第80話 復讐の炎は地獄のように我が心に燃え

結論から言えば、やはり放浪民族の座長が犯人である。

誰もが苦渋に満ちた顔で、そう判断した。

リーゼンロッテ女王陛下のみが調査に関わらず、失意のあまりに寝込んでおられる。

もはや何も聞きたくないと。

我々の判断を聞こうとせずに、大量のワイン瓶を抱えながら、自室へと引きこもってしまわれたのだ。

まあ、そうなるであろう。

何もかもが、女王陛下にとってはやりきれない話となるのだ。


「歌劇場に、もうすぐ到着します」

「そうか」


王家ではなく、ヴェスパーマン卿が所有する、装飾が控えめの馬車。

馬車内には簡素な長椅子が固定されており、私とポリドロ卿が二人して座っている。

いよいよ事態は大詰めを迎えていた。

座長への詰問と、その結末が、せめて薬になればよいのだが。

女王陛下の病を治す、良薬になればいいとは思う。

だが、それはもはや、私ことミハエルの仕事ではなく、横に座っているポリドロ卿の為すべき事であるとも考えるのだ。

馬車の中で、私は唇に拳をやり、人差し指を触れさせ。

思考の渦へと入る。

女王陛下お気に入りの実務官僚の騎士と、かつての同僚にしてロベルト様の侍童であった者。

その夫婦は、当時の事をよく覚えていた。

陳情に訪れた放浪民族の旅団代表にして歌劇場の座長は、やはりロベルト様の激怒を買い、その頬面を殴りつけられていたのだ。

頭を冷やせと宮廷のローズガーデンに、しばし置き去りにしたとの証言を得ている。

薔薇の棘に、毒を仕込む隙間は確かにあった。


「ミハエル殿」

「何か?」


ポリドロ卿が、酷く神経質な様子で、私に目を合わせないまま呟く。


「何故、貴殿は笑っておられるのか?」

「逆に、何故ポリドロ卿は苦渋に満ちた顔をされておられるのですかね。私の場合は――」


理解してはいる。

この結果が、気に食わないのだ。

誰も救われない。

誰も救われないのは、判り切っていた。

これから、歌劇場の座長をひっそりと殺したところで。

誰も救われるわけがないのだ。

私が笑っているのは――


「破滅願望でしょうね。私の現世での心残りが、これで片付きます。これが終わりさえすれば、もう――」


正直な心を伝えた。

ロベルト様に酷く似た雰囲気を持つ、ポリドロ卿に嘘を言うのは避けたかった。

本音を吐く。

この復讐さえ果たせば、私はこの生を閉じる事が出来る。


「貴殿が死ぬことは許されん。誰もそれを望んでいない」

「私の生死は、私が決めます。それだけの事です」


配慮はしよう。

この先、私が死んでしまった後の、世の中については配慮しようと考えるのだ。

病んでしまった女王陛下には、それを癒す良薬となるものを届けてあげたいと考えるし。

ポリドロ卿には、その結果が例え誇るものではないにせよ、今回の事態に対する結末は与えてあげたい。

ヴェスパーマン卿に対してすら、前任者として、この宮廷殺人劇における真実は教えてあげたかった。

私は世の中を呪うどころか、むしろ周囲に対しては優しさに満ちているとさえ言えた。

なれど、私は死にたかった。


「もう、良いと思うのです。私がこの現世で為すべき事は何も無くなりました」


復讐の後は、もう何も残らない。

この復讐の炎が地獄のように燃え盛った後は、その灰すら残らずに、この世から消えてしまうものだと思えた。

私の存在はそのように価値のない物であるし、そういう風にして余生を繋いできた。

ロベルト様が殺されてしまった後の余生を。


「バラ園はどうする。ロベルト様の遺したバラ園は、ミハエル殿が庭師として管理されているのであろう?」

「……私一人だけで、あのバラ園の全てを管理しているわけではありませんし。リーゼンロッテ女王陛下が、下手な人間に、あのバラ園を管理させるとは思えません。大丈夫ですよ」


世は全てこともなし。

心残りは何も無かった。

ポリドロ卿が、酷く苦渋に満ちた顔をしている。

私をどう説得するか模索しておられるのが、あからさまであった。

優しい方だ。

瞑目しながら、未だ記憶に焼き付いているロベルト様の姿を思い出す。

同じ筋骨隆々の身体なれど、やはりポリドロ卿の巨躯とは重ならない。

だが、自分の手が及ぶ範囲であるならば、少しでも人に優しくありたいとする姿はロベルト様によく似ていた。

笑みを浮かべる。

この命を絶つ前に、ポリドロ卿に出会えたのは僥倖であった。

貴方がいるからこそ、私は心置きなく命を絶てるのだ。

後事は、ポリドロ卿が良きようにしてくれるであろう。

もはや、私に言葉は通らない事は理解しているであろうが。

最後まで、ポリドロ卿は説得を諦めない。


「ロベルト様は、ミハエル殿がこのような形で、その命を絶つことを望んでおられるだろうか? もう一度、よく考えて頂きたい」


陳腐な台詞。

言うと思った。

発言されたポリドロ卿自身でさえ、陳腐だと思っているであろう言葉を考える。

望まないであろう。

この後行う復讐も、私が死ぬことも、何も望んでおられない。

ロベルト様はそういう御方であったのだ。


「ポリドロ卿。自分でも無為と思う言葉を発言してはいけませんよ」


笑って、嗜める。

貴方の言葉は全て無為なのだ。

この先、生きたところで何も良い事など無い。

私は、人生の結末はここであると定めてしまった。

この決意は揺らぐ事が無い。


「――」


ポリドロ卿が、口を閉じようとした。

そのまま、二度と開かないのではないかと思った。

二人して沈黙したまま、放浪民族の住まいにして、その芸を披露する劇場が一体となったオペラ・ハウスに到着するものと思われたが。

ポリドロ卿が、ポツリと呟いた。


「ミハエル殿にお聞きしたい」

「何でもどうぞ」


気軽に答える。

ポリドロ卿は、苦渋に満ちた声でもなく、悲しそうな声でもなく。

せめて、私の決意に対して真摯であろうとした、全ての感情を消し去った質問を口にした。


「貴方の人生の結末は――ここでよいのか?」

「ええ」


返事は澱みなく、口から吐き出た。

もう、何もいらないし。

この先、生きていても良い事などない。

生殖能力を奪われた私が残せる子孫は無く、人生において守るべきものも、勝ち取りたいものもなかった。

嗚呼――思えば、歌だけは嫌いではなかったな。

これだけ、これだけだ。

自分が人に誇れるものなど、これだけであった。


「私では、ミハエル殿の決意を崩す事ができないようだな」


ポリドロ卿の、諦めの言葉。

私は返事しない。

単純な肯定の言葉で返答するのは、無粋と思われた。

無粋な言葉に代わる、何かを。

さて――私の、浅い学識から出る言葉は。

結局、唯一誇れる事について。


「最後の歌を聞いて頂けますか?」


何を、とポリドロ卿が唇を動かそうとして。

それを無理やり閉じた。

私の言葉に続きがある事を、察してくれたのだ。


「レクイエムを歌おうと思うのです。私は、ロベルト様の墓守になる事は出来ません。だから、次に歌うのが最後となります」


ポリドロ卿の顔が、また苦渋に満ちた。

言いたい事はよく判るのだ。

墓守として生きて良いではないか。

その命が自然に消えるまで、ロベルト様へのレクイエムを歌い続ければよい。

だが、もはやポリドロ卿は、何も言おうとしなかった。

何もかも、判ってくださった。

良き人であると思う。

この人が残るならば、もう何の心配もいらない。

女王陛下に、必ずや心の安寧をもたらす事が出来る。


「……」


沈黙が続いた。

もう時間はない。

この馬車はじきに、歌劇場へと着くであろう。


「一つ、頼みがある」

「何でしょうか」

「最後の歌を。レクイエムを歌うなら、女王陛下に聞こえるように歌ってはくれないか」


はて。

妙な事を仰る。

ポリドロ卿の考えが、よく判らない。


「何を考えておられるのですか?」

「私は女王陛下に、心の安寧を求められた。だが事件の結末を報告するにあたっては、酷い困難が予想される。女王陛下にとって、報告は苦痛にしかならぬと思う。だが背後に歌が流れているならば、少しくらいは気が紛れると思うのだ。私が止めよというまで、レクイエムを歌い続けて欲しい」

「……何を考えておられるのかは、正直このミハエルには判りかねますが」


まあよい。

私の死を受け入れてくれたポリドロ卿の頼みであり、女王陛下の心の安寧に役立てると言うならば。

断る理由はなかった。


「お受けします」

「有難う。さて――どうやら、着いたようだが。私は馬車から出る事は出来ぬ」


ポリドロ卿が、表舞台に姿を現す事はできない。

今回の事件は、秘密裏に片付けなければならなかった。


「判っております。後は全て私にお任せを」


これにてポリドロ卿との会話は終わり。

後は、私がエンディングを歌い切るだけである。

この事件の終幕を引こう。











勝手知ったる歌劇場の座長室。

彼女の居室を兼ねている、その部屋へと入る。

周囲の人払いが済んでる事の、確認は終わっていた。


「ミハエル、今日は何の用で――」

「今日は歌劇場の歌手たるミハエルとしてではなく、ポリドロ卿の使者として、ここに立っている」


用件を速やかに告げた。

座長は僅かに肩を揺らしただけで、それ以外の反応は見られない。

が。


「ポリドロ卿は全てを見破った。もうお終いだ。懺悔の準備は出来ているな?」

「何の事だかさっぱり――」

「犯行手口は判っている。犯人がお前だという事も判っている」


ただ、事実のみを告げる。

ポリドロ卿が導き出した事実を。


「殺意が無かったと言う事まで判っているのだ。もはや言い逃れはするな」

「ミハエル、何の事だか私には」

「動機だ。動機だけが判らない。ポリドロ卿は、女王陛下の心の安寧を求めておられる。それには、全ての真実を明らかにする必要がある」


部屋の中央に立ち尽くす、座長に詰め寄る。

襟首を掴み、顔を寄せる。

大声を張り上げるのではない。

座長にしか聞こえないように、小さく呟く。


「ただ、世間に公表する気はない。全てを知るのは、私と、女王陛下と、ポリドロ卿と、ヴェスパーマン卿。たった4人だけで良い。意味は判るな?」

「――ミハエル」

「お前が正直に罪を告白し、自害すれば、放浪民族は御咎めなしという事だ。私にとっては気に食わない事だが、ポリドロ卿は事を荒立てたくないと言っておられるのだ」


呟く。

他の人間には聞こえないように、世間の誰にも聞こえないように。

静かに、呟く。


「死ね。さっさと全てを告白し、ただ死ね。ロベルト様を殺害した毒が残っているならば、それを飲んで自決せよ。ポリドロ卿はそれを望んでいる」

「本当に」


反応。

座長が躊躇いを消し去り、心を露わにする。

もはや、その顔を覆っていた薄皮は剥がれさり、臆病者の犯罪者としての姿が現れる。


「本当、に――」


襟首から手を離す。

座長の身体から力が抜けきり、崩れ落ちる様に床へと手をついた。

私に頭を下げながら、身体を震わせて、涙声を発する。


「それだけで、それだけで良いのだな。私が死ぬだけで、全てが――放浪民族が迫害される事は無いのだな」

「そうだ」


知ってはいた。

知ってはいたが、やはりポリドロ卿の導き出した答えが全てであった。

腰にぶら下げたナイフで、足元に縋りつく罪人の身体を切り刻み、殺してやりたい。

ロベルト様から頂いた、自分の母親の心臓を貫いたナイフで。

この女が命懸けで守ろうとする、全ての物を踏みにじってやりたい。

だが、出来ない。

それが、ロベルト様が生前為した事を無為にしない、たった一つの冴えたやり方であった。


「死ねと言われれば死のう。望まれるならば、自分の胸元をナイフで捌き、この心臓を取り出そう。私は死んだところでまだ余る罪の内、僅かを償おう。だが女王陛下は、もうじき王位をアナスタシア第一王女殿下に継承される。もし殿下に、この事が明らかになった場合は?」

「先に、真実を知るのはたった4人のみで良いと言ったはずだ。他に漏らす事はない。事情を察する事が出来るであろう人間も、最後まで黙っているだろう」


鬱陶しい。

アナスタシア殿下が知り得たところで、賢明なあの御方なら女王陛下と同じく、真実を明らかにしない事を選択する。

だが、それを一々説明してやる義理は無い。

最後まで、恐怖を抱えながら死にゆけ。

私が知りたいのは――。


「さあ、全てを吐き出せ。何があったか、ロベルト様が仰られた事に対し、お前が何を考えたのか。当時、お前の陳情に立ち会った際の騎士と侍童は、ハッキリと覚えていた。だが、お前がバラに毒を盛った動機。それだけが判らない」


判らなかった。

最後まで誰も判らなかった、この罪深き女の動機だけ。

英明たるポリドロ卿にも、同じ放浪民族たるこのミハエルにも、それだけが理解できなかった。

何故、バラを一輪枯死させたいなどと、歪んだ願望を抱いた。

人の心の「暗がり」だけは、ポリドロ卿も犯人に聞くまで判らないと仰られた。

真善美、人が生きていく上での究極の理想を死の際まで追い求めた、ロベルト様を殺した理由。

それさえ知ることが出来れば。

この命に未練は無いし。

ポリドロ卿であれば、後事を何とかしてくれるであろう。

私はただ、座長がその口を開くのを、ただひたすらに待っていた。

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