第9話 初陣における心構え
「やっぱり駄目だったよ!」
第二王女親衛隊隊長、ザビーネはさも残念そうな声で叫んだ。
親衛隊員の一人は答えた。
「いや、そりゃまあそうでしょうね」
納得できる回答であった。
よしんば、ヴァリエール様が了承したとしても、財務官僚が歳費をこの理由で、娼館に通う費用と言う理由で通すはずがない。
ハナから期待していなかった。
それでも止めなかったのは、もしかしたら……という希望であった。
未だ18歳にして処女たちの希望であった。
もしかしたらを期待してしまった。
それは罪なのだろうか。
「だが、代わりにいいことを聞いたぞ。いや、思いだしたというべきか。ポリドロ卿だ!」
「ポリドロ卿?」
第二王女相談役。
曰く、ヴィレンドルフ戦役における騎士個人としての最高武功を成した男。
アスターテ公すら詰みだ、と諦めかけた場面で、戦況を個人武勇で覆した男。
この国、唯一の男性騎士。
「ポリドロ卿がどうしたんですか?」
「判ってないな、お前等。ポリドロ卿だぞ、神聖童貞だぞ、領主騎士だぞ」
「はあ」
言わんとする事がわからない。
この第二王女親衛隊行きつけの安酒場には、15人全員が揃っていた。
せめて初陣前に酒を飲もうと、それぞれ財布の底を漁って銅貨を銀貨に変えて、酒樽を一つ買い切って。
この安酒場を15人で占拠していた。
「このアンハルト王国、ひょっとすれば最強の騎士かもしれない男だぞ」
「知ってます」
耳にタコが出来る程、吟遊詩人から英傑歌を聞いたわ。
ヴィレンドルフ戦役において、若かりしアスターテ公がヴィレンドルフ相手に唯一犯した戦術面での失態。
一時的な後方地域の崩壊。
より詳しく言えば、戦略拠点であるアナスタシア第一王女の拠点が蛮族の斥候に発見され、静かに浸透してきた30の精鋭による拠点への攻撃。
それによる通信機――魔法の水晶玉の一時的な不通。
水晶玉から響くのは剣戟の音と、死者の絶叫のみ。
まさかアナスタシア第一王女が殺されたのかと、アスターテ公の動揺が指揮下の常備兵に伝わってしまい、部隊は士気崩壊を起こし混乱した。
その動揺を狙い撃つかのようにして、倍数のヴィレンドルフ兵がアスターテ公指揮下の軍を包囲。
その最中、唯一状況を理解したポリドロ卿は、死地から脱出するため僅か領民20名ばかりを率いて50名の騎士団相手に突貫。
道を塞いだ雑兵を自ら剣で薙ぎ払い、騎士9名を打ち破り、蛮族の前線指揮官であった――レッケンベル騎士団長を一騎討ちにて討ち取り、その首を奪い取らず丁重にその場で返却し。
「強き女であった。私はこの戦いを生涯忘れないであろう」という言葉と共に、顔を真っ赤に染めた憤怒の表情で、硬直する敵兵達を無視して自陣に帰還してきた。
前線指揮官が倒れ、蛮族は一時的に硬直、停滞する戦場。
その間に、拠点にて敵を撃退したアナスタシア第一王女との通信は回復し、アスターテ公爵指揮下の常備兵達は士気を取り戻した。
絶対不利の戦況を、その個人の武勇によって覆した男。
そりゃ英傑歌にもなるわ。
そもそも男性騎士と言うのが、吟遊詩人にとって最高の題材すぎる。
「でもポリドロ卿は2mの身長で、筋肉質でガチムチの男じゃないですか」
一人の親衛隊が口を開く。
私は、余り好みじゃないなあ、の意である。
「でも、尻は最高峰だってアスターテ公は公言してるし。判ってないな。男はなんといっても尻だよ、尻」
もう一人の親衛隊が口を開く。
私は、尻派であるとの意である。
どうでもよいが、アスターテ公の発言は、本能が抑えきれず実際にポリドロ卿の尻を揉み「ああ、ポリドロ卿の尻は一度揉んだがとにかくよかった。私はもう、尻もみのことときたら、全く夢中なんだ。いよいよこんどは、地獄で尻もみをやるかな」という、怒り狂ったポリドロ卿指揮下の領民に取り囲まれながらの狂気の発言であり、それは吟遊詩人の狂歌だと世間には思われていたが――
全て事実であった。
アスターテ公はポリドロ卿に尻揉み代、謝罪金を支払う事で、地獄からは何とか逃れた。
そして話は親衛隊に戻る。
「男はチンコだろ、チンコ。チンコついてりゃそれでいい。もうなんでもいい」
更にもう一人の親衛隊が、また口を開く。
彼女は断然チンコ派であった。
つまり、猥談であった。
完全に猥談に進化――いや、退化していた。
この親衛隊はいつもそうだ。
口を開けば猥談ばかり、暇さえあれば訓練所にて剣や槍を振り回している。
脳味噌筋肉であった。
チンパンジーであったのだ。
いや、その表現はチンパンジーに失礼とさえ言えよう。
だが、ザビーネ達親衛隊はそんな世間の評価を一顧だにしなかった。
誇り高いのではない。
ただの恥知らずであった。
「もう一度言う、お前等。ポリドロ卿だぞ、神聖童貞だぞ、領主騎士だぞ」
「だから、それがどうかしたのですか?」
今まで黙っていた親衛隊の一人が口を開いた。
だから、何が言いたいのか。
それを問う言葉であった。
「ポリドロ卿の嫁になれば――この貧乏生活から逃げ出せる」
シン、と安酒場が静まり返った。
親衛隊の15人が口を噤んでいた。
そして、それぞれ勝手な思惑を考えていた。
妄想である。
それは、紛れもなく妄想であった。
一代騎士の最低階位の自分が、領主騎士に成れる!
童貞の夫が、手に入る。
それは、自分達にとって夢のまた夢のような話だ。
「諸君、私達はわずかに15人。最低階位の一代騎士にすぎない!」
だん、と親衛隊隊長であるザビーネが、テーブルを叩く。
テーブルの載ってるエールが僅かに漏れた。
「しかし、しかしだ。諸君らは性欲に燃える、自分が一騎当千だったらいいなあと妄想する戦争処女だと私は知っている」
あ、エールが勿体ない。
ザビーネはそんな感じで、テーブルにこぼれたエールを舐めようとしながらも。
――自分はこれでも青い血なんだぞ、とそれを止め。
次にテーブルを叩いた時にはエールが漏れないよう、それをグビリと飲み干す。
「げぷ」
ザビーネはゲップをした。
一気飲みの代償であった。
ゲップを吐き終え、ザビーネはまた喋り出す。
「ならば、我ら15人は敵同士。もはやこの場で憎み合う相手となる!」
ポリドロ卿の嫁になれるのはただ一人。
当然、我ら親衛隊15人はもはや敵同士であった。
死んでくれ、かつて我が友であった女よ。
お互いに睨み合う。
「だがしかし! だがしかしだ! もう一つ手がないでもない」
ザビーネは親衛隊を落ち着かせるように次の言葉を吐き、そして提案する。
「今からポリドロ卿の所に行って、処女捨てさせてくださいと、全員で土下座してお願いしよう。そうすれば初陣前に処女を捨てる願いだけは叶うかもしれないよ」
「それは嫌です」
ある親衛隊員の一人が返した言葉。
それはザビーネを除いた、全員の総意であった。
何だかんだ言ってクソ甘いヴァリエール第二王女殿下に、今度こそ確定でブチ殺されるもの。
そんな総意であった。
ともあれ、初陣である。
初陣では、我らがヴァリエール第二王女殿下と、将来の夫(妄想)であるポリドロ卿にいいところを見せなければならない。
だから、一時的に猫を被っている事にしよう。
出来るかどうかはわからないが。
正直、自分でも自信はないが。
いや、本来の自分の方がポリドロ卿はひょっとして好みなのではないかな。
そんな身勝手な妄想を抱きながら――
15人の第二王女親衛隊は、宴会を御開きにし、安酒場を後にした。
※
私は姉上が、大の苦手である。
その美貌に相反するような、蛇の、爬虫類じみたその目の眼光が、私を射抜くと動けなくなるのだ。
というか、誰だってそうじゃないのかな。
あのファウストですら、姉上の事は苦手そうにしていた。
「ヴァリエール」
姉上である、アナスタシア第一王女が口を開く。
「何ですか、姉さま」
私は、その視線を合わせないようにして答えた。
何故か、私は姉上の――第一王女専用の居室に呼ばれて、長椅子に黙って座っていた。
まさか、いきなり殺されはしないだろう。
殺すなら、もっと前にやっている。
そんな事を考えながら、ヴァリエールはやはりビクビクとした自分の心境を抑えきれないでいた。
「今から初陣における心構えを教えます。よくお聞きなさい」
「はい」
初陣の心構え?
まさか、姉上が妹に親切心を出した。
いいや、まさかな。
私は子供の頃、何時も姉上の視線に怯えながら、父上の影に隠れて逃げ回っていた。
今思いだせば、それが余計に姉上の怒りを買っていたのであろう。
その事実に気づいたのは、父上が亡くなり姉妹の会話が少なくなってからの話であるが。
「戦場では何が起こるか判りません。事前に得た情報に齟齬が生じ、ほんの数時間後には間違っている事があります。後方の安全圏にいると思いきや、突如として敵の精鋭が襲い掛かってくることがあります。――そして」
姉上が、目を閉じながら、何かを想いだすように呟く。
「自分にとっての愛する人間が、死ぬことすら平然と起きます」
「……」
私は沈黙する。
姉上が、愛する人を亡くした?
姉上が愛する人など、この世に我が父一人ぐらいのものだと思っていたのだが。
「ヴァリエール、貴女、私の感情が木や石で出来ていると思っているのですか? 父上以外にも愛する人などおります」
心中をあっさり見抜かれた。
だから嫌なのだ、姉上と話すのは。
私はオドオドとしながら、姉上に質問する。
「姉さまは、愛する者を戦場で失ったことが?」
「ヴィレンドルフ戦役。そこで、本陣に敵の浸透してきた30の精鋭が押し寄せ、才能ある親衛隊30の内、10名をも失いました。全て、私に忠誠を誓う貴重な人員でした。……使える人材であったのに」
いや、それを愛する人と言うのか。
姉上の発言からは、情と言う物がやはり感じ取れない。
本当に愛する人とそれを言うのか?
私は疑問に思いながらも、初陣経験者の貴重な体験談だ。
ファウストからも聴けたが、アイツ初陣から「敵山賊30名の内、20名を自分で斬って捨てました」とか殆ど英傑談のようで参考になんない。
後は山賊と繋がっているらしき怪しい村の村長を拷問して、口を割らせる方法とか。
いや、それは今回使うかもしれないが、そんな知識欲しくはなかった。
ファウストは、真面目で朴訥ではあるが、どこか少しズレている。
「まあ、補充はヴィレンドルフ戦役の後の、この二年の間に行えましたので良いのですが」
そんな私の思考を無視して、姉上の言葉は続く。
やはり情は感じられない。
姉上は、父上以外の人を本気で愛したことなどあるのだろうか。
良く判らない。
今は自分の相談役のファウストに眼を付けているようだが、それは私と違って――父と似た、面影。
それを求めてのものでは、きっとない。
やはり、我が王国最強騎士である「憤怒の騎士」を指揮下に置きたいからであろう。
そう思う。
「ヴァリエール」
名を呼ばれる。
「貴女は、愛する者が目の前で死にゆく状況下でも、冷静に対処することができますか?」
「……」
それは姉上の視線と相まって、まるで詰問のようであった。
私にとって愛する者?
それは一体誰であろう。
チンパンジーたち、第二王女親衛隊か。
それともファウスト・フォン・ポリドロの事か。
判らない。
私には、姉上が何を言いたいのかよく判らなかった。
「――私の初陣における心構えの教練は以上です」
「え」
もう終わりなのか。
僅か数分で終わった気がするのだが。
私は呆気にとられながら、姉さまの顔を見る。
相変わらず、目が怖い人だった。
「ヴァリエール。ここから出ていきなさい。自分の居室に戻りなさい」
「はい」
視線を合わせてしまった私は、黙って頷くことしかできなかった。
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