第30話 帰宅

 服を片付けて1階に降りると、アルヴィンがキッチンに立って料理をしていた。買っていた色々な野菜を切って、お肉と一緒に鍋に入れて煮込んでいる。空中に野菜が浮き上がって、すぱすぱっと切れて鍋に落ちる様子に、思わず拍手をしそうになった。


 ……何でも魔法で切るためか、この家にはナイフがない。手伝いたくても手伝えないので、私は椅子に座って、アルヴィンの方へ行こうとするジャックの気をボールで逸らして遊んであげていた。私も早く、使える魔法の種類を増やさないと。


「シチューにしてみた」


 アルヴィンがとんとんっと机の上に料理を並べた。ほかほか湯気の立つ温かい食事。私は夢中でそれを口に運んだ。――染み渡るっていうのは、こういうことを言うんだろう。思わず天井を仰いで味を噛み締めた。


 食べ終わるころには窓の外はすっかり薄暗くなりかけていて、部屋の中も暗くなっていた。


「メリル、ランプに火をつけるのを手伝ってくれないか」


「うん!」


 ようやくできることがある!

 仕事を与えられて、私は意気揚々と立ち上がると部屋の隅や机の上に置かれたランプに魔法で火をつけた。


 部屋の中がぼんやりと明るい炎のオレンジの灯りで照らされる。


「ランプを使うのも……いつ以来かな」


 アルヴィンはそう呟くと、ソファに座って横に置いてあった本を手に取って読み始めた。

 私はそれを覗き込む。そろそろ火と水の魔法は扱えるようになってきたし……、手持ち無沙汰な時間ができてしまう。

 屋敷にいるときは、私もずっと本を読んでいるか、絵を描いているかだった。

 アルヴィンはいつもどんな本を読んでいるんだろう。


「……? これ……何語?」


 そんな気持ちで覗き込んだ本は、手書きの文字でびっしりと見たことがない文字が記されていて、私は思わず呟いた。「ああ」とアルヴィンが顔を上げると、頭を掻きながら答えた。


「魔法文字なんだ。師匠が残した本なんだけど、何書いてあるかわかんないだろ。俺も全部はわからないんだ」


「魔法文字?」


「空間魔法に使ったり、魔法陣なんかに使う文字だよ。精霊の力を文字で表現してるって言ったらいいのか……」


「アルヴィンにもわからないの?」


「全部はね。だから、解読するのにすごく時間がかかるけど……、時間はあるから、ちょうど良かったんだ」


「そうなのね……。私も家にいたときはずっと本を読んでいたけれど。ここにはそういう本はないのかしら?」


「――どういう本?」


「物語のような――」


「物語――か。そういうのはないな」


 アルヴィンはぱたんと本を閉じて私のことを見つめた。


「俺はそういう本を読んだことがないんだが、どんな話なんだ?」


「そうね――」


 私は言葉に詰まる。どんなっていったって、色々な話があるから、どう話せばいいんだろう。


「君の一番好きな話は? それを教えてくれ」


 一番好きな話、と聞かれて、私は1つ思いついた。屋敷から出ない生活で、ずっと何度も繰り返し同じ本を読んでいたから、話の一語一句をそらんじることができる。


「それじゃあ――」


 こほん、と咳払いして、私は物語を語り始めた。


「昔々あるところに女の子が父親と二人で暮らしていました。彼女の父親は色々な国々で珍しいものを買い付けてくる商人をしていて、旅先からいつも女の子に珍しいものを送ってくれていました。女の子の母親は彼女を生んですぐに亡くなってしまいましたが、女の子は父親と二人で慎ましく幸せに暮らしていました。でもある日――、旅先から帰って来た父親は、1人の女性と、彼女の二人の娘を連れて帰って来たのです」


「再婚か」


 アルヴィンが重々しく相槌をするので、私は少し笑ってしまった。


「そう、そう、再婚ね。それで――、父親は彼女たちを『新しいお母さんとお姉さんだよ』と紹介します。女の子は家の中が賑やかになるわ、とても喜びました。だけど――、父親がまた旅に出ると、新しい義母ははおや義姉あねたちは態度を豹変させたのです。家のことは女の子に全て任せ、自分たちは遊び放題。女の子はいつも白い埃をかぶっていたので、彼女たちは面白がって女の子を本当の名前ではなく『灰かぶり』と呼びました」


「――ひどいな。何で、父親はそんな女を好きになったんだ?」


 アルヴィンは眉根を寄せて首を傾げた。

 確かに、そこは気にしたことがなかったけれど。


「わからないわ。外面は良かったんじゃないかしら」


「父親は騙されたのか。――でも、父親にも責任があるよな」


 私は苦笑した。ここまで話に聞き入ってくれると話甲斐があるけれど、一向に続きが進まない。私は時折口をはさむアルヴィンを制止しつつ、『灰かぶり』が王子様と出会って結婚するまでを話し終えた。


「――そして二人はその後いつまでも幸せに暮らしました。――お終い」


 私は話続けて喉が渇いたので、コップに魔法で水を入れて一口飲むと、アルヴィンを見た。


「ちょっと子どもっぽいお話かしら――、え、アルヴィン?」


 アルヴィンは若干瞳を潤ませている。


「良かったな――、幸せになって――。君はどうしてこの話が好きなんだ?」


「――挿絵が素敵なのよ。『灰かぶり』はキラキラした青いドレスを着ていて。――ねえ、このお話の魔女はカボチャを馬車に変えたり、素敵なドレスに着替えさせたりしてくれるけど、そういう魔法もあるの?」


「あるよ。キラキラした青いドレスか――、例えば、ほら」


 アルヴィンは頷くと、指をくるっと回した。

 途端私の着ている薄い青のドレスがぱあっと輝き出した。


「すごいわね」


 私は思わず気持ちが舞い上がって手を胸の前で組んで飛び跳ねた。


「灯りを消してみるともっと良いか」


 アルヴィンはそう呟くと指を回した。ふわっと風が起きて、さっきつけたランプが消える。家の中は薄暗い暗闇に包まれて、ふわっと光るドレスが浮き上がって見えた。


 お話の挿絵みたい。

 私は感動してくるりと回ってみた。


「どうかしら」

 感想を求めてアルヴィンの顔を見つめると、彼はじっと押し黙ったまま私を見返した。

 しばらくの沈黙が流れる。


「――似合ってる」


 アルヴィンは呟くと、ズボンのポケットに手を入れた。


「――これ」


 おもむろに出したのは、キラキラした石のついた髪留めだった。


「似合うかと思って、買ったんだけど――」


 たどたどしい口調言いながら、アルヴィンはそれを私に差し出した。

 ――街で買ったのかしら――?

 いつの間に?


「――綺麗ね」


 ドレスの光を返してきらっと輝く髪飾りは、本当に綺麗に見えた。私は胸を押さえながら、アルヴィンを見上げた。


「――つけてくれる?」


 アルヴィンは無言で頷くと、私に一歩近づいて、抱き寄せるように肩に手を回すと、後ろで編み込んだ私の茶色いくせ毛編み目にに髪飾りをゆっくりと挿し込んだ。


「――似合ってる」


 低い、耳に心地よいアルヴィンの声が聞こえて、私は「ありがとう」と言おうとゆっくり首を持ち上げた。さっぱりした髪からはっきり見えるアルヴィンの青い瞳と目と目が合う。


 「ありがとう」の言葉がなかなか出なかった。しばらくの沈黙ののち、どちらともなく私たちは顔を近づけ、唇を重ねた。



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