第6話 知らない人の口車に乗ってはいけない。

 悪魔デーモンのいる場所に向かいながら、俺は状況を整理する。

 現れた悪魔は単独。発現されたときには既に手負いだったという。

 恐らく、どこか他の場所で《悪魔狩りスレイヤー》と交戦して負傷。傷を癒すために街に潜入したようだ。

 基本的に悪魔は魔力のある《魔界リンボ》にいる方が傷の治りがいい。しかし、この辺りの《魔界》は濃度が低い。だから代わりの養分が手に入る街に行くことを選んだ。


 ここでいう養分とは、もちろん人間のことを指す。


 しかし、手負いの悪魔は《隠蔽クローク》の《魔術スペル》に失敗。逆に、《悪魔狩り》によって街に施された《探知ディティクト》の結界に捕捉されてしまう。

 街側は素早く《悪魔狩り》による即応部隊を送ったが、既にそれは全滅している。しかし、その決死の遅延行動の間に、後方支援担当の《悪魔狩り》の一人が《加護ブレス》によって結界を展開、悪魔の街の外への移動を封じることに成功した。

 そうして進退極まった悪魔は人質を取って周囲を牽制。《加護》の解除との自身の安全な逃亡と引き換えに、人質の解放を迫っている状況だ。

 人質の名はメリー・ベル。俺が世話になっている宿屋白馬の嘶き亭の一人娘だ。



◇◇◇



「なるほど、状況は分かった。悪魔はどうやって先行した《悪魔狩り》を潰した?」

「直接的見たわけじゃないが、聞いた話だと、追い詰められた悪魔の腕と足が一気に膨れ上がって、飛びかかった《悪魔狩り》は一瞬で引きちぎられたらしい………。娘のことも人伝で聞いたんだ………」


 ……なるほど。身体強化系か。


 この手の悪魔は《魔術》に関しては大したことない手合いが多い。実際、弱った程度で自分にかけた《隠蔽》が見破られているのだから、この推測はまず間違いないだろう。

 そもそも、大がかりな《魔術が使える上位の悪魔なら、この程度で苦境に陥ったりはしないものだ。それだけ、悪魔の強さを担保する要素として《魔術》の占める割合は大きい。


「日頃からちゃんと訓練している《悪魔狩り》ですら一瞬でやられたんだ。うちの娘なんか………。コールマンさん! 娘を頼むよ! 娘の話を聞いてるから知ってるけど、コールマンさん本当はかなり強い《悪魔狩り》なんだろ!?」


 その通りだ。俺はかなり強い。強さに見合うだけの血反吐を吐くような努力もしてきたし、潜った鉄火場、修羅場の数は両手両足の指で数えても足りないほどだ。

 

「まぁな。今の話を聞いた限りでは、この悪魔は大したことない。間違いなく殺れる。当然、娘さんも無事に助けて、だ」


 死んだ奴らには悪いが、この程度の状況は、俺にとっては苦境の内にも入らない。そもそも、こんな場所で容易く追い詰められるような間抜けな悪魔が、人の枠をはみ出したこの俺に匹敵するほど強いはずがないのだ。


「ほんとうかい!? 頼むよ! 娘を助けてくれたらタダでずっと家に居てくれていい! だからコールマンさん、娘を……………」


 絞り出すように零れる親父さんの痛切な言葉に、俺は力強く頷いて応える。


「ああ、分かった。親父さんたちには今までこんな穀潰しを宿に置いてくれていた恩があるからな。確実にやるから安心してくれ。じゃあ、俺たちは先行する。親父さんはゆっくり来てくれ。その時には全部終わらせておくさ。ミリア! 急ぐぞ!」

「あいあいさー!」

「コールマンさん、頼みます!」


 すがり付くような声で哀願する親父さんを後に残して、俺たちは目的地へと疾走する。鍛えられた《悪魔狩り》の身体能力は、一般人のそれを遥かに超える。悪魔と《悪魔狩り》たちは、既に生物としての次元が常人とは違うのだ。

 目的地はこの《ヨーク》の街の外淵部、外壁前に設けられた広場だ。周囲の景色を溶かしながら、俺たちは悪魔へ向かって疾駆した。



◇◇◇



 広場に着いたとき、件(くだん)の悪魔は街の外壁を背にして自身を包囲する《悪魔狩り》を牽制していた。

 悪魔は、そのシルエットこそかなり人に近い姿をしていたが、頭部は狼のような獣のそれで、その額には悪魔の証である黒曜石の刃のような一本の黒い角が存在した。

 事前の情報通り腕と脚が肥大化して、特に脚の方は俊敏な肉食獣のそれに近い形状に変形している。確かにこれを振り回されれば、並の《悪魔狩り》では一溜まりもないだろう。

 そのことを証明するように、広場には下顎から上が引きちぎられたり、胴体から巻き忘れたロープのように内蔵が漏れた《悪魔狩り》の死体が点々と転がっている。

 そして、悪魔の腕の中には見知った顔の少女の姿。メリー・ベルはその可愛らしい顔を恐怖と苦痛に顔を歪めながらも、未だに生きてそこにいる。

 そんなことを俺が確認していると、しびれを切らした悪魔が大声で喚き始めた。


「おいお前ら! いつになったらくそったれなこの《加護》が解けるんだ! 《加護》持ちの《悪魔狩り》に急がせろ! こいつが死んでもいいのか!」

「ううっ………くぅっ………!」


 喚きながら悪魔が腕に力を籠めると、メリーの表情がさらに険しいものに変わる。


「ま、待て! この《加護》は解除してもしばらく残るんだ! 既に《加護》は解いている。だからもう少し待ってくれ!」


 悪魔を取り巻く《悪魔狩り》の一人が慌てたように悪魔に答える。しかし、悪魔の苛立ちは治まる気配がない。


「本当なんだな? 時間稼ぎならタダじゃすまんぞ! くそっ、急がないと奴が来る………! 俺には時間がないというのに!」


 悪魔の言う「奴」とは、悪魔を傷つけた《悪魔狩り》のことだろう。確かに、もう塞がりつつはあるが、悪魔の体には今も傷痕が残っている。その数の多さから、この悪魔が執拗に追撃を受けて、滅多切りにされかけたということが容易に想像できた。

 確かに、この悪魔なら、ここさえ凌げばその身体能力ですぐにでも逃走が可能だろう。悪魔の持つ獣の脚は、追っ手の追跡を決して許すことはない。ここまでこいつを追い詰めた《悪魔狩り》が、逃走を許したことからも、その機動力の高さが窺える。

 だが、こいつは一つ勘違いをしている。

 こいつはもう手遅れだ。

 なぜなら、俺がもうここにいるからだ。

 逃亡先にこの街を選んだ時点で、悪いがこいつの命脈はすでに尽きていた。

 俺は、包囲の後ろの方に立っていた《悪魔狩り》の一人を選んで、できる限りひっそりとその肩を叩く。


「ちょっといいか?」


 声をかけるとその《悪魔狩り》は、怪訝そうな表情で俺を見た。まだ《悪魔狩り》になってからは日の浅そうな、精悍な顔立ちの若者だった。


「なんだあんたたち? 増援の《悪魔狩り》か? …………いや、あんた、識別章がないな、なら民間人か。悪いが見ての通りなんだ。もうすぐ悪魔は逃げるから、安全な場所に入っていてくれ。もし最悪の事態になっても、俺たちが何とか時間を稼ぐから!」


 民間人を安心させるような言葉を俺にかけて、《悪魔狩り》は悪魔の方へと向き直ろうとする。

 どうやら、この《悪魔狩り》は中々に服務意識の高い、見上げた若者のようだ。

 《悪魔狩り》にもピンからキリまでいる。街の近辺で弱い魔物ばかり倒して日銭を稼ぐちんけな者もいれば、生きて帰れる保証のない深部魔界にまで赴き、自らの命を賭して高位の悪魔を屠る者まで存在する。

 そして、《悪魔狩り》として悪魔と戦うことは強制ではない。自分の身の丈に合わない悪魔からは、たとえ逃げても誰からも文句は言われないだろうし、ギルドも実力に応じた悪魔や魔物と戦うことを推奨している。

 俺の目の前の《悪魔狩り》は、実力はともかく自分の命を張れるという点でその精神性は後者に近い。恐らく、広場で既に事切れた者たちもそういう人物だったのだろう。

 戦場では誰かのためなら自らの命を省みない、そんな高潔な人間から死んでいく。勇敢に戦い人の盾になって散った彼らの無念も、必ず晴らさなくてはならない。そしてそれは、目の前のあの悪魔を殺してこそ成し遂げられる。

 俺は胸の内に激しい闘志を燃やしながら、しかしそれを表に出すことはなく再び目の前の《悪魔狩り》に声をかける。


「いや、俺は《悪魔狩り》だよ。ただし、お忍びのね」 


 俺の言葉をいぶかしんだ彼が首を傾げる。


「………お忍び? いや、《悪魔狩り》は休暇中でも識別章は携帯しているはずだ」

「特別な任務を帯びてるんだ。…………俺の髪の毛、見てくれたら分かるだろ?」


 そう言って俺はローブのフードを軽くめくると、自分の頭のほとんど白髪に近い灰色の髪を指差す。

 色の抜けた灰色の髪は《悪魔狩り》の間では特別な意味を持つ。

 それは人の域を超えた《悪魔狩り》の中でも、そのさらに先へ一歩を踏み出した証。

 人であることを止め、悪魔や魔王を屠る為の一振りの剣となることを選んだ証。

 それに気付いた《悪魔狩り》の目が驚きで見開かれる。


「………その髪の色……まさか《燃え殻の髪バーンド》? もしや、貴方は!」


 次第に語気を強めて大声で叫びそうになる彼を、俺は人差し指を口の前に立てることで制する。


「しっ、静かに。悪魔に聞かれる。すまないが、できる限り静かに素早くここのトップに話をつけてきてくれ。そうしたら、後は全部俺がやる」

「……! 承知しました。すぐ動きます」


 《悪魔狩り》は小さく頷くと、音も立てず静かに包囲の輪から抜け出し後方へ走る。悪魔を刺激しない抑えが効いている実にいい動きだ。もっと経験を積めば、将来彼は良い《悪魔狩り》に育つだろう。

 その姿を見送って、俺はレザーアーマーの上に纏ったローブのフードを目深に被る。色の抜けた灰色の髪は悪魔にとっても恐怖の証。少なくとも正体がバレるまでは隠しておきたい。

 それから、俺は小声で後ろの弟子に話しかける。


「ミリア、準備しろ。離れるなよ?」

「もちろんです師匠。弟子は常に師匠の傍に控えるものですから」


 いつもよりも静かさ10割増しぐらいの声でミリアが答える。


 ……………できるなら普段からこうしてくれ。


「よし、このまま時を待つ。ことが始まったら全て俺の指示に従え」

「任せてください」


 最後のやり取りを交わすと俺たちは前を向く。ここから先は相手に気取られるような行為はできない。

 しばらくすると、さざ波が退くように《悪魔狩り》達が動いて俺たちの前に道ができる。どうやら上からの指示が通ったらしい。伝令が走った様子はなかったので、もしかすると本部には《念話テレパシー》の《加護》持ちがいるのかもしれない。

 俺たちはその道を通って前に進み出る。

 道を抜けて広場に入ると、すぐに悪魔と目が合った。

 俺のことを認識した瞬間、悪魔が威圧的な大声で叫ぶ。


「止まれ! 貴様は何者だ!」

「この街の《悪魔狩り》だ。あんたを閉じ込めた《加護》の使い手だよ。隣は俺の一番の部下だ」


 もちろんこれは嘘だ。俺の持つ《加護》はちゃんと別にある。

 「一番の部下」という言葉に反応してもじもじ体をくねらせ始めたミリアを、みぞおちへの肘鉄で大人しくさせてから悪魔の反応を待つ。

 すると予想通り、悪魔は俺の言葉に対して憤怒の形相を浮かべた。


 自分の余裕のなさを隠そうともしないか。案の定、脳筋の三流悪魔だな。


 ここで少しでも余裕ぶった態度で振る舞えれば、多少はブラフにもなるだろうに、それができない時点でこの悪魔の格が知れる。


「貴様か! 貴様が俺をこんな目に遇わせたのか! くそっ、ただじゃおかんぞ!」


 歯ぎしりをして怒る悪魔を俺は両手で宥める。俺の作戦上、こいつには少しでも冷静で話ができる状態でいてもらわなければ困る。


「そのことは本当にすまないと思っている。《加護》を使っている間、俺は制約で動けなくてね。だから、《加護》を解いた瞬間に急いでここまで謝罪に来たんだ」


 俺の嘘八百の言葉を信じたのか、悪魔は少し溜飲を下げたように眉間のシワを緩めた。

 流石に人質までいるこの土壇場で、一から十まで嘘を並べる人間がいるとは悪魔も夢にも思っていないらしい。


 ……その甘ったるい認識がお前を殺すんだがな。


「ちっ、まあいい! それじゃあお前、《加護》の使い手ならこの《加護》がいつ解けるか分かるな。この《加護》はいつ解ける? 俺はいつまでここにいればいい?」


 俺の言葉を信じた悪魔は、俺に対して質問を投げかける。これは完全に想定通りの動きだ。

 こいつが今一番気にしているのは、いつ《加護》が切れて自分がここから逃げられるかだ。だからこの質問が飛んでくることは既に想定済みだ。

 だから、それに対する答えも俺はちゃんと用意してある。

 まぁ、その答えも当然全部嘘なのだが。


 こいつには精々死ぬまで俺の手のひらで踊っていてもらおうか。


 そして、俺は悪魔を殺すための致死の猛毒を仕込んだその答えを口にした。


「その事なんだが、一つ相談がある」

「なんだ? 言ってみろ」


 悪魔が続きを促すのを確かめてから言葉を続ける。


「急いでいるところ申し訳ないんだが、この《加護》はまだ解けるまでにしばらく時間がかかる。ただ、実はこの《加護》はからくりがあってね。この《加護》は、実は《結界の中に相手を閉じ込める》というものではなくて、正確には《使い手が選んだ対象者以外を結界の中に閉じ込める》というものなんだよ」


 俺のこの言葉に、悪魔の顔色が変わる。そこには、どうしても隠しきれない喜色が浮かんでいた。


「なにっ!? ならば、つまり……」

「……そう、俺があんたを対象に選んだら、あんたはすぐに《加護》の外に出られる。そして、肝心の対象を選ぶ方法は、《俺が対象に直接触れること》だ。そこでどうだろう、今から俺がそっちに行くからあんたに触らせてくれないか?」


 そう、これが俺の考えた致死の一言だ。

 もし、悪魔がこの誘いに乗れば俺は極めて簡単に悪魔に近寄ることができる。相手に近寄りさえすれば、俺の《加護》は無敵に近い。そうなれば奴はもうおしまいだ。


「…………」


 俺の提案に、悪魔は沈黙してしばらく思考に耽る。

 それも当然だ。この言葉に乗れば、悪魔にとっては自分が今まで必死に牽制していた《悪魔狩り》の接近を易々と受け入れることになる。熟考して然るべきことだ。

 しかし、この悪魔は間違いなくこの提案に乗る。俺には確信があった。


「………よし、その提案を受けようではないか。ただし、そのためにまず貴様の武器をこちらに投げろ。そして、部下はそこに残して一人で来い」

 「分かった、指示に従おう」


 ……………計算通りだ。


 やはり悪魔は俺の誘いに乗った。

 確かに悪魔にとって《悪魔狩り》を、引き込むのはリスクだ。しかし、今のやつにとってはそれ以上のリスクがある。


 それは奴に傷をつけた《悪魔狩り》の存在だ。


 未だに癒えきらぬほどの傷を体に刻んだその《悪魔狩り》の方が、こいつにとっては目の前の俺以上に差し迫った驚異なのだ。

 だからこいつは目先の小さな恐怖よりも、見えない大きな恐怖から逃げることを選んだ。「見えない」ということは、時に目の前に提示される以上に恐怖を増幅する。

 それがいつやって来るのか。

 どのようなかたちでやって来るのか。

 どこまで自分に迫っているのか。

 追いつかれたら一体自分は何をされるのか。

 想像力にはきりがない。無限に肥大化する空想は、本来の枠を超えて恐怖を膨らませていく。

 恐らくこの悪魔の脳裏には、ひたひたと忍び寄る恐ろしい《悪魔狩り》の姿が、くっきりと浮かんでいることだろう。


「じゃあ、まず剣から渡すぞ。それっ」


 俺は腰に下げた剣を鞘ごと外すと悪魔の足下に滑らせる。抜き身にしなかったのは、近寄ったときに俺が剣を拾って斬りかかることをこいつが警戒するのを防ぐためだ。


「俺の得物はそれだけだ。確認して欲しい」


 そう言って俺はその場でくるりと回って他に装備が無いことをアピールする。それを見て悪魔は大きく頷いた。


「確認した。よし、それではこちらに来い。ゆっくりと一人でな」

「分かった、それじゃあ今から行くから動かないでくれよ?」


 そう言って悪魔に語りかけたとき、その腕の中のメリーと目が合った。彼女の瞳には怯えの色がありありと浮かんでいる。 

 恐らくそれは自分への恐怖から来るものではなく、俺の身を案じてのものだろう。命の瀬戸際だというのに彼女はやはり天使のように優しい。

 俺が悪魔に気付かれない程度にメリーに目配せすると、彼女は少し安心した表情になって小さく頷いた。

 メリーと密かなやり取りを交わした後、俺は指示通り悪魔に向かってゆっくりと歩き始める。


 一歩、二歩、三歩……


 俺は断頭台に向かっていく気持ちで歩みを進める。もちろんそれは死刑囚ではなく、死刑執行人の気持ちでだ。


 しかし、


「………っ! 待て! 貴様、そこで止まれ!」


 そんな俺を悪魔の声が俺を静止させた。


「やはり、貴様のことは信用できん。俺を閉じ込めた張本人だからな。だから、もっと信用に足る証拠を俺に見せろ。そうすれば近寄ることを許す」


 この場に及んで、まさかの悪魔の変心。わずかに数歩進んだだけで俺の歩みは止まった。しかも武器は鞘に入ったまま奴の手中にある。

 この絶対絶命の不慮の事態に、周囲の《悪魔狩り》達が息を飲む音が俺の耳に聞こえてくるようだ。


 だがしかし。


 そんなこと、俺は既に作戦に折り込み済みだ。


「分かった、なら最も信頼に足る証拠を見せようじゃないか」


 そう言って俺はフードに手を伸ばし、それを掴むと一息に捲る。

 色の抜けた灰色の髪が日の光に晒され、それを見た悪魔の目が驚愕で開き、周囲の《悪魔狩り》達が息を飲む。


「そっ、その髪は《燃え殻の髪バーンド》! しかもその色、き、貴様は、まさか《踏破者ビヨンド》!?」


 ーー《踏破者》。


 そう呼ばれる《悪魔狩り》がいる。

《燃え殻の髪》という、最強の《悪魔狩り》を育てる組織に選ばれた者達の中でも、至高の50人だけが名乗ることを許された「人の域を踏破した証」。

 彼らの髪の毛は、訓練中に使う特殊な薬品のせいで、皆一様に燃え殻になる寸前の炭のように白い。その髪が白に近付けば近付くほど、彼らは人から外れた存在になる。

 ゆえに、加齢でできた白髪とは異質な、その透き通るような白さの髪の毛は人類にとっては希望の、悪魔にとっては絶望の象徴となっている。


 明らかな怯えを見せる悪魔に対して、俺はできる限り鷹揚おうように頷く。


「その通りだ。そして、さようならだ・・・・・・。見ろ、お前に傷をつけた俺の一番の部下は、もう既にお前の後ろにいるぞ?」


 鷹揚な態度を崩さぬままに、俺の指が悪魔の背後、街の外壁の上をゆっくりと指す。

 その、次の瞬間。


「ええええぇぇぇぇぇ!? ど、どこです!? どこっ!? 師匠の一番の部下は私の役目なのに!?」


 その場の誰よりも早く、驚愕の叫びがミリアの口から漏れる。これ以上はないほどの狼狽ぶりで、彼女の視線が外壁の上を右往左往する。

 それもそのはず。実は、この作戦の内容はミリアには事前に漏らしていなかった。故に、自分以外の部下がいるなど彼女にとっては初耳であり、だからこそ彼女はいるはずのない俺の一番の部下を、本気で探し出そうと躍起になっていた。


 悪いなミリア。でも、俺はお前のその本気の動揺が欲しかったんだよ。


 そして、その嘘偽りのない動揺と行動は、目の前の悪魔をも欺くことになる。


「なっ!? なんだと!?」


 ミリアの迫真の動揺に釣られた悪魔も、慌てて外壁の方へと振り返る。

 無理もない。自分を殺しかけた相手がすぐそこに居ると宣言された上に、目の前の人間もその姿を本気で探そうとしているのだ。釣られて後ろを振り返るなという方が酷な話だ。

 しかしその悪魔の行為は、俺という本当の驚異の前ではあまりにも軽率だった。


「ーーーくぞ」


 自分に言い聞かせるように一言呟いて、俺は自分の《加護》を起動する。

 俺の持つ本当の《加護》は《身体強化フィジカルブースト》。世界中を見ても普遍的な《加護》の一つであり、大抵は枠を一つ使って本人の視覚や聴覚といった一部の身体能力を強化してくれる、癖がなくとても使いやすい《加護》の一つだ。


 しかし、俺はこの《身体強化》の《加護》で、一人の人間に与えられた《加護》の三つの枠を全てを消費している。


 肉体の強化というシンプルな能力に加えて、枠の全てを使う単独能力。《加護》の効果が強まる要素を全て満たしたこの《加護》は、俺を人間の枠から容易く押し出した。

 俺は石畳を砕くような速さで踵を返すと、ミリアに近づいてその腰からショートソードを抜き取る。

 剣を抜き取る動作のまま再び反転。迷うことなく一直線に悪魔に向かって肉薄を開始する。

 先程の半分ほどの距離まで迫ったところで異変に気づいた悪魔が慌ててこちらを振り返るが、もう遅い。

 稲妻の速度で懐まで潜り込んだ俺は上段からの振り下ろしでメリーが拘束されている腕を一刀両断で切り落とす。

 肥大した悪魔の腕が落ちる。

 それに一瞬遅れて魔力を含んだ黒い鮮血が吹き出し、千切れた腕が灰となって消える。

 さらに遅れて悪魔の絶叫が広場に響く。


「怖かっただろ、もう大丈夫だ」

「コールマンさん……」


 腕から解放されたメリーが地面に落ちるその前に、俺は彼女を優しく抱き止めてそっと地面に横たえる。

 努めて優しく声をかけたつもりだが、悪魔への殺意を隠そうともしない今の俺は、ちゃんとそう振る舞えただろうか。

 そんなことを考えている俺の頭上に、人質を失った悪魔が破れかぶれで振り回した腕が迫ったが、《加護》の効いた俺にとって、それは冬の寒さが迫った頃の緩慢な羽虫の動きに等しい。

 上体を仰け反るように反らして、斜めに凪ぎ払われる悪魔の腕を避けると、その勢いを利用した下段からの切り上げで、根本からその腕をバッサリと断ち切る。

 両腕を失ったことでバランスを崩し、意味をなさない叫びを上げながら後ろによろめく悪魔に、俺は地面を這うような高さで肉薄、異形の両足を文字通り両断した。


「あがっ!? あ、あ………こんな、こんなことがっ! があっ!?」


 四肢をもがれて、芋虫のようにその場でのたうつ悪魔の胴を踏みつけると、俺はその顔面に剣の切っ先を突き付ける。


「終わりだ。何か言い残すことはあるか? サービスだ。何でも聞いてやる。聞くだけだけどな」


 俺は悪魔に止めを刺すときに、最早お決まりとなった言葉を口にする。

 花畑に雪が降ったあの日から、ずっと悪魔に言い続けてきたその言葉を。

 もしかするとあの花畑で出会った悪魔のような、そんな答えが返ってくることを期待して。


「お、俺を騙したな!? 地獄に堕ちろ、この下衆め!!」


 悪魔の口から汚い罵りの言葉が飛ぶ。あまりにも雑魚らしい想定通りの言葉に思わず口から嘲笑が漏れる。


「そうだ、俺は悪魔と見ればなんだって殺す下衆野郎だ。でも、悪い奴ほど長生きするもんだ。地獄にはそのうちゆっくり行くさ。だからお前は先に行って俺の道案内のために道でも覚えてろ、このクズ」


 最後にそう吐き捨てて、俺は渾身の力で剣を悪魔の胸に突き立てた。


「ち………くしょ………」


くそったれの悪魔は、最期まで雑魚らしい言葉を残して塵になって消えた。

 

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