最強のギルド長は非番です

深田くれと

第1話 すべては運次第

 ――《散策》クリティカルが発生しました。


 頭に直接鳴り響く音。

 思わずため息が漏れた。

 残響を振り払うように頭を振り、僕は小さな畑で振り上げたクワを放り投げた。

 そして、深い森の中から、感じた気配に向かって、とぼとぼ歩き始めた。



 ***



 目の前には、石でできた一本橋。

 背後を追ってくるのは怒れるキンググリズリー。

 カルエッタは息を切らせつつ、足を止めた。同時に、あとをついてくるランツが首を回して目を細めた。

 完全に道を見失っていた。

 勘を信じて進んできたものの、行く先がわからなくなった。

 足を進めるほどに森は濃くなり、むせかえるほどの深緑の香りが鼻を刺激する。

 ようやく森が開けると右手に天を衝くような塔が見えた。あれが最初に目指した目的地のはずだ。

 随分奥まで来たらしい。

 橋でつながれた峡谷を見やる。

 目もくらむような高さだ。

 遥か下で、鷲に似たモンスターが甲高い鳴き声をあげて飛び去った。深い霧で底は見えない。かすかに聞こえる水の音。下は川かもしれない。

 目の前の橋はまだ新しい。

 作られてから時間は経過してないだろう。だが、至る所にヒビがあり、左右には手すりもない。急ごしらえの雑なつくりだ。

 けれど、道はここしかない。跳躍で対岸へ跳ぶのは無理だ。

 かといって――

 キンググリズリーの荒い呼吸が聞こえて、カルエッタは振り返った。

 暗い紫色の体毛は針のように逆立ち、瞳孔のない青い目が輝いている。強い獣の臭いと、隙のない四足の構え。

 完全に捕捉されていた。捕まれば殺されるだろう。

 覚えたての魔法は効果がなかった。ランツの武器が折れたほどだ。

 カルエッタは頭を悩ませる。ようやく目的地にやってきたのだ。

 こんな場所でモンスターに襲われて死ぬわけにはいかない。

 もう一度対岸をにらむ。

 と、濃い木々をかきわけて、何かが現れた。

 人間だった。

 はねた茶髪に気の弱そうなたれ目の男。

 猫背気味の体は、伸ばせばカルエッタよりずいぶん高いだろう。服装は深い緑色の作業着。

 王国で有名なモンスターの討伐に長けた探索者には見えない。

 全員の動きが止まった。

 男はそれらを眺め、がっくり肩を落としてから、苦笑する。


「とりあえず、こっちまで走れるかい? うちの管轄はそこまでなんだよ」


 男は囁くように言い、石橋の中央を指さした。

 カルエッタとランツは駆けだした。

 モンスターが我に返ったように追った。


「間違いなく、今日は厄日だな」


 対岸で二人を待つ男は、意味のわからない言葉をつぶやくと、体の周囲に発光する魔力の塊を浮かべた。

 カルエッタでも知っている魔法――E級魔法魔法の乱矢(ブリリアント・ショット)だ。速度と追尾性能にすぐれるが、牽制にしか使えない威力の低い魔法だ。

 すでにD級魔法を試していたカルエッタは、心の内で「無駄です」とつぶやく。

 頭上を、十本の光の矢が駆け抜けた。

 轟音が響く。


「っ!?」


 足元が揺れた。

 男が狙ったのはキンググリズリーではなかった。

 彼女たちが通り過ぎたあとの橋の中央を攻撃したのだ。


「急げ。落ちるぞ」


 短い言葉が飛んだ。

 カルエッタとランツは、全力で駆けた。

 まるでそれくらいできるだろと言わんばかりの男が、微笑み交じりで二人を見つめていた。


「お疲れさん。僕はリーン=ナーグマン。よろしく」


 気の抜けた声に呼応するように、キンググリズリーが吠えながら落ちていった。



 ***



 久しぶりに空いた時間で畑を耕しに来ただけだというのに、なぜ『警報』を聞くことになるのか。

 実った甘酸っぱいラズベリーを持って帰ってジャムにしようとわくわくしていたのに。

 一度目もクワを振り下ろそうとしたところで《散策》クリティカルが発生した。

 突然背後から巨大な猪が突進してきた。蜂の集団に襲われて逃げてきたらしい。

 ここら辺の蜂は子供並みに大きくて凶暴だ。おかげで畑はズタズタだ。

 《散策》クリティカルは特に凶悪だ。

 何が凶悪って、僕が行動しているだけで意思と関係なく発生する。

 散歩だろうが、買い物だろうが、謁見のための移動中だろうが発生する。

 長距離を移動するほど機会が増えるので、歩数か時間に影響されるのかもしれないが、詳しくはわからない。

 良いこともあれば、悪いこともある。

 経験上、悪いことの方が格段に多いので、揶揄を込めて《散策》クリティカルを『警報』と呼んでいる。

 あえて西のエリアとの境界に近い場所に畑を設けているのは、ここには誰も近づかないからだ。仲の悪い西のギルドはめったにここまで来ないうえ、『宮殿(パレス)』が近くにない。

 つまり、強いモンスターがわきにくく邪魔されにくい環境なのだ。

 自慢じゃないが、僕は弱い。

 並みの探索者以下の防御力と、攻撃力。そして器用貧乏としか呼べない低レベルスキルの多さ。数だけなら超上級者だが、普通は数が増えると質が落ちる。

 十個のスキルを持つより、三つに絞って熟練度を上げた方が優秀だ。


「やっぱりな……」


 森を抜けると、西の境界を示す石橋があった。

 どう見ても、追われて逃げる側と、追う側だ。

 幸い追われる側は、腰が抜けて立てないといった状況ではない。

 体力もあるようだし、自分で走れるはずだ。

 キンググリズリーはここらでめったに見かけないC級のモンスターだ。特殊能力がないので倒しやすいが、耐久力が高い。

 残念ながら持っている武器は護身用の短剣一本。

 E級のモンスターなら訓練で戦うのもありだが、C級モンスターと近接でダンスを踊るなんて命がいくつあっても足りない。心臓に悪い。


「はあ……痛しかゆしなんだよな。クリティカルって……」


 独り言をつぶやき、困惑顔の二人に手招きと同時に声をかける。

 二人は迷う素振りなく駆けだし、グリズリーがあとを追った。

 面倒そうな予感がする。


「間違いなく、今日は厄日だな」


 E級魔法魔法の乱矢(ブリリアント・ショット)を発動。

 腕利きの『クリエイター』に作ってもらった特殊なアイテムの補助のおかげで、発動時間はゼロだ。

 彼女にはまたお礼をしておかないと。

 十発の魔法の矢が、グリズリーと二人を分断するように落ちた。


「急げ。落ちるぞ」


 石橋が耐えるように震える。E級魔法程度では、何発か重ねないと落とせないだろうが、僕の場合は違う。

 一発当たれば良いのだ。

 運が良ければそれで終わる。

 魔法の矢が、次々と連続で落ちた。

 そして、七発目が落ちた瞬間だった。


 ――《魔法》クリティカルが発動しました。


 僕は腰に手を当てて、石橋と共に落ちるキンググリズリーを眺めた。

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