第10話 死竜現る
ミリアムとブレンダは意外と簡単に見つけることができた。
一つ先の通りを歩いていると右往左往している二人がいたので、セシリアが声をかけたのだ。
セシリアを目に留めたミリアムがブレンダの手を引いてやってくる。
仲間とうまく合流できるか多少の不安はあったのだが、どうやら俺の杞憂だったようだ。
「あっ、セシリアちゃん! どうしたの? もしかして、もう闇夜の死竜を見つけちゃったの!?」
「ううん、そうじゃなくて。やっぱり別行動は危険だと判断してみんなを探していたのよ」
ミリアムの隣にいたブレンダが腕を組みながら俺を見た。
酔っぱらいに殴られて顔が少しばかし腫れていたので、ブレンダは訝しそうな顔で言った。
「アル、どうしたの!? ……痛そうね、何かあったの?」
「いや、酔っぱらいに絡まれてちょっと小突かれただけだよ。たいした怪我じゃないさ」
「えぇっ! け、喧嘩……? アルくん傷だらけだよぅ。あっ……ここ破けてる」
俺の怪我を痛々しそうな顔で眺めていたミリアムが驚きの声を上げて、背中の傷口をつついた。
「いっ……!」
「ひゃん!」
俺が痛みで軽く呻くと、ミリアムは跳び上がった。
ブレンダが呆れたようにジト目で俺を眺めつつ、セシリアに尋ねた。
「たいしたことありそうね。で、セシリア何があったの?」
セシリアは酒場での出来事を詳細に話し始めた。
ミリアムは顔を顰めながら聞いている。
ブレンダはときどき相槌を打ったり、質問したりしていた。
やがてセシリアの話が終わり、ミリアムは「ぷは~っ」と息を吐いた。
「冒険者区って、そんなに危ない場所だったんだ……」
「ごめんなさい、ミリアム。怖がらせるつもりはなかったの。確かにちょっとそういう側面もあるけれど、アルを助けてくれた親切な冒険者の人もいるみたい。ね?」
セシリアが振り返って同意を求めてくる。
「あ、ああ……そうなんだよ。優しい冒険者もいるみたいでホッとしたよ」
「へぇ、そうなんだ~。でも、アルくんが無事で良かった」
「優しい冒険者、ね」
ミリアムは素直に感心していたが、ブレンダは胡乱な目で俺を眺めている。
ブレンダは妙に勘が鋭いときがあるからな……。
「アルくん、私お薬持ってるから塗ってあげるね。あっ……!」
傷薬を腰のポーチから取り出そうとしたミリアムが、慌てていたのか落としてしまう。
ブレンダはそれを拾い上げてミリアムに手渡した。
「はい、落とさないようにしっかり持って。そうね……あそこへ移動しましょ」
ブレンダが指さしたのは何かの店だった。営業時間外なのか店は閉まっている。
俺たちは閉まっている店前に移動した。
早速ミリアムが容器の蓋を開けて、中に入っている傷薬を指ですくって俺の顔と背中の傷口に塗ってくれる。
少しヒリヒリしたが、ミリアムの柔らかい指先からは優しさを感じた。
これで明日になれば腫れも引いているだろう。
「私が魔法で治せたら良かったのに……」
ミリアムが顔を曇らせた。
冒険者や魔術学院の生徒なら癒やしの魔法ですぐに治せるのだが、俺たちの中でそういった魔法を使える者はいない。
俺はミリアムが気に病むことはないと伝えて、傷薬を塗ってくれた礼を言った。
一段落ついたところでロイドやハロルドとも合流しようということになり、俺たちは通りを真っ直ぐ歩いてあてもなく右へ曲がった。
酒場での一件を聞き、冒険者区に対して億劫になっていたミリアムだったが、いつの間にかそれを忘れたかのようにウキウキしているように感じた。
先頭をぴょんぴょんと跳ねながら歩く姿は、剣術学院の一二年生より幼いかもしれないと思った。
その後ろ、ミリアムを見守るみたいに歩いているのがブレンダだった。
「ミリアム、ちゃんと前を見て歩かないと転ぶわよ」
「えへへ、大丈夫だよ~」
俺とセシリアはそんな光景を微笑ましく目で追っていた。
ここは冒険者区の中でも大きな通りの一つだ。
酒場や娼館の数よりも他の店のほうが多い。しかもこんな夜中でも営業していた。
この先にはウルズの冒険者ギルドもある。
その大通りを直進していると、突然左の角から誰かが飛び出してきた。
あわやミリアムとぶつかるところだ。
「ちっ、邪魔だ!」
現れたのは見るからに怪しい全身黒ずくめの男。
頭に被った外套のフードからはギラついた瞳が確認できた。
俺は男の様子にピンとくる。昨日戦った連中と同じ恰好をしていたからだ。
見つけられなかった二人のうちの片割れだとすぐに把握する。
「痛いわねっ!」
黒ずくめの男はミリアムを咄嗟に庇ったブレンダを突き飛ばすと、反対側に駆け抜けていった。
ブレンダは地面にお尻を打ちつけた。
「ブレンダちゃん、大丈夫!?」
「ええ、あたしは平気よ。それにしても、何なのよあいつは」
すると、黒ずくめが出てきた方向から今度は漆黒のマントをなびかせた男が現れた。
こっちも全身黒で統一されている。
状況からして黒ずくめを追いかけているのは間違いない。
「あっ……いたのっ! ブレンダちゃん、今の見たでしょ!?」
「ええ、いたわね。まさかこんなに早く見つけられるなんて思わなかったけれど。アルたちも見たわよね?」
ブレンダが少し驚いた顔をして振り返る。
セシリアは躊躇いながらも頷いた。
「一瞬だったけれど見えたわ。ドラゴンの仮面に真っ黒なマント……きっと闇夜の死竜で間違いないわ。ねぇ、アルも見たわよね?」
俺が返事をする前に、その後を追いかけるかのごとく見知った二人が走ってきた。
「はあっ、はあっ! ハロルド、ぜってぇ追いつけ!」
「言われなくても、そのつもりです!」
俺たちの前をハロルドが全速力で駆け抜け、少し遅れてバテ気味のロイドが走っていった。
二人は俺たちの存在に気づいていないようだった。
よほど集中しているのだろう。
何だか面倒なことになったと思った。
「ああ。俺もこの目でしっかりと確認した。……よし、今日の目標は達成したし、ロイドたちと合流して家に帰るか」
「何を呑気に言ってるのよ、あたしたちも追うわよ! ロイドたちに先を越されてたまるもんですか!」
「あっ、待って! ブレンダちゃん置いてかないでー!」
「おい、本気か? あれは敵と交戦中だったぞ?」
「でもロイドたちを放っておけないわよ。わたしたちも行きましょ」
セシリアがブレンダとミリアムを追いかけて駆け出した。
俺はしばし逡巡してから、三人の後を追う。
「くっ……!」
俺の体が悲鳴を上げる。
酔っぱらいに殴る蹴るされた怪我は、思いのほか俺の体にダメージを与えていたようだった。
それでも、みんなを放っておくわけにはいかず、痛みに耐えながらなんとか足を動かす。
案の定、前を走るセシリアとの距離はどんどん離れていく。もうその前を行くロイドたちはもちろん、ミリアムやブレンダの背中さえ見えない。
時折、セシリアが心配そうに振り返るが、俺は先に行けと手で合図を送った。
セシリアの背中が見えなくなった頃、俺は足を止めてその場にしゃがみ込んだ。
そして呼吸を整えてから再び走り出した。
完全に見失ったので、闇雲に走っても体力を消耗するだけだ。
俺は変化を見逃さないように周囲に気を配りながら、冒険者区の地図を頭に思い浮かべる。
「……旧ギルドがあった方角か」
嫌な予感がする。
すぐに旧冒険者ギルドまでの最短距離を導き出して、近くの路地に向かう。
しばらく走ると旧冒険者ギルドが見えてくる。
十年前まで冒険者に仕事を斡旋する冒険者ギルドがあった場所だ。
建物自体が老朽化して移転したらしいが、取り壊しはされずに廃墟として残っている。
その廃墟を冒険者崩れのゴロツキ連中が根城にしていたが、酔っぱらいから得た情報だと今朝事件があったようだ。
「みんなはまだか。それとも……」
旧冒険者ギルドの前に到着する。
この辺りは人通りはなく、静まりかえっている。
首都ウルズに相応しく巨大な建物で、地上三階地下一階という構造だ。
残念ながら内部がどういった造りになっているのか詳しくは俺も知らない。
十年前といえば俺はまだ七歳だし、別の町に住んでいたからだ。
周辺の様子をうかがっていると、見知った男が建物の上から飛び降りてきて目の前に着地した。
男は漆黒のマントを羽織り、黒光りする革鎧を身につけている。
顔にはドラゴンを模した仮面を着けている。
その風貌は今まさにロイドたちが追いかけている、闇夜の死竜そのものだった。
「状況はどうなってる?」
幾分苛立ちを含みながら、俺は闇夜の死竜に声をかけた。
闇夜の死竜は大げさに肩をすくめる。
「こんなことは今回だけにしてくれないかな。残業手当を請求したい気分だよ」
夕方、学院寮に帰ってすぐに就寝した俺は、早めに起きるとすぐに相棒に連絡をとった。
事情を説明し闇夜の死竜の代役を立てた俺は、遅れて集合場所へ向かったのだ。
「そんなことは相棒の上司に言ってくれ。そんなことよりハロルドたちは?」
「もう追いついてくると思うよ」
「そうか。相棒は黒ずくめを見つけたんだな」
俺は相棒に尋ねた。
相棒は顎に手をあてて考える仕草をとった。
「本当にたまたまだよ。きみみたいに魔眼もないから苦労したけどね。しかし旧ギルドに隠れていたなんて驚きだよ。ところで目の調子はどうだい?」
「わかってて訊くな。昨日酷使し過ぎたせいでまだ本調子じゃない上に、さっきも無理やり使ったから疲労困憊だ。今日はもう打ち止めだぞ。ところで、ここを根城にしていたゴロツキ連中が全員殺されたらしい。その付近で今朝、怪しい人影が目撃されたようだが、知っていたか?」
「ふむ、今朝の事件か。しかし今回の件とは関係ないと思っていたんだよ。ゴロツキといえども冒険者免許を剥奪された元冒険者だ。腕前も中級から上級と粒ぞろいだし、残った二人で敵うとも思えない」
「じゃあ、誰に殺されたんだよ?」
「それはわからない。手がかりが少なすぎるからね。でも、やった者は相当な手練れだろう。上級……いや、免許皆伝ぐらいの実力者かも」
その事件のほうは警察が血眼になって捜査中らしい。
どうもきな臭くなってきたな。
その話は置いておいて俺は相棒に言ってやりたいことがあるのを思い出した。
それで苛ついていたのだ。
「酒場での件だけど、近くにいたなら助けてくれればいいだろう? おかげでセシリアを泣かせてしまったぞ」
「俺が介入しなくても何とかなっただろ? きみがノシた冒険者は悪評の絶えない冒険者でね。腕は確かだが酒癖が悪い。これで少しは改心してくれるとギルドや他の冒険者も喜ぶだろうね」
「俺の未熟さもあるんだが、もしセシリアに何かあったなら、黙って見ていた相棒を恨んだぞ」
「はっはっは。いやぁ、きみが正統な剣術でどこまでやれるか成長度合いを確かめたくてさ。そこは――担任教師としては、ね」
笑いながらそう言って、目の前の闇夜の死竜はドラゴンの仮面を外した。
そこには毎日顔を合わせている五年風竜クラスの担任、ブランドン先生の姿があった。
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