3-8

8 ポーラ


 議事堂の周囲は衛士たちの厳重な警戒下にある。物陰からそのようすを眺めて、ポーラとバランはこれからについて話し合う。

「このまま通過することはできないかしら」

「無理でしょうね。カルラビエが警戒していないはずがありません。衛士の制服を着ている私はともかく、ポーラ様が通過することは無理でしょう」

「うーん、夜じゃないから魔法も使えないし……」

 議事堂はもう眼の前にあるというのに、その距離があまりにも遠い。ポーラはこの状況に既視感を感じていた。そうだ。官邸を抜け出して夜の公園に行こうとしていたとき。あのときもちょうどこんなふうに頭を悩ませていたっけ。でも今はあのときと違う。事態はもっと深刻で、世界の命運がかかってる……。

「そうよ! あのときと同じじゃないんだわ」

 ポーラの頭の中にひとつの案が浮かぶ。きっと自分とバランなら、上手くできるはず。

「バラン。あなた、わたしのことを信じているわよね」

「えっ。何をそんな……」

「バランなら一度に五人くらい相手できるでしょう?」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」

「それに今、あなたは丸腰でしょう? 衛士隊の規則では丸腰の相手──それも同僚を傷つけることはしないはずよ」

「それは通常時の話ですから……」

「みんなの命がかかってるのよ。やるの? やらないの?」

「……命令ですか?」

 バランは呆れたようにポーラの表情を伺う。ポーラだってもっと良い方法があるならそうする。だが、今はこうするしかない。命の危険をかけるのはバランだけじゃない。ポーラだって同じだ。

 ポラロロアーナは王族だ。皆を導くのがその使命だ。命令するのではなく、その気にさせる。それがわたしの役割だ。

「命令じゃないわ。お願いよ。バラン。世界の平和のために、命をかけて」

 バランは逡巡していたが、しかし最終的には自分の使命に従うことを選んだ。かれもまた誇り高き忠誠の士なのだから。

「あなたが注意をひきつけている間、わたしは議事堂の内部に侵入する。あなたも時間を稼いだら離脱して。きっとテオンたちが遅れてくるはずだから……」

「さて、そこまでできるかどうかはわかりませんが」バランは拳を握った。「できるところまでやってみましょう」


 バランが正面玄関に向かって駆け出していく。門を守る衛兵たちに話しかけ、そして口論になる。無理に押し通ろうとするバランを衛兵が押し戻す。その隙を使って、バランは衛兵の伸ばされた手を掴み背負投げを食らわせる。

 もうひとりの衛兵が呼び笛を鳴らして、他の戸口で待機していた衛士たちが集まってくる。無数の衛士に囲まれながらも、バランは孤軍奮闘を続けているようで、技を決められた兵士たちの悲鳴が続きざまに聴こえてくる。

 さすがの手捌きだが、じっと見ているわけにもいかない。ポーラはバランの奮闘を横目にしつつ、議事堂の内部へとするりと入っていった。幸いこちらに気づいている者はいない。こういうときは小柄な身体が役に立つ。

 入って正面は吹き抜けになっており、正面に伸びる階段と左右の廊下に道が分かれている。顔が映り込むほど磨かれた大理石の床で、うっかり足が滑りそうになる。落ち着くのよ、ポーラ。自分に云い聞かせる。議事堂には数えるほどしか来たことがないけれど……でもきっと会談が行われているのはあそこだ。

 六十年前の停戦合意が行われた、最上階の会議室。

 神話になぞらえてこの舞台を用意したマリウスのことだ。停戦合意の現場を再現するという誘惑に耐えられるはずがない。ポーラは正面階段をひたすら登り、最上階を目指す。議事堂の最奥部へと。

 着いたらまず、その場にいる全員に状況を説明しよう。マリウスの正体と、そして国王陛下たちがかれに洗脳されているであろうこと。皇太子殿下とエヌッラ大使の命が危ないということ……。

 だが、ポーラが説明したところでなんとかなるだろうか。マリウスの影響力がどこまで伸びているかはわからない。もしかしたらすでに大使や皇太子も含めてグルになっているという可能性はないか……?

 いや。さすがにティエンシャンの皇太子がマリウスの関係者という可能性は薄い。皇太子がイストラリアンに来たのもかなり珍しいことだし。エヌッラ大使の方は……わからない。ポーラとも何度か会ったことがあるくらいだから、マリウスの関係者という可能性も考えるべきだろう。

 もしかして自分は敵だらけの陣地へ突っ込もうとしているのか?

 そんな迷いを抱きながらも階段を蹴る。いや、そうだとしてもあそこにはお母様がいるんだ。マリウスに囚われている。助けにいかないと!


 最上段まで上がるころにはすっかり息も上がって、腹がきゅるきゅると痛んだ。だけどここで止まるわけにはいかない。日食まであとちょっとだ。

 そう思って最上段に足を踏み込んだそのとき、眼の前に紫紺色の人影がぬっと現れた。

「お待ちしておりましたよ」

 やはり罠は張られていた。ここはすでに敵陣なのだ。そう思うころには時すでに遅く──

「ポラロロアーナお嬢様。あなたには特等席で見てもらいましょう。私の復讐の顛末を」

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