3 白峯先輩と鉄砲塚さんと私
どうも様子がおかしい……私がそう思ったのは果恵についてでなく、私への態度が異常な葵に対してだった。
一口に異常、と言っても色々な種類がある。例えば、葵の背中から羽根が生えて空を飛んでるだとか、口から火を吐き出した、とか、四つん這いで壁を這い出した、とか。
なんかもう例えが怪奇現象じみてるけど、私にとって、この異常さはそのどれよりも上回っている……しつこいようだが、葵が実は男だったとしてもここまでは驚くまい。実際男じゃないかとまだ疑ってるし。暴力的だしガサツだしね。
まあそれはそうとして、その異常事態の話だった。どうも脱線する癖は抜けないなあ……。
つまり、だ。なんとも驚くべき事に。
今日の葵は。
私に優しく接してくるのだ(ババーン!!)。
効果音付きで言ったところで、これがどれほどの異常事態なのか、私以外の人間には恐らく理解されないだろう。
しかし、私にとっては正に有為転変、驚天動地、摩訶不思議の理解不能な事態な訳で。今日世界が滅亡する余兆と言われてようやく納得するであろうレベルなのだ。
ともかく、今日の葵は私に対して優しい。普段なら私を苛める為ならどんな労力も惜しまない、なんなら労力を提供するから苛めさせてくれ、という程の子なのに。
「史緒、ホラ、お前が前から読みたがってた本、貸してやるから」
「昨日のノート、ちゃんと取っておいたからな。後で写しなよ」
「喉乾いてると思ってさ。桃ジュース、史緒の好物だったよな?」
休憩時間の度にやって来ては、一時が万事この調子だ……しかもノートに至っては、隣のクラスの葵は関係ないし。それ果恵が取ったやつでしょ。まあそこら辺は葵らしいけど。
う~ん、どう考えてもおかしい……これは昨日電話の時に私が想像していた通り、この葵はもはや葵とは違う生命体で、こっそり入れ替わってるのかもしれない……。
そいつは地球征服を企む、宇宙から飛来したなんかすっごいゲル状のドロドロした奴で、葵に侵入して内側から食べちゃって……ここにいるのは最早傀儡と化した外見だけ葵なのでは……。
も、もう私の知ってる葵はどこにも……うう……葵……。まあ今後苛められずに済むのだけは利点かな、その場合。
「……何ジロジロ見てんのよ?いいからお弁当食べなって」
「あ、う、うん……」
その得体のしれない謎の生物・佐久間葵に言われて、私は自分のお弁当の蓋を外した。
今はお昼休み。私と葵、そして果恵の三人は、季刊誌の打ち合わせも兼ねて、ここ、文化部棟四階にある文芸部室でお弁当を広げている。
テーブルを挟んで、対になったソファにはそれぞれ私と、向かって反対側には果恵と葵。
……そういえばこのお弁当にしてもおかしいのだ。私はいつもお母さんが作ってくれたもの、果恵は自らのお手製、葵は購買部のパン、っていうのがお決まりなのに……。
「史緒、エビフライやるよ。食べな」
「……うん……ありがと……。ね、これって葵が作ったの?お弁当全部?」
「当たり前だろ?あたしだってそりゃやる時はやるさ……ほい、唐揚げも食え」
やる時はやるって……これ全部冷凍食品じゃない……。そ、それでも葵が朝早く起きてお弁当を詰めてる姿って想像できないけど。
それにしても、なんか葵のお弁当、私の好物ばっかり詰まってるような……気のせいかな?
葵からもらったおかずを訝しみながらも食べる……これ食べたら私の中身もゲル状のドロドロ生物に乗っ取られて、とかいうSF展開は……ないよね?
「どうだ?美味いか?」
「え?うん、美味しいけど……葵は食べないの?私ばっかり食べてるけど……」
「あ、あたしはいいんだよ。えーとなんだ、その……そうそう、ダイエット中だからさ」
その言葉に思わず自分の耳を疑ってしまう。葵がダイエットおおおおおおおお!?
おかしい、やっぱりおかしすぎる……男兄弟に囲まれて苛烈なオヤツ争奪戦を経験して育ったからか、食べられるものは食べられる時にお腹いっぱい食べる、が彼女の信条だった筈なのに……。
これは私をドロドロ仲間にするんじゃなくて、太らせて頭からモグモグ……とか!?ひいいいいい!!
その想像に箸が止まってしまった私に、前に座った果恵が優しく話しかけてくる。
「ほら、史緒ちゃん、口の周りにソース付いてるわよ?」
「あ、ありがと」
「ほら、袖口で拭ったりしないで。はい、ティッシュ」
「ん、さすが果恵。用意いいね」
「まあね、そりゃあ……うう……ううう……」
果恵はそれなりにいつも通りなのにな。それでもやっぱり彼女も普段とは違うんだけど。なんかすぐに私を見てハンカチで目頭を押さえるし。
これはもしかしたらやっぱりあれなのかな?変なのは二人の(主に葵の)方だと思ってたけど、実は私に何か変化があったと考える方が妥当なのかもしれない。今更気付くのも遅いけど。
とはいってもなあ……昨日一日休んだくらいで、特に何かあった訳ではなし……超能力に目覚めてもいないし、実は古よりの魔王の血脈とも判明してないし、一夜にして大富豪になった訳でもない……筈。二人に優しくされる謂れは……。
後は……鉄砲塚さんが一方的に急接近してきた位よね。もしかして彼女が実は淫魔で、二人を洗脳して、ここからや、やらしい展開に!!とか?あ、それなら有り得そうな気もするわ。
「何難しい顔してるの?史緒ちゃん?」
「え?ああ、ちょっと考え事してて……」
「そ、そうだよな!史緒にだって考え込みたくなる時くらいあるよな!か、果恵、ちょっとはそういうの分かってやれって!」
「あ、ああ、そ、そうだったわ……わたしってば……ご、ごめんなさい……ううう……」
居辛いなあ、もう……。
なんだか知らないけど、二人が私に対して腫れ物に触るような謎の優しさを発揮してる事は分った。
かと言って、それが何か?という事に話を振ろうとした所で、今朝の果恵との会話のように何かはぐらかされてしまうのが関の山だし……むむむむ。
―――まあいいかあ。ここまで考えてなんだけど、優しくされる分には害も無いし。大体思い当たる節がないもんね。私の誕生日だってまだ先だし。
あっさり考察を放棄した私は、葵からもらった唐揚げを頬張りつつ、本題である季刊誌の編集の話に移った。
「それでね、掲載順なんだけど……本来なら新入生がトップを飾るのが習わしなんだけど、今回は白峯先輩からも寄稿して頂いたので、それを特別に最初に……」
「!!!」
「!!う……ううううう……」
?何よ?この反応?
「で、と。次に鉄砲塚さんの学園物を置いて、その次が円妙寺さん、と言いたいけど、バランスを取って、葵か私の作品をね」
「ふーん、いいんじゃない?」
「葵か史緒ちゃんなら、沙弥ちゃんの過激な作品からの口直しにはいいんじゃないかしら?わたしのだと暗くなるし」
?あれ?おかしいな……いつも通りだ。
「じゃあ、順番的にはトップバッターは白峯先輩ってのは決定でいいのね?」
「!!!そ、そう……だな……く…くく……」
「う……うう……なんて健気な……うううう」
な、何か反応があからさまに違い過ぎて、鈍いっていつもからかわれてる私でも掴めてきたわよ……。
テーブルをバン!と叩いて立ち上がると、私は正面に座った二人を睨みつけ、ビシッと指差す。気分はもう『犯人はお前だ!!』のノリよ。
見た目は子供、中身は部長!!名探偵、香坂史緒!!真実はいつも一つ!!
「二人とも……何か隠してるでしょ!?白峯先輩が絡んだ事で!!」
決まった……あとは二人が涙ながらに洗いざらい白状して、事件の再現、崖の上のクライマックス、それから感動のエンディングを迎えて、スタッフロールが流れ……。
と、サスペンス劇場の再現を頭の中で流してる私に、二人はきょとん、とした顔で返してくる。
「?いいや、別に?」
「白峯先輩の事で隠し事なんか何も……?」
あれれ?おかしいなあ……私の灰色の脳細胞はそう告げてるんだけど……???葵も果恵も何か隠してるようにも、とぼけてるようにも見えないし……。
疑問符を周囲にまき散らした私を見て、逆に今度は葵と果恵がお弁当をつつく箸を止め、怪訝な顔をし出す。
「……どうも普段通り過ぎて、変だな、とは薄々思ってたんだけど、史緒、お前……」
「史緒ちゃん、あなたもしかして何も聞いてないの……?」
「え?な、何をよ?」
ひょっとして、白峯先輩関係で、私の知らないうちに何か重大な事が起こってたんじゃ―――!!
そう考えが行き着いて、二人に聞き返そうとしたその時、間の悪い事に、ドアがまたしてもノックも無く開き、招かれざる訪問者が姿を現した。
ヒョコヒョコと揺れる猫の耳……もとい、ツーサイドアップ。そう、勿論鉄砲塚さんだ。なんかもうこの説明も簡略化しつつあるなあ。
うう……そ、それにしても、いつかはこういう時が来るとは思ってたけど、よもやこんなに早く葵達と鉄砲塚さんが遭遇するとは……!!もう嫌な予感しか……!!
「ブチョー!もー、先に食べてるなんてヒドイですよ!!せっかく愛情弁当用意してたんですケド!!」
私の嫌な予感をわざわざ的中させる事もないのに、開口一番にそう言うと、鉄砲塚さんはソファの私の隣に座り込んだ。い、今はやめて、鉄砲塚さん……!!
私の願いも空しく、彼女は手にしたバスケットを開け、私の首に両手を回して、サンドイッチをひと切れつまみ出すと、自らの口に咥えようとする。
「ハイ、ブチョー。愛情たっぷりおかかサンド、口移しでドーゾ」
「何よそれ、ね、猫まんま的な物!?い、いらないわよ!!しかも口移しって!!」
「いいじゃないですかあ。しかも、食べ終わったら、あたしとのキスのデザート付きなんですよ?コノ食べ方」
「ポッキーゲームか!!な、尚更いらない!!」
私と鉄砲塚さんのやり取りを、ぽかん、と呆けた表情で見守る葵と果恵。
一拍置いて、それが呆れ果てた表情に変わると、二人とも、ハア…、フウ…、と打ち合わせでもしていたかのように目を閉じて同時に溜息を付く。
ちちち違うのよ!!聞いて二人とも!!こ、これは成り行き上そうなってしまっただけで、け、決して私の意思では―――!!!
「何だよ……いつの間にか鉄砲塚とそういう関係になってたんだ……そりゃ大して落ち込んでない訳だよ」
「本当ね……こっちが気を遣ってたのが何か無駄だったみたい。史緒ちゃんってば案外薄情なのね」
?また意味深な発言を……?なんであたしが落ち込んでなきゃいけないの?そりゃ朝から鉄砲塚さんとの事で散々落ち込んだけど。それに薄情って……?
「ね、ねえ、まだ良く事態を把握出来てないんだけど!わ、私が休んだ昨日、何かあ――モガモガッ!!!」
「おかかサンドがダメなら、こっちはどーですか?コレマタ愛情たっぷりでしょ?」
「う、うえぇ……な、何これ……?」
「ブチョーに精力付けてもらおうと思って、ニラレバサンドですケド」
ニラレバって……うぇぇぇ……へ、変な食感と味……。そ、それにしても、さっきといい、な、なんでこの子はこう重要な話の腰を折る事に長けてるかな……。
それでもなんとか私の意思は伝わったらしく、葵が頭の後ろに腕を組みながら疲れたような口調で話し出した。
「何かって……あんたんとこにも行ってるんだろ?連絡。白峯先輩が上京するのが早まって、今日になったって」
葵の台詞のもたらした衝撃に、私の思考回路は火花を上げ、一気にショートしてしまった。
何……それ………?わ、私聞いてないよ、そんな事………だって……ゴールデンウィーク明けだって……。
どうして……?私と先輩は信頼で結ばれて……そう……先輩の書かれた作品の……『片翼の少女達』のように。
「昨日、ここに白峯さんが久しぶりに顔を出してね。史緒ちゃんがいないって言ったら、彼女にはもう見送りはいらないとも伝えてあるからって」
嘘……だ……私の携帯には何も……。
あまりにも呆然としてたからか、流石の鉄砲塚さんも変り種サンドイッチをそれ以上取り出す事はせず、心配そうに私の顔を見る。
「ブチョー?聞いてなかったんですかあ?あたしもリョーコに聞いて知ってましたケド」
「鉄砲塚さんまで……知ってたんだ……どうして教えてくれなかったの……?」
「え?だって知ってると思ってましたモン。だからあたしはてっきりもう―――」
「知らないよ……知ってたら……だって……」
駄目だ、身体が震える。目が潤む。なんで、私にだけ教えてくれなかったんですか……白峯先輩……。
―――けど、グっと歯を食いしばり、ニラレバサンドの残りを手元にあったお茶で一気に流し込むと、私はソファから(女の子だけど)雄々しく立ち上がった。
よし、パワー付いたわ!!こればかりは挫けてる訳には行かない!!もしかしたらまだ間に合うかもしれないんだ!!
思い出して、史緒!鉄砲塚さんの書いたヒロイン達を!!一見か弱そうで、芯の強かった……あなたはそのモデルなんだから!!!
「果恵!!白峯先輩が乗る新幹線は何時発!?」
「え……?た、確か、13時20分だったかしら……?」
果恵の答えを聞き、壁に掛かった時計を見る。―――今12時55分……新幹線の駅まで、走って行っても私の足じゃ間に合わないけど……!!
「葵、自転車通学だよね!鍵貸して!!」
「あ、ああ……いいけど……」
呆気に取られた葵が、スカートのポケットから出したキーホルダーの付いた自転車の鍵を、その手から奪うようにして受け取ると、私は部室を飛び出した。
走り出した私の背中、遥か後方から、鉄砲塚さんの呼び掛ける声がする。
「ブチョー!あたしも一緒に!白峯センパイにはあたしも言いたい事が――――」
「果恵!葵!鉄砲塚さんを押さえてて!!!」
ごめんね、鉄砲塚さん……でも、今は―――今回だけは、あなたに邪魔される訳には行かないの!!
階段を一気に駆け下り、上履きのまま駐輪場に向かうと、葵の自転車を探す。何度も一緒に帰ってるから、彼女の自転車はすぐに見つかった。
白峯先輩―――どうか間に合いますように―――。
お別れの言葉が言えなくても、一目見るだけでもいい、私は少しでもあなたの面影を心に残しておきたいんです!!
その願いを込めるようにして、私は自転車のペダルを踏み込んだ。
S市の新幹線の駅は、在来線とは少し離れた場所に建てられている、コンクリート製の二階建て。
なんでそうしたのか私は知らないけど、皆口々に不便だって言うんだって。けど、今の私にとっては好都合だった。
自転車を、まるでスライディングで横滑りするかのようにして路上に停めると、息を切らせつつ入場券を買い、ホームへの階段を一足飛びに走り上がった。
普段から在来線と離れてるせいで人の少ないこの駅なら、白峯先輩の姿もすぐ見つかるはず!!ホームの時計はまだ13時10分、お願い!!
私の思いが通じたのか、人気の少ないホームを見回す私の目に、見慣れた白峰先輩の……ううん、私服姿は初めてだけど―――一人で立つ後ろ姿が飛び込んできた。
「白峯先輩!!!」
私の声に少しだけ驚いたように身を震わせると、先輩はゆっくりと振り返り、いつもの様にひらひらと手を振った。
小さなバッグを足元に置いて、腰まである髪をポニーテールに纏めて、大きめの白いセータ―に白いジャケットを羽織り、ジーンズを履いている。
その姿は―――もう彼女が清潤の生徒じゃない事を改めて証明しているようで……胸が締め付けられるように哀しくなる。
私は最後の気力を振り絞り、もつれそうになる足を何とか交互に前に出して、先輩の傍に駆け寄った。
「どうした?まだ学校が終わるような時間ではないだろう?香坂くん」
「……どうした……は……私の…せ…台詞ですよ……」
暢気に世間話でもするような先輩の口調に、私は前かがみになって太腿に手を付き、息も絶え絶えになりながら答える。
先輩は口元に握った手をやると、それはそうだな、と言って軽く笑った。
必死に呼吸を整え、一度大きく深呼吸をして、伏せていた上半身を上げて先輩を見る。
何も変わらない、着てるもの以外はいつも通り。これからここを―――私たちの、私の元から離れていってしまうのに、まるで日帰り旅行にちょっと出掛けるだけのように。
何で、ですか?寂しくないんですか?
私はあなたの……片翼ではないんですか?
その質問をする代わりに、私の口から出たのは、恨みがましい言葉だけだった。
「……何故、現部長である私にだけ、何も言わずに行ってしまおうとしたんですか……」
「ん、結果論だね、それは。昨日文芸部には顔を出しに行ったんだが、香坂くんは居なかったからね」
「それは―――でも、連絡の付けようは幾らでもあった筈です!違いますか!?」
「いいや、違わない。ただ、君がもし私が予定より早く居なくなると知ったら、間違いなく見送りに来るだろう?今のように、だ」
「あ、当たり前じゃないですか!!それが何か問題なんですか!?」
「……問題だろう。只でさえ季刊誌の締切が迫ってるというのに。鉄砲塚くんの原稿や、それが片付いたとしても、君の原稿があるんじゃないのか?」
う―――と言葉に詰まってしまう。確かにその通りだ。何も言い返す事なんか出来はしない。
ジーンズの後ろのポケットに両手を入れ、私の心を見透かしたように、白峯先輩は優しい声で続ける。
「私はね、もう清潤の生徒でもないし、文芸部の部員でもない。昨日付けでね。そんな人間にかまけて、作業効率を落としてどうする?」
「……白峯先輩は、文芸部にとって大事な、元―――」
「現部長は君だ。それにね、今回の季刊誌はこないだ言った通り、私の最後の思い出でもある。中途半端にはされたくないんだ」
それは……そうですけど。
白峯先輩の言う事は、いつも通り的確で、正論ですけど……でも。
でも、正論だけで納得なんて出来ないですよ……だって私は、あなたの事がずっと――――。
私がどうしてもその言葉を口に出来ずに、先輩から視線を逸らした時、ホームのエスカレーターに一人、売店の袋を持った小さな少女が現れたのが見えた。
彼女はそのままとことこと私達に近づいてくると、先輩の左袖に掴まり、寄り添った。
「チヅル、お弁当買ってきたよ……この人は?お友達?」
「学校の後輩だよ。香坂くん、彼女は私の幼馴染でね」
軽い自己紹介をして、少女は私に会釈をした。何か……幼馴染って事だけど、先輩と同じ歳には見えないな。というか、本当に私より上?し、身長は私よりもあるけど……。
何と言って形容すればいいのか。まるで純粋無垢な美しい妖精のような、浮き世離れした、儚いって雰囲気の、先輩のジャケットと同じようなデザインの白いロングコートを着た長髪の少女。
初めて会った筈なのに……どうしてか、私は彼女を知っている気がする……。
「……実はね、上京が早まったのは、彼女の病状の事もあるんだ」
「病……状?」
「ああ。元々彼女も都内の大きな病院に移る予定でね。それが早まったので、今回私と一緒に上京する事になって……何分彼女のご両親はその……多忙でね」
多忙、という言葉に違和感を感じる。もしかしたらこの子も白峯先輩と同じように、何かご家庭に問題があるのかな?
さすがにそんな事を聞くわけには行かず、はい、と私は相槌を打つだけ。
―――けど、分かってしまった。
「……むしろ、私が上京する決意をしたのも、彼女が居てくれたからなんだ」
白峯先輩がジーンズのポケットから手を出し、彼女の髪を優しく指で梳く、慈しむような目で。少女もまた、白峯先輩に同じような視線を向けて。
―――彼女こそが……白峯先輩のもう一枚の翼だということが。
片翼の少女達―――それは信頼と信頼で結ばれた、私の提唱する、百合の理想的な形でもあって。
私は先輩との間にその関係を築けたと浮かれていたけど、そんなものは軽く吹き飛ばしてしまうような、心からの繋がり、心からの支え合い。二枚で一対、深い深い信頼関係という名の翼。
それがきっと、先輩と少女の背中にはあるのだ。
私は結局……そんな所まではとても行き着けなかった。
一年間ちょっとと、十七年の歳月じゃ、その月日の長さと重さには差が有りすぎるけれど、私が先輩の幼馴染でも、ここまでの関係にはなれなかった、と思う。
その想像に握りつぶされるような胸の痛みを必死で堪え、今にも泣き出しそうになりながらも、私は何とか笑った形に両頬を持ち上げようとした。
笑って、先輩を見送らなきゃ。だって、それでも私は先輩が理想で、憧れで、信頼してて、そして……いつまでだって、好きな人だから―――。
いつの日かまた、会えるって信じて……お別れの、じゃなくて、再会の約束の言葉を言おう。
「そうですか……先輩、お元気で。また必ず会える事を信じてます……私、先輩の事絶対に忘れ――――」
「――――……忘れてもらわなきゃ……困るんですケド!!!!!」
私の言葉を遮るように、彼女の……鉄砲塚さんの声がホームに響いた。
驚いて振り返った私の前には、さっきまでの私のように、息も上がって、肩を大きく上下させる鉄砲塚さんの姿が。
しかも何かボロボロ……髪は逆立ってるわ、制服のあちこち破れてるわ……強引に葵と果恵を振り切ってきたのがよく分かるわ……靴も片っぽ脱げてるし。
「鉄砲塚さ―――も、もしかして、走って来たの!?」
「つか……あたしこれでも……陸上で全国狙えるってお墨付き……もらった事……あるん……で……すケド」
ああ、そういえば運動も優秀なのよね。文芸部に入ってるのが本当に不思議だわ、この子……。
そんな私の疑問はともかく、鉄砲塚さんはフラつきながらも、私の前へと立った。まるで白峯先輩の前に立ち塞がるように。
燃えるような色の髪の鉄砲塚さんと、涼やかな態度を崩さない白峰先輩。円妙寺さんと鉄砲塚さんが『陰と陽』なら、この二人は『氷と炎』って感じがする。
鉄砲塚さんは145センチの私より20センチは背が高いけど、白峯先輩はさらに少しだけ大きくて。小さな私から見たら、二人が並び立つのはちょっとした迫力があった。
先輩は腕組みして、鉄砲塚さんの惨状を眺めると、口元に手をやって、クク、と笑った。
「―――鉄砲塚くんか。本当に君は興味深い……一度ゆっくり話したかったな」
「……あたしは別に話したくなかったんですケド……どうしても言っておきたい事があってワザワザ来ました」
「ふうん、じゃあ聞いておこうか。餞別代わりに受け取っておくよ」
「……スカシてんじゃねーゾ……センパイ……」
鉄砲塚さんの敵愾心剥き出しの乱暴な口調に、聞いてる私が、思わず、ひ!、と声を上げてしまいそうになってしまう。
て、鉄砲塚さん!!し、白峯先輩になんて事―――!!ま、前の……き、キスの時もそうだったけど……どうしてこう白峯先輩が絡むと豹変するの……?まあ豹も猫科ではあるけど……。
さすがに怒り出すんじゃ……と白峯先輩を鉄砲塚さんの背後から盗み見るけど……そんな気配は微塵もなく、変わらぬ様子で静かに笑っている。
「ふふ、生憎だけど、こういった対応以外は知らなくてね。気に障ったなら申し訳ない」
「つか……その対応ってのには言い訳ジョーズ、って事も含まれてるみたいですね」
「私自身、言い訳が上手いと思ったことは一度もないがね」
「じゃあ、勝ち逃げみたいなマネすんのヤめてもらえませんか、センパイ」
どういう意味かな?と首を捻る白峯先輩。幼馴染みの少女は、怖がって先輩の背後に隠れてしまっている。
顔は見えないけど、その少女の反応と、押し殺したような声の調子で分かる―――鉄砲塚さんはきっと今、鬼気迫る形相をしているのだろう。
「トボけんのもヤめて下さい。つか、ブチョーのキモチ知らなかったとか、流石に有り得ないっしょ」
え……?て、鉄砲塚さん……?それって……私の白峯先輩への想いを……知ってるって事?
思わず耳を疑ってしまう。入学してからの友達の葵と果恵ならともかく、なんで鉄砲塚さんがそれを……?
鉄砲塚さんの挑発的な口調に、あくまでもクールな態度を崩さす、諦めたように肩を竦めて白峯先輩は答える。
「……知ってたとして、それでどうする?私には彼女に対して答えを出してあげる事など出来ない」
「イヤ、出せるっしょ。さっきのブチョーの挨拶からして、お得意の言い訳で切り抜けたみたいですケド?」
「……要点を言ってくれないかな?そろそろ列車が着く頃だ。長話は避けたい」
「ショージキ、あたしは知らないうちに、センパイがブチョーの想いにもうケリ付けたんだと思ってました……」
鉄砲塚さんが一度、息を吸い込む。火をさらに燃え立たせる為に空気を吹き込むように、大きく。
「―――そうでないなら、ちゃんとブチョーにトドメ刺してあげてから行ってくれません?」
――――ト…ドメ……?
私の頭の中に警鐘が鳴り響く。それ以上喋らないで。私が必死に目を背けてるのに、それを突きつけようとしないで、鉄砲塚さん!!
彼女の言葉をこれ以上聞きたくなんてないのに―――私の身体は金縛りにあってしまったように指一本動かなくて。
この鉄砲塚さんの発言に、白峯先輩の顔からも静かな微笑みが消えた。
代わりに眉間に皺を寄せ、その切れ長の目に強い光が宿る―――冷たく光った日本刀の刃の様に。
「……そうしたらどうなるというのかな?ただ無為に香坂くんが傷付く事になるだけだろう?」
「むしろそーじゃなきゃ困ります。ブチョー、このままじゃセンパイの影に捕まって、一歩も踏み出せなくなりますモン」
「……世の中には、時間や距離が解決する事、というのもあるよ」
「ブチョーの性格知ってるっしょ?この人そんなのカンケー無く想い続けますよ。ドンカンだし。例えセンパイに恋人がいても―――今までみたいに」
やめてよ。
私の事なんか何も知らない癖に。この間入って来たばかりの、新入部員の癖に。
あなたの書いた作品の私だって……本当は私じゃない。あなたの理想の押しつけじゃないの。
もうこれ以上、私と白峯先輩の間に割って入るのはやめ―――。
「センパイが、文芸部からもガッコからも、この町からも消えるってんなら、ブチョーの中からも綺麗サッパリ消えてなくなって欲しいんで……」
一旦、鉄砲塚さんがそこで言葉を切る。
そしてゆっくり、青い炎を思わせる、静かで、それでいて強い口調で。
「―――ホントはブチョーの事なんか、ちっとも興味ないし、好きじゃないって、ハッキリ言ってあげて下さい」
それは―――私が、一番聞きたくなかった事で―――本当は、誰より知っていた事だ。
だから、告白できなくて、先輩の答えを聞かなくてうやむやに出来て、安心した部分もあったのに。
なのに―――何で関係無いこの子が―――鉄砲塚さんが、それを言ってしまうの?
その言葉を聞いた瞬間、私は彼女の前に回り込んでいた。
無意識に私の右手が上がり、降り下ろされる。一瞬の事なのに、その一連の動作はまるでスローモーションのように感じられて。
そして、掌に走る衝撃と、ホームに鳴り響く、パン!という渇いた音。
「――――あんたなんか……大っ嫌い……!!」
私は昔から泣き虫って呼ばれてて、実際、高校生になった今でも、何かあるとすぐに泣いてしまう。
けど、人を―――女の子を泣かしてしまったのは、多分今日が初めてだ。
鉄砲塚さんの大きな瞳に溢れ出す涙を見ながら、私はぼんやりそんな事を考えていた。
第二章 「片翼の少女達 白峯千都流」―完―
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