第167話 根源的本能

 渚の室内が、まるで時間が止まった結界のように支配され、二人共お互いに固まったまま動けすにいた。

 それは結界などではなく、お互いに緊張で動けないまま時間だけが過ぎているのだ。



 春近は渚を見つめ考える――


 渚様……

 やっぱり凄く緊張する……

 でも、怖がってちゃダメだ……

 渚様とは相思相愛になっているのだから。

 一見怖く見えるけど、本当は優しい所もあるし、女の子らしい可愛い人なんだ。

 この一年以上ずっと渚様を見てきたけど、子供が怪我したら手当してあげたり、イジメを見たら止めに入ったり、玉藻前の瘴気から地域住民を救うために一生懸命になって避難させたり……

 誤解を受けやすいだけで、本当は良い人なんだ。

 ちょっと……いや、だいぶ愛情表現が激しいけど――



「あの」

「ひゃい!」


 えっ、何か今、渚様らしからぬ声が聞こえたような?


「んんっん、何かしら?」

「あの渚様、そっちに行って良いですか?」

「あ、あのっ、ちょっと待って! その、優しくしなさいよね!」

「はい」


 ささっ!

 春近が渚の隣に移動する。


「ちょっと待って!」

「はい?」

「あ、あたし……初めてなの……だから、痛くするんじゃないわよ!」

「はい、分かりました」


 春近の腕が渚の肩を抱こうとする。


「ちょっと待って……」

「えっと……」


 ちょっと待ってが多すぎるような……?

 もしかして、渚様も緊張しているのかな?


「渚様っ」

「ちょっと」


 むぎゅぅっ――

 春近は渚を優しく抱きしめた。


「大丈夫ですよ。無理にしたりしませんから。安心して下さい」

「春近……春近のくせに生意気ね……でも、もうちょっとこのまま……」

「はい……」


 春近に抱きしめられて、渚の張り詰めた緊張感が解けて行く。

 

 気持ち良い……

 春近と一緒にいると、何でこんなに落ち着くんだろう……

 不思議な男……


「渚様は普段から気を張り過ぎなんですよ。オレの前くらいは、もっと気を緩めてリラックスしても良いんですよ」

「…………そうね」

「また今度でも、オレはいつでも良いですから。渚様のペースで行きましょう」

「もうちょっと、このままでいなさい……」

「はい」


 春近と渚は、抱き合ったまま静かに時間が流れ、まるで時間も空間も忘れてしまったかのように動かなくなった。



 渚の胸の中には、様々な想いが去来していた。


 春近……優しい……

 本当に、この男で良かった……


 あたしが気を張り過ぎ……

 そうだ、あたしがこうなったのは、この鬼の力のせいなんだから。

 小さな頃から呪力を抑えていても、周囲に人を恐れさせ服従させてしまうような力を出してしまっていた。

 皆、あたしを怖がって仲良くしてくれる人なんていなかった。

 女王のように持ち上げる男子も、本当はあたしを怖がって怒らせないようにビクビクしているだけなのだから。

 でも、それはあたしのせい……

 歯向かう者は全て屈服させてきたのだから。

 

 本当は弱い自分を隠す為に、本当は友達のいない自分を誤魔化す為に、常に気を張って女王のように振舞って生きて来たのだから……


 この学園に入ったばかりの頃、あいだけが気軽に話し掛けてきた。

 羅刹あい……同じように鬼の力を持つ少女。


『大嶽渚っていうんだぁ、じゃあ、渚っちだね』

『あんた馴れ馴れしいわね』


 少しだけ嬉しかった――――

 あたしを怖がらずに普通に接してくれる。

 友達……と呼んで良いのかもしれない。


 そのあいが連れて来た男。

 あの最強の鬼と噂される酒吞瑠璃の彼氏だと……

 一目見て一瞬で体中に電流が走ったような気がした。

 メチャメチャ好みだ。

 後で聞いたが、春近は鬼寄せという鬼を引き寄せてしまう体質らしいが、そんな理屈では説明できないもっと根源的な本能のような気がした。


 それと同時に怒りが込み上げてきた。

 人から恐れられる同じ鬼なのに、何であの女には彼氏がいて、あたしにはいないのか?

 どんな手を使ってでも手に入れたい。

 あたしのモノにして屈服させたい。

 奴隷にして滅茶苦茶にしてしまいたい。

 もう、この衝動を止められない!


 これも鬼の力のせいなのだろうか……

 春近を思うだけで、体の底からドロドロとした形容しがたい感情が沸き起こる。

 春近を一目見ただけで、貪りたくなる衝動が止まらなくなる。

 全て欲しい――――

 春近の細胞一つ一つに至るまで――――

 全て、あたし色に染めてしまいたい――――


 全て――――――――



「……るちか」

「えっ?」

「春近! やるわよ!」


 ドオォォォォォン!


 大人しく春近に抱きしめられ、なでなでポンポンされていた渚が、突然威圧感が急上昇した。

 彼女の中の何がスイッチが入り暴走モードが起動したかのようだ。


「うわぁぁ! 渚様が復活した!」


 渚の目がギラギラと輝き、いつもの自信満々で無敵の女王のようなオーラをまとう。

 まるで吸血行為をするヴァンパイアのように舌なめずりすると、春近に覆いかぶさり貪るようなキスをする。

 それは、春近の全てを欲しがるような、どうしようもなく抗うのも不可能な、渚の根源的本能を突き動かされる感情だった。


「あむっ、ちゅっ♡ んんっ~ちゅっ♡ はるふぃかぁ♡ ちゅちゅっ、はるちか♡ 好きぃ♡ 大好きよ♡ ちゅっ、ちゅぱっ、んんんんっっっ~」


 ぐああっ、渚様の激しいキスが!

 完全に彼女の甘い毒が全身に回って、全てが……細胞の一つ一つまで犯されてい行くような……屈服させられてしまうような……

 ダメだ!

 このまま渚様に屈服させられては!

 オレがリードしなくては!

 渚様の全て、頂きます!

 やってやんよー!


 春近が超やる気になった。


「俺も大好きです! ちゅっ、なぎささま~ちゅっ!」


 春近も反撃し、激しいキスの応酬となる。

 それはまるで、自然界での動物や昆虫の命を懸けた交尾のような、生きるか死ぬかのデスマッチのようだ。

 本人たちは大真面目なのだが、傍から見たら完全にド変態カップルである。



「春近! あたしとあんたは初めて会ったあの時から、こうなる運命だったのよ! 春近の全てが欲しい、全てあたしのモノにしたい、でも……今は、ずっと一緒にいたい! 永遠に一緒に! そう、例え地球が滅亡したとしても、あたしは絶対に離れないわよ!」


 ――――――――

 ――――――

 ――――




「はあっ、はあっ、はあっ……き、キツい。さすが渚様、死ぬかと思った……」


 息も絶え絶えになった春近が呟く。


 渚様、色々と……ヤバい人だ……

 ここでは言えないようなド変態なことまでさせられてしまった……

 そういえば……前に渚様が作ってくれたパンケーキ……やっぱり……

 いや、怖いから考えるのをやめよう……



 そんな春近の心配をよそに、ニヤニヤと怖い笑顔の渚は元気いっぱいだ。


「春近、ちょっと痛かったじゃないの!」

「えっと……それは……」

「よくもやってくれたわね! 責任を取ってもらうわよ!」

「えっ、責任って……」

「責任を取って、あんたは一生あたしの側にいなさい!」


 渚は太陽のように輝く最高の笑顔でプロポーズのようなセリフを言った。


「は、はい」


 やっぱり可愛い人だな。

 見た目も怖いし性格も激しくて怖いけど、何だかよく分からないけど可愛い人だ……


「では……」


 ガシッ!

 春近がベッドから出ようとすると、渚の手がガッチリと腕を掴んだ。


「何処に行こうとしてるの?」

「えっ?」

「一生側にいなさいって言ったわよね。もう絶対に離さないわよ。明日は日曜だし、今夜はずっとこのままよね」

「えっ、あの、それは……」

「はあ? 何か文句あるの!」

「え、いえ……」

「いいわね! 今夜は朝までキスしたまま寝るわよ!」

「えええ……」



 やっぱり渚は怖かった。

 春近は渚の可愛さと恐ろしさを再確認することになる。

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