第2話:恐怖!講演会は血濡れで始まる!?ミセシメの手品ショー

「おはようございます!」

 三栗は極めて明るい声で教室へ入った。

 今朝もトラックにひかれた猫の死体が鼻をかすめたり、知らない老人に尻を何度も杖でつつかれたり、とにもかくにも不運だった。しかし、三栗はいつもの不運よりも昨日の家族会議がぶっすりと胸に残っていて、から元気でも出さないと落ち込んでその場に突っ伏してしまいそうだった。

 三栗は教室に入った途端、何かにつまずき三栗は回転しながら転倒した。

「おお、十点!」

 あまりにも華麗で優美な回転だったので葡萄はどこから出したのか点数札を出してけらけらと笑った。

「あいてて、受け身がとれていなかったら危険でした…。けど、何かに躓いた気が…。」

 そういって三栗が振り向くと、扉の前に苺が丸まって眠っていた。

「わ!苺ちゃん!大丈夫ですか!」

 三栗は苺に駆け寄り、大きな声で苺に声をかけた。苺は眠そうにうーんと唸るだけで起き上がらなかった。

「思い切り蹴りを入れてしまいました!保健室に行きましょう!」

「いや、三栗ちゃん朝からめっちゃ声でかいし。そして苺ちゃんは起きなさすぎでしょ。」

 蜜柑が呆れたように言った。葡萄が「おーい、苺。」と、苺のことを揺らしたが苺はすやすやと気持ちよさそうに眠っている。檸檬はそんなみんなの姿を楽しそうに微笑んで見つめていた。

「私が蹴飛ばして意識が飛んだのかもしれません!」

 三栗は大きな声でそういうと苺を担ぎ上げた。苺はまだ眠っている。

「いやずっとここで寝てたよ。」

 蜜柑の声は三栗にも、もちろん苺にも届いておらず「いってまいります!」と、三栗は言い残すと教室から飛び出ていった。

 苺を俵のように肩に担いで廊下をしばらく歩いていると「三栗ちゃん。」と、苺が喋った。

「あ!おはようございます!体調いかがですか!」

「お腹のあたりが苦しい。」

「申し訳ございません!降りますか!?」

「…このままでいい。」

 苺はもぞもぞと苦しくない場所を見つけたようで「ふう」と、三栗の肩で一息ついた。

「苺ちゃん。今日は朝から来校ですね!素晴らしいです!」

 と、三栗がいうと、苺は照れたように「へへへ」と、笑った。

「それにしても軽いですね。ご飯食べていますか?」

 三栗がいうと、「一日一食生活…。」と。苺は言った。

「最近は白い苺、ハマってる。共食い。」

 苺はそういうと、クスクス笑った。三栗もつられて笑った。

「苺ちゃんは小食ですね。私だったらその食事量では倒れています。」

 三栗はそういって自分の肩からぶらさがっている苺の脚を見た。とても白くて、細かった。

 保健室までやってくると「送ってくれてありがとうね。」と、苺は言った。

「また気分がよくなったら教室にも遊びに来てくださいね!」

 三栗はそういうと、苺は口元をこわばらせた。

「ねえ、今日の放課後、遊べる?」

 苺に聞かれて三栗は「今日は…、」と固まってしまった。

 実は今朝がた、両親に「今日から早速おとり捜査に入る!場所は『炒り豆に花文化会館』!」と、告げられていた。

「実は今夜家族と『炒り豆に花文化会館』に行くことになっていて…。」

 三栗は昨日も断ったのに今日も、連日断るのはすごく申し訳ないと感じていた。

 苺が自分に懐いてくれているのも感じていたし、できれば三栗自身も家族と命のやり取りではなく苺と楽しく遊びに行きたいのだ。

「あれ?苺も『炒り豆に花文化会館』行く予定。そこに誘おうと思ってた。」

 苺は首を傾げて「はれぇ?」と疑問符を頭に浮かべている。

「そ、そこには、どういったご用が…!」

 三栗は今夜のことを詳しく聞かされていなかった。

「なんかね、『講演会』と『立食パーティ』があるんだって、お父さんからチケットをもらったの。」

 そういって苺はスカートのポケットからくしゃくしゃになったチケットを取り出した。昨日の日付と本日の日付が記されているチケットには『薊の花も一盛り…講演会』と記されており、見たこともない小太りの女性がチケットに印刷されておりそのそばには「講演します!」と横柄な文字が書かれていた。

「これ、苺ちゃんも行くんですか?」

「そう、白い苺タワーが、立食パーティに出るらしい。」

 そういって苺はうっとりした表情になった。

「三栗ちゃんもくるなら、このチケット、二枚もいらなかったな。」

 三栗は今夜、どう両親から逃げ切るかを考えていたが、こうなってはいかないわけにもいかなくなってしまった。苺はチケットをポケットへぐしゃりと戻し入れると、にっこりと三栗に笑いかけた。

「三栗ちゃんと立食パーティ、楽しみだな。」

 そういって、苺は保健室へと入っていった。


 教室に戻る際に、廊下で三栗は小梅と会った。

 小梅は重そうに大量の冊子を抱えている。

「小梅ちゃん、持ちますよ。」

「あらあ、助かるわあ。今日、私日直やもんで、もってけ―…っていわれてしもて。」

 少し息切れした様子の小梅は、三栗に半分、冊子を持ってほしいと頼んだ。三栗は素直に頼んでくる小梅がかわいいと思った。

「それにしても、ホームルームが始まっているのにこんな重いものを頼むなんて。」

「先生も気きかんよねえ。三栗ちゃんが通ってくれてよかったわ。私、運いいわぁ。」

 そういって小梅は笑いかけてきた。おかっぱの黒髪が揺れて、ほんのりと花の香りがした。

「小梅ちゃん、何かつけてるんですか?いいにおいがしますね。」

「あや、なんやろう。この前焚いてみたお香やろか。」

「お香をたしなんでるんですか?おしゃれですね!」

「せやろか、私、ちょっと火点けるんがまだ怖いわぁ。」

「あ、確かに、少し怖いですね。」

 三栗と小梅はそんな雑談をしながら、指定の教室まで冊子を運んだ。

 国語準備室には誰もいない。準備室はほこりっぽくて小梅は少しせき込みながら、冊子を四つの山に分けて机の上に置いた。

「三栗ちゃん、助かったわ。持つべきものは友達やね。」

 そういって小梅は笑った。


==


 その日の夜。三栗は両親と共に『炒り豆に花文化会館』にやってきていた。

「三栗、今夜ここでテロが行われる。と、予告が来た。」

 山椒は眼鏡を光らせ、警察手帳を磨いていた。

「え!テロですか!?」

 三栗の頭には苺の顔が浮かんだ。

「そう、今日講演を行う番茶出花ばんちゃでばな婦人の所属する『怒髪天どはつてんの会』と敵対している団体がテロ予告をしてきた…と、予想されているのよ。」

 柿八子は手元の文庫サイズほどの資料をものすごいスピードでめくりあげ、内容を確認しながら三栗に伝えた。

「予告があったってことは、私がここに来なくてもよかったのでは…?」

 三栗が不安そうな声を出すと「確かに」と、山椒は言ったがそれに続けて言った。

「これまでテロ予告は多くあったが、実行されることは少なかった。今回はとりあえず、予告のあった場に三栗を連れて行ってみようの会だ。」

 山椒は胸ポケットに警察手帳をしまいながら言った。三栗は本当に頭を抱えたい気分だった。いや、もう抱えていた。

「テロなんかじゃなくて他の不運が起こらないといいんですが…。」

 講演会会場『薪に花の間』にやってきたが、ステージで番茶出花さんがマイクを通して話してはいるものの、皆思い思いに移動しあちこちで雑談をしている。

「講演会っていうより雑談会って感じねえ。」

 柿八子は腕時計に仕込まれたカメラで会場のあちこちを撮影しながら言った。

「怒髪天って感じの人は少ないんですね。」

 三栗はそういって辺りを見回した。辺りにはふくよかで裕福そうな女性が多い印象を持った。みんなにこにこと談笑にいそしんでいる。

「三栗ちゃん…。」

 その声を同時に三栗は優しく背後に引かれた。そこには苺がちょこん、と立っていた。山椒と柿八子が勢いよく振り向いたので、三栗を引っ張った苺は「はれぇ…。」とおびえたような声を出し、三栗の服の裾をつまんだまま、一歩後ずさった。

「苺ちゃん!」

 三栗は見知った顔を見て胸がホッとした。山椒と柿八子も三栗の知り合いと知ると仕事用の恐ろしい顔からにこにことした外向きの顔に変わった。

「あらあ!あなたが苺ちゃん?三栗からお話聞いてます!」

 柿八子は苺の手を握り明るく話した。

「三栗がいつもお世話になっています。」

 山椒も柿八子の隣に並んで苺に話しかけた。

 苺は困った様子で「は、はい…。」と小さく返事をした。

 …山椒と柿八子は苺が近付いてきたとき、どうして気付かなかったのか疑問だった。まったく気配が無かったのだ。

「あ、あの、三栗ちゃんと、その、ごはんたべても、」

 と、苺がいうと「あらあ!どうぞどうぞ!」と柿八子は三栗の背を押した。

「え?は、離れてもいいんですか?」

 三栗が柿八子に聞くと「何かあったらすぐ向かうわ。あなたもね。」と、柿八子は三栗に耳打ちした。

「何かあったらじゃ遅いんですよね…。」

 と、三栗は思ったが、なにもなければないでいいし、苺を一人ここで放しておくのも怖いと思った。


「あっちに、立食パーティ席があるの…。」

 苺は三栗の手を握って優しく引っ張る。苺に連れられて会館の後方に用意された食事スペースに三栗はやってきた。

 そこには小さな講演会だというのに豪華絢爛な食事が用意されていた。ローストビーフにピラフ、それはまるでホテルのヴュッフェのような構えであった。

「ほら、白い苺タワー。」

 豪華な料理に目を奪われている三栗の手を苺はくいくいと引き、立派な苺のタワーを指を差した。

 指を差している方を見ると、三栗の背よりも高いタワーで、どれも真っ白な苺が積み上げられていた。

「わわ!これはすごい!立派ですね!?」

 三栗も興奮気味に苺のタワーを見上げた。一体何粒あるのだろう…。数えきれない。一粒一粒ツヤツヤと輝いており、豪華絢爛な他の食事たちと比べても今回の主役を張れるような風貌であった。

「苺ちゃんの主食、ですね!」

 三栗はそういって苺を見ると、苺も嬉しそうに頷いた。

「三栗ちゃんは、他のも食べてね。」

 そういって苺はどこから持ってきたのかヴュッフェ皿を三栗に手渡した。

 苺はタワーに駆け寄ると白いイチゴをこれでもかとヴュッフェ皿に盛り、勢いよくはぐはぐと口に詰め込んだ。

 あっという間に苺は頬いっぱいにイチゴを詰め込み、口周りもイチゴのタベカスでべとべとになっていた。その姿はハムスターのように愛らしくて、三栗はファーストペンギンとしての役目を忘れしばし癒された。

 しばらく苺との食事を楽しんでいるとと「あ、そろそろ出番だ。」と、苺が立ち上がった。

「あれ?なにかあるんですか?」

 三栗が聞くと、「あのおばさん。うちのお父さんの知り合いで、なんか手品?をするらしくてそれのお手伝いするの。」と、講演中の番茶出花を指さして苺は言った。

「お小遣いも出る。」

 そういって苺はブイサインをつくって三栗に見せた。

「働かれるということですね!すごいです!応援しています!」

 三栗はそういって苺に拍手を送った。

 苺も誇らしそうに胸を張り「お小遣いもらえたら、また、ゲーセンとか、カラオケとかさ、一緒に遊ぼ。」と言い残して、ぽてぽてとステージへと向かっていった。

 苺と別れた三栗は、とりあえず一人にならないようにと会場真ん中ほどで参加者と雑談していた両親と合流した。

「おかえりなさい。苺ちゃんは…、ステージに行ったのね。」

 柿八子はシャンパングラスに注がれた冷水を飲みながら言った。柿八子はお酒を飲まないのだ。

「手品のお手伝いがあるそうです。」

「あら、素敵ね~。」

 柿八子は鞄にひっかけてある極小のマイクの位置を確認し「苺ちゃんってどんなお友達なの?」と、にこやかに三栗に尋ねた。

「苺ちゃんは、とっても頑張り屋さんなんです。」

 三栗はスマートフォンを取り出し苺の写真を柿八子に見せた。体操服姿の苺がブイサインを作ってこちらを見ている。

「お勉強も運動もたくさん頑張っていて、けどすごく繊細なので失敗したり思った目標に届かないと、ちょっと休憩の時間が必要なんですけど…。」

 苺は昨年末ごろから保健室通いを続けていて、授業はあまり受けれていない。三栗以外に親しい友人は少なく、幼馴染の星葡萄としか教室では話しているところを見たことが無い。

 実の父とは仲が良く、父からの期待があるから運動も勉強も頑張りたいと話していたのが記憶に新しい。

「甘いものが好きで、よく一緒にクレープを帰りがけ食べました。今は食欲がないって言ってあまりいけていないんですけど…。」

 そう三栗がいうと「かわいいお友達ね。」と。柿八子は言って微笑んだ。その言葉を聞いて三栗はうんうんと大きく頷いた。

「そう、苺ちゃんは努力家でかっこよくて、かわいいんです。」


==


 ゆったりとステージの幕が上がった。ステージ後方には大きな白いツリーが飾られ、真ん中にはかわいらしい白いドレスをまとった苺が立っていた。

 苺ちゃんの傍には黒色を基調とした能のような面を被った男の人が三人立っていて、頭をぐらぐらと左右に揺らしてふらふらとステージの上を歩き回っていた。

 三栗は気味が悪いと思ったが、能を言うものも手品も三栗はこれまで見たことが無かったので「こんなものなのか。」とも思った。しかし、どうにも洋風の舞台セットと合っていない。

「あいつら、少し動きがおかしいな。」

 山椒は小さく柿八子に耳打ちした。柿八子は頷き、ステージへ近寄った。

「え、お、お母さん危なくないですか?」

「大丈夫だ。確認に行っただけだよ。」

 心配する三栗を横目に柿八子はあっという間にステージ裏の扉まで移動してしまった。山椒はスマートにジャケットの内側をまさぐり、小さなインカムを取り出し耳に当てた。

「…母さんからだ。…本来ステージで番茶出花婦人本人が苺くんと二人で手品を披露する予定だったらしい。…あの能面の軍団は、イレギュラーだ。」

 周りには聞こえないよう山椒は三栗に耳打ちした。三栗はそれを聞いてステージを見ると少々うつろな目をした苺とステージ上をゆったりと歩き回る能面たちが映った。

「三栗、父さんの傍を離れてはいけないぞ。」

 山椒はそういって三栗の手を取り、ステージ裏へ続く扉の傍までやってきた。柿八子はもうステージ裏へ潜入しているようだ。

 三栗は苺のことが心配でたまらなかった。ステージ裏に入る扉のあたりからではうまくステージの上がはっきり確認できない。三栗はどんどん不安になっていく。

 必死にステージの下方から三栗は顔をのぞかせ、ステージを覗いた。

 苺は能面たちにタワーの前に座らされ、やはりうつろな目でぼんやりとステージから客席を見下ろしている。

 怪奇な音楽が流れ始め、ステージ上は色んな色合いのライトが当たる。苺は真白な布で包まれ、その布の周りを能面たちがぐるぐると回り始めた。

「お父さん…!」

 三栗は音楽に急かされるように山椒を呼んだ。

 苺の様子がやはりおかしいと思ったのだ。まるで何か薬品でもかがされて、意識がもうろうとしているかのように三栗は見えた。

 山椒はステージ裏に入れる扉に施錠されているのを確認し、「応援を呼ぶ。」と静かにスマートフォンを操作した。

 三栗は会場の出入り口にステージにいる能面と同様の被り物をした人間が扉を封鎖しているのが視界に入った。

「外で待機させていた警察がもう数分もしないうちにここに入る、三栗、ここを動くんじゃないぞ。」

 山椒がそう話している最中、三栗はもう待っていられずにステージをよじ登っていた。


「苺ちゃん!」

 三栗が叫んだ瞬間、苺を包んでいた布が勢いよく宙に舞い、タワーにたたきつけられた。

 それを皮切りに会場内に点在していたであろう能面の集団が幾人か参加者につかみかかった。会場が悲鳴や叫び声で包まれたその瞬間、会場には警察が幾人も乗り込み、黒尽くめの能面たちを次々に取り押さえた。

 ステージ上にいた能面たちは慌てた様子で懐から刃物を取り出し次々に三栗にとびかかった。

 そんな中、三栗は苺を見つめていた。真白な布から、真っ白で、細い、苺の脚がだらんとぶら下がっているのが見えた。

「苺ちゃん。」

 三栗には世界がスローモーションに見えていた。真っ白な苺の足がゆらゆらと揺れる。まるで風鈴のようだ。

 三栗が一歩前に出ると、少し離れたタイルが一枚三栗に向かって弾けた。たまたま動線に入った能面の首に刺さり、能面は首をかばって蹲った。

 残り二名の能面は同時に三栗にとびかかったが、遠隔から山椒に足を射撃され一人撃沈、もう一人はステージ裏から駆け付けた柿八子に組技をかけられ、取り押さえられた。

 ステージの真ん中にたどり着いた三栗は腕を伸ばせば届く距離にぶら下がった苺に触れた。

「苺ちゃん、そんなところにいたら危ないですよ。」

 よくよく見ると、布にはおびただしい量の血と、透明な糸が無数巻き付いていて、苺は無理やりツリーに張り付けられているようだった。

 苺のものと思える血がべっとりと滝のようにタワーと伝ってステージに広がっていた。

「今、降ろしますからね。」

 そういって三栗は苺の腰あたりを持った。するとずるりずるりと苺の身体は崩れ、床に四肢が落ちていった。

 三栗が自分の足元に目をやる前に、柿八子が駆け寄り、三栗をステージから引きずり降ろした。

 ゴトンっと鈍い音が会場に響きそれを聞いたのを最後に三栗の意識は途絶えた。


==


「おはようございます。」

 三栗はそういってリビングへやってきた。

「三栗、おはよう。今日はスープを用意しているからそれだけ食べなさい。」

 柿八子は三栗の席を整えながら言った。ほかほかのクリームスープの香りがリビングに広がった。

「ありがとうございます。」

「そう、今日は学校休みなさいね。疲れてるでしょ。」

 柿八子は努めて三栗の方を見ないで言った。

 学校では「苺は三栗と関わったから亡くなった。」と、もっぱらその噂でもちきりなのだと連絡を受けていたのだ。

「お母さん、今日、三栗は少し出かけます。」

「あら、どこにいくの?」

「苺ちゃん、のおうちの近くです。」

「…そう。」

 柿八子が振り向くと、三栗はまっすぐ光のない目で壁を見つめ、腕は力なくだらんと垂れ落ちてていた。

「…苺ちゃん、本当に亡くなったのかどうか、確認に行きたいんです。」

 柿八子はただならぬ雰囲気を感じて「三栗?」と声をかけた。

 苺のお葬式は、家族葬一部のかかわりの深い親戚以外は葬儀への立ち入りを断られたのだ。そのため、三栗自身、苺の死をまだ理解しきれていないのだ。

「やっぱり、私は人と関わると危険な目に合わせてしまって、果てには、最悪の場合、最終的に、殺してしまうのですね。」

 三栗はひたすらに茫然とした様子で、瞳に光はなく、壁一点を見つめたまま話した。

「…何言ってるの。三栗は見つけるのがうまいだけ。三栗が原因じゃないわ。」

 柿八子は本当にそう思っているし、そうでなくてはいけないと思っていた。人が人を殺すのに、無意識のものがあってはあまりにも加害側が哀れだ。


 …山椒と柿八子が、三栗へおとり捜査員、"ファーストペンギン"の役目を与えたのは三栗を加害者にしないためでもあった。

 これからの人生、三栗の行く先々でこれからもきっとテロや事件が起こることだろう。しかしそれは、三栗がテロや事件を起こしているわけではない。テロや事件の元へ三栗が向かってしまうのだ。

 現在三栗は未成年でなんとか庇えているが、今後成人し社会に出てからも事件に巻き込まれたり、目の前で数多の事件が起こりそれが続くようであれば、あらぬ噂やあらぬ疑惑をかけられかねない。

 なんなら、”不運体質”を利用しようとする輩もあらわれる可能性もある。

 そうなる可能性が消せないのであれば、両親は三栗を"コチラ"側の人間として取り込み、事件解決のため尽力させるのが第一に三栗の今後の平穏のためであると考えたのだ。

「私、苺ちゃんを助けられなかったんですね。」

 そういって項垂れた三栗は小さくて長いため息をついた。そんな三栗を見て柿八子は困ったようににっこり笑った。

「…三栗、今日は苺ちゃんの家の近くに行くんじゃなくて、お母さんに三栗の時間をくれないかしら。」


「三栗、アナタはもっと自分の役目を理解すべきだわ。」

 柿八子と三栗はショッピングモールへ繰り出していた。

 三栗の身体に柔らかいパステルグリーンのワンピースを柿八子は当てた。

「うーん、さすが私の娘、何でも似合うのね。」

「三栗はかわいいので…。」

 三栗は落ち込んだ様子だったが、ポジティブナルシストは健在だった。

「あの時に、アナタがあそこにいなければ、あの会場にいた全員が亡くなっていたかもしれないの。」

 柿八子はそういって別の色のワンピースを自分に当てた。

「ねえ、お母さんもとびきり可愛いわ…。」

「確かに、まるで少女のような可憐さです。さすが私のお母さん…。」

 そういわれ、ゴキゲンになった柿八子は先ほど三栗に当てたパステルグリーンのワンピースとおそろいのベージュのワンピースを購入した。

「三栗は、自分がどうしてその能力をもって生まれてきたと思う?」

 柿八子は別の店の帽子を被り、鏡に映った自分を見てにっこりと笑みを作って聞いた。

「…わかりません。本当に。」

 ショーウィンドウに飾られたアクセサリーを見ながら三栗はぼそぼそと話した。

「じゃあ何に使ったらいいと思う?」

 柿八子は別の帽子を被り、色々な角度で自分の顔映えを確認した。「もっと明るい色のほうがいいかな…。」と、別の帽子を手に取る。

「どういうことですか?」

「アナタのその《不運体質》よ。これからの人生、どう使っていく?」

「使うも何も、消えてなくなってほしいです…。」

「そうねえ。」

 と、柿八子は言って、三栗に向きなおした。スカイブルーの帽子を被っていて「どう?似合う?」と、聞いた。

 柿八子は淡い茶色の髪をしていて、スカイブルーの帽子はその髪と合い、顔をより明るく見せた。

「うん、似合います。」

 と、三栗が答えると満足そうに帽子を脱ぎ「三栗のも選んであげる。」と、他の帽子も物色し始めた。

「願望じゃなくて、どう使うか。と聞いたのよ。」

 三栗はずっとうつむいていたが、その言葉を聞いて顔を上げた。

 いつも優しくにこにこで、菩薩のような表情しかしない柿八子の眉間にしわが寄っていたのが一瞬見えたが、すぐにつばのひろい帽子を被せられてしまった。

 帽子の位置を整えて、柿八子を見ると、いつもの優しい笑顔を三栗に向けていた。

「三栗は白も似合うのね。」

 柿八子の被せてきた、白いつばが広い帽子はとてもさわやかだった。

 三栗は鏡を覗き込んだが、表情が浮かなく、素敵な帽子が浮いて見えた。

「…こんな体質、何に使えるんでしょう。」

 三栗は鏡に映った自分の桃色の髪を見た。店頭の電気に照らされいつもより色が濃く見えた。

「一度考えてみなさい。」

 柿八子はそういって、心ここにあらずな三栗の頭から帽子を脱がせた。

「帽子はやめておきましょうか。」


「お母さん、一個聞きたいんですが。」

 ショッピングモールから帰宅し、玄関先で三栗は言った。三栗に柿八子は向きなおして「じゃあまずは家に入りましょうか。」と、微笑んだ。

 三栗の足元では、ネズミが死んでいた。

「どうしてあの会場に私がいたら、死人が減るんですか?」

 ソファに正座しながら三栗は言った。柿八子は鼻歌を歌いながらワンピースをショッパーから取り出している。

「あの場は、《嘘かホントかわからないテロ予告》が来ていた会場だった。でしょ?…もちろん警戒は必要だけど人員を割くには甘い環境だった。」

 柿八子はカーテンレールにワンピースをひっかけた。おそろいのパステルグリーンとパステルベージュのワンピースだ。

「けど《実績》のあるアナタをあの会場に連れていくとなると、警察の動きも変わってくる。」

「実績…。」

「これまで事件に巻き込まれたアナタの《実績》。警察記録のほとんどに名前が登場する三栗がそこに居るだなんて警察もちょっと慌てるでしょ。」

 ウィンクをしながら柿八子はワンピースに被せられたビニールをはがした。

「これまで、人員を割かずに大量の死者を出したテロ事件がもういくつもこの国で起きている。けど体制は変わらないまま、たくさんの人が亡くなり続けているのよ。」

 柿八子は三栗の座っているソファの隣に座り、にこにこと微笑みながら三栗の手を握る。

「この平和ボケを維持したい国で、テロや暴動が横行しているのは事実。なのにみんな動くことを拒んでいる。その背を押すのが三栗、アナタだと思っているの。」

「け、けどそれって、やっぱり私の《不運体質》でテロが実現しているってことじゃ…。」

 三栗は少し足がしびれてきたので足を崩した。

「テロはアナタがいなくても起こってる。アナタが家で眠っているときや、学校へ行っているとき。予告だけあって決行されないものもあればされるものもある。けど、アナタはこれまで、予告のあったテロ会場に知らず知らず足を踏み入れテロに巻き込まれた経験がすでに30件以上ある。すべてがすべて死人が出たり、本格的に決行されたわけではないけど、決行される可能性の高いテロをほぼ確実にわかるなんて、素晴らしい能力だわ。」

 柿八子は優しく手を放して、キッチンへ向かい、温かいミルクを作った。

「アナタが予告のある《危険な場》に来ることで、ビビりの《警察》が会場へくる。それだけでも大きな進歩なの。」

 温かいミルクを柿八子から手渡され、三栗はミルクに優しく息を吹き付けた。ミルクの表面が波立ち、薄い膜ができた。

「この前の会場でも、あんな数の警察を用意することは本来不可能に近かったの。テロ組織の中には銃や手りゅう弾を持っていた者もいたと聞いているから、本当に最小限に被害は食い止められているのよ。」

 三栗は「被害」という単語を聞いて苺を思い出した。

 小さくて色白で、頑張り屋だった。お小遣いがもらえたら一緒に遊ぼうと約束をした。

「苺ちゃんは、私と友達になったこと、後悔してるかな。」

 三栗はミルクを一口飲んだ。

「苺ちゃんのお父さん、あの会場にいたけど無傷だったわ。講演者の番茶出花婦人もステージ裏で縛られていたけど命に別状はなかった。」

 そういって柿八子もミルクを一口飲み「アナタは苺ちゃんの大切な人を救ったの。」と言った。


==


「今から、大切な話をする。」

 帰宅した山椒は眼鏡をビカビカと光らせながら、ホカホカのお茶を啜った。

「今回のテロ事件に関わった組織がうっすらとわかってきた。」

「え!」

 三栗は自分の席から立ちあがるほど吃驚した。

 テロ予告があったとはいえ、現代社会でテロを企てる組織は湯水のように湧き、なかなか特定へ繋がらないのが現状だったからだ。

「『解語かいごの花道』という宗教団体の名前が浮上した。」

 山椒はどっしりとリビングチェアに腰かけて言った。うまいことライトアップされていてなかなか貫禄があるように見えた。

「『解語の花道』はここ十数年の間に大きくなった新興宗教団体、民族宗教から分離した女性蔑視への疑問を持つ女性優遇団体ね。」

 柿八子はにこにこと話した。両親の話しを聞きながら、三栗はたらりと冷や汗が一筋垂れた。三栗ですら知っている大きな新興宗教だったのだ。

 なんなら若い子の間で流行っている。若い少女がこぞって入信したりなどニュースになることもある現代で人気のある団体でもあった。

「けど、女性が穏やかに暮らせる世界を、とスローガンにしていて平和主義で知られているのに、テロなんて。」

「そうね、三栗の言うように世間一般には平和主義としての露出が多い。けどどうしても自分たちの意見が通らないと暴動に出てしまう人も、中に入るのよ。」

 柿八子は少し寂しそうに言った。そして付け足すように「でも、全員じゃないわ、絶対に。本当に平和を願って活動をしている人のほうが多いはずよ。」とも。

「しかし、今回この事件で、名前が挙がった。死者も出たテロ事件にだ。」

 光らせた眼鏡の隙間からぎらりと、山椒の鋭い目線が見えた。

「講演会を行っていた番茶出花さんへの事情聴取で、名前が出てきた。『怒髪天の会』から『解語の花道』へ改宗するものも最近多くみられて、その結果『怒髪天の会』は異教として弾圧されている背景があるそうだ。」

 山椒は手元に資料を取り出し読み上げるように言った。それを聞いて柿八子も三栗に話しかけるように説明をしてくれた。

「『怒髪天の会』は、宗教と呼ぶにはまだ幼いけど思想の似た人たちが集まり、世の中をより良くするためにエンターテイメントが必要だといっている団体よ。」

「なんだかすごく平和な団体ですね。」

「そうね、名前以外は平和よね。」

 どうしてそんな平和を願う人が、平和をもっと願う団体へ移動し、その結果もともと自分たちのいた居場所を攻撃してしまうのだろう。三栗は何とも言えない気持ちになりながら、指先をいじった。

「まあ今回の事件はこんなところだ。まだ真相もわかっていないし、想像の域を超えないんだ。」

 山椒はそういってガサゴソと資料をしまうと、三栗に向きなおして「今後、事件の捜査に出るかどうかは三栗に任せる。」と、言った。

「え!私ですか?」

「そうだ、お前はいまおとり捜査官のタマゴだ。今回の事件で怖じ気ても仕方がない。これから名前の出ている『怒髪天の会』や『解語の花道』のかかわった事件は避けたってかまわない。」

 山椒はそういって再びどっしりとリビングチェアに座りなおした。三栗はそういわれてはじめて、そういえば自分はおとり捜査に入っていたのかと思いだした。

「あ、あの、私の思っていた、おとり捜査と違ったのですが。」

 三栗はおそるおそる挙手をした。

「まあ今回はおとりというよりは潜入捜査だったな。中心の組織もわかっていなかったし。」

「で、ですよね。やっぱり私いらないんじゃ。」

「そんなことはない。今回あの場でテロ事件が起きたのを事前に察知し、実行まで移すかもしれない事件をたまたま三栗、お前が発見したんだ。」

「ど、どういうことですか。」

 三栗は全く意味が分からず聞き直したが、山椒は細くため息を吐くと「だんだんわかるさ。」と言った。

 柿八子も眉を八の字にして、三栗に微笑みかけた。三栗は「自分は何をさせられているのだろう。」と、心の中に隙間風が吹いたのだった。

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