ファイル10 今日は雨が降る事件

 テスト期間は終わったが、季節は梅雨。


 今日は雨こそ降っていないが、朝から薄暗い灰色の空だった。


「嫌な天気ね」


「でも今日は、帰ったら山形のおばさんが贈ってくれたサクランボがあるよ」


 通学路で愚痴る私に、凛は優しく微笑んだ。


 まあ、確かにサクランボは魅力的だが、暗い空はとにかく気が滅入る。


 今日の降水確率は五〇パーセントだそうだが、できれば降らないでほしい。


 と、そんな話題だったから思い出した。


「凛は、ちゃんと傘持ってきた?」


 私は鞄に折りたたみ傘を入れてきたが、凛に確認するのを忘れていたので、一応今のうちに聞いておく。


 だが凛は鞄をポンポンと叩く。


「うん。ちゃんと、持ってきたよ」


「前に買ったやつよね」


「うん。新製品だって。紫陽花模様で、とっても可愛いの」


 凛は、まるで小学生のように、使うのが楽しみみたいだ。


 私とは違って、雨が降ってほしいらしい。


 ただ――、


 これは使える、かな?


 と、純粋な妹を前に、私はそんなことを考えつつ、歩みを進めた。


 こうなると、私も雨が降ってほしい、とも思いはじめる。


 さてはて、そうすると、神様が願いを聞き届けてくれたのか、雨はお昼過ぎから降り出した。


 それもけっこう強い雨である。


 校庭は水たまりだらけになり、見てはいないが裏庭(という名のぼうぼうに生える雑草と雑木林の天国)は泥だらけになっているだろう。


 そのため、今日のミス研は、いつもの面々が部室に集合したものの、


「それじゃ、窓も風でガタガタうるさいことだし、今日のミス研は休みということで。私は羅生門先生に用事があるから先に帰っていてくれたまえ。――っと、これはアイリ君が読みたがっていた本だ。返却はいつでも構わない。では、さようならオ・ホヴァー


 果南の長いセリフを聞き、背中を見送って、部活終了となった。


 あまりにあっけない。


 まあ、私も部活に強い楽しみがあるわけでもないので、構わないのだが。


 それに、今日は久々に計画がある。


「それじゃあ、私たちも帰りましょうか」


 アイリに促され、私も本棟へと向かう。


 校門はすぐそこだが、部活棟は土足厳禁で、昇降口は本棟にあるからだ。


 ちなみにその部活棟と本棟の間をつなぐのは、屋根があるとはいえ渡り廊下。


 大雨強風の日はあまり通りたくない場所である。


 実際、私が部室に来たときは、わざわざ折りたたみ傘を開いて渡った。


 だから私は、今も傘を開こうとしたが――、これはいい流れだと思い、口を開いた。


「ちなみにアイリ。見たところ傘は持っていないけど、今日は折りたたみ?」


「あ、はい。そうですよ。すっごく可愛い傘で――」


 アイリは鞄に手を突っ込んだ、――が、すぐにその手を押し留めた。


 ふむ。どうやら気づいたらしい。


 そう。ここで凛と同じ折りたたみ傘を鞄から取り出せば、私に追求されるということを。


 細かい謎などどうでもいい。


 要はアイリを追求し、自白させればすべては白日の下に晒される。


 ただ、最近は私もアイリを追求をしてこなかったので、この子も油断していたのだろう。


 こんな単純ミスをするとは、愚か者め。


「どうしたの、アイリ? すっごく可愛い折りたたみ傘、私に見せてよ」


 私は優しく聞いた。


 だが、


「えええええええーっと、ちょちょちょちょっと……わわわわわ忘れちゃったかもな……なんて。でででですから、すすすすす鈴先輩の傘に入れてくれませんか? ええええ駅まででいいんで……」


 アイリは目を激しく泳がせながら言った。


 ちなみにアイリが私と一緒に帰るときは、いったんアイリは駅に入っていく。


 だが、今日はそういうわけにはいかない。


「あーー、悪いわね。私の折りたたみ傘って、小さく畳まる分だけ狭いのよ。だから無理して二人入ると、二人とも肩は確実に濡れちゃうわ」


「あ、……ああ……」


「それより、もっとよく探してみなさいよ。鞄の底にあったりするかもしれないわよ。なんなら私が手伝ってあげましょうか?」


 私はおもむろに手を伸ばすが、


「ななななないですよ。なにも。わわわわ私の鞄には何も入ってないので」


 アイリは声をあげる。


 ただ何も入っていない学生鞄というのは、それはそれで良くないのでは。


「あ、そそそそそうだ! わわわわ私、教室に忘れ物をとりに――」


 アイリは言うと、駆け出しそうになったが、


「一年の教室はすぐそこでしょ。ついていくわよ」


 私はその肩を掴んだ。


「いいいいえ。そそそそういえば忘れ物はありませんでした。――あ、そそそそそうだ。わわわわわ私も、羅生門先生に用事があった――」


「あら、それなら私も先生に会いに行くわ。部費のことで話があるから」


「友達に会いに……」


「アイリの友達なら私も会ってみたいわ」


「トイレに――」


「私も化粧直しようかしら」


 私は、アイリの言葉すべてに食い気味に返した。


 早指しの将棋のように。


 すると、アイリはあっという間に頭をパンクさせたようで、呼吸を少し荒くしはじめ、目をギョロギョロギョロギョロと泳がせる。


 だが、そんな状態で考えたところで良案が出ることはまずない。


 なにせ、アイリがどこへ行こうと今の私はついていくのだ。


 とはいえ、このままでは平行線。


 私はもう一手仕掛けることにする。


「そうだ――一緒の傘にいれてあげてもいいわよ」


「え?」


 私の言葉に、アイリは目のギョロギョロを止め、ただただ驚いたような顔をした。


「どうせもう温かいし、雨に濡れたところで風邪なんてひかないだろうし、ちょっとくらい濡れても構わないわよ」


「……あ、ありがとう……ございま……す……」


「でも代わりに傘はあなたが持ってよ」


「も、もも、もちろんです!」


 アイリは突然の事態をまだ飲み込みきれていないようだったが、もう崖っぷちからは脱したというような安心しきった笑みを作った。


 しかし、


「私は代わりに鞄を持ってあげるから」


「はい! ……え?」


 その笑みは固まった。


「だって、あなた、さっき果南から本を借りてたじゃない。なのに傘を持ってちゃ、鞄ごと本が濡れちゃうわ。だから、私が鞄を持ってあげる」


「――! い、いえいえいえ、別に、わわわわ私はちゃんと注意して傘と鞄を持ちますので!」


「遠慮しなくていいのよ。私は、私を我が友モ・ナミなんて呼ぶ友達の本が濡れるのを心配しているだけなんだから」


「――」


 さて、どうだ。


 あくまでも、私はここにいない果南のことを思って言っている。


 それを無下にすることは、私を信用せず、また果南を蔑ろにしているとも言える。


 しかし、それは善良なる後輩――愛里坂アイリとしてはいかがなものか。


 少なくとも私は悪いことだと思う。


 だから、その折りたたみ傘が入っている鞄を渡せ!


 そうしたら私がその折りたたみ傘を見つけてあげるから!


 私は眼力でアイリに圧をかける。


 ちなみに、果南はもともとアイリに貸す本を忘れていたらしいが、私の勧めで、お手伝いさんに本を持ってこさせた(いや、さすがに雨が降る前の話だ)。


 今日の朝、凛との会話をしてから考えた作戦だが、なかなか良い出来だ。


 今やアイリは、蛇に睨まれた蛙か、はたまた小リスと言ったところだ。


 だが、


「あれ? 部長が来ましたよ?」


「え?」


 私の背後を見るアイリに言われ、私はドキリとして振り返った。


 もし果南がこの場に現れれば、「私の本くらい濡れても構わない」と言い出しかねず、それでは計画が水の泡になってしまう


 あの金持ち娘はそういうやつだった。


 だが、私の背後――ミス研もある階段の上から現れたのは、明らかに別人だった。


 髪の長さも肌の色も違えば、着ているのも制服ではなくジャージだった。


 それに、よくよく考えてみれば果南は羅生門先生に会いに行くと言っていた。


 となれば既にこの部活棟から本棟に行っているはずで、私の後ろから来ることはありえない。


「ちょっとちょっと、まるで別人じゃない」


 私は言いながら顔をアイリに向き直した。


 と、


「てえええええい!」


 アイリは、強風が荒れ狂う渡り廊下に飛び出し、何か小さなものを放り投げた。


 折りたたみ傘だ。


「ああああ!」


 私は思わず声をあげる。


 だがアイリは、火事場の馬鹿力なのか、思わぬ強肩で、折りたたみ傘をはるかかなたまで投げ飛ばした。


 しかもそこは裏庭という名の雑草と雑木林の天国。


 折りたたみ傘は、影も形も見えない。


 もちろん、三十メートルも歩けば、簡単に見つかるだろう。


 だが、そうすると、例え靴を履いていっても、靴下まで泥だらけになる恐れがあったし、また、あの背の高い草むらに入れば全身濡れることは確実だ。


 さすがにその両方は避けたい。


 私が唖然としていると、果南ではなかったジャージ女子が何事かという顔をして、横を通っていき、アイリは言う。


「ぶぶぶぶ部長じゃなかったですね。あははははははは。――あ、やややややっぱり私は鈴先輩と相合い傘は照れくさいので遠慮します。なななななので、ちょっと職員室行って、傘を借りられないか聞いてきます!」


 アイリは言うと、全速力で去っていった。


「……」


 な、なんて捨て身をする子だ。


 私は、しばらくそこを動けなかった。





 ・・・幕間・・・



 その少女は昇降口の前を一人歩いていた。


 柄の部分に、桜浜高校とマジックで書かれたビニール傘を持って。


 傘をぶらぶらさせて、歩いている。


 なんだか不機嫌そうに口を尖らせ、なんだか悲しそうに俯いて、歩いている。


 そんなんだからか、少女は私に気づく様子もない。


 だから私から声をかけてやる。


「凛!」


「――え。鈴せんぱ――お姉ちゃん?」


 凛は、目を見開き、酷く驚いた顔をしたが、私は構わず自分の手を差し出す。


「ほらこれ」


 私は、小さな折りたたみ傘を持った手を差し出した。


 すると凛は、また驚いた様子を見せたが、


「――」


 今度は何も口にせず、ゆっくりと傘を受け取った。


「あなたのでしょう。向こうに落ちてたわよ。ちょっと汚れてたから、洗っておいたわ」


 私は、ちょっと早口で言う。


 そして凛は、私の全身が濡れていることに気づいたらしく、何かを言いかけたが、


「ほら、早く帰りましょう。今日はサクランボが家で待ってるわよ」


 私が先導し、自分の傘を開くと、


「うん――そうだね――」


 そう言って、私が差し出した傘を開いた。


「その折りたたみ傘、かわいいわね」


 私が言うと、凛は笑顔になり、


「うん。そうでしょ?」


 と言った。





 ・・・幕間その二・・・



 その日は、昨日の雨が続いている上、私は重い日だった。


 そのため私は、トイレに行くにも眉間にシワを寄せていたのだが、そこで萌と出会った。


 もともと、萌とは仲が良いのか普通なのか自分でも測りかねていたので、私は自分の憂鬱さをなんとか押し殺し、軽く微笑んで「や」と挨拶してみる。


 もっとも、例え私がこの世で一番の笑みを見せたとしても、萌は今のように黙って個室に入ってしまうのだろうが。


「……」


 私は溜め息をつきたかったが、薄壁の向こうには萌がいるので、黙って自分も個室に入った。


 だが、


「……聞きたいこと、ある」


 隣から萌の声がした。


「え? 私に? なに?」


 他の個室には誰かいただろうか、とか考えたが、私はとっさに返事をした。


 萌から声をかけられるのは珍しいので、ちょっと緊張する。


 それに、


「……鈴の妹は、アイリとそっくりって聞いた」


「え……ええ。そうよ。そっくりだわ」


 思わぬ話題に、私の緊張は高まる。


 しかも、そっくり、の一言で済ませて良いのかとも思う。


 だが萌は、


「そう……。なるほど……。分かった……」


 そう言うと、黙り込んでしまった。


「え? なにが? あの……ちょっと、もう少し……なんでそんな質問したか、聞いていい?」


 私は慌てて聞き返す。


 もしこのまま去られたら、なんか消化不良になる。


 ただでさえ雨と生理で憂鬱だというのに。


 だが幸い、萌はちゃんと会話の続きをしてくれた。


 ただ、


「昨日……帰る途中……駅で、アイリとそっくりな子がいたから……それだけ……」


「え? …………あ……そ、そうなんだ……」


 昨日の凛は、私とずっと一緒にいたはずだ。


 なのに、駅にアイリとそっくりな子がいた、と萌は言った。


 それは、この前の花火大会のときと同じ……。


 私が、考えるのを拒絶していること……。


「双子かと、思った……」


 萌は言う。


 そう。凛に双子でもいれば、話は単純なのだが、そんなわけなく――


 双子?


「二人並んで……、そっくりだった」


 二人?


「鈴の妹とアイリは……、仲良し……、なんだね」


 ……二人?

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