第15話 希望はまさに、今ここに

「りゅうじ……りゅうじ〜……」


 美咲は震える声で、自身を抱える彼の名を呼ぶ。

 まだあの悪霊への恐怖が全て無くなったわけではないけれど、強張る喉に空気を通して竜司の名前をか細く呼んだ。


「おう。なんだ喋れんじゃねえかよ。怪我とかしてねえか?」

 竜司は安心してほっと息をつく。


「うん、それは大丈夫……ただ怖かっただけ、だから……」

 しゃくり上げる喉をおさえて、途切れ途切れの言葉を紡ぐ。

 涙はまだポロポロと零れ落ちている。だが竜司が近くに居るからだろうか、美咲の抱いていた恐怖は少しずつ姿を消してゆく。


「おし、んじゃちょっとここで待ってろよ」

 美咲の様子を確認してから、竜司は抱えていた彼女をおろし背を向ける。


「え、竜司……?」

 まさかアレと対峙するつもりなのだろうか? だとしたらあまりにも危険すぎる。ここは逃げるべきだ。


 彼の身を案じて声をかけた美咲はしかし、二の句を告げることはなかった。


「あ、それと……涙拭いとけよ。お前の親友がアイツをぶっ飛ばしてやるからよ、見逃すんじゃねえぞ?」

 なぜなら彼がそう言って振り返り、笑ってみせたから。


 それは泣いている友人を元気付けようとする優しい笑みであり、そして同時に揺るぎない自信を含んだ笑みでもあった。


 美咲の目に映る竜司の表情には気負いも不安もなく、ただ力強い意志だけがある。絶対にあの悪霊を成仏させるのだという強い意志が。

 その事実が、彼女の中にある不安を拭い去る。


 これまでも竜司はその言葉で、その笑顔で美咲に希望を与えてくれた。

 そしてそれは今も変わらない。あの悪霊さえもなんとかしてくれるのだと、そう思わせてくれる。


 こうなってしまえば美咲が言うべきことはひとつだけ。

「うん、頑張ってね。竜司」


「おう! 任せとけ!」

 竜司は前を向く。その目はもう美咲を映してはいない。


 自分を安心させてくれた竜司が離れてゆくことに、美咲が不安を覚えることはなかった。彼の言葉のおかげだろうか、それともあの笑顔のおかげか。


 もちろんそれもあるだろう。けれどもっと単純な理由がそこにはあった。


 それは、竜司の背中があまりにも格好良かったから。


 美咲は涙を拭いて前を見る。

 竜司の姿を見逃してしまわぬように。


 美咲の胸の内には既に絶望はなく、涙を拭いたその瞳には溢れんばかりの希望が満ちていた。


 〜〜〜〜〜〜


 竜司の瞳には怒りが満ちていた。

 ピクピクと青筋を立てて歯を食いしばり、燃え盛る憤怒を瞳に宿してトゥエルブを睨んでいた。


 そして当の悪霊は、竜司の百の籠手ハンドレッド・ガントレッドに包囲されて動けずにいる。翔太を落ち着かせるまで動きを止めようとして包囲していたが、効果てきめんだったようだ。


 しかし思惑通りにトゥエルブの動きを制限できていたというのに、竜司の怒りはおさまらない。


 理由は当然、友人の涙を見てしまったから。

「俺の親友を泣かせやがって……ぶっ飛ばしてやる!」


 竜司は基本的に悪霊に対して激しい感情を抱くことはない。

 悪霊とは、怨念に囚われたことで人を呪い続ける存在だ。死の間際に強い憎しみを抱いた結果そうなってしまっただけで、彼らも悪霊になりたいと望んだわけではない。


 ゆえに竜司は、悪霊を可哀想だと思うことはあっても怒りを覚えることはなかった。


 しかし今、竜司がその目で捉えているトゥエルブは異常な霊力量と怨念によって竜司の友人に牙を剥き、あまつさえ涙まで流させた。

 怯えて震えていた翔太の姿が、脳裏に焼き付いて離れない。竜司の顔を見て名前を呼んだあのか細い声が忘れられない。


 つまりトゥエルブは竜司の親友に、深く深く恐怖の種を植え付けたのだ。

 それがなによりも許せなくて、竜司は怒りを露わにする。


「かかってこいよトゥエルブ。一瞬で終わらせてやる」

 言うが早いか、竜司はトゥエルブを囲んでいた百の籠手ハンドレッド・ガントレッドを自身のもとへ撤退させ、一対の籠手を両腕に装着する。


 必然的に自由を取り戻したトゥエルブは、目の前の攻撃対象へと接近する。もちろん竜司もそれを真っ向から受けて立つ。


 戦いの火蓋が切って落とされた。

 最終ラウンドのゴングは両者の拳で鳴らす。


 そしてまるで昨日の焼き増しのような光景が竜司の目に映る。

 自身へと襲いかかる黒い拳、眼前に佇む漆黒の霊体。アドレナリンの分泌によって体感時間は引き伸ばされ、鼓動は足を速める。

 トゥエルブと至近距離で拳を交えるところも、視界に映り込む情報は昨日と全く同じだった。


 けれどそんな中でたった一つ、この前とは違う点がある。


 それは竜司自身の行動だ。

 絶え間なく体を動かして攻撃や防御をする、その僅かな合間に腕に装着した籠手へ次々と融合を繰り返している。


 トゥエルブと接近戦を繰り広げている最中は、とてもじゃないが浮遊状態の籠手を活用できる暇はない。ただでさえトゥエルブとの戦いに集中しないといけないのに、他のことに意識を割く余裕などあるはずがないのだ。

 もしそんなことができたらきっとそいつは脳みそが二つくらいあるだろう。


 つまりトゥエルブとの接近戦の最中、浮遊籠手は置物にしかならないのだ。言い換えれば百の籠手ハンドレッド・ガントレッドの長所である手数が活かせないということでもある。


 けれどただ籠手を融合させるだけならば、そこまで難しいことではない。

 一つの行動を終えるたびに、自分の腕に籠手を持ってくるだけで良いのだから。


 そうすることで竜司の両腕に装着された籠手はどんどんと強化されて、状況は優勢に傾く。力の均衡は崩れ、竜司の拳が徐々にトゥエルブを圧倒してゆく。


 しかしさすがと言うべきか、それでも竜司の攻撃は直撃することはなく、トゥエルブは紙一重のところで回避する。


 そしてついに百の籠手ハンドレッド・ガントレッドの融合が終わり、竜司の両腕の籠手が五十個分の力を内包した瞬間、状況に大きな変化が訪れた。


 竜司が一気に攻勢に転じたのだ。

 正面から撃ち抜くような正拳突き。回転の力を乗せた裏拳。

 胴体を抉るようなフックパンチ。そして顎を砕くためのアッパーカット。


 目にも止まらぬ拳の応酬。異能を以って振るわれる竜司のそれは、ほんの少しでも触れればただでは済まないだろう。


 だからこそトゥエルブは竜司のラッシュを躱し続けるが、嵐のごとき連撃を前にしてはさしものトゥエルブといえど隙ができる。

 その一瞬の綻びを、竜司の霊眼は見逃さなかった。


 体勢を崩したトゥエルブに左手で突きを見舞う。トゥエルブは躱せないことを察知したのか咄嗟に右手で弾こうとする。しかしそれは愚策に他ならない。


 真っ直ぐに突き出される竜司の左拳。そしてそれを防ごうとするトゥエルブの右手。


 ドンッ!!

 腹の底まで響く音と共にその二つが衝突した瞬間、トゥエルブの右手は霧散した。


 霊体を構成する霊力が、竜司の攻撃に耐えられず形を保つこともできなくなったのだ。

 トゥエルブは右腕をなくし、霊力量も一気に二割ほど減少する。


 霊核を弱らせたわけではないので直接的なダメージにはなっていないだろうが、間違いなく効果的だ。体勢を崩したところに強烈な打撃を喰らってトゥエルブは今まさに無防備な状態。


 このタイミングで竜司は自身の左手に着けていた籠手を右腕のものと融合させた。

 絶対に攻撃が命中する状況。この一瞬で終わらせるために。



 これこそが竜司が考えた作戦だった。いや作戦というのもはばかられるようなゴリ押しではあるけれど、きっとこれが最も有効だろうという結論に至ったのだ。


 トゥエルブは昨日の戦いで瞬間移動テレポートを使ってみせた。瞬間移動に限らず超能力というものは感覚によって、思念によって発動するものだ。


 そこで竜司は危惧した。もしかするとそれで超能力の感覚をある程度思い出したかもしれない、と。


 だとしたら、今度トゥエルブが瞬間移動で撤退するのはもっと早い段階になる可能性がある。霊核が三つにまで減った時か、あるいはもっと早く五つにまで減ったタイミングか。


 全て仮定の話だが、ありえないと切り捨てることはできないのもまた事実。


 どちらにせよ今回と同じ手段でジリジリと追い詰めればまた瞬間移動テレポートで逃げられてしまう。

 ならば次は一撃で、一瞬で勝負を決めるしかない。


 昨晩、竜司はそのように考え、決断したのだ。

 全ての籠手を集結させた一撃でトゥエルブを成仏させる、と。



 そしてついに百の籠手ハンドレッド・ガントレッドが一つに集約した。

 竜司の右手は熱を持ったかのように赤い光を放ち、トゥエルブの黒い霊体を明るく照らす。


 それはまるで闇を追い払う陽光。暗い夜の終わりを告げる朝焼け。

 燃え盛る炎にも似たその光は、狙い過たずトゥエルブの胸部へと突き進む。肉体にとっての心臓に等しい霊核が集まった、急所でもある部分へ。


 赤熱する籠手によって放たれるその一撃は一撃にあらず。

 百を内包した一、究極の拳である。


 ゆえにそれはもはや霊穿れいせんではない。

 霊力を纏わせた打撃という部分は同一であれど、ただの霊穿とは格が違う。次元が違う。


 それは霊を穿うがつにとどまらず、名付けるならば……


天穿てんせん

 竜司が放つ赤き拳は、百の力を込めた一撃は、凄まじい速度で直線を描く。

 防御も回避も許されぬ状態のトゥエルブに、なす術はなかった。


 空気に赤い光芒を残す竜司の右手は、無防備な黒い胴体に突き刺さる。

 瞬間、突風が巻き上がった。


 竜司の天穿によって発生した衝撃が風を起こして巻き上げ、天へと昇る空気の塊となる。

 弾丸のごとき上昇気流はどこまでも空気を貫き、ついには雲に風穴をあけた。


 厚く重なった雲にできた穴は広がり、陽光を塞ぐ空のカーテンは開かれる。

 曇天は晴天へ変わり、日の光が竜司とトゥエルブを照らした。


 そして明るい光の中、遂にトゥエルブは異常なまでの霊力を失い、黒い体は光へと溶けてゆく。


 竜司の天穿は、トゥエルブの全ての霊核を機能停止させることに成功したようだ。

 人の形を模した影は、風にさらわれる雪のように少しずつ消えていき、徐々に霊核が露わになる。


 トゥエルブの姿が消えた瞬間、竜司の眼前には十二個の霊核があった。


 ビー玉にしか見えない小さな球体、それが霊体の心臓、霊核である。

 見た目は少し陳腐かもしれないが、日光を浴びた十二個の霊核は心なしか嬉しそうで、キラキラと輝いているようにも見える。


 それらは現世に縛り付けられていた怨念から解放され、遠く上空へと旅立ってゆく。


 これが悪霊の成仏する光景だ。

 怨念という檻から解き放たれ、霊核が空へ消えてゆく。


 現世へと縛り付けているのは怨念に染まった黒い霊力そのもの。ゆえに霊体を構成するそれを全て失えば、魂である霊核は自然と昇天する。


 彼ら彼女らがその後に出会うのが閻魔なのか、はたまた死を司る神様なのかはわからない。竜司の霊眼がそこまで見えるわけもない。


 けれどわかることが一つだけある。

 それは十二人のたましいがあるべき場所へと還ることができた、ということ。


 もう彼らは誰も恨まなくていい。もう呪わなくていい。

 なりたいと願ったわけでもない悪霊であり続ける苦痛を、もう味わわなくていい。


 願わくばその先に幸福があらんことを。


 怒りをぶつけてしまったことは申し訳なく思うが、トゥエルブも翔太を泣かせたのだからおあいこだ。

 なんて、誰にも問い詰められていないのに、心の中で言い訳をしつつ竜司はほっと息を吐く。


「よ〜し終わったぁ〜〜……」

 少々間延びした声を出し、肩の力を抜く。

 一瞬も気を抜けない戦いは終わりを告げて、祝福するように降り注ぐ陽光は少し眩しい。


 張り詰めていた緊張の糸を緩ませながら、離れたところで座っている親友に歩み寄る。

「よぉ翔太、しっかり見てたか?」

 竜司はニカッと笑ってみせる。


 すると翔太は柔らかな笑みを浮かべて、

「うん……! カッコ良かったよ、竜司……!」

 と返事をする。


「お、おう……」

 ただの会話であればここで軽口の一つや二つ交わすところだが、死を覚悟するほど怖い思いをしたせいだろうか、やけに素直な反応だ。


 まあ確かに、あれほど泣いた後にすぐいつも通りに戻れるなら誰も苦労はしない。この状況で普段の態度を要求するのは、少しばかり酷なことだ。

 今は翔太が安心して笑っていることに満足すべきか。


 しかしそうは言っても友人には早く元気になってもらいたいのもまた事実。

(なにか翔太を元気付けるようなこと……あっ)


 思い立ったが吉日、竜司はすぐに翔太に声をかける。

「なあ翔太、ちょっとついてきてくれるか?」


「いいけど、どこに行くの?」

 いきなり行動を始める竜司に、至極当然の疑問を投げかける翔太。

 答えはニヤリとした笑顔と共に返ってくる。


「どこに行くっつうか、噂の真相を確かめに行くっつうか……まあ着いてからのお楽しみってやつだ」


 竜司は歩く、噂好きな友人を連れて。

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