第189話 動き出した運命

 ワルキューレの騎行――――


 リヒャルド・ワーグナー作曲の歌劇『ニーベルングの指環』の二作目に当たる、ワルキューレに登場する有名な曲だ。

 ワルキューレとは、北欧神話に登場する半神の戦乙女として有名であり、この歌劇には、ブリュンヒルデ、ゲルヒルデ、ヘルムヴィーゲ、オルトリンデ、ヴァルトラウテ、ジークルーネ、ロスヴァイセ、シュヴェルトライテ、グリムゲルデという九人の戦乙女ワルキューレが登場している。



 今、このショッピングセンターの通路に、まるでワルキューレの騎行が流れているような錯覚を受ける事態になってしまっている。そこに居る誰もが美しき戦乙女ワルキューレのようなルリたちに見惚れて動けないでいるのだ。


 ルリ一人でも周囲を魅了してやまないのに、やたら存在感のある美女がゾロゾロと歩いて来た為か、何かのイベントが始まるのかと勘違いして集まって来る人までいるくらいである。


 ワルキューレは北欧神話において、戦死した勇敢なる英霊の魂エインヘリヤルを主神オーディンの治めるヴァルハラへと導く、甲冑に身を纏い剣や槍で完全武装した神格を持つ乙女だ。しかし、今ショッピングセンターを行進しているのは日本の御伽噺おとぎばなしに登場する、その恐るべき強大な呪力や神通力で天変地異を引き起こすとされた鬼神の生まれ変わりである。



「す、凄い注目を集めている……」


 アイドルか何かのイベントと勘違いしれているのか?

 ただ買い物に来ただけなのに……

 ルリが心配だ……


 そう思った春近は、ルリの手をギュッと握り締めた。


「ハル、ありがと。大丈夫だよ」


 ルリは、ニコッと笑顔を見せて手を握り返してきた。

 まるで春近の心を感じて、思いは同じだと言わんばかりに。


 良かった……

 ルリは出会ったばかりの頃、いつも人の目を気にしていた。

 きっと、小さい頃に色々と辛い目に遭ってきたからだと思う。

 今は、たくさん友達もできて楽しそうに学園生活を送っているのが嬉しい。

 心の傷は消えなくても……楽しいことをいっぱいして、少しでも傷を薄めて欲しいから。


 ――――――――




 春近は非常に居心地の悪い思いをしていた。

 女性水着売り場で男子がポツンと一人なのだ。

 それでなくとも、ゾロゾロと美女軍団を引き連れて来て、何だあの男みたいな目で見られているのだから。



「くっ、外で待っていようと思ったけど、皆が選ぶの手伝って欲しいとか言うから……どうすりゃ良いんだ」


 緊張して佇む春近の元に、杏子がやってきた。


「春近君、ここは耐えて下さい。こういったイベントもカップルには付き物なんですよ。知らんけど」

「知らんのかいっ!」

「ブワァ、我々オタクの陰キャ勢には、世間一般カップルのイベントなど知る由も無しであります」

「くぅ、杏子ぉ……俺たちもカップルだぜ……」


 杏子とのやり取りで春近の緊張も解けた。


「女性下着売り場だけでなく、水着売り場も何か恥ずかしいんだよ……くっ」


 春近が顔を赤くして俯く。


「ふひっ、その羞恥を耐えるような表情……。もうドーテーじゃなくなったのに、いまだにドーテー感を出している春近君は最高ですね。これは、皆さんが春近君の表情に誘われてアブノーマルなプレイをしてしまうのも理解できますよ」


「杏子……そんなオレをヘンタイホイホイみたいに……」


 事実、春近はヘンタイホイホイなところがあった。


「そういえば……杏子は今年もスクール水着じゃないのか?」

「は、春近君……御主人様が、そんなにスクール水着を着た私を凌辱したいドヘンタイなら、海やベッドで着るのもやぶさかではないのですが……」

「い、いや、それは……」

「それとも、ブルマやスパッツの方が良いですか……?」

「くっ……っ」


 杏子、何故キミはオレのフェチ心を突いてくるんだ……

 今一瞬、杏子が体操服でエッチなことをしている心象風景が浮かんでしまったぞ。

 制服やメイド服も良いけど、体操服のブルマやスパッツも最高なんじゃーっ!



「おいハル、エッチな話ばかりしてねえで、アタシの水着を選ぶの手伝ってよ」


 エッチな妄想をしていた春近は、咲に腕を引っ張られて連れて行かれた。


「コレとコレ、どっちが良いと思う?」

「えっと……」


 片方は可愛いワンピースの水着、もう片方は大人っぽい露出度の高いビキニだ。


 これは……オレは試されているのか?

 無難にワンピースを選んでおくべきな気もするが、咲のエッチなビキニ姿も見たい。

 咲のスリムなカラダに露出度の高いビキニ……

 めっちゃ可愛い気がする……

 そして、波で水着が外れて……

 咲は『きゃあぁ、み、見んなぁぁーっ!』とか言って恥じらって、オレが咲を抱きしめて他の人から見えないように隠しながら、『おまえのカラダは他の誰にも見せたくない!』と言って、『ハル……アタシ熱くなってきちゃった……あそこの岩陰で……しよっ……』とかいう展開になって……

 マズい、これ以上は18禁展開になってしまう!


 水着一つでここまで妄想してしまう春近はさすがである。


「おい、いつまで考えてんだよっ! どうせ、オマエの平らなカラダにはビキニは似合わねえよとか思ってたんだろ!」

「そ、そんなことないから。咲は胸の話になるとムキになり過ぎだよ」

「それはオマエが胸の大きい子ばっかジロジロ見てるからだろっ!」


 ぐっ、そういえば揺れる胸ばかり見ていた気がする……

 咲を不安にさせちゃってたのかな……

 ゴメン……咲……


「あの……正直に言っていいかな?」

「何だよ」


 少し考えて春近は結論に達した。


「オレは、そっちの大人っぽいビキニを着た咲が見たい。すっごく可愛いと思うから」


「…………っ、しょ、しょうがねえなぁ、ハルがそんなにアタシのビキニ姿を見たいってんなら見せてやんよ。ふへっ、まったくしょうがねーな♡」


 咲はニヤニヤしながらレジへ向かう。

 どうやら機嫌は直ったようだ。




「ハル、こっちこっち」


 一人になったところを、ルリに引っ張られて試着室へと連れ込まれる。

 狭い試着室の中で、ルリと二人っきりになってしまった。


「ねえ、試着するの手伝ってよ」


 ルリは服を脱ぎ始め、白くてしっとりすべすべの肌が露出する。

 艶やかな背中も、くびれたウエストも、大きく形の良い桃のようなお尻も、長くて肉感的な脚も、全てが美味しそうで魅入ってしまう。


「ちょっと、見えちゃってるから」

「ふふっ♡ エッチの時に全部見ちゃってるくせに」


 ルリは、ちょっと悪戯で煽情的な表情をして、振り向きながら流し目をしてくる。

 余りにも美しく魅惑的で、場所も忘れて魅入られてしまいそうになるのを春近はグッと堪えた。


 す、凄い……

 相変わらず凄い魅力だ……

 こんな場所でエッチなことをしてはダメだ。

 耐えろ、耐えるんだオレ!


「ねえっ、ブラ外して」

「は、はあ!?」


 な、何だと!

 オレにブラのホックを外せというのか?

 くっそエロくてセクシーなブラをしていらっしゃる。

 ルリ……これはわざとなのか? それとも天然なだけなのか?

 さっきはエッチエッチ言ってたのに、今は凄い魅力でオレを誘惑して……


 ぷるん――――


「ぐはっ!」


 ブラのホックを外すと、胸がぷるんと弾けるように揺れた。



「どうかな? 似合ってる?」


 着替えが終わり、可愛いビキニ姿のルリが笑顔で立っている。

 はち切れんばかりの胸を包んだ水着から凄い谷間が見えているが、全体的にはとても似合っていて可愛い。


「凄く似合ってるよ。可愛い」

「良かった。ハル、ありがとね」


 ――――――――




 何とか全員分の買い物が終わり、学園へと帰り道を歩いている。

 皆、海への旅行を楽しみにしているのか、それぞれ海の話題で盛り上がっていた。


 アリスが春近の横に寄ってくる。


「アリス、何か不満そうな顔してるけど?」

「サイズが子供用しかなかったです……不本意です……」

「それは……大変だったね」


 アリスとしては少し大人っぽい水着が欲しかったようだが、こればかりはサイズが小さすぎて仕方がなかった。


「それより、ハルチカ……何か感じが変わったような……?」

「えっ、何も無いよ……」

「ううーん、気のせいですかね? 何かあったら言うのですよ」

「うん……」


 アリス……

 やっぱり鋭いな……

 でも、皆に心配かけたくないし……自分のせいでオレの体に影響がとか思われたくないから……

 やっぱり内緒にしておきたいんだ。


 ――――――――




 その夜――――

 春近は、自室で一人くつろいで、皆と一緒の旅行の計画をアレコレ思い浮かべていた。


「楽しみだな。ルリも凄く楽しみにしてくれて、皆もあんなに楽しそうに。皆で幸せに穏やかな暮らしができたのなら……。ルリたちを傷付ける者や言葉の暴力の無い、楽園のような世界になったらどんなに良いか……」




 そして、それは突然訪れた――――


「あれっ、えっ……ぐ、ぐあああああああああっ!! か……体が、熱い……」


 体の中から熱のような力のようなものが噴き上がって来るようだ。

 それは人の身には余る程の、神の領域に踏み入れた世界を変える強大な力のような。


「ぐああああああああっ! な、何だこれは! もの凄い力が……今にも爆発しそうな力が噴き出してくる!」



『必ずや破滅が訪れるだろう――――』


 耳の中で、力の根源である声が反響しているかのように鳴り響いていた。

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