旦那たちの愛を見届けろ/16

 光命の声で気づくと、独健の視界は真っ暗だった。閉じてしまったまぶた。さっと瞳を開け、妄想を振り切るようにごくり生唾を飲み、


「わっ、わかった……」


 鍵盤を弾こうとしたが、もう限界だった。


(ドキドキして、手が震えるっ!?)


 光命は自分の手のひらから、このはつらつとした夫の手が、小刻みに震えているのを感じ取り、優雅に微笑んでチェックメイト――


(ずいぶん困っているみたいです――)


 とうとう耐えきれなくなって、光命はくすくす笑い出し、


「…………」 


 それきり何も言えなくなって、神経質な手の甲を中性的な唇につけて、彼なりの大爆笑を始めた。


 恥ずかしさもドキドキも一瞬にして消え去って、独健は後ろにパッと振り返り、


「あ、お前、わざとやってるだろう?」

「えぇ」


 優雅なうなずきがピアノの弦に混じると、独健の屋敷中に響くような怒鳴り声が炸裂した。


「このエロ悪戯夫っっ!!」

「ありがとうございます」


 この優雅な王子夫ときたら、なぜかお礼を言うのだ。嘘でも何でもなく、本気で述べてくるのである。即行、独健からツッコミ。


「だから、褒めてない!」


 光命は思う――


 夫たちの中では、自身は若く経験も知識も少ない。夫夫だからこそ、対等に愛したいと、それがルールであり、決まりだから守らなければいけない。


 夫たちの言動をデータとして頭にしまう日々。可能性を導き出しては、予測と違うことをしてくる。愛そうと思っても、逆に愛されるばかり。


 それでも諦めず、冷静に対処しようとする。だが、追いつかず、何度も倒れた。愛したいと願うのに倒れてしまう。自身の望んでいる方向とは正反対、迷惑をかける方向へと結果はたどり着いてしまう。


 それならば、可能性の導き出し方が間違っているのだ。そうして、新しいルールを見つけた。この優しい男に自分は今のように悪戯をして甘える。そんな愛し方もあるのではないかと。自分らしくいることが、愛を返す方法ではないのかと。


 だからこそ、今のように罠を仕掛けて、くすくす笑う。子供じみた快楽に身を投じても、許してくれるこの男の愛の中で自分は幸せに生きている。


 いつも夫たちのデータを収集しているからこそ、この男がどれほど優しくて、人に気を使っているのか知っている――


 くすくす笑うのをやめて、光命は甘く囁いた。


「愛していますよ――」

「あっ! そうか……。それを言うために近づいたのか」


 若草色の瞳は優しさ色に染まった。


 独健は思う――


 この男は全て覚えていると言う。日常生活でもそうなのだ。専門分野の音楽など、曲を一度聞けば、全ての音を楽譜として、頭の中へしまってしまう。


 全てが数字。頬を横切る風も匂いも数字だ。曖昧さがどこにもない。その感覚は自分にはわからない。


 十五年間、同性を愛するという、ルールからはずれた日々の中で一人きり、猜疑心、羞恥心、自己嫌悪……様々な感情に足元を何度もすくわれそうになっただろう。


 自分がもし、同じ立場に立たされたら、耐えられなかったかもしれない。その日々の痛みも何もかも、今でもついさっきのように鮮明に覚えているのだろう。


 それならば、今から笑顔の毎日を過ごせるようにしてやればいい。冷たい優雅な笑みではなく、陽だまりみたいな優しい笑みになればいい。


 この男が笑うのなら、自分は罠にでも悪戯にでもはまってやる――


 独健の体は後ろにねじられ、


「ん〜、俺も好きだ」


 光命の細い腰を自分へと引き寄せた。甘くスパイシーな香水のついた内手首は、独健の頬を上へと持ち上げ、ふたつの唇はピアノの黒の前で出会ってしまった。


 ――悪戯と優しさのキス。


    *


 颯茄のベルベットブーツは、未だに最後の二人を見つけることができず、何度も同じ廊下を行ったり来たりしていた。


「どこにもいない……」


 どこかずれている妻の脳裏で、ピカンと電球がついた。パッとハイテンションに右手を斜めにかかげて、できるだけまだら模様の声で言った。


「こんな時は! デジタル思考回路、使っちゃ〜う!」


 感情だけで突っ走るのはやめて、事実を可能性からはじき出す。光命と独健の居場所を。


 そして、今度はあごに人差し指を当てて、できるだけ優雅に微笑んだ。


「自分で確認していないことは決めつけない。可能性が0.01%でもあるならば、勝手に切り捨ててはいけない。ということで、ピアノの部屋であるという可能性がある!」


 さっと瞬間移動をして、ドアはもちろんノックせず、そうっと扉を中へ入れた。


「ん〜〜? いたっ!」


 妻は見てしまった――


 紺の髪とピンクのストールで隠れていてよく見えないが、座っている独健の足と立っている光命。そばにいるのに話してもいない。動きもしない。ということは……。


「あぁっ! 光さんと独健さんが……。お取り込み中……」 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る