ひきこもりの僕が国土交通省に就職しました。URAサービスって何をする部署ですか? まさか命の危険はありませんよね?

まちかり

第一章・闇に咲く花

第1話・僕=自宅警備員

 夏独特の蒸し暑さを感じて目を覚ます。


 ソファーに横たわったまま、握ったままのスマホを持ち上げて画面をタッチ。時計は二十三時三十分と表示されている。『まだ起きるには早かったか』と思ってもう一度寝ようとすると、玄関のチャイムが鳴り響いた。慌てて立ち上がり、キッチン横に設置された昔ながらの、黄ばんだ電話型のインターホンに取り付き応答する。


「……はい」

「イレブンヘヴンの食品宅配サービスです。商品をお届けに上がりました」


 団地内にあるコンビニに注文した、食事の宅配サービスだ。言葉遣いは丁寧だが、若干のいらだちが伝わってくる。僕は慌ててパジャマ代わりのTシャツと短パンを脱いで、別のTシャツとジーパンに着替える。よれよれで色褪せた様子はパジャマ代わりの物と何ら変わりはないが、他人に眉を潜ませるようなことはないはずだ。


 灰色の目立たないヨットパーカーを羽織り、フードを頭に深くかぶって、相手の顔を直接見ないようにする。財布を右後ろのポケットに突っ込み、スマホを左後ろのポケットに突っ込んで玄関に向かう。


 覗き穴から外を確認すると、いつも来る若いアンちゃんではなく年配のおっちゃんがイレブンヘヴンの制服を着て荷物を持って立っている。僕は怪訝に思いながらも、古びたターンタイプのカギを開け、最近見ることのない丸いドアノブを回してゆっくりとドアを開く。わずかに開いた隙間から外の様子を伺う。


「商品をお届けに参りました」


 伝票を差し出し、いらだちを隠さないおっちゃんが僕を怪訝そうに眺めているのが判る。どうせ考えているのは『こんな若い男が食事の宅配サービスを依頼するなんて、どういうことだ?』なんてトコだろうが気にしないでくれ。こっちは一年以上自宅警備中、世の言うところの〝引き篭もり〟だ。


 扉を開き、おっちゃんの目をまともに見ないように伝票を受け取り、いつものように切り離された受領書にサインをする。その間におっちゃんは荷物を玄関に降ろすと、動きを止めた。独り暮らし男子の薄暗い部屋の中に満ちる、生活の臭いに気が付いたのだろう。異質なものを見るような目つきで、こちらを眺めているのが判る。そんなことは毎度の事で、今さら腹を立てることでもない。


 それよりも僕は、指定した届け時間の二十四時よりも三十分も早く届けに来たことに頭に来ていた。怒りを強く感じた僕はサインした受取伝票を返しながら、精一杯きつい視線でおっちゃんを睨み、「…………」と無言で精一杯の抗議の念を送る。


 怒りが通じたようで、おっちゃんはすまなそうな顔をすると、「バイトが辞めちゃいましてねぇ、この時間帯に配達できるのが店長の私だけなんですよ」とこっちが聞きもしないのに、話しかけてくる。気にはなったけど聞きたかないんだよ、話しかけてくんな。


「なんでもね、夜勤明けにこの団地で幽霊を見たんだって言うんですよ。帰り道の植え込みから手招きしてたっていうんです。1回だけならいいけれど何回も見たって言って、気味が悪いから辞めるって……。まったく、このデジタルの時代に幽霊でバイト辞めちゃうなんてどうかしてると思いませんか?」


 愚痴をこぼす相手がいないのか? 悪いけど僕にその役は全く向いていないよ。家で奥さんにでも聞いてもらえ。


「どう思います? 幽霊なんていると思います?」

「……わかりません」


 僕はイライラしながら、ボソリと呟くように答えた。店長は話し相手を間違えた感を顔中に露わにして言う。


「まあ配達時間が多少前後しましたことはお詫びします。なるべく時間通りに来るよう努力しますので、勘弁してください」とまるで誠意のない文面通りの言い訳をする。


「……わかりました」


 頭に来た僕は、精一杯落胆した様子で返事をする。店長は、僕が納得してくれたと勘違いをしたようで何のためらいもなく踵を返し、もう古くなって色褪せたコンクリートの階段をだるそうに下りて行った。


 僕は帰っていく店長の後姿を恨めしそうに見つめ、何か罵声を浴びせてやろうかと思ったが、音を立てないよう滑るように中に戻り静かにドアを閉めて鍵をかけた。


 馴れ馴れしく話しかけやがって! いったい何様のつもりだ? こっちは余計なエネルギーは使いたくないんだよ、黙って渡してくれればいいんだ!


 …………。


 止めよう、怒る方が余計エネルギーを使う。取り敢えず届けられたものを整理しよう。僕は荷物を持ち上げ、薄暗い部屋の中をキッチンへ向かった。キッチンで梱包箱を開いて中身を確認する。


 三日分の弁当とカップラーメン、缶詰にミナラルウォーターなどがいつもと同じようにちゃんと梱包されて収まっている。弁当の賞味期限は若干過ぎてしまうが、クレームを恐れて短めに設定してあるので大丈夫だ。今まで体調が悪くなったことはない。


 ミネラルウオーターは水道水と半分に割れば2.5リットルが二本もあれば十分持つ。老朽化の進んだ団地の上水漕の水はまずくなる一方だが、水は結構高価だ。我慢出来ることは我慢する。冷蔵庫や納戸に食料を片付けて、今日の夕飯としてカツカレーを電子レンジに放り込み、タイマーを指定された時間プラス十秒にしてスタートボタンを押す。電子レンジがマイクロウエーブで必死にカツカレーを揺らして温めている間、さっきの店長の反応が気になった。この部屋が異様な気配に満ちているかのようなあの反応……やっぱり何か感じるのだろうか……


 気になった僕はリビングのカーテンを少し開き、多少穴の開いた網戸はそのままにして、窓を開けた。自分の存在と自分の生活の様子が誰かに解ってしまうと困るので、昼間は決して窓もカーテンも開けることはない。


 光に当たるのが嫌だった。


 誰かに見つかるのが嫌だった。


 窓の前に立った僕の目に、世界から取り残された古びた建物群、コンクリート造りのドミノのような低層の団地群が映る。団地群はひっそりと静まり返っており、灯りが点いている棟は殆ど無い。古びた街灯だけが、惰性で明かりを灯しているようだ。

この団地に住んでいる住人は殆どが経済的な理由で転居することが出来ず、此処にしがみついているしかないお年寄りが大半で、自分のような若い人間やファミリーはまれだ。


 戦後の高度成長期に東京の郊外に建てられたこの団地は、当時は新しい生活の象徴であり、憧れだった。しかし時代が進みインフラや生活スタイルが変わっていく中、戦後を引き摺った団地は今では憧れからは程遠かった。


 道路わきの低い街路樹は色褪せ茶色にしなびている。


 建物の外壁にはヒビが見えるし、塗装も色あせている。


 今では珍しい灰色の固いアスファルトの道路は、歩くたびに振動が脳に鋭い衝撃を与える。住人が居なくなった幾つかの棟は再開発のために壊され、無残な残骸を曝していたり既に更地になっていたりしている。そのため夜気は、かすかにコンクリートの香りがしていた。


 見慣れた夜の団地の風景、心に何か湧き上がるものはない。ただ、自分がその中に居るだけのことだった。以前と少し違うのは妙な緊張感を感じることだ。


 一か月ほど前、向かいの四号棟の二階の住人が、浴室で有毒ガスを発生させて自殺した。そのガスは下の階にまで漏れ伝わって、そこの住人も入院することになった。それ以来住人の間には変な緊張感が漂っており、落ち着かない日々が続いている。


 ふと人の気配がしたので、視線を移す。僕の住んでいる棟の反対側、下水口の近くに路上生活者が居て、そいつが座ったままじっと僕のことを見上げている。特にトラブルの種になるようなことはないが、時たまアルコールが入るとワケの判らないことを大きな声で叫んでいることがある。関わりたくないので、僕はすっとカーテンを閉めて、思わず心の距離を取った。


 人に関わりたくない。


 人に気づかれたくない。


 僕は窓から離れると、リビングのテーブルの上の起動しっぱなしのパソコンを見つめる。ブラウザのトップページのニュース項目から見る。世の中に大きな変化はない。ヨーロッパで飛行機が撃墜されたり、中国で伝染病が発生して数百人が死んだりしているが、僕の生活が脅かされるような出来事はない。僕のこの小さな1LDKの部屋の中だけの世界は今日も安泰だ。


   ◇


 この部屋は僕のおばあちゃん、初枝さんの部屋だった。おばあちゃんは母方の祖母で、父にとっては義理の母となる。


 実家は住居兼会社という中小企業にありがちな作りで、自分が生まれたときは二階建てで一階が店舗兼倉庫、二階が住居という作りだった。入り婿として会社を継いだ父と、義父や義母は相性が悪かったようで、経営から退いた祖父と祖母は当時夢の住居と言われたこの団地に移り住んだ。


 

 僕がまだ幼いころ祖父は亡くなり、祖母だけがこの部屋に住み続けた。十歳の時に実家を建て替えてビルにしたが、父は祖母の部屋を用意することもなく、祖母もこの団地に住み続けた。


 自分が社会人になって働き出してから、しばらくしてこの部屋で祖母が亡くなった。六十五歳、脳溢血で早すぎる死だった。祖母はこの部屋を母に生前贈与していた。僕はワケあって実家を出て、この部屋で生活するようになった。


 〝この部屋〟と言ったが、僕は1LDKのこの部屋の、リビングとキッチンだけで生活している。奥の和室は、おばあちゃんが死んだ時からずっと襖を閉じたままだ。それは僕にとっても、家族にとっても、ここが今でもおばあちゃんの居場所だという気持ちの表れなのかもしれない。


   ◇


 いつもの巨大掲示板を覗く。あまりに多くのネタが湧き上がっていて、この世界を全て知ることは出来ない。その時その時で気になったネタだけ確認するだけで、一日などあっという間に過ぎてしまう。


 そういえば……コンビニの店長が変なことを言っていた。『バイトが幽霊を見た、と言って仕事を辞めた』……とか?


 ここに住んで一年になるが、幽霊話など聞いたこともない……いや、話し相手もいないのだから、聞くわけもないか。


 検索大手のブラウザーに検索用語を打ち込んで調べてみると、ヒットするページは多いがどれも具体的な内容のない噂話がある程度で、具体的な話ではない。それではと巨大掲示板の怪談・心霊の板に情報をアップしてみる。


 『奥玉ニュータウンで幽霊が出るという理由で、バイトを辞めたヤツがいるらしい。おまいら何か噂を聞いたことある?』


 程なくして板に次々とレスがアップされるが、ほとんどが『マジ?』とか、

『やる気あんのか?』とか、『後付じゃね?』とか、バイト君に対する感想から、

『さすがに深夜のバイトで幽霊はシャレにならないっしょ』とか、『キレイな幽霊だったらお持ち帰り?』とか、『誰か現突してこいや』とか幽霊話につきものの一般的な意見だ。


 気持ちが一気に萎えた、やはりこの団地に幽霊なんてものはあり得ない。僕は板を見るのに夢中になって、温めていたことを忘れていたぬるいカツカレーをレンジから持ってきて、撮りためている〝マジカルアイドル=チョコディップ・マキ〟を観始めた。

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