第5話 「なんでも」

 魔族は、人の成り損ないだ。



 

 ごく稀に人の腹から生まれる、魔獣の特徴を容姿に備える異形の存在。

 真っ当な人間から見れば、恐ろしい魔獣の血を持つ汚らわしい化け物だ。


 魔獣を恐れる世の中で、魔族が人々の中に溶け込めるわけもない。


 暴力的な性格。

 魔獣由来の人間離れした力を持ち。

 災いを呼ぶ呪われた化け物。

 

 


 それが魔族だと、言われている。




 大きな都市であるほど、世間でのイメージは固まりきっていて。


 魔族である自分にできる仕事も、そう多くはなかった。


 後ろ暗い組織の用心棒、あるいは小競り合いをする紛争地域での傭兵稼業。

 気が付けばロクな血なまぐさい仕事しかしてこなかった上に、それが祟って厄介事を抱えた、ただひたすらに面倒な存在になっていた。


 

 だから逃げたのだ。



 各都市を渡りながら、人の少ない辺境へと転々と移動した。


 迫害と報復から逃げて逃げて、逃げ続けて。



 逃げた先で、恐ろしい魔獣に捕まった。


 

 抵抗も出来ず、一瞬で呑み込まれ、玩具のように弄ばれた。助けの来ない魔獣の体内で延々と、終わりの見えない生き地獄を味わいながら、自分はここで終わるのだと思った。


 同時にここで終われるのだとも思った。


 疲れていたのだ。


 生きることに。


 確かに魔獣に食われるのは恐ろしかったけれど、他者に否定され続けながら、生きるためだけに生きる、苦しいだけの日々に比べれば、幾分かはマシに感じたのだ。


 だから抵抗は諦めた。

 長い長い間、上も下も、前も後ろもわからない程に嬲られ続けた。


 魔力の多い人間が、魔獣に食われるというのは有名な話だ。魔力を奪われ切った人間が殺されるという話も。


 だから自分の魔力に限界が来た時。

 ようやく終わるのだと安堵のような感覚に意識を手放して_________




 _____目を覚ますと、誰かが顔を覗き込んでいた。





 暗い。



 暗い瞳だった。


 何かを諦めきったような、あるいは何かに絶望したかのような、この世のすべてを心底どうでもいいと思っているような、達観した眼だ。



 あの時の私は、冷静じゃなかったのだと思う。 



 敵に追われ続けていたこと。 

 見知らぬ場所にいたこと。

 顔を覗き込めるほど、誰も近づけたことがなかった事。

 


 なにより、自分のすべてを見透かすようなあの眼がどうしようもなく嫌だった。



 だから私は_______彼を殴ってしまった。






***





 

 なんか介抱していた人に起き抜け一発ぶん殴られたんだけど。





 あの後、例の女の人を街に運んだのだ。


 ドランさん曰く、塗れていた粘液は強力な媚薬だから、うかつに触れるとエライことになりかねないらしいので、自宅から使い魔のスライムを呼び出した。


 ここ最近、上位クラスの魔獣が食べる様な最高級魔力餌だけを食べていたスライムは、ちょっとしたベッドサイズにまで成長していた。どうやらスライムは必要がないから大きくならないだけで、その気になればかなりのサイズに成長できるようなのだ。


 テイムしている魔獣は、互いの場所が離れていても近くに呼び出すことが出来るので、自宅に放置していたスライムを呼び出し、問題なく運ぶことが出来た。


 大きくなってもスライムの動くスピードは遅いままだったので、ゆっくり歩きながらだったが。


 

 大きくなっても相棒の使い魔は、相変わらず無害なようだ。



 魔族を病院に連れていくと嫌な顔をされるらしいので、「ウ~ズ」で介抱していたのだが、調子はどうかと顔覗き込んだら錯乱した彼女にぶん殴られたわけである。



 で、今はロアさんと机を挟んで向かい合っている状態だ。



 ちなみに彼女の粘液塗れの服は洗濯中。

 スライムに汚れと粘液を食べておくように言ってあるので、しばらくしたら綺麗になるだろう。

  

 代わりにアルバイト用のメイド風の制服を着てもらっている。白黒カラーで特注のフリルマシマシで丈が短めの特注制服である。用意するための資金は惜しまなかった。


 会心のデザインだが、アルバイトが入らないために置きっぱなしになっていたので丁度よかった。

 

「.........すまなかった」

「気にしなくていいですよ」


 彼女が頭を下げるが僕はどうでもよかった。

 クール系美人が自分の趣味全開のメイド服を着てくれているのである。申し訳なさそうにへたっと下がっている獣耳も加点ポイントだ。

 

 別に顔が腫れたところで困ることはない。

 せいぜいが近所の悪ガキ共に見られて爆笑される程度である。


 ちなみに手当はロアさんにしてもらった。

 美人なお姉さんからの暴力と手当。トータルで見ればプラス要素しかないので文句はなかった、むしろこっちがお礼をしたいレベルである。


 だが、彼女の方はそうでもないらしい。


「その、謝罪と礼をしたい。何か私にできる事はないだろうか」


「謝罪はともかく、お礼ですか」


「ああ、私にできる事であればなんでもする」



 ガタッ



 え!? なんでも!?


 なんでもって制限が無いってことですよね!?

 善なる願いでも邪悪なる願いでも叶えてしまうというあの「なんでも」ですか!?


 でも人は万能じゃないからできる範囲ってことだよなぁ.........


 ......ん?


 え!?


 美人なお姉さんに!? できる範囲のことで!?

 じゃあ、どこまでがセーフでどこまでがアウトか教えてください! 


 と言いそうになったが、思いとどまる。

 勢いよく立ち上がりかけた姿勢から、ソファにゆっくりと腰を下ろす。


「あー、ないですね、特にない」

「そう、か」


 ふぅ、危ない危ない。思わずとんでもない言葉を口走るところだった。


 危ない危ない。


 「なんでも」をちらつかされて、人間関係を破滅させる者は多いと聞く。今回は咄嗟に回避できたが、一歩間違えれば僕もとんでもない醜態を晒すことになっただろう。


 けど「礼をする必要はない」と言い切ってしまったのは、もったいなかったよね。


 絶対千載一遇のチャンスだったじゃん。


 せめて今日中止になったフィールドワークの手伝いくらいは頼んでも良かっただろ! 馬鹿!


 あーあ、二度とこんなチャンスはやってこないんだろうなぁ、残念だなぁ。僕は不幸な男だなぁ


「本当に、何もないのか?」


 

 セ カ ン ド チ ャ ン ス 到 来 


 

 僕は幸運な男だった。



「アッ...いやっ......その! スゥッ~、何か(→)あっ(↑)た気が(→)するなぁ(↑)!!!!」

「そうか」


 落ち着け。


 変な声が出てしまったが落ち着くんだ。


 彼女にはお礼をする意思があり、僕にはお礼を受け取る意志がある。


 なら、すでに読み合いは始まっている。

 重要なのは如何にして相手の許容ラインを見切り、そして自身の要求を通すかだ。


 フィールドワーク? 糞くらえだ。


 何でもしてくれるって言うなら、何でもしてもらおうじゃないか。

 狙うは彼女の手料理、歯磨き、ご飯あーんに耳掃除とか............ギリギリ、運が良ければ、なんとか行けるか? 



 いや、大丈夫だ。多少レベルの高い要求でも通るはずだ。



 彼女は僕に命を助けられたという明確な恩がある。そしてお礼がしたい。

 しかし、所持品は魔獣テンタクルのせいで紛失してしまっている。


 真面目な話、彼女には金がないのだ。


 金銭や物品によるお礼は難しいだろう。

 そんなことは僕も彼女もわかっている。つまりこの状況から彼女は何かしらの労働という形で礼をしたいと言っていることが推察されるわけですね。


 つまり僕のウキウキプランを要求できる可能性がある。


 だが、これはあくまで推測。万が一があっては困る。

 まずは相手の許容ラインを把握するため、ジャブ代わりの言葉を並べることにした。


「あー!!、最近忙しくて疲れが酷いんですよねー!! ちょっとした手伝いが欲しいっていうかー!! 生活のサポートが欲しいというかー! でもうん! 僕の口からはとても言えませんね!」

 


 ___ちょっと不自然だったか?



 心の焦りが出てしまったかもしれない。


 誤魔化すために露骨に肩をおさえて、ダルそうに顔を顰める。

 本当に疲れてそうなフリをする、ていうか本当に疲れてたわ。仕事めっちゃ忙しいねん。


 割と本音だった。


 大切なのは自分の要求を彼女に提案させることだ。

 だって「耳かき歯磨きご飯あーんをしてください!」なんて、最初から自分の口で言うわけにはいかない。


 だから、こちらとしては彼女の口から「何かお手伝いをしましょうか?」くらいの言質はほしいのだ。

 

 言質取った瞬間「耳かき歯磨きご飯あーんをしてください!」って言おう。


 こんな僕の要求は馬鹿げているだろうか?



 否である。


 

 スライムホールが売れに売れ、今の僕はちょっとしたお金持ちである。本気を出せば常識的な範囲内の商品なら、この世のモノはだいたいは手に入る。


 なら金で買えないものを要求するべきだろう。


 「耳かき歯磨きご飯あーん」は金では手に入らない。


 たぶん。


 というわけで隙さえあれば「耳かき歯磨きご飯あーんをしてください!」って言う。まあ全部の要求は通らないだろうが、うまく行けばご飯を作ってもらうくらいは頼めるだろう。


 美人の手料理が食べられるならそれでいい。


 最悪ダメでも、もともとが降って湧いた幸運なので気にしない。夢っていうのは手を伸ばしたことに価値があるのだ。

 


 .........どうだ?



 チラっとロアさんを見る。


 彼女は無言でこちらをじっと見つめると、静かに頷いた。

 

「わかった」

「ありがとうございます!」


 何が!?


 なにがわかったんだ!? どこまでがOKなんだ!? 


 肩をおさえたままのポーズで、立ち上がる彼女を食い入るように見つめる。

 

 言葉での読み合いは困難、なら動作から読み切れ、視線、表情、一挙手一投足から、彼女の許容ラインを_______!




「.........ん」




 彼女は制服の首元に手を掛けた。


「は?」


 しゅるり、とリボンを襟から抜く音が響く。


 襟元が開き、胸元と首筋があらわになる。

 白と黒かで構成された衣服の下にからのぞく健康的な肌の色に思考が停止する。

 


 気が付けば机を乗り越え、座っているソファの隣に彼女がいた。 



 ギシッとソファが軋む。


 ゆっくりとロアがしなだれかかってくる。

 どこかやわらかい彼女の香りに包まれ、囁くような言葉が耳を震わせる。スラリとした足を上げ、馬乗りに近い、向かい合うような体勢で向かい合う。


 息がかかるほどの距離。


 静かに見つめ合う。


 沈黙が支配する。



 え? 



 何この雰囲気。


「.........あの?」

「すまない。私には自分の身体でしか、返せるものがない」


 彼女の言葉で、ようやく気付く。

 

 あ、これ、もしかしてエッチなお礼の展開ですか?



 ふーん.........?



 経験がないので断言はできないが、要求してることのハイエンドの状況に突入している気がする。助けた女性が自分から着衣を緩めて、しかも跨ってくる展開なんてエッチなことしか想像できない。



 いやこれ、絶対エッチな展開だよ。だって大人用漫画で読んだことあるもん。



 だとしたらロアさん、ちょっと本気出し過ぎですね。


 いきなりこれじゃ交渉もクソもねぇよ。

 好きなんか? もしかして好感度ぶっ飛んでる感じ? .........なわけねーな!


 初対面で好感度もクソもねぇよ。

 常識的に考えて嫌に決まってるだろう。


 けど嫌ならそもそも行動に移さないで欲しいな。こういうのはやられる側もリアクションに困るんだぜ。


 というわけで、いよいよ服を脱ぎ始めた彼女の手を掴んで止める。


「ちょ、何しようとしてるんですか」

「礼だ。私の身体を好きにしてくれ」

 

 すげぇ堂々と言われた。


「嫌ですよ、なんでそういう話になるんですか」

「だが他にできることは」

「そうまでして、礼をくれとは言ってませんよ」

 

 そんな捨て身みたいなお礼されても困る。

 過ぎたレベルの謝礼を貰っても、申し訳ない気持ちになるだけだ。


 もっと自分を大事にしてほしい。


 そして僕はもっとこう、良心が痛まない程度に、美味しい思いをさせてほしい。


「肉体的な礼は不要ということか?」

「僕は一般的で健全な青年なので、そういう事になりますね」

「一般的、なのか?」


 なんでそこ疑問形?


 もしかして、エッチな要求するようなエロガッパに見えていたのだろうか? 


 失礼な人だ。


 やっべ、誤魔化そ。

 

「当たり前じゃないですか! 僕がよこしまな感情や下心でお礼を要求するような人間だと思いますか? 純度百パーセントの善人だと自負しているのに! そう思われたなら心外ですね! ええ!」

「そ、そうか」 


 僕の熱弁にロアさんが頷く。

 どうやら誤解は解けたようだった。


 よかったよかった。


「では、私は何をすればいい? 貴方の要求を聞こう」

「............」


 心の清い青年アピールをした手前、流石に添い寝耳かき手料理あーんしてくれみたいなのは言えないな。あと冷静になると、僕の要求もまあまあスレスレな発想だった。


 しかもさっきまでは下心で頭がいっぱいだったので代替案も考えてない。


「どうかしたのか?」

「あっ、いや、なんだったっけなぁー」


 さっきエッチなお礼をチラつかされたせいで、思考がそっちばかりに行ってしまう。


 これだから下心で動く人間はよォ!


 一番OKしてもらえそうな手料理でも要求するか? いや、純度百パーセントの善人の発想ではないな。マジで困った。


 あまり時間を掛けるとバレる。下心人間なのがバレる!


 でも美味しい思いがしたい。


 いいから何か言え、なんかあるだろ!






「.........耳かk、いや家事をしてほs、いや、そう、働いてもらえませんか? アルバイトで」


 


 妥協に妥協と妥協を重ねた結果。


 純度百パーセントの善人である僕は、彼女をアルバイトとして雇用した。


 



 

 



 

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