Human Myth

須藤凌迦

第一話 非日常は突然に

 塾からの帰りの電車を降りるとホームは冷房の効いていた車内とはもはや別世界と言える場所だった。

 

 太陽はもう隠れているというのに非常に蒸し暑く、汗が一気に体中から出てきた。僕は一度腕で額の汗を拭いて、暑さに耐えながら改札を出て家へと向かった。

 

 家に帰るには駅前の商店街を通っていく必要があるのだが、昼間の賑やかさはもうなく、多くの店が閉まっていた。そのまま商店街を通り抜けると静かな住宅街が広がっている。その道を汗だくになりながら歩いていると、ふと後ろから視線を感じた。何故か背筋が寒くなり、後ろを振り向くが、そこには何も見えず、いつも通りの住宅街が広がっていた。

「気のせいか…」

何か腑に落ちない感じがしたものの僕はまた歩き始めた。


だが、おかしかった。


何かいるのだ、今まで感じたことのない気配が。一体それがなんなのか分からなかったが、僕は恐怖を覚え、早足で家へと向かった。とっくに日が沈み、暗くなっていたことも余計に恐怖心を駆り立てた。


 早足の間も気配は常に僕についてきていた。駅から家までは徒歩15分ほどあり、後10分くらいで着く距離だったが、その距離が僕には途方もない距離だった。徒歩が早足になり、早足が走りへと変わっていく。もう後ろを振り返ることもなかった。喉はカラカラに乾き、足の疲労は急速に溜まっていった。ただ、走る、走る、走る……

 

 ようやく家路の最後の曲がり角にたどり着いた。この今まで感じたことのないような恐怖や緊張からついに解放されると思うと、一気に気が緩んだ。そして僕が走りをやめ、歩きながら最後の曲がり角を曲がると……

 

 "ソレ"がいた。


 目の前にいる"ソレ"が気配の正体だと感覚で理解した。それと同時に、血の気がサーッと引き、足は恐怖で動かなくなり、目は瞬きを忘れ、呼吸することも、言葉を発することさえ出来なかった。"ソレ"は身長が2メートルほどあり、人間のように二足歩行で、口というものは無く、全身茶色でゴツゴツした岩のような質感で、暗がりでもはっきりと紫色の二つの目が輝いているのが分かった。

 「な、っ…」

僕はそんな情けない声しか出せず、立ち尽くしていたが、"ソレ"が腕を伸ばし僕を捕まえようとするしぐさを認識すると、力を振り絞り、体を翻してまた走り出した。少しでも速く、遠くへ逃げなければならないと本能で理解していた。仮に"ソレ"に捕まったら一体何をされるのだろうか。そんなことを考える余裕なんてなかった。

 

 ただひたすら住宅街を走り抜けていた。だが、どんなに心で逃げたいと思っても身体がもうついてこなかった。足は疲労で動かせなくなり、ハァハァと息も絶え絶えだった。それでも"ソレ"の気配は消えなかった。走って商店街に戻る体力はもう残っていない。


 僕は膝から地面に崩れ落ちた。ついさっき曲がった曲がり角にはもう"ソレ"がいた。あんなゴツい図体だというのになんて素早さなのだろう。"ソレ"は僕に近づいてくると僕に腕を伸ばしてきた。僕は何故自分がこんな目に遭うのだろうと考えていた。でもそんな事を考えていても無意味なことで、自分は恐らく死ぬ。無力感に支配されていた僕は何もかもどうでもよくなっていた。


 そんな死ぬ直前だと思われる僕に何かが見えた。最初は一体それがなんなのかよく分からなかったが、その直後、"ソレ"がいきなり吹き飛んだ。"ソレ"が吹き飛んだ時に巻き起こった風で僕は腕で目を覆ったが、"ソレ"が吹き飛んでいった方向に目を向けると僕の目の前に一人の男が立っていた。その男を見て、僕がさっき見た何かの正体はその男の持っている斧だと理解するのにそう時間はかからなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る