第5話 アスターテ公爵とアナスタシア第一王女
私は幼き頃より、親から縁戚であるアナスタシア第一王女と比較されて育った。
帝王学を教える母からは、物覚えが悪い子と言われた。
戦術家の教師からは、お前程出来の良い生徒と出会ったことが無いと言われた。
剣や槍の教師からは、この王都で10指の内の一人、その程度にはなれるでしょうと言われた。
そうして育ってきた。
お前は第三王位後継者なのだから、このアンハルト王国をもしもの時に継ぐ、スペアのスペア。
そして次期公爵家を継ぐ身なのだから。
アナスタシア第一王女に負けないように育ちなさいと。
母と父に、そういわれて育ってきた。
そのアナスタシア第一王女は、私の目の前を今コツコツとブーツの靴音を立て歩いている。
私は未だに膝を折り、こちらに礼を尽くしたままであったファウストの姿を最後に振り返り。
ばいばい、と手を振った後に。
ファウストから遠く離れた、廊下の曲がり角で口を開いた。
「ねえ、アナスタシア」
「何だ、アスターテ」
「さっきの事なんだけどね」
先ほどの事――アナスタシアとファウストの会話内容。
それを思い出しながら呟く。
「第一王女相談役と第二王女相談役が結ばれるなど笑い話にもならないって言ったじゃん」
「そうよ。何か間違ってるかしら」
そこまではまあいい。
不満はあるが。
「その直後に第二王女相談役など辞めて自分に下に付けってどういう事?」
「そのままの意味よ」
お前ぶん殴るぞ。
アナスタシアは強いが、一対一の喧嘩ならさすがに私が勝つ。
戦略ではアナスタシア、戦術ならばアスターテ。
街角の吟遊詩人たちはそう謳い――そして私より年配の騎士団長達も、そう判断している。
事実、あのヴィレンドルフの侵攻以来、そう役割が分配されている。
ついでに現場指揮官の憤怒の騎士、ファウスト・フォン・ポリドロ。
あの現場ではそうであった。
今は違うが。
全くもって、ファウストを第二王女相談役として死蔵しているのは勿体ない。
「お前がファウストを好きなのは知ってるよ。叔父上そっくりだもんな」
ぴたり、とアナスタシアが足を止める。
親族である。
まして、第一王女相談役として2年間も共にしている。
まさか、判らないとでも思っていたのか。
叔父上は、太陽のような人であった。
親族である私にも優しかった。
そしていい尻をしていた。
趣味の農業で鍛え上げられた、いい尻であった。
私が産まれて初めて性的興奮を覚えたのは、多分あの時なのだろう。
「貴女は父上をイヤらしい目で見ていたわね、覚えているわ。何度か殺してやろうかと思ったぐらいに」
「思春期だったんだよ。仕方ないだろう」
私には本能に目を逸らす事など出来はしなかった。
よく咎められる。
私には貴族として、淑女としての気品が欠けていると。
それを良く言う人は、私を自由人と呼ぶが。
法衣貴族、官僚の役職を持つそれらは揃って眉を顰めて悪く言う。
やれ、公爵家なのにマナーがなってないやら五月蠅い。
息子を捻じ込もうと、夫の釣り書きだけは公爵家に山ほど送り付けてくるくせにな。
相手にはしない。
私という畑に撒く種はアイツに決めている。
「単刀直入に言おうか、ファウストを譲れ。お前じゃ立場的にキツイだろう」
「はあ? 貴様、ブチ殺してやろうか」
アナスタシアが口調を変える。
二人きりになった時には感情が表に出やすい。
「ファウストの――ポリドロ領のことを考えてやれ。お前の立場では、荷が重すぎる」
「どう重いと?」
判っている癖に。
「仮にお前が上手くファウストを愛人にしたとしよう。そうすればポリドロ領はどうなる。まさか、お前とファウストの娘の一人がポリドロ領を継げるとでも?」
何人産む気か知らないが。
上位王位継承権持ちが、僅か300人足らずの辺境領の領主様になれと。
バカげている。
「ポリドロ領を、アンハルト王国の直轄領にすればいいでしょうに」
「馬鹿が」
アナスタシアは自分の欲望に酔っている。
領主騎士というモノの性質を忘れている。
「ファウストが、自分の領民を、自分たちの土地をどれだけ大切に扱っているかぐらい承知だろう。領主騎士というのは誰だってそうだ。虫の一匹も残らず、自分達の物が奪われるのを拒む。一所懸命というべきか。彼らの生活の縁の全てを奪っておいて、幸せになどなれるものかよ」
「……」
アナスタシアが黙り込む。
そして反論する。
「……貴女だってそうじゃない、第三王位後継者。アスターテの娘にだって王位継承権は発生する」
「確かにそうだが、私の子の血はお前の子よりずっと薄い。私は何人も子を産み――その内の一人をポリドロ領の領主として育てる。お前よりずっと王家の血の薄い、王位の望みなど有りはしないような子をポリドロ卿にする。末っ子にも継ぐ領地があるのは決して悪い事ではない」
私とファウストの子だ。
きっと、ファウストは末っ子でも可愛がるだろうな。
「私と居た方がファウストは幸せになれる」
「……」
アナスタシアが、再び黙り込む。
こんな説得が――
「ふざけるな。アレは私の物だ」
上手くいくとは最初から思っていない。
私が言いたいのはつまるところ――アレだよ。
「だったら勝負してもいいんだぞ」
「――」
懐にしまっている懐剣は抜かない。
そういう勝負でないことぐらいは、お互いに判っている。
「ファウストに先に愛していると言わせた方が勝ちだ。私達の勝敗は、全てファウストに委ねる」
「……お話にならないわね。私が母上から女王の座を引き継いだ暁には、私が強引にファウストを貰っていく。誰にも譲らない」
「それに何年かかる? 第一、ファウストの――その叔父上のような太陽の心を失ってまで欲しいのか? 先祖代々引き継いだ領地を奪われ、人形のようになったファウストをか? ファウストが領地を捨ててでもお前を愛すると決めたなら何も言わんが。おそらく、そうはなるまい」
「……」
アナスタシアは黙り込み、そうして爪を噛む。
私と、おそらくリーゼンロッテ女王とヴァリエール第二王女ぐらいしか知らない、彼女の悪癖だった。
身内の間で返事に窮した場合は、これが顕著に出る。
たとえ、ファウストが自分の事を愛してくれたとしても。
ファウストがその心のありのままで、自分の物になる可能性は非常に少ない。
それにようやく気付いたらしい。
――そう、このタイミングだ。
私は助け舟を出す。
「ファウストを共有するつもりはないか?」
「何だと?」
「何、世間では一夫多妻制など当たり前ではないか。貴族でも夫を共有することなど珍しい事ではない」
私はファウストとの子が欲しい。
あの尻を撫でまわしながら、あの男を抱いてみたい。
童貞は諦めてもいい。
それは贅沢な事か?
「……私と、お前の愛人か?」
「そうだ、私とお前の二人の相手をする愛人だ」
第一王女アナスタシアと、アスターテ公爵の愛人だ。
私は口の端を歪めて笑う。
「私の子供がポリドロ領を継ぐ。それならファウストも納得する」
「……」
アナスタシアはギリッ、と歯ぎしりをした。
考えあぐねているらしい。
「ファウストは私だけのものにしたい」
口では達者だが、その瞳には確かに迷いがあった。
頑迷なアナスタシアの心に、ヒビが入った瞬間を見た。
「無理だね」
私は笑って、悪魔のように囁いてやった。
「あの男を、ファウストに、二人の女に身を開けと」
アナスタシアの言葉はバラバラとなって感情のまま、一つの言葉に成れないでいる。
あの太陽のような男に、二人の女に身を開けと言うつもりか。
自分の筋骨隆々で武骨な身体を自ら恥じ、浮いた噂一つも無い男に、自分の領地のために戦場に身を捧げている童貞のファウストに。
あの貞淑で無垢でいじらしい、朴訥で真面目な、童貞のファウストに、手折られた花のようにその身体を。
「そうさ、まるで男娼のように我ら二人に足を開かせろと言っているのさ」
「……」
沈黙しているが、お前の心の揺れ動きは判るぞアナスタシア。
私同様、処女をそこらの侍童で切って捨てずにいるのは。
最初の痛みと楽しみを思う存分、ファウストの身体を使って蹂躙するためであろう?
恥じ入る必要はない。
我ら王位後継者達とて、清純な心だけで生きているわけではない。
性欲ぐらいある。
「何、童貞はお前にあげるさ。私もその後はたっぷり愉しむがね」
「ファウストの……童貞……」
「そうさ、自分の領地のために、大切に大切に守っている奴の童貞さ」
そこを突けばいい。
何、ファウストの弱みなど判っている。
アイツはどこまでもいっても領主騎士だ。
祖先を、領民を、土地を、その全てのためなら嫌な女の股だって舐める。
――そうして股を開くだろう。
「私はファウストを汚したくない!!」
「嘘をつけ!! お前はファウストを思う存分凌辱したいと思っている癖に!!」
卑猥な会話を、廊下で思う存分話す。
私とて、他の女にファウストの身を汚させる等、業腹ものなのだ。
だが、アナスタシアならいい。
縁戚であり、いずれ女王になるアナスタシアならいい。
何、これはこれで愉しめるさ。
私が一人寂しくベッドの最中に、アナスタシアにファウストが抱かれている事を想像すると、自然と股が愛液で濡れそうになる。
閨の作法は公爵家長女として教わったが、こんな愉しみ方があるとは教師も教えてくれなかった。
「恥じらうファウストに、自ら犬のように腰を振らせるのもいいものだ。想像しただけでおかしくなりそうだ!」
「貴様――どこまでも下劣な!!」
アナスタシアが顔を赤らめて声を荒げる。
だが、それは怒りに身を染めてではない。
羞恥だ。
心の底の欲望を言い当てられた、羞恥そのもので顔を赤らめている。
なあ、アナスタシア。
お前だってベッドの上でファウストに腰を振らせてみたいだろう?
恥じらうファウストに自ら身を動かさせる。
ああ、本当におかしくなりそうだ。
「なあ、想像しただけで素晴らしいだろう。私の提案に従えば、それがすぐにでも手に入るんだぞ。何、ファウストには私が言い聞かせるさ。お前が嫌われるようなことは何も無い」
「……」
アナスタシアはもう口をぱくぱくと動かすが、言葉は吐けていない。
ただ顔を真っ赤にするばかりだ。
「……判った」
「何だ聞こえないぞ。もっと大声で言え」
「判ったと言ったぞ! ファウストは私とお前の二人の相手をする愛人とする!!」
さすが第一位王位後継者。
決断の早さが違う。
戦略では欠かせない要素だ。
私はケラケラと笑いながら、アナスタシアの肩をポンポンと叩く。
「さて、とはいえ権力で――力づくでファウストにその足を開かせるというのも面白く無いな。いや、それも興奮はするがな」
「お前は本当に最低の糞ったれ女だ」
柄にもないアナスタシアの罵倒を聞きながら、私は、んーと悩む。
今まで2年間、あの朴訥で真面目なファウストに、性的な言葉を並べて顔を赤らめさせるのは楽しかった。
でも、それももうお終いだ。
そろそろ子を孕む年齢でもある。
「ま、ファウストの軍役が――ヴァリエール第二王女の初陣が終わってからでいいか」
あまり、軍役の前にあの男の心の負担になるようなことはしたくない。
とりあえず、アナスタシアの説得は終わった。
それでよい。
私はぐい、と背を伸ばし、胸板に張り付いたその戦場では邪魔な乳を張り伸ばした。
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