ポリドロ領について調べよと、マルティナに送った紙束の結果であった。

確かにマルティナはその一辺について解き明かし、報告を為した。

それについては褒め称えてよいし、報酬を与えてもよい。

だが、内容は劇物であった。


「まず、銃について」


銃を扱うにあたって、銃兵の再装填や行動をより精緻にし、数十に分けた行動を訓練する目論見。

またその具体的な内訳と、方法論について触れている。

明確な軍事教練本へと、変化を遂げていた。


「私が考案していた方法と、一部合致する。だから『内容に狂いはおそらく無い』。少し腹立たしいのは、私より内容が具体的であることだが」


火砲について。

間違っていることもあれば、妙に具体的であることもある。

王族にして公爵であるアスターテと違い、ケルン派の火器開発状況を知らぬ二人であれば仕方ない。

しかし、内容に多少の紛れはあれど、アスターテより未来を見つめている。

砲兵がいかに脅威をもたらすか、それはアスターテにも理解できる。

本書においては戦術家にとって興味をそそる様々な運用方法、砲兵についてのそれが書かれているが。

重要なのはそこではない。

硝石について触れているのだ。

はっきりと、硝石の生産方法が書かれているのだ。

確かにケルン派は硝石を山から取り出しているのではなく、何か魔法により造り出しているのではないかと疑う向きがあったが、本書では否定されている。

ゴミを腐らせる、或いは動物の糞尿から、硝石を作り出す方法について考察している。

もちろん方法については大雑把なものだが、どうもこれは不味い。

多分、考察は当たっているのが不味いのだ。

なんであの馬鹿ふたり、ケルン派の秘事について平気で触れてるんだ。

ファウストとて、マルティナとて、おそらくは一人で考えたならば、不味いと思って書かないであろうことを平気で書いている。

馬鹿、もとい、ある種の知識人が二人そろって止まらなくなり、うっかり書いてしまったのであろうが。

ケルン派がその硝石の販売によって利益を得ている以上、具体的ではないにせよ、触れること自体が拙い。

下手な立場の人間ならば、もはやケルン派にぶっ殺されても不思議ではない。

ケルン派とて、いつかは誰かに情報が洩れると考えているだろうが、今バレてよいとは思っていないだろう。

最初に読んだのが私で本当に良かったと、アスターテは考えた。

今ならば止められるのだ。


「燃やすべきか? いや、待て」


この本を受け取るのは私ではない。

本来はリーゼンロッテ女王陛下に贈られたものであり、私は仲介役にすぎない。

この本にだって書いてあるではないか。

騎士について書いた章に、はっきりと書いてあるのだ。


『火器というものが、今後発展するそれが、いつかは騎兵の終焉すらもたらすかもしれない。だが、それは未来に過ぎず、騎士の存在が消えるという事ではありません。願わくば今の神聖グステン帝国皇帝陛下が最後の騎士などと呼ばれぬことを祈ります』


あまりにも飾り気がない。

神聖グステン皇帝陛下すら持ち出し、不遜とすら言われることを平気で書いてある本書。

これは、もはや選帝侯である我らアンハルト王族ですら持て余すと判断する。

確かに、アンハルトがこの知識を十分に活用できたのであれば、先手の利は得られるだろうが。


「……遊牧騎馬民族が気になる。神聖グステン帝国の対応も」


正直、半信半疑であった遊牧騎馬民族国家の西征論。

ファウストが言うのだからと、私は手を伸ばした。

僅かながら情報を握っているであろう神聖グステン帝国へ探りを入れたのだ。

結果はよろしくない。

神聖グステン帝国の首脳陣ですら、半信半疑であるといった状況であるのが不味い。

言葉通り、半分は信じているのだ。

それだけの情報がもたらされている。

もし遊牧騎馬民族国家が西征してきた場合、神聖グステン帝国自体がどうなるかは知らぬが、前線に立つことになるアンハルトと、ヴィレンドルフは酷い被害を受け、最悪は領地を失う可能性があった。

それは宜しくない未来だ。

私は立ち上がり、資料を文箱の中へとしまった。

燃やすのは止めだ。

だが、馬鹿みたいに世間にひけらかすものではない。

本と呼ぶべきですらないかもしれない。

これは、何らかの凶悪な武器、取引、交渉材料になり得ると考えた。

正直なところ、遊牧騎馬民族国家の侵略を受けることが確定しても、神聖グステン帝国中が力を合わせて打倒に立ち向かう。

そのような未来、私にはまるで見えない。

現皇帝は能力が高く、選帝侯の全員の投票により、選挙制の形を取りながら満場一致で認められた真の皇帝である。

帝国自体は強靭そのものの黄金期を迎えている。

だが、ヴィレンドルフとアンハルトが選帝侯同士で争っていたように、封建領主の皆が手を繋いで仲良くとはいかないのだ。

不安ばかりが募っている。

最後の騎士、そのキーワードがずっと頭に引っかかっているのだ。

ファウストがゲッシュを行ってまで示した懸念が事実であれば、火砲によるものではなく。

侵略による、神聖グステン帝国の崩壊という結末も見えてしまう。


「……」


グダグダと、つまらぬ思考。

そのような暗い思考は、私には不釣り合いであったし、事実すぐに思考を切り替えた。

前のめりに向いたのだ。

9歳の知能超人マルティナ、神聖グステン帝国中を探しても何人もいないであろう武の超人騎士ファウスト。

このような危険物を提出してきた、馬鹿二人。


「あの二人、帝都に連れていくか?」


リーゼンロッテ女王陛下から、アナスタシア第一王女への、アンハルト選帝侯の継承。

皇帝に対する顔見せには、アナスタシア自らが帝都に出向く必要があった。

相談役である私も、それに付いていくつもりであったのだ。

二人ほど増やしても問題はない。

問題は、二人が了承するかであるが。

さて、どのように口説く?

今から、手紙の文面を考える。

それにしても、だ。


「いつになったら、この喧嘩は終わるのだろうか」


アンハルト王宮の一室。

この部屋にて、嘆く。

廊下では双方の親衛隊が、必死にお互いの主君を止めているのだ。

もう醜い争いは止めてくれと。


「お前なんか産んだのが間違いだった!」


なんか母親が言っちゃいけない言葉言ってるし。

リーゼンロッテ女王陛下はいつもの沈着冷静な面持ちを投げ捨てている。

あんな人だったろうか。

まあアンハルト王族は、私含めてマトモな性格をしている人間はいない。

ヴァリエールと、叔父ロベルトが例外であるのだ。


「お前から産まれたなんて事実を否定する。木の股から産まれた方がマシだった!」


娘も言っちゃいけない言葉を口にしている。

これからアンハルト選帝侯家を継ぐ人間の台詞とは思えなかった。

だが、まあ、どうでもよい。

なんだかんだ言って二人とも現実が見えており、仲裁さえ続ければ落ち着くであろう。

男の取り合いで、本気で殺し合うわけにはいかないのだ。


「にゃーん」


最近飼いだした白猫が、座っている私の足元に、頭を擦り付ける。

ファウストとの話題のつもりで飼いだしたが、悪くない。

そのような、あまり大したことのない事に思考を落とし、猫を撫でるために椅子から立ち上がった。

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