Extra1 Monologue 中編
私たちが行っていた研究は別の研究所から送られてくるクスリを人間に投与し、どのような影響があるかを観察するというものだった。最初の頃はあまり芳しくない状況が続いていたが、調査報告を行う度にクスリに改良が加えられ、ある程度安定したものになっていった。そんな時蔓杜の地下研究所に
彼女は
一説にはこの研究所がまだ製薬会社だった頃から存在しているのだとか。でもそうなると彼女は前大戦よりも前から生きていたことになり年齢の計算が合わなくなる。そのため彼女はクローンなのだとか佐伯撫子は襲名制なのだとか言った噂が絶えなかった。
そんな噂でしか知らなかった彼女を、私はこの時初めて目の当たりにした。黒髪に細い目、特徴的なドット柄の赤いワンピースで、外見は20代前半にしか見えなかった。
佐伯撫子が研究所に来たとあって研究員たちの間に緊張が走った。ただ一人調子を崩さない者もいた。藻下だ。
佐伯撫子がここに来た目的は単なる視察ではなかった。これからはチームの一員として実験に参加するとのことだった。そして彼女がここにやってきたと同時に実験は第2フェイズへ移行した。
第2フェイズ――放流。
これまでは攫ってきた女生徒は二度と地上に戻すことはなく内々で処理してたのだが、これからはクスリを投与した人間を地上に戻して普段の生活をさせるということだった。実際にクスリを使う人間は日常生活の中で使用するので、特殊な環境下での実験よりも一般的な環境下での実験のほうがよりリアルなデータが取れるというわけだ。
最初の実験は私と佐伯撫子そして藻下の3人が立ち会った。とは言ってもやることはいつもと同じ。手術台の上で眠る女生徒にクスリを投与し部屋に戻すだけの簡単な作業だ。
クスリの投与は佐伯撫子が自らが行うとい言い出しその準備を始めた。手持ち無沙汰で待たされる私と藻下。しかし彼は何を思ったのか、ベッドの上で眠っている女生徒のスカートを捲って中を覗き込んだのだ。
「おい! 何をやってるんだ!」
「少しくらいいいだろ? 減るもんじゃなし」
別に彼の行動を咎めようとして注意したわけじゃない。その行動が佐伯撫子に見られていたから慌てて止めたのだ。
佐伯撫子は細い目をほんの少し開けて藻下を捕らえていた。その僅かな隙間から見えた灼熱の瞳を見た瞬間私は身が縮み上がるほどの恐怖を感じていた。
一方で藻下その視線にまったく気がついていなかった。
…………
体育館裏での一服は毎夜の日課になっていた。
ただでさえ息が詰まる地下研究所は佐伯撫子が来てからますます重くなったように感じる。
「随分と気落ちしてるみたいだな?」
一服しているところに、藻下がやってくる。この男は佐伯撫子の纏う重圧を意に介していないようだった。
「あの子、発狂したらしいな」
あの子とはつい先日クスリを投与した女生徒のことだ。授業中に突然暴れだしクラスメイトたちに危害を加え出したと教師から聞かされていた。実際に見たわけではないが、それはもう手に負えないほどひどい有様だったらしい。
「知ってるかよ? 今実験してるクスリはこれまでとモノが違うらしいぜ?」
「どういう意味だ?」
私たちがこれまで研究で使っていたクスリは覚醒剤の一種だと教えられていた。
「俺らがこれまで実験に使ってたのはいわゆるヤクの一種だ。だがこの間のやつはそうじゃないらしい。――なんつったかな、確か……アセンブルとかって言ってたな」
「アセンブル?」
今私たちが研究しているクスリは『
「名前が変わっただけでモノが変わったとは言えないだろ?」
「違うんだなぁこれが。撫子ちゃんが誰かと話してたんだよ。今送られてきているクスリにはウイルスが混入されてるらしいんだよ」
「ウイルスだって!?」
――薬物内にウイルスが混入されている!?
「ま、そういうこと。つうか、考えてみろって。これまで研究所でやってきた実験で発狂したやつなんかいたか?」
たしかにこれまでの実験でそんな反応を見せた人間はいなかった。
クスリを投与した人間は大体ぐったりしてそのまま動かなくなるか、幻覚症状を引き起こして現実に戻ってこれなくなるくらいのものだった。
一方、第2フェイズ以降では、ある者は深夜の校舎を虚ろな瞳で徘徊し、またあるものは正気を保った状態で見えないものが見えると言い出し恐怖に怯えると言った反応だったり……
「撫子ちゃんが来てから明らかにおかしくなった。つまりよ、撫子ちゃんがここに留まる理由がそれなわけよ!」
藻下の言葉には妙な説得力があった。
自分の預かり知らないところで自分がなにか別の研究に巻き込まれているというのはあまり気分のいいものではなかった。
震える手でタバコを吸い、携帯灰皿に灰を落とす。その時男の白衣のポケットから布のようなものがはみ出しているのに気づいた。
ハンカチではない。この男はそういうことに気が回るような男ではない。だとすると――
「おおっと! こいつはいけねぇや!」
私の視線に気づいた藻下がおどけてみせる。そして彼がポケットから取り出したのは女性物の下着だった。
藻下が身につけるために持っている……わけはない。だとすれば考えられる理由はひとつしかない。
「盗んだのか!?」
私の問に藻下は臆面もなくああそうだと答えた。しかも最悪なことにそれは同僚のものではなく学校に通う生徒のものだと言い放った。
「寮に忍び込んだのか!?」
「おぅっと! 静かにしないと寮で寝てる女の子たちが起きちまうぜ?」
ここは体育館裏だ。多少大きな声を出したところで敷地の反対側にある寮で寝ている彼女たちに聞こえるはずがない。
「ま、そうカッカすんなって。な? それに、こいつは拉致のついでに拝借しただけだし、俺たちは真面目に研究してんだからそれ相応の見返りくらいあってもバチは当たらんだろ?」
「その分高い報酬をもらってるはずだ!」
「俺にとっちゃまだまだ安いね。地下に缶詰にされてんだ。報酬があれっぽっちじゃさ」
藻下には一切の反省の色がない。何を言っても無駄なようだ。以前の失態で何のお咎めもなしだったことが明らかにこの男を増長させていた。
「それより例の撫子ちゃん。いい女だと思わないか?」
藻下はヘラヘラとした表情で話題を変えた。
私は心底呆れ首を横に振った。
「なんだよ。つれねぇな。もしかしてお前女に興味ねぇのか?」
「そういうわけじゃない……」
今はただ仕事に生きていたいだけだ。有り体に言えば研究が恋人といったところか。
「もったいないねぇ。あんないい
「何を馬鹿なことを……」
まるで実際に見たとでも言わんばかりの物言いにふと疑問を感じた。
この男はなぜクスリの成分の違いに気づけたのかと。佐伯撫子が誰かと話していたと言ったが一体誰と話していたというのか。研究所内で働く者の中に彼女と親しく会話できる人間などおらず、当然ながら藻下もそのひとりだ。
「……まさかあんた……!?」
藻下は何も言わずただニヤケ顔で私を見ていた。
「ま、そういうこった! ほんといい女だぜ撫子ちゃんはよ!」
「――ッ!」
間違いない。この男は覗きをやったのだ。その時彼女のプライベートな会話を盗み聞きしたのだろう。
「……殺されるぞ……あんた」
私の脳裏に浮かぶのはあの身を焼かれるような灼熱の瞳――
「あっはっは!」
しかし藻下は私の忠告を一笑に付す。
「あれは絶対に手を出してはいけないタイプの女だ」
私は彼のためを思って忠告する。
「臆病だね」
臆病なのは決して悪いことじゃない。危険な相手を前にした時の最も有効な戦術は逃げることだ。
「三十六計逃げるに如かず……ってか?」
「君子危うきに近寄らずだ」
私はそれだけ言い捨て地下に戻った。
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