第十九話 傭兵団の子

「んー。むずかしいな」


 眠りから覚めて夕食を食べ、風呂に入って、そうして一人の時間になればウィルはそう唸りながら机に向かう。

 魔道具の明かりが淡く灯す部屋の中で、ウィルはペンを片手に悩んでいた。


「どうしたのだごしゅじん……?」

「んー。ちょっとね。お手紙を」

「ぷる?」


 その言葉に首を傾げたイムは、ひょいっと背後から覗き込む。

 まだ練習途中の汚い字で書かれていたそれに、イムは目を見開いた。


「えっ。これって」

「うん。そう」

「ぷる……」


 イムはとても悲しそうな目でウィルを見た。


「イムはごしゅじんとずっと一緒。でも、これはだめだと思う」

「イム?」

「それは、約束と違う!」


 捻り出すように、イムは言った。どこか鬼気迫る顔でウィルの肩を掴む。


「やくそく? やくそくってなに?」

「それは……何だろ。でも、とても大切なもの。その、はず」


 イムは約束と言った。そして今のウィルの行動は、約束と違うと。しかしその約束が何なのかイムは理解していなかった。そんなイムの言葉に、ウィルは首を振る。


「もう、決めたんだ」

「ごしゅじん……」

「今日は、召喚しない」

「ぷるー……」


 その言葉と共に、イムは消える。最後まで悲しげなその瞳に心を痛めながら、ウィルはイムを送還した。眷属を送還するのは久しぶりで、少しガランとした部屋に寂しさも募る。


「……俺も、一端送還された方がいいか?」

「コブロ……うん」


 部屋の隅で目をつぶって立っていたコブロは、片目だけ開けてそう言った。


「はぁ。ウィルが馬鹿なことを考えているのはわかる」

「ばかってなに」

「大人にでも叱ってもらえ。俺は寝る」


 溜め息混じりにそう言うと、コブロの姿は泡のように消えた。

 ウィルが送還する前に、自主的に帰って行ったらしい。

 眷属達が待機する異空間へと帰って行ったイム達。誰もいなくなった部屋で、ウィルはまた机に向かった。


「お手紙……むずかしいな」


 そう言いながら、必死にペンを走らせた。



 ◇



 夜九時。寝る時間だ。しかし窓辺から外を見ながら、ウィルは何かを待っていた。

 ベッドは綺麗に整えられ、そこで眠る気がないかのよう。部屋の隅に置かれた背負い袋以外、私物が一切ないのも違和感だ。そんな場所でウィルはただ待ち続けた。


「そろそろ、かな」


 壁にかけられた時計は、シルクがプレゼントしてくれたもの。それは夜の十二時を指していた。

 この時間であれば副団長が眠りにつき、屋敷は完全に寝静まる。

 そうなって初めて、ウィルは立ち上がった。


「よし」


 小さく呟くと、リュックを背負って外に出る。

 いつもの廊下。掃除したので綺麗であるが、今後もこれを維持できるのか。それは課題だ。

 足音は一切立てない。少しでも物音がすれば、屋敷の者が全員起きて侵入者狩りを始めるためだ。


 この歩行術は、先日ニャルコに教わったもの。

 そんな技術を駆使して屋敷を脱け出し、ウィルは庭に出た。ここまでくればもう大丈夫だ。

 足音を立てず、されど素早く走り出す。そして門の所までたどり着いたら、小さくウィルは呟いた。


「さようなら……」


 ウィルは、この屋敷を出て行くところだった。

 誰にも言わず、たった一人で。そうしなければ、引き留められるから。


 優しい彼らは、ウィルの存在がリスクであると知っても置いてくれるだろう。だがそれでは駄目だ。

 彼らの優しさに甘えて、《激獣傭兵団》の弱点となるのは許されることではない。


「今まで、ありがとう」


 この数ヶ月間、ウィルはいろいろなものを与えてもらった。特に魔法の技術。これがあれば、一人でだって生きていける。だから、感謝と共に出て行くのだ。

 しかし――。



「――何がありがとうだ馬鹿」



 門を潜ればベゴニアがいた。仁王立ちし、寒空の下ウィルを睨む。

 それにウィルはビクっと体を震わせながら、ベゴニアを見つめた。


「っ、なんで」

「お前のことなんてお見通しだよ」


 数ヶ月程度の関係であるが、ベゴニアには全部見抜かれていた。

 ウィルがこういう行動を取ることぐらい、わかっていたのだろう。


「大方迷惑をかけたから出て行きますってことだろ?」

「うん。ぼくが弱くて、さらわれて、めいわくかけた。ごめん」


 呆気なく攫われ、《激獣傭兵団》を滅ぼすための人質とされた。

 自分のせいだと、ウィルは自責する。

 この優しい人達の弱点になるなど許されることではない。故にこうした行動を取ったのだ。


「お前ってさ。とんでもねー馬鹿かもしれねえな」


 しかしベゴニアは、その行動を否定する。


「ばーか」

「あうっ」


 そして軽いデコピンが、ウィルの額に炸裂した。


「まだ幼児のくせに迷惑かけたとか、馬鹿なこと言うなよ! お前まだ五歳とかだろ? 迷惑かける歳じゃん。存分に迷惑かけても何も言われない歳じゃん!」

「でもっ!」

「でもじゃなーい! まだ子供なんだから、存分にわがままを言えと言っただろ? それなのに俺達の世話までして。俺は大人であるということが恥ずかしくて仕方がない」

「それはただの恩返し。気にしないで」

「気にするわっ! 五歳だろ!? 五歳の子供に身の回りの世話してもらってるとか、恥ずかしすぎてお天道様に顔向けでできんわ!」


 それは屋敷のみんなが漏れなく感じていることだ。ウィルが家事をし始めてからいろいろと楽になった。

 しかし同時に羞恥心も抱くようになった。最強の傭兵団が五歳児にお世話になっているなど、恥以外の何物でもない。


「迷惑かけた? かけてねえよ。俺達の過去の因縁に巻き込んで、こっちがお前に迷惑かけたんだよ」

「でも、ぼく、弱くて。さらわれて、人質になって……」

「五歳の子供を守れなかった俺達が全部悪い。子供が責任なんて感じんな!」


 ベゴニアはそう叫ぶと、膝を突く。そしてウィルと同じ目線になって、その頭を撫でてくれた。


「ごめんな。怖い思いさせた。ちゃんと、守ってやれなかったな」

「ち、ちがうよ! ぼくが、ゆだんしたの。もっと気をつけたら」

「俺達のために、お使い行ってくれたんだろ。なら五歳の子供に行かせた俺達が悪い」


 五歳児ではありえないほど賢くて優秀だから、ついつい大人のように扱ってしまう。

 だがやはり駄目だった。五歳の子供なら、大人がちゃんと見ていないといけないのに。


「それにな、お前の迷惑は、迷惑の内に入らない」

「えっ?」

「シャルノアなんて迷惑かけすぎて副団長を寝込ませているし、俺やシルクだってそう。一見大人しいニャルコも、常識人っぽいウァードックすらもだ。お前が一番、迷惑かけてないんだよ!」

「っ!?」


 そしてベゴニアから語られた名だたる実績に、ウィルは驚愕した。そして副団長が可哀想すぎて、心の中で同情する。


「お前が出て行くとさ、副団長が泣くぜ。シルクだって塞ぎ込む」

「それは……」


 多分そうだろう。とても優しい人達だ。


「ぼくは、ここにいて、いいの?」

「もちろんだ。お前はもう、俺達の仲間なんだから」

「なか、ま……」

「いや、家族だな。傭兵団はみんな家族。それぐらい強い絆で結ばれてんだ」


 その言葉は、ストンとウィルの胸に落ちてきた。だってそれが、一番求めていたものなのだから。

 老人の下で生きていた頃から、愛してくれる家族を探していた。

 だが本当の家族はおらず、幸せなど見つかるはずがないと思っていた。

 しかし、ここにある。血は繋がっていなくても、家族と呼べるほどの絆が。


「何だ。泣いてんのか」

「あ、うぅ……ぼくは。その。うれしくて。なんか」

「っと。よしよし。まあ、存分に泣けばいい」


 なぜか涙が止まらなかった。なぜか泣くほどに嬉しかった。

 枯れることなく無限に湧くかのように、ウィルは涙を流し続けた。


「ぼく、みんなといっしょにいたい!」

「ああ。俺達もさ。もうお前は、うちの子なんだから」


 その日はとても寒かった。けれども心はとても温かい。

 抱きしめてくれたベゴニアの愛に、ウィルの涙が枯れることはなかった。




 ――第一章[完]    

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る