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「奥様とても喜んで出掛けて行ったわよ」


「そう、それはよかった」



午後になってモンタールド邸にロイドがやって来る。


ちょうど出掛けるところだった母にいろいろと見立てたらしく、母とその侍女がいたく喜んだことは容易に想像がついた。



元はレイラの家庭教師にとあてがわれたロイドは、いまではブランドの共同経営者だ。

服飾学校を卒業した暁に、ロイドには貴族街にある店舗兼事務所を任せている。



「午前中にご予約いただいていたお客様の採寸が済んだわ。大体のイメージは承ったから、細かいところのデザインはお願いね、お嬢様」


「了解したわ」



ゆめかわいいを求めてつくったレイラのブランドは、レイラの母や友人たちが少しずつ広めてくれたおかげで、10代前半や小さな女の子たちのドレスショップとして人気になった。

かわいいドレスを着たい・着せたい層にうまくマッチしたようだ。


ブランド名はパピヨン。

しかしレイラにかけて、レイラパピヨンと呼ばれることが多い。


ブランドアイコンは七色の蝶で、ここのドレスを着ることが一種のステータスになりつつある。おかげさまで予約でいっぱいだ。



「他にも何組かお客様が来たわよ。新規の予約も承ったし、いくつか小物も買ってくれたわ」


店ではねこやユニコーンモチーフのぬいぐるみや雑貨をわずかばかり置いている。


「うーん、やっぱり手が足りないわよね。縫製要員ももっと欲しいし、レジスタッフも必要かしら」


「レジ…?」


レイラのひとり言にロイドが首を傾げる。



「そうだ、お父様から紡績業の報告書を受け取っているわよ」



財政難だった地方伯爵の領土をめし上げてはじめた紡績業は、順調に業績を伸ばしていた。



取り上げた土地でいきなり『畜産をやめて紡績をはじめなさい』と命令しても上手くはいかなかっただろう。モンタールド侯爵が出資して新しく紡績会社を興し、ご丁寧に羊も設備も揃えた上で、地元の人間を雇い入れたのだ。

なおかつオーナーとして多少のアドバイスはしつつも、経営はすべて現地の人間に任せた。


モンタールド侯爵が新領主として指示したことは、たった二つ。



与えられた紡績業という仕事で地域再生を行うこと。

生産された羊毛製品はレイラパピヨンに優先的に卸すこと。



さすがのレイラも父の英断には度肝を抜かれた。


しかしおかげでレイラも、高品質のウールを優先的かつ良心的な価格で仕入れることができるのだから、父には頭が下がるばかりだ。



「でもさあ、その紡績会社の社長ってあのブノワトの長姉なんでしょ?」



報告書をぺらぺらと捲りながら、ロイドは口を尖らせる。


元伯爵領を得るきっかけとなったブノワトは、モンタールド侯爵家で使用人として勤めていた。彼女の起こしたトラブルでマリーが怪我をしたため、ロイドは人一倍ブノワトとその周辺の人物を恨んでいる。


レイラもブノワトは許せないが、しかし彼女の姉まで憎むつもりはない。



「一番上の姉は伯爵領だったときから実質の経営者だったようよ。唯一の良心として民から慕われていたみたい。それに彼女はとても真面目ね」



毎月の報告書から充分それが伝わってくる。


レイラはロイドの手から報告書を取り上げると、「それで」と仕切り直した。



「ロイドがきちんと報告書を読んでくれないのはわかったわ。せっかく新しい繊維染めを試してくれたみたいなのに。それで?今回はなにをどれくらい仕入れますか?」


「え!?うそ、そんなこと書いてあったの?見る、見るわ!ごめんなさい!」



ぎゃあぎゃあと騒ぎながら打ち合わせは進む。


やがて空が茜色に染まる頃、「そろそろ失礼しなきゃ」とロイドが告げてお開きとなる。



ロイドは帰る前にマリーに会いに行くと言い出したので、レイラも主としてドヤ顔で親指を立てておいた。



夕食には少し早い。レイラはそれまでの間、新しいデザインを考えてしまおうとノートを持って立ち上がる。



「それでどうして厨房に来るんだ!?」



一日の間でも一番忙しい時間に現れたレイラに、がうっと料理長が吠える。なにも言わなくてもフルーツティーを渡されて追い出された。



このフルーツティーはレイラのお気に入りだ。

季節によってフルーツが変わる。いまはいちごをメインとしたベリー系だ。


美味しいし、かわいいし、どこか懐かしい味がする。



レイラはそのまま薄闇に包まれるサンルームに向かった。

とても静かで、考えがはかどりそうだ。通りすがりの使用人がレイラのためにランプを点してくれる。


小さくてかわいい女の子のためのドレスを考える。

まるでこのフルーツティーのようにフレッシュなデザインにしようかしら。



レイラはうきうきしながらノートを広げて、でもちっとも考えは進まなかった。


サンルームを訪れたのが間違いだったかも。

ここに来ると、どうしてもあの天鵞絨色の髪の男の子を思い出してしまう。



はじめて会ったときのことや、ラズベリーの木を持って謝りに来てくれたときのこと。何度も屋敷を訪れては、その度にトマを呼びつけていたこと。お誕生日パーティーのときのこと。レイラに似合わないたくさんの贈り物をくれたこと。青い星のネックレスをくれた日のこと。


そして、お返しの黄色い星のチェーン飾りを押し付けて追い返してしまった、あの日のこと――。



あれから何度か顔をあわせたけれど、ルチアーノはいつもよそよそしくて、まるで知らない人のよう。


当たらず障らず、表面上だけ取り繕っていたときがまだかわいらしく思えるくらい、二人はぎすぎすしてしまっている。



レイラは考えもまとまらないまま、ただぼんやりとランプの灯りを見つめていた。


自分の気持ちもわからなくて涙も出ない。


ただその横顔はひどく冷めていて、声をかけるのも躊躇われるくらい、いっそ壮絶だった。



「…レイラ?」



おずおずと発された声にばっと振り返る。

そこには驚いた顔をするトマがいた。



「あ、あらトマ。戻ったの?」


「…うん、先に帰ってきた。父様はまだ帰らないから夕食にしよう」


「ええ」



立ち上がったレイラはトマの横をすり抜けてダイニングへ向かう。



トマはじっと静かに姉の背中を見つめていた。

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