第99話 リドルの解き方

舗装された道を歩く。

ファウスト様が待っているであろう、領主館への帰り道。

その横では、畑仕事を終えて家に帰っていくポリドロ領民が見受けられた。

家に帰りつけば、その夫や子供が待っているのであろう。


「ひとつ。悪徳について」


神母から与えられたリドル(なぞなぞ)。

穏やかな風景とはとんと縁のない、それについて考える。

私の母は、悪徳そのものであった。

何の罪もない人々を沢山に殺したのだ。

山賊と何の変わりもないどころか、それ以下であった。

だが。


「我が母カロリーヌは、本来は悪徳などとは程遠い人であった」


何もかも、この世の全てにビクビクと怯えていたような。

それでいて、せめて自分なんかに従ってくれる皆には優しくしてあげたいと。

軍役を命じられた平民の従士と兵隊――酷く母に対して冷たかった祖母は、陪臣の騎士一人すら母カロリーヌに従わせずに、平民ばかりの兵隊を編成させていた。

それとてスペア。

平民達も家を継ぐ長女ではなく、最悪は死んでも構わないと思われる次女どころか三女以下の集団。

それが、かつてのボーセル領にて軍役に駆り出される民兵の全てであった。

しかしそれは、家を守るという道義に対し、別に逆らうものではなかったのだ。


「母カロリーヌとその兵隊が逆らったのは、自らが家督を簒奪するため?」


誰も彼もが、安全な場所にいて、自分たちを危険な軍役へと追いやる家督相続者たる長女への憎しみを抱いてはいただろう。

それは悪徳であったはずだ。

だが――皆、私には優しかった。

それはマルティナという貴族階級に対する優しさではなく、小さな子供に誰もが持つような優しさであった。

兵隊としての酷く無骨な手で、頭をがしがしと兵隊たちに撫でられたことがある。

母カロリーヌは、それを苦笑して見守っていた。

彼女たちはボーセル領への反逆と、アンハルト王国直轄領への略奪という酷い悪徳を行った。


「ひとつ。富とパンの話」


ポリドロ領でさえ、ポリドロ家とそれ以外は明確に分かれている。

貴族階級である騎士と、働く人である平民の違い。

だが、その区別は家庭にもある。

五月祭。

豊穣の男神を祭るその儀式においては、年に数回しか顔を合わせぬ領主一族のボーセル家とて一堂に会した。

祖母と、伯母ヘルマ、母カロリーヌ、そして私ことマルティナ。

ああ、そうだ、もう一人いたはずなのだ。

伯母が産んで、すぐに亡くなったと知った少女。

祖母と伯母はそれを隠しており、母はそれを生きてると信じていた。

五月祭にその娘は現れず、代わりにその娘の分の食事が置かれていた。

当然、次女たるスペアの娘にすぎない、私へのパンとスープの量はその娘より少なかった。

幼少の記憶を辿れば、母は、あのとき憎しみの目でその座を見つめていたのではなかったのだ。


「私は疑っていたのだ」


伯母の子など、本当はいないのではないか?

すでに死んでしまっているのではないか?

と。

一度こっそりと、母に対して問うたりもしたのだ。

母カロリーヌは、それを悪いように解釈してすらいた。


「私が姉の娘を殺めないか、母や姉は疑っているのだろう」


返答は、母カロリーヌによる暗殺への猜疑があるから隠しているのであろう、という言葉であった。

信用されていないのさ、とも。

寂し気に呟いた。

これは推察になるが、伯母ヘルマと母カロリーヌは、明確に区別をされて育てられたのではなかろうか。

長女が家を継ぎ、次代に繋ぐための種として。

それ以外は、余裕があれば分家を与え、そうでなければ肥料として土に還る。

それすら出来ないのであれば、家を出て、勝手に野垂れ死ね。

そのような扱いでしかなかった。

違う環境があるとすれば、よほどに力を持つか、逆に家族全員が力を合わせねばならない程の貧困か。

公爵として分家することができたアスターテ公爵家などは前者。

ポリドロ領民のように、家族全員で死に物狂いで生きているのが後者。

貴族という存在に第三の道があるとすれば、王都に上がって実力を認められ、法衣貴族となるぐらいであろうか。

かつては王配たるロベルト様がその窓口になっていたと聞くが、今ではもう存在しないルートだ。

まあ、それはよい。

重要な事は――


「母カロリーヌは、それについて最後まで恨み言一つ吐かなかった」


自分の境遇を憎んではいたが、恨み言までを吐くようなことはなかった。

家を憎んではいたのだが、そのような事を私に口する人間ではなかった。

多分、私に嫌われたくなかったのだと思う。

子にすら負の側面を見せられないほどに、ある意味で弱い人間だったのだ。

富とパンは全ての人に等しく与えられるわけではない。

その鬱屈は、母の内心にずっと埋もれていた。

嗚呼。

酷く、気持ちが重たくなる。

でも、やらねば。

あのケルン派の神母は、この事を理解する時が来たのだといった。

私が母カロリーヌを愛するならば、最後までやらねばならないことであった。


「ひとつ、改善のためのありとあらゆる模索について」


母は無学であった。

だが、その子供である私には、それゆえ余計に教養を望んでいたように思える。

神の門を叩き、修道院にて司祭様たる女性と縁を繋いだ。

私は、司祭様からの好感を得た。

幼いながらに知識を望み、高等共通語たる古語を幼い頃から容易に理解する私を見て、相好を崩した。


「信徒カロリーヌ! 貴女の子は本物だ、本物の超人なのだ!! 神に才知を与えられた子なのだ。この子は私の命を懸けてでも、本物に育て上げて見せる! ボーセル家が何を言おうが、私は貴女からの嘆願を守ろう!!」


貴族間にてよく行われる誉め言葉ではなく、本当の超人というそれであると、司祭様は私を賞賛する。

司祭様は私の頭を撫でるという、よくわからない行為。

何故、誰も彼も、兵隊も司祭様も、私の頭を馬鹿みたいに撫でたがるのか。

母は酷く困ったように、それでいて嬉しそうに私の顔を見つめている。

――そんな、昔の事を思い出す。

母は私の才知に対して、自分の力でなんとかなる全てを行おうとした。

おそらくは、ファウスト様のように頭を地に擦り付けるような思いで、司祭様に嘆願して。

嗚呼。

母は、何でもかんでも、私の事ならばやろうとしていたのだ。

心臓が痛くなる。

未だ、ケルン派神母の言いたいことが判らない。

思考を続ける。


「ひとつ、ポリドロ家のルーツ」


暗いもの。

ポリドロ家とその領民が、容易に明かさないが、同時に心から誇りにしているもの。

それを馬鹿にする者がいれば、翌日には死体となり、所在は行方不明になるだろう。

そう感じさせるような、全ての一体感。

それは追放者としてのルーツがあることからの、それであった。

先ほど、長女とそれ以外の扱い、富とパンについて述べたが。

このポリドロ領では、ポリドロ家と領民が食べる食事の違いは、かつて量ぐらいでしかなく。

その量すら、ポリドロ家に招かれて、家に持ち帰られた野菜や果物という形で家族に平等に分け与えられるのだろう。

ポリドロ家とその領民は、一つの神聖なる共同体として今までを生きてきたのだ。

母は自分に心から付き従う兵隊――スペアである彼女たちとともに、共同体として何の心を一致したのであろうか。

長女たる私には、彼女たちの心は判らない。

いや、嘘を吐いた。

彼女たちは、貴種と平民という違いはあれど、スペアに過ぎないという点で一致している。

思考は続く。


「ひとつ、告解について」


母とて、司祭様に告解はしたであろう。

司祭様とは、かつての我がボーセル領にて最高の知能と学識を誇る存在に対して、古語の少しも読めない母は親しかった。

祖母と伯母は、聖職者に対する配慮が少し足りなかったのではないか。

母は自分の懐に入る金銭、少しばかりのそれを全て聖職者に収めて――いや、それでも足りない。

祖母や伯母から入る貨幣の方が、量は多かったであろう。

それでも、司祭様は母に心を寄せた。

修道院の図書室に閉じこもった私に対し、司祭様は時間さえあれば話しかけ、私からの質問に答えた。

図書室が暗い!などと叫んでは、私が本を読んでいる場所にステンドグラスを設けた。

神がステンドグラスを覗き見して、貴女を見守っておられるのだ、などと仰っておられた。

司祭様の事は嫌いではない。

嘘は一つもない。

そんな嘘、全ての爪を剥がされ、歯の全てを抜かれたって言えるものか。

だって、私のせいで死んでしまったから。

修道院に匿われた私の身を守るため、最期の最後まで抵抗し、司祭様は私を守り抜いた末に殺されてしまったのだ。

ボーセル領の陪臣騎士たちから。

私は図書室に閉じ込められ、その扉を守りながらも殺されてしまった、司祭様の嘆きの声を覚えている。

一生忘れられない。

「この扉を開けたものは、我が魂の全てを懸けて呪い殺してやる。殺せるものなら殺してみよ」と。

司祭様はそう全ての世の中に対する憎悪を込めて、叫ばれたのだ。

私は連れ去られ、その首を吊るされようとするところで、伯母であるヘルマに命を救われた。

嗚呼。

母は、何を司祭様に告解したのであろうか。

娘にすら漏らせぬ多くの悪徳と怒りを、司祭様に話していたと思うのだ。

それが知りたい。


「嗚呼」


言葉が漏れる。

私は何かに気づこうとしていた。

それは如実に予想できるのだ。

だが、続けなければ。

これが聖職者たる司祭様を巻き込んでしまい、死なせてしまった私に対する、ケルン派が出したテストであるのならば。

それは続けなければならなかった。

歩き続ける。

ファウスト様が待っている、領主館への道に、思い悩みながらも歩き続ける。


「ひとつ。告解の守秘義務を犯すことについて」


苦痛が起きている。

私は気づきかけている。

もちろん、司祭様が私に守秘義務を犯したわけではない。

だが、その内容は見当がつく。

娘にすら話したことのない、悪徳そのもの。

自分を軍役にて良いように扱う者たちへの怒り、そして――家督簒奪のための反乱についてさえ。

あの親しかった母と司祭様は会話したのではなかったのか。

だって、私が匿われている。

修道院の図書室が一番安全な場所だからと、司祭様は応じたのではないか。

母の家督簒奪に、それこそケルン派のように戦棍を握りしめて協力しないまでも、消極的な賛成を行ったのではないか。

だって。

だって、司祭様も長女ではないのだ。

あれほどの英知をもってしても、嫡女ではないという現実から逃れられず、家を継ぐことができなかった。

だから聖職者の道を選んだ。

栄達の手段として、子を産むことを諦め、聖職者の道を選んだのだ。

私は司祭様から、甚だしく可愛がられていた。

私の母と司祭様は親友で、司祭様にとっての、共有する一人の子なのだ。

度々に、司祭様は口にした。

嗚呼。

私は理解しかけている。

あの神母はおそらく、私にかつての領地たるボーセル領にて何があったかを、何らかの手段で知ったのだ。

これは寓意である。

あの司祭様と、私の母カロリーヌが親友であり、その子を自分の子のように思っていたのと同じくして。

あの神母様と、ファウスト様の母マリアンヌが親友であり、その子を自分の子のように思っていたのとは等しい。

私は理解しかけている。

ケルン派の神母が告解の守秘義務を犯してまで願う事。

ファウスト様が、その守秘義務を犯してまで、自分に全ての真実を打ち明けることを望んだことを。

その意味を理解しかけている。

誰も彼もが優しかった。

自分なんぞ地獄に落ちても構わないから、自分の子だけは救いたかったのだ。

泣きながら、顔を覆う。

そうしながらも、道は舗装されている。

歩く道ぐらいは、選ぶ事が出来るのが不愉快であった。


「ひとつ、本当は誰もが望んでないことについて」


ひとつ。

そして最後。

私は涙を流している。

理解してしまった。

理解してしまったのだ。

私はとんでもないクズであった。

何一つ、今まで何一つ、私は理解していなかったのだ。

私に関わる、全ての人が私を守ってくれていたことを。

私は何もをそれを理解していなかったことを。


「母は、それでもよかった」


母は、スペアとしての人生を甘受したのかもしれない。


「兵隊は、それでもよかった」


母に従う従士や領民は、スぺアとしての人生を甘受したのかもしれない。


「司祭様も、それでもよかったのだ」


司祭様は、聖職者として書物を読み書きする、その人生を甘受したのかもしれない。


「一人だけ、そこに混じってない異物がそこにいた」


私だ!

マルティナ・フォン・ボーセルという、次女の娘にして、その嫡女たる私は何なのか。

母に、兵隊に、司祭様に可愛がられ、その存在を認められた私は何なのか。

それを問う。

私は気づきかけている。

自分という異物が何をもたらしたかの事実に!

彼女たちは我慢できたのかもしれない。

甘受したのかもしれない。

その彼女たちに、私は一つの問いをもたらした。


「お前はそれでも、良いのかもしれないが」


感情が、心臓の拍動に異変をもたらしている。

太ももに力を入れることはできず、よたよた歩きとなる。

一路、私の足は領主館へと向かっている。

そこで、何も知らずに、同時に、私に何があったのか全てを知ってしまったのであろうファウスト様の元に近づくために。

だが、もはや聞く必要はないのではないか。

私は気づいてしまっている!

彼女たちは、私の存在に問いかけを受けたのだ。

悪徳への誘いを受けたのだ。

私が自意識過剰の存在であり、これが思い込みにすぎないとは、もはや呼べなかった。

母も、それに従う領民も、司祭様も、こう誘いを受けたのだ。


「お前はそれでも良いかもしれない。だが、あの子はどうなるのだ」


マルティナ・フォン・ボーセルという存在はどうなるのだ。

スペアの子は、所詮スペアに過ぎないのか?

お前はそれでよいかもしれないが、この子はどうなるのだ。

お前が産んだ子は、頭を撫でた子は、死ぬまで表舞台には立てぬだろう。

だって、スペアの子だからな。

一生、報われることなどないだろうさ。

スペアの子はスペアでしかない。

そういう差別的な論理。


「嗚呼」


皆が勘違いをした。

伯母ヘルマの娘が死んだ以上、私ことマルティナをボーセル家の跡取りとするしかない。

誰もが、その事実を知らずに勘違いをした。

お前らスペアの子はスペアでしかなく、家督なんぞ継げないぞ、などという現実を目の前にして狂ったのだ。

自分などはどうでもよいが、子が差別を受けた!

その未来など、どこにもない。

その吐き気をする憎悪だけが、目の前に転がっていた。


「嗚呼」


私は手で顔を抑えても、抑えきれぬ涙を指の端から零していく。

私は知った。

皆が、自分の事などどうでもよくても、自分の子には、目の前の子の境遇には激怒をした。

マルティナ・フォン・ボーセルは領地など継げない。

母カロリーヌと同じく、病弱な伯母ヘルマのその娘、病弱な娘にとってのボーセル家の奴隷として従うしかない。

その架空でしかない未来に怯えたのだ。

どれだけ能力があろうともスペアの子はスペアでしかなく、飼い殺される。

誰もが、私というマルティナを眼前に理解したのだ。

私が、皆を殺した。

その事実が目の前にあった。

私など。

私など、産まれてこなければよかった。

誰もがスペアとしての自分に限界ながらも我慢している事実はさておいて、平穏な余生は送れる。

その事実を横にして、家督簒奪を行って、悪徳を行って、幸せな未来を望むなど。

その悪徳の理由とする、マルティナ・フォン・ボーセルという人物など。

私など、産まれてこなければ良かったのだ。

私は泣きながら、ファウスト様の場所に歩みを寄せる。

あの時、何もかもを理解せずに裁きを望んだ、斬首を望んだそれを。

再び、心からのそれを願っている。

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