第33話




 緋色が泥の中から身を起こした。

「大丈夫か」

 緋色は青ざめた顔ながらもしっかりと頷いた。

 少年はほーっと息を吐いて額の汗をぬぐった。それから、ときわのほうを向いて、

「ありがとう。助かった」 

と微笑んだ。

 お礼を言われたものの、ときわは自分はほとんど何もしていないという気がして、何か変な気分になった。

「ときわっ。早くこっちに来なさいよっ」

 森の入り口で、秘色が仁王立ちになってぷりぷり怒っている。

「待ってよ、秘色……」

「そうよ。早くあっちに行きなさいよっ」

 ときわは驚いた。言ったのは、たった今泥の腕から解放された緋色だった。

「緋色っ、お前助けてもらっておいてその言い草はねぇだろっ」

 少年が慌ててたしなめるが、緋色はふんっとそっぽをむいて忌々しげに言った。

「かきわ。こんな晴の里の連中とかかわるとろくなことがないわよ。私達の敵なんだから」

(あ)

 やっぱり。と、ときわは思った。そうだろうとは思ってはいたが、やはりこの少年がかきわだったのだ。ときわは感激してかきわを見た。かきわもやはりときわを見て、こう言った。

「お前も、山の中で変な光を見たのか? 俺は遠野から来たんだけど……」

「僕もっ、僕も遠野で」

 やっと話の通じる相手をみつけたと、ときわは身を乗り出した。

 だが、ときわとかきわの間に、立ちはだかるようにして緋色が割り込んだ。

「あっちへ行ってよっ。かきわに近寄らないでっ」

 思いきり睨みつけられて、ときわは思わず後退りした。すると、背後から秘色の声も噛みついてきた。

「ときわっ。もうわかったでしょう。そんな連中と仲良くなんかできやしないのよ。早く行くわよ、ほら早くっ」

「私達も行きましょう。かきわ」

 緋色はかきわの腕をつかんで、ときわの前から連れ去ろうとした。

「待ってっ」

 ときわは慌ててかきわの手をつかんで引き止めた。

「君も、遠野から来たんだろ? 一緒に、元の世界に戻る方法を探さないか?」

 ときわは藁にもすがる思いだった。このわけのわからない世界で、たった一人取り残されるのはたまらなかった。それは確かに、秘色はそばにいるけれども。

「そんなこと出来るわけがないでしょう。行きましょう、かきわ」

 緋色がせかした。かきわはしばらく黙り込んでいたが、やがてすまなそうに口を開いた。

「悪いけど、一緒には行けねぇよ。ほら、こいつもお前のところの巫女もこんな調子だし。俺はかきわの役をやるって言っちまったし。それに……」

 かきわは急に表情を一変させ、人の悪そうな笑みを浮かべて鋭い目をぎらっと光らせた。

「それに、俺はそんなにすぐに元の世界に戻りてぇとは思ってねぇし」

「え?」

「ここはここでおもしろそうだからな。しばらくは成り行きにまかせてみようと決めたんだ。元の世界に戻る方法は、この旅の途中でみつかるかもしれねえし、みつからなかったとしても……別に、俺は、いい」

 そう言うと、かきわはすぃっと目をそらして、緋色の後について歩き出した。

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