第10話 森の奥の家(3)

 玄関に入るとその奥にさんさんと太陽光が差し込む日当たりの良いリビングがあった。「にゃあ」と鳴き声がして、日向で丸まっていた黒猫がアルヴィンの足元に擦り寄って来た。


「サニー、ただいま」


 アルヴィンが抱き上げるとその黒猫はゴロゴロと喉を鳴らした。犬のジャックが「自分も」と言うように彼の黒いローブを引っ張る。


 一人暮らしでも賑やかそうね、とそんなことを思いながら彼の後に続いて部屋へはいって行った。


 部屋はすっきりしていて、木製のテーブルとイス、それからソファが置かれていて、隅の方に色々な大きさの鍋が壁にかけられたキッチンのような場所もあった。


 私はそれを見てぐぅとお腹が鳴ってしまった。よく考えたら、夕食を一口も食べていなかったから。――食べていたら死んでいたみたいだけど。


「――腹が減ってる?」


 黒猫を抱えたアルヴィンは振り返って私は恥ずかしくなって視線を逸らした。


「――ごめんなさい」


 アルヴィンは困ったように頭を掻いた。


「――お茶くらいは用意できるけど――、食事はずっとしていないからなぁ――」


 『ずっとしてない』?

 私はその言葉にまたびっくりして、目を見開いた。


「食事――、食べてない―――の?」


「時間が止まってるって言ったろ。――食べる必要がないから」


 アルヴィンは肩を持ち上げた。


「あなたは――毎日、何をしてるの?」


 私は思わず聞いてしまった。食事もしない、時間が止まった空間。

 ここで彼は何をして過ごしているんだろうか。


「――朝が来たり夜が来たりもないから『毎日』って表現は合わないが――本を読んだり、魔法の練習をしたり、ジャックやサニーと遊んだりだな」


「……」


 私は呆気に取られてしまった。

 のどかというか何というか……、このアルヴィンって人は、とても不思議だ。


「ああ――あと、稀に――さっき通って来た森――、妖精の世界と人間の世界の間にある『迷いの森』に迷い人が来ることがあるから――、そういうときは助けてあげたりするよ。あそこに人が入り込むと、天気が曇ったり――、空間が少しおかしくなるから、わかるんだ」


 アルヴィンは私を見つめる。

 

「君が来た時は――、すごくおかしくなった。急に真っ黒な雲が来て、土砂降りの雨になった。こんなことは今までなかったから行ってみたら――たくさん妖精がいて驚いたよ」


 彼はリビングの奥のドアを開けた。その先は木製のデッキになっていて、花壇が見えた。いろいろな色の花は水に濡れて、日差しを反射してキラキラ光っている。


「そういう迷い人がお礼をくれることがあって、もらったお菓子がどっかにあったから食べるか? ――お茶も、師匠が飲んでたやつか――そういう人にもらったやつだけど――」


「それって――悪くなったりしてないの?」


 いつもらったやつなんだろう。1年前とか、10年前とかありそうで、私は思わず聞いてしまった。アルヴィンは少し考えてから頷いた。


「大丈夫だ、たぶん」


 ……本当に大丈夫なのかしら。

 『たぶん』という部分に不安感が増す。


 ――それより――


 私は改めて自分の服を見た。


 着ているベージュの長袖のドレスには、黒い染みが水玉模様のように広がっていた。

 ――お父様とお母様の血の跡。

 私はその模様を見つめた。

 この服を見ると、現実に引き戻される。こんなのどかな空間に、私がいていいんだろうか。


 そんなことを考えて押し黙っていると、いつの間にか妖精たちが私の周りに集まって来た。


“お茶より、まずお風呂だよ、アルヴィン!”

“まずすっきりしないとくつろげないよ”

“メリル、何だか臭いもん”

“血の匂いがする”


 ――何だか、臭いって――


 私は妖精たちのどこまでも無邪気な様子に悲しいような腹立たしいような複雑な気持ちになった。

 

 でも――この服を脱がないと、落ち着けないというのは妖精たちと同感だった。

 私はアルヴィンに問いかけた。


「とても申し訳ないんだけど――何か――服を借りられる?」



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