第55話 茨の壁②

「……お義母さんが、どげん想いでダルゴの帰りば待っちょったか、あんたわからんとね」


 流れる涙を拭おうともせず、エルレインはダルゴを叱りつける。


わが自分が腹ば痛めち産んだ子が、死ぬかもしれん試練から帰ってきたとばい? そいばそれをなんね。お義母さんがお義父さんの言いなりって。板挟みになって一番苦しか想いばしたとは、お義母さんやろうもん。そいばなんでわかってやらんとね!」


 そしてエルレインはイルデに向かって深々と頭を下げた。


「お義母様、ダルゴぶっテ、ゴメンなさイ。ワタシ、失礼しまス」


 それだけ言うと、身をひるがえして玄関から逃げるように立ち去ろうとする。しかしイルデの「お待ちなさい」の一言にピクリと身体を震わせて立ち止まった。


「……あなたもお腹が減ったでしょう? 食べていきなさい。それに泊まる場所もないでしょうし」


 意外な申し出にエルレインは驚いたようだった。大きく目を見開くと感極まったように再びボロポロと大粒の涙を流す。


「部屋は……取りあえずもう一人のエルフのお嬢さんと一緒でいいわよね? 荷物置いてらっしゃい」

「へ? あたしも?」

 

 真琴が思わずキョトンとした顔をするのを見て、ダインが呆れたようにため息をつく。


「あいにくだが、大人数を泊める部屋が無くてね。お客人達は客間で休んで欲しいのだよ。無作法ですまないが」

「いやまぁ、俺達は構いませんが……ん?」


 そこまで言ってみつるは、一人人間が減っているのに気が付いた。


「あれ? ザクールさんはどこに」

「ああ、あの剣士かね? なにか用事があるとかで、もう家には居ないが」


 用事? なんだろうと思いつつ、光もまた客間へと荷物を運ぶ準備をする。

 ただ、ボンヤリと張られた頬に手をやって突っ立っているダルゴが気にはなりはしたが、今はかける言葉が見つからなかった。



※※※※※※



 遅過ぎる夕飯は結構な量があった、たっぷりとした鹿の肉は岩塩と香草で味付けされ、噛みしめると脂身の甘みがまた引き立つ。

 パンはザックリとした歯ごたえで、噛むのにいささか苦労したが、根菜のスープと一緒に流し込むと小麦の香りが広がり独特のうま味が残った。

 火酒も勧められたがこれは断った。興味本位で一口飲んでみたら、舌と喉が文字通り灼けるような刺激に襲われたからだ。

 こんな刺激的な酒を、ダルゴ一家はまるで茶でも飲むように嗜んでいる。ドワーフは酒飲みだと言う説があったが、目の当たりにすると噂は本当だったかと納得してしまう。


 ともあれ、光達は十分なもてなしを受けた。それはマリオンに対してもそうで、人形であるマリオンが食事を必要とすると聞いたとき、ダイン達は少なからず驚いていたが、区別すること無くもてなしてくれたのだ。

 ダルゴ一家の人となりがうかがえる。


 そして食後の茶をいただいていたとき、真琴があることに気が付いた。


「あれ? そう言えばお祖父さんもいらっしゃるんですよね? お姿見かけませんでしたけど、今お出かけか何かですか?」


 そう言えばダルゴが受けたマリオン探索は、ダルゴの父と祖父が指示したものだったと聞いていたが、確かに祖父の姿を見ていない。家長制度の文化を持っていそうなので、食事の場に居ないのは何故だか不自然に思えた。

 だが、その問いに対するものは実に呆気ないものだった。


「いえ、もう遅いので先にお食事済ませてお休みになってますよ」


 答えてくれたのはダルゴの母イルデだった。だが、その言葉に若干の戸惑いが含まれている。

 どうやら家庭の事情がありそうな予感がしたが、今は追求すべき事では無いと考えて茶と一緒に飲み込むのだった。




※※※※※※



 事件は就寝前にやってきた。


「と言うわけでマスター、夜伽のお時間です」

「アホかっ、人様の家でアンアンするようなまねが出来るか!」

「わたくしは構いませんが」

「俺が構うの」


 だが、マリオンの追求は留まることを知らない。


「ですが、タンパク質が足りません。マスターからのタンパク質の補給を提案します」

「その案は拒否しまーす。つか、あんだけ肉食っといて、まだ足りんのかお前は」

「あれでも遠慮したのですが。皆さんにも十分行き届くようにと」

「お前に遠慮って概念があるのが驚きだよ、俺は」

「ですからタンパク質の更なる補給を」


 言うなり、マリオンは光をベッドに押し倒した。見かけによらず凄まじい膂力である。


「ちょっと待たんかーいっ! 真琴っ、見てないで助けてくれっ」


 だが、頼みの綱の恋人は、事もあろうかあっさりその綱を切ってしまう。

 そしてどこか達観したように、腕を組んで恋人の不様な姿を見下ろしていた。


「いーんじゃない? マリオン相手ならラブドール相手にするのと同じでノーカンだろうしさ」

「ちょっ!? お前っ!! 裏切る気かぁあ!?」


 ところが真琴はとんでもないとばかりに肩をすくめる。


「いや、あたしなりに考えたんだけどさ? 先輩の経験値上がるのなら、まぁーありかなって」

「なんの経験値かなっ!?」

「近い将来さ、あの、あたしと先輩が、その、結ばれるとき? 先輩が慣れてくれていたら、こっちも色々助かるかなーって」

「俺のみさおはどうなるっ!」

「だから言ってんじゃん。マリオン相手ならノーカンだって」

「馬鹿だろっ! お前!?」


 だが真琴はそれこそ心外だと言わんばかりに、眉をひそめて反論してきた。


「んだって、世界の運命かかってんだよ? あたし達のエッチってさ。そう考えたら、特訓の一つや二つやっておかないと困るでしょ?」

「じゃぁ百歩譲って俺はやるとして、お前はどんな特訓する気だ?」


 へ? と妙な声を上げたかと思うと、真琴は「あー」だの「うー」だの、真っ赤な顔をしてもじもじしながら、ようやく聞こえるか聞こえないかという位の口調で返事をする。


「……ひ、一人エッチ」


 と。


「だ、だって。先輩、あたしが誘っても、全然乗ってこないし……っていうか、無視までしちゃってさ。腹立つじゃない」


 はて? と光は考え込んだ。いつ誘われたっけと。記憶力は異常なほど良いが心当たりがまるでない。


「誘った……って、いつ?」


 真琴の顔が益々真っ赤になっていく。


「ぱ、パンツ見えやすいようにしたり、一緒に寝たときオッパイ押し付けたりとか……色々」


 全く気付かなかった。


「先輩ってば、鈍いか生真面目なんだから、あたしが一生懸命頑張ったんだよ?」


 いや、そんな風に頑張られても。


「では正妻である個体名マコトの許可も出たことですしマスター。お覚悟を」

「待て待て待て! なんの覚悟だ!?」

「マスターの初物をわたくしがいただくお覚悟です。大丈夫わたくしも未使用品ですので」

「それ、なんの慰めにもなってないよな!?」


 そんな事を言っている内にマリオンが素早く光のマウントを取った。


「幸いギャラリーも多いことですし、見られた方がお互い燃えるというものです」

「そんな性癖、俺には無ぇ……っ!」


 ん? 光はマリオンが妙な事を言っていることに気が付いた。


「ギャラリーって、真琴とエルレイン以外に誰がいるんだよ」


 ちなみにエルレインは部屋に入るなり、疲れ切ったように眠っている。


「この家の外部に十名近い生体反応を確認しました。こちらを先程から注視しているようです。おそらくこれが世に言う出歯亀というものかと」

「ちょっと待て」


 光は不意に背筋が凍る思いでマリオンの肩を掴んだ。


「十名近い生体反応だと? それがこの家の周囲を囲んでいるってのか?」

「答えはイエスです。マスター」


 光は慌てて馬乗りになっているマリオンを投げ倒し、素早く窓の近くへと寄る。

 そして窓を僅かに開いて外を見た。だが、遠くに輝く鍛冶の炎が見えるだけで、近くは何も見えない。


「真琴こっちに来て、外の様子を見てくれ。マリオンはエルレインを起こせ、今すぐにだ」

「先輩? わ、わかった」

「了解ですマスター」


 光はランプの明かりを消し、スマフォを操作して手早く武装を召喚し装着する。


「見えたよ先輩。物陰に上手く隠れているけど、居るね。確かに何人かこっちを見てる」


 真琴もまた異常を感じたのか、光と同じように装備を召喚し装着した。


「ん~。なんね、どげんしたと? こげん真夜中に」

「寝ていた所悪いなエルレイン。緊急事態だ、もしかしたらだけどな」

「……なんがあったと?」

「周囲を囲まれてるのよ、この家。それも多分真っ当じゃない人たちにね」


 それを聞いてようやく事態を飲み込めたようだ。

 エルレインが慌てて枕元の杖を取りに行き、それを額に当ててなにやら呪文を呟いた。


「正面に三人。左右に同じく三人……上にも居る。このオーラは……人間ヒューマン? 魔力のある武器ば持っちょる。魔法の心得の有るとも居るね……今動いた。こいは……えっ!?」


 そこまで言ってエルレインは部屋を飛び出した。


「ダルゴ! 起きんしゃい!! ダルゴっ!!」

「なんだ? どうしたっエルレイン!!」

「マスター。来ます」


 光が尋ねる暇もあればこそ、マリオンが護衛モードになって、両腕に魔法陣を展開する。


「出歯亀ではありませんでしたね。──敵です」


 窓を突き破って、黒装束に身を包んだ三人の影が光達に襲いかかってきた。

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