第13話 『炎血』

 巨大な月が、空に輝いている。



 薄明かりを浴びながら、人気のない道を歩いている。


 道路の上を覆うように生える木々。

 もう舗装してから何年も手入れをしていないのだろう。かつては綺麗だったはずのアスファルトは、ひび割れて見る影もない。


 安全圏と言っても、その領域全てに人がいるわけではない。


 都市クラスの安全圏であれば話が変わるが、辺境の安全圏では人が立ち入らない場所も多い。

 なるべく魔獣からの被害を抑えるために、住環境は中心部にかたよっているし、農地や店舗、従魔士ギルドにライフラインを維持するための施設も同様だ。


 安全圏の面積に対して、住むだけの人間が足りていない。


 自然と人が離れ、誰も訪れなくなった「捨てられた場所」があるのだ。


 ロアが向かっている場所も、そういう所だ。


「............」


 木々をかき分けて辿り着いたのは、古びた廃工場だった。


 安全圏の外縁部に属する場所。

 風雨にさらされ、赤錆を浮かせたその施設は、無価値となった物だけが持つえもいえない寂寥感があった。


 廃工場の中に入ってしばらく進む。


 匂いがする。


 懐かしさすら覚えるよく知る匂い。

 闘争に生きる魔族がよく纏う、戦火を広げ、暴力と殺意に塗れた者特有のソレ。




 ____焼けつくような血の匂いだ。




 廃工場にいることは解っていた。


 匂いを辿って来たのだ。

 強くなる災厄の香りが、この場所にいることを明確に知らせていた。


 だが、存在に気付いたのは相手も同じだったようだ。


「思ったより、早かったな」


 視線の先には鬼がいた。


 異形の双角、夜闇にとけるような黒装束。

 煌々と赤眼を輝かせ、愉快そうに嗤う悪鬼が建造群の中心に立っていた。

 

「ただの雇用関係だ。そう時間は必要ない」

「そうかいそうかい。なら、これで心置きなく戦えるってわけだ」 


 グレンが鷹揚な態度で、腰に下げた長刀に手を掛ける。


 応じるように、ロアが拳を構える。



 視線を交えたのは一瞬だ。 



「クハッ!」

「_________」




 敵意が爆発する、


 

 地を踏み砕く音、抜刀の擦過音。

 眼前の相手を打ち斃さんとする激突と衝撃をもって、二匹の怪物の戦闘は幕を開ける。


 互いに動き出したのは同時。


 だが、間合いを詰める速さは『幻狼』が上回っていた。


「____あ?」 

 


 神速


 

 そう表現するしかない速度で彼我の距離を瞬時に詰めきり、ロアが拳打を撃ち放っている。 


 初動から攻撃までに一呼吸で至る動作。

 呼吸を用いた脱力、重心の移動、肉体の操作をもって、相手の意識の間隙を突く。純粋な技術のみで成立する加速にグレンが目を見開く。


 対応は間に合わない。

 グレンの抜刀を置き去りにして、ロアの拳が身体を撃ち抜く。


 轟音


 鈍い衝撃が大気を震わせる。


 内臓が弾け、骨を砕き潰す鈍い感触。

 備わる人外の筋力に加え、身体活性による自己強化で引きあがった一撃は、攻城兵器にすら匹敵する威力と化す。魔族であろうと看過できるダメージではない。


 それはグレンも例外ではなく、異物まじりの血を吐き出す。


 赤が地面を濡らす。


 だが


「.........初見殺しの歩法わざってやつか。予想以上に速い」

「っ!?」

「けどまあ、一回見れば十分だ。次は対応できるな」


 ロアが規格外の速度なら、____グレンには規格外の耐久があった。


 ギシリ、と身体を軋ませながら、グレンが凄惨な笑みを浮かべる。

 

 撃ち込んだ姿勢のまま、ロアが気付く。


 姿勢が崩れていない。

 腰を深く落とし、未だ鞘に納めた長刀に手を掛けている。


「______染めろ『炎血えんけつ』」 


 魔力の蠢き。


 グレンの剣がブレるように抜刀される。 


 咄嗟に頭を下げて回避する。

 瞬間、焼けつくような熱がロアを通り過ぎていく。刀の間合いの遥か先、彼女の背後の壁に

 

 赤熱する斬痕が、一瞬輝いたかと思うと、熱と衝撃の破壊を撒き散らす。


 がらがらと建造物が燃え上がりながら倒壊する。


 射程距離のある斬撃。それも凄まじい威力。


「足元注意だ」

「ッチ!」 


 背後に意識を割いた瞬間を畳みかけるように、予兆なく足元の地面が爆炎を噴き上げる。


 呑み込まれる寸前で、ロアは後ろに飛びのく。

 だがグレンは、動くことすらなく焔に取り込まれた。


 自滅


 そんな言葉が頭を過ぎるが、ロアの直感は未だ警鐘を鳴らし続けている。


「おし、もう痛くねぇ。治りが速いのは魔族の良いところだな」


 離れてなお肌を焼く焔の柱。その中から、グレンが涼しい顔で現れる。


「出し惜しみは無し、だ。技術云々を抜いても、どうやら身体の性能スペックは負けてるみたいだしな」

「............炎が、お前の魔法か」


 魔法。


 魔獣と魔族の持つ、人を優越する特権技能。

 能力差こそ存在するが、世界の理に縛られぬ異形の法。


 目の前の鬼は、炎を操る魔法を有している。


「いいや違うね、が俺の魔法だ」

「............」

「隠すほどでもねぇ。魔法ってのは、そいつ自身の在り方だからな」


 グレンが長刀の刃を握り、横に引く。

 掌の肉が斬り裂かれ、溢れた血液が付着し、発火する。


 そうして、燃える長刀が完成する。


「闘争こそが魔族の存在理由。戦火と流血の地獄が俺達の住処。______故に『炎血えんけつ』。燃えあがる血飛沫こそが、俺の魔法の在り方としては相応しかろうぜ」


 グレンが血が流れる手を振る。

 血液が辺りに飛び散り、発火して燃えあがる。


 燃焼し、延焼し、燃え広がっていく。


「だから『幻狼』、俺はお前の魔法に興味がある。あの十年前の惨劇、魔王戦争を生き抜いた怪物はどんな魔法在り方なんだ?」


 長刀を肩に担ぎ、悠然と接近してくる。


 厄介な相手だ。


 相手だけを傷つける強力な炎の爆撃。

 射程距離のある炎の斬撃によって間合いの有利を取られている。

 潜り抜けた先には魔族特有のタフネス、流血するほどに被害を拡大させる『炎血』。


 そして被害を気にしない精神性。


「お前______最悪だな」 

「そりゃお互い様だろ。魔族だからな」


 鬼が嗤い。

 狼は笑わない。


 燃え盛る領域で、二匹の魔族は再度衝突した。

 

 


******




「______『炎血・刻飛こくひ』」


 

 グレンがロアに狙いを定め、炎刀を数度振り抜く。


 駆け抜ける熱の斬撃。


 射程を無視した遠距離斬撃。


 炎線が幾重にも走り、それをロアが疾走して回避する。

 赤い斬撃が周囲に刻み込まれ、膨大な熱量を持って建造物を倒壊させていく。


 それら一切に目もくれずロアは駆ける。

 前後左右の切り返し、加減速を繰り返し、複雑な軌道を描きながらグレンに接近する。


「速すぎだなァ!」

「黙れ」


 顎、胸部、腹部に拳を三発。

 凄まじい衝撃が身体を撃ち抜き、鬼の体躯を吹き飛ばす。

 

 ぐらりと傾いたグレンに更なる追撃を加えようとして______気が付く。


 いつの間にか、長刀が鞘内に収まっている。


 鬼が嗤う。


「『炎血・閃撃せんげき』」


 鞘に仕込んだ血液が、発火する。


 『赤色鬼』の奥義が一つ。

 

 鞘を射出機構カタパルトとして扱い、爆炎で剣速を上げるというだけの技。

 だが、異形の血液を用いて完成する理外の抜刀術は、炎血の加速によって反応不可の神速へと至________


「黙れと、言っている」

「_____あ?」



 刀の柄を、蹴り込まれた。



 刃を鞘に押し戻され、抜刀を封じられる。

 いかなる神速の斬撃も、始動を潰されれば無為と化す。


 そして、それはあまりに大きな隙だ。


「グェっ」

 

 呆然とするグレンの顔面に回し蹴りがヒットする。

 凄まじい勢いで鬼が吹き飛び、轟音を立てながら崩れた瓦礫の山に叩き込まれる。


 燃え盛る廃域に、しばらくの静寂が戻る。

 


「.........あー、今のは効いたぜ」


 ガラガラと瓦礫を押しのけグレンが立ち上がる。

 度重なるロアの打撃の影響で、姿こそボロボロだが傷自体は回復している。ダメージはあるだろうが、依然として鬼は健在のままだ。


「強いねぇ。まさか無手の相手にここまでやられると思わなかった」

「............」

「けどまあ、そっちも無傷じゃねぇよな」


 グレンがロアを見る。

 焼け付くような、あるいは焦げ臭い匂い。


 火傷だ。


 ロアの服は焼け焦げ、全身の至る所に火傷が見えた。

 特に攻撃に多用した四肢は、動きに支障をきたしかねないレベルで負傷している。魔法としての性質か、魔族の回復力を持ってしても傷の治りが遅い。


 もはや最初程の速度を、ロアは維持できていなかった。


 ロアがグレンを攻撃するという事。

 それは反撃として「返り血」として、爆発や高温の炎を請けるリスクを背負うという事に他ならない。


 『炎血』の性質による自動反撃オートカウンター


 鬼と戦う者は、誰であろうと無事では済まない。


「まあ、じゃれ合いは終いだ。そろそろ本気だせよ。殺しに来い」

「............なんの、話だ」

「惚けるなよ、白々しい。殺し合いに魔法を使わねぇ魔族がどこにいる」


 戦闘における切り札。

 魔族としての究極のアドバンテージ。

 

 それをロアは、未だに切っていない。 


「平和のぬるま湯に浸り過ぎて、まだ踏ん切りがつかねぇか。情けねぇ」

「無駄口を______」

「あー、止めろ止めろ。やる気が無いのは匂いで解る」


 呆れた表情でグレンがため息を吐く。


「その甘さが、今回の結果を招いたってわけだ。ウィル アーネストも災難だったな」

「もう、奴は関係ない」

「関係なくはないだろ、恩人相手に冷たい奴だな」

「............」


 これ以上は無駄だと感じたのかロアが口を閉ざす。

 

「やる気が出ないってんなら仕方がねぇ。一つ、多少いいことを教えてやるよ」


 思い出したような気軽さで、グレンが会話を続ける。


「俺の血は、好きなタイミングで発火できる。これが使い勝手がいいもんでな。戦う場所に事前に血を塗りつけておけば、設置罠トラップとしても扱えるわけだ」


 パチンと指を鳴らす。

 飛び散っていた血痕が反応し、弾けるように火花を散らす。


 唐突な手の内の開示にロアが困惑するが、グレンは気にした様子もなくつづける。


「でだ、俺は『ウ~ズ』でお前を襲撃しようとしたわけだが、何の下準備もしなかったと思うか?」

「っ!?」

「少量だが血液を「ウ〜ズ」に塗っておいたわけだが______さて、どうしてやろうか」


 身をひるがえして、街のある方向へと走り出す。



 『ウ~ズ』には、眠っている彼がいる。



「待て待て、逃げるのか?」


 グレンの声を無視する。


 追う様子を見せないことに違和感、だがロアは速度を緩めない。

 グレンを背後に回すことになるが、速力はロアの方が上回る。「飛ぶ斬撃」さえ注意すれば、離脱は難しいことではない。


「............ったく。逃がすわけないだろ」


 かちゃり、と長刀が持ち上がる音をロアが捉えた。

 だが、「飛ぶ斬撃」はすでに何度も見た技。来るとわかっていれば十分に対応可能だ。


 最低限の意識を背後に割きながら、未だ形を保っている廃墟に飛び込む。


 障害物で射線を遮るという、対遠距離戦での常套手段。


 だが


「______ぁ」


 焦っていたのだと思う。

 

 かつての自分ではあり得ないほどに、不安と焦燥に胸を掻き乱されていた。


 故に、思考がまわらなかった。


 先に廃工場に訪れていた『赤色鬼』には、自身に有利な戦場を作るだけの時間があった事を、完全に失念していた。


設置罠トラップになるって言ったろ」


 壁に、床に、瓦礫に、


 それは戦火と流血の顕現。

 地獄の悪鬼に与えられた異形の血液。

 



 まともに食らえば、魔族であろうと無事では済まない。




 音。


 閃光。


 衝撃。






 膨大な熱を吐き出しながら、『炎血』はロアを呑み込んだ。



 

 





















 

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