1st Penguin☆MIKURI

大西 憩

第1話:驚愕!生まれながらのおとり捜査官桃井三栗

 桃井三栗ももいみくりは高校2年になった。

 髪全体を桃色にそめて、内側に栗色のインナーカラーをいれた奇抜な頭に、緑の瞳。桃の形をしたのリュックを背負い、制服を改造してピンクと茶色で統一。名前に恥じぬなのだ。

 そんな桃井三栗はそんな見た目も相まってやっぱりとにかく目立っていた。

 三栗の父は警視庁に勤め、母は検察官。そんな優秀でエリートな両親も三栗には頭を抱えていた。…奇抜な頭や格好なんかの素行に頭を抱えているわけではなく、三栗はとんでもない超がつくほどのなのだ。

 三栗の行く先々で殺人が、自殺が、強盗が、殺戮が、テロが起こるし三栗は否応なく出会ってしまう。混沌とし殺伐として現代社会、今現在進行形でテロや暴動の横行が増えており、それに伴って新興宗教やらがどんどんどんどんと増えている傾向にあるのも一要因だと両親は考えてはいたものの、それにしても【超☆不運体質】なのだ。

 三栗の不運は大なり小なり規模を問わず、三栗が外を歩けば目の前で事故が起き、死体と出会う。一歩進めば頭上からの死体が降ってくる。移動をすれば痴漢やストーカーにも真っ先に目を付けられ、心霊スポットの近くを通ればやっぱり霊にとりつかれる。

 三栗があまりにも不運であることに心配した両親は三栗をお祓いにも連れて行った。…日本一と謳われた霊能者は三栗と対峙し、祈祷をしてもなにをしてもダメ。三栗の不運に手も足も出ず、泡を吹いて倒れてしまった。


 そんな三栗はありとあらゆる武芸を教わり、自分を守る能力をしっかりと身に着け、両親の育て方もあり賢く、ポジティブな少女に育った。

 しかし狙われてばかりでは危険だと、両親は『』をたてた。少しでも不幸が、そして危険が三栗から一ミリでも立ち退くようにと現在の奇々怪々な格好の桃井三栗が生まれた。

「三栗、高校生活はどうだい。」

 三栗の父、桃井山椒ももいさんしょうは優雅に朝のお抹茶を啜りながらドでかい電子書籍で新聞を読んでいる。細いフレームのメガネは抹茶の湯気で曇り切り、目ものが見えない。

「三栗ちゃん、朝ごはんキッシュだけど、いくつ食べられそう?

 三栗の母、桃井柿八子ももいしやこは、てきぱきと朝の食卓を作っていく。艶のあるサラサラのボブヘアが朝日に照らされている。

「お父さんお母さんおはようございます!」

 ハキハキと元気よくあいさつし、三栗は自分の席へ着いた。

「学校は楽しいです!校庭の真ん中に大きな木があってそれを教室で眺めたり休み時間には触りに行きます!キッシュは2つ食べたいです!いただきます!」

 一息に三栗は言うと、すでに用意されていたキンキンの牛乳をぐびぐびと飲みほした。

「そうかそうか」

 と、両親二人はにこにこと笑った。二人は三栗が楽しそうであればそれでいいのだ。

「お友達はできたの?」

 柿八子は焼きたてのキッシュを用意しながら聞いた。

「学校では5人程います。」

 と、三栗はサラダを食べながら答えた。

 今年から高校二年生となり、クラスが代わった。一年生の頃は三栗の超☆運体質に怯えたクラスメイトが誰も三栗に近寄らず、友人が全くできず三栗は息のし辛い教室に毎日通う羽目になり四苦八苦した。

 暖められたキッシュが目の前に置かれ、三栗は「わあ!」と声を上げた。ふくふくの卵につやつやのパイ生地が、さわやかな朝日に照らされてとてもおいしそうだ。三栗はキッシュを口に投げ込み、ほくほくと熱さを逃がしながら食べた。しっかりとした味付けなのに上品でおいしい。

「三栗はおいしそうに食べるなア。」

 と、山椒は笑った。それにつられるように三栗も笑い、柿八子も笑った。そんなこんなで三栗はあっという間に朝食を平らげてしまった。

「では!行ってまいります!」

 三栗はそそくさと朝食の後片付けをしたかと思うと、父と母に敬礼し、学生鞄を肩にかけると玄関へ向かった。

「三栗、ちょっと待ちなさい。」

 もう背を向けている三栗に、山椒は落ち着いた声で言った。

「今夜、三栗に言いたいことがある。」

 三栗はそういった父、山椒の顔をちらと振り向いて伺った。声に反して山椒はにっこりと微笑んでいた。その表情に安心し、「わかりました!寄り道せず帰ってきます!」と、三栗は答えた。

 そのまま家を出て、三栗は学校へと向かった。


===


 学校につくと、三栗は校門近くの桜並木を見上げた。大きな桜の木が数えきれないほど一列になって並んでいる様は圧巻で、三栗は入学式の日を思い出した。ワクワクしながら校門をくぐったな~なんて、悠長に考えながら三栗は歩いていたため、足元にあったどでかい石に躓いた。三栗は転倒しながらも受け身をとり、いまだに物思いにふけっていた。

 進級してからまたひと月も立っていないが、なんだか懐かしいような、落ち着く雰囲気がこの学校にはあった。

 ここは『私立梨ノなしのつぶて高校』。三栗の父と母もここを卒業している。国内屈指の進学校だ。偏差値は軽く七十を超え、名だたるお金持ちの子ども、優秀な子どもが通いに通っていた。

 三栗が校庭脇に連なっている桜を立ち止まって見上げていると、頭上から「あぶなーい!」と声が上がった。キョロキョロと三栗が辺りを見渡すと、三栗の頭上から足元へと、大きな高枝切りばさみが降ってきた。

「スンマセン!怪我無いっすか!」

 そういって桜の木から滑り降りてきた男性が三栗に頭を下げた。

「大丈夫です。いつものことなので。」

 三栗は穏やかに返事をし、教室へと向かった。背後では「スンマセンした!」と男性が大声で頭を下げていた。

 靴箱の扉を上げると扉のねじが外れ、三栗の靴箱が壊れた。三栗は慌てる様子もなくカバンからドライバーを取り出し、きゅるきゅると靴箱を治した。

 教室へ入ると、「あー!」という大きな声と共に衝撃を感じ三栗は後方に倒れた。三栗が扉を開けたタイミング丁度に転倒した生徒の下敷きになったのだ。

「ってて…。ギャッ!三栗ちゃんごめん!アタシこけちゃって!したら丁度扉が開いて!」

 三栗の頭上から声がする。三栗の上には馬乗りになったクラスメイトがわいのわいの騒いでいた。

「体は丈夫ですので大丈夫です。蜜柑ちゃんこそ大丈夫ですか?」

 三栗の上から飛び降りたのは、クラスメイトの山吹蜜柑やまぶきみかんだった。蜜柑はぺこぺこと頭を下げて、三栗のスカートについたホコリを払った。

「蜜柑、なんでなんもないとこでコケるのよ。三栗ちゃん大丈夫?」

 と、こちらに近付いてきたのは同じくクラスメイトの星葡萄ほしぶどうだ。葡萄は豊かで艶のある黒髪を腰まで伸ばし、さらさらと揺らしながら呆れたように笑っていた。

 葡萄の隣にはにこにことこちらを見ている蜜柑と同じ顔の、山吹檸檬やまぶきれもんがいた。

 蜜柑と檸檬は一卵性双生児、二人は顔がそっくりだった。しかし性格や表情は真反対で、いつも騒々しい蜜柑とそれをにこにこと眺める無口な檸檬は学校の名物だ。髪の毛が名前の通り、蜜柑がオレンジ色、檸檬は黄色に染めていた。これは両親が分かりやすいようにと染めてしまったらしい。

「きっと私の不運のせいですね。」

 と、三栗は言って蜜柑の赤くなったおでこをさすった。蜜柑は「三栗ちゃんは優しいな~。」と、涙を流している。

 そんなことをしている間にチャイムが鳴り、HRが始まってしまった。

 急いで三栗は窓際にある自分の席に付き、一息ついた。クラス担任の女性教師が今日一日の流れについて淡々と話すが、その声は三栗の耳には入らなかった。

 窓から校庭を見ると、見ているだけで壮大な気分になる巨木が校庭のど真ん中に立っている。

 三栗は今年一年ずっとこの席がいいな、と思い桜吹雪の舞う校庭を眺めていた。


 放課後、三栗はそそくさと帰りの用意をしていた。今日も体育の時間に空から鳥の糞が落ちてくるわ、授業中に蜂が乱入してきて三栗だけ追い回されるわ散々だったが、今は父の話を聞かなくては、と帰宅することで頭がいっぱいだ。

 隣の席の少女が「三栗ちゃん今日も絶好調やったね。」と、声をかけてきた。彼女は鶯小梅うぐいすこうめだ。良家のお嬢様だそうで、物腰も上品。不運体質な三栗に一年生のころから声をかけてくれて、かいがいしく親切にしてくれる少女だった。

「おかげさまで大事に至らず済んでいます!」

 と、三栗は小梅に深々と九十度ほど頭を下げた。

 小梅は口元を隠してコロコロと笑うと「三栗ちゃんは苦労人やね。帰ったらゆっくり休みなね。」といった。小梅は「では、さようなら。」とお行儀よく頭を下げて静かに教室から出て行った。

 その後ろ姿を見送った三栗は、改めていそいそと通学鞄にめり込むように帰宅準備を始めると、

「三栗ちゃん、今日放課後一緒に遊ぼ。」

 と、単調な声が聞こえたため再び頭を上げた。

 三栗の机の傍に、クラスメイトの一江苺いちえいちごがいた。三栗の机に腕を乗せ、その上にこてんと頭を乗せている。とても小柄な少女で大きな瞳が愛らしい。苺も、一年生のころから三栗に良くしてくれているクラスメイトの一人だった。

「苺ちゃん!今日、学校来てたんですね。」

 帰宅準備をする腕を休めることなく、三栗はそういった。

「そう、今日は午後から、保健室登校したの。」

 苺は抑揚のない単調な話し方で言った。三栗はその言葉を聞いてうんうんと大きく頷いた。

「えらいですね!頑張って登校!」

 三栗が笑ったと同時に、苺は嬉しそうににっこり笑った。

「放課後の件なんですけど、申し訳ありません。今日は両親と予定が…。」

 三栗は申し訳なさそうに苺を見た。苺は少し悲しそうに眉を八の字にしたが、「そっか。」とだけ言い残し三栗の机からよちよちと離れた。

「また!見かけたらお誘いしますね!」

 苺の背中に向かって三栗は話しかけた。苺は立ち止まって振り返ると、にこっと微笑み、葡萄たちの元へゆっくりと歩いて行った。

 苺と葡萄は幼馴染なので、よく一緒にいるところを見かける。葡萄は「じゃあ私と一緒に遊びながら帰ろう。」と、苺に声をかけてくれていた。苺は微妙な顔をしながら「うーん。」と唸り、教室から出ていった。葡萄もそれを追って出ていった。三栗はそんな二人の様子を見て、幼馴染っていいなあ、と思うのだった。

 帰りの用意が済むと、三栗は鞄を抱え勢いよく教室を出た。


 三栗は帰宅中も目の前でカラスが突然死、バイクのお兄さんが三栗に向かって突っ込んできたり、様々な不幸に見舞われたが、のらりくらりと避け、逃げ、すり抜けた。…そして日が暮れる前に無傷で帰宅することに成功したのだった。

「ただいま帰りました!」

 三栗の大きな声が玄関に響くと、奥から母、柿八子が出てきた。

「おかえりなさい。今日は帰りが早いのね。」

 と、三栗の体中についたホコリや葉っぱを払って柿八子は言った。三栗もにこにこと「寄り道せずに帰りました。」と、答えた。

「お父さん、もうちょっとで帰ってくると思うから、先にお風呂済ましちゃいなさいね。」

 と、柿八子は言った。

「お母さんも今日、帰りが早いですね。」

 と、三栗が靴を脱ぎながら言うと、「今日は午前だけだったの~!」と、嬉しそうに柿八子はキッチンへ戻っていった。

 柿八子は凄腕検察官なのだが、家ではゆるふわ系の母親なので三栗は法廷での母はどんな人なのだろうといつも疑問に思っていた。

 父が言うには「母さんは、法廷にいるときはずっと眉間にしわが寄っていて怖い。」とのことだったが、三栗には想像がつかなかった。

 三栗がお風呂を済ませ母の家事手伝いをしている中、父が帰ってきた。三人で食事中ずっと父である山椒は仰々しい面持ちをしていた。

 夕食の片付けを終えた母と三栗はいそいそと自分たちの席に座り、父の様子を見た。

「片付けてくれて、どうもありがとう。」

 山椒は眼鏡を光らせながらそう言った。どんなときも山椒はお礼を忘れないのだ。

「三栗、早速だけど、話をしてもいいかい?」

 山椒がそういった。三栗はただならぬ緊張感を肌に感じ、一瞬で喉が渇いてきたのでぐびっと一口お茶を飲み、大きく頷いた。


「いきなりだけど、君は生まれながらの《ファーストペンギン》なんだ。」

 三栗が茫然と山椒の話を聞いていると、三栗の手を柿八子が机の下で握った。

「この世には運に恵まれた人間と、恵まれなかった人間がいる。三栗、君は恵まれなかった人間だ。これまでの生活でおかしなことが多々あったろう。狙われに狙われ、襲われに襲われ…。君の運の悪さはさながら《ファーストペンギン》。けど君は、これまでに一度も命を落とさなかった。

 氷の崖っプチに常に立たされながらも絶対に海に落ちなかった。君は運が最高に悪くて、運が最悪に良い子なんだ。」

 山椒はつらつらと話すが、三栗は話の三割も理解できていなかった。

「君は、神様が僕とお母さんにさずけてくださった、《おとり捜査官》になりうる子どもなんだ。」

 山椒はそういって机を乗り出した。

「お、おとり捜査官?」

 ずっと黙って話を聞いていた三栗もさすがに声を発した。

「三栗、君が生まれてからというもの、この家には計147回強盗に入られたね。」

 腕を組んだ山椒は確認するかのように腕を組んで頷いた。

「そのどれもお父さんが現行犯逮捕、帰宅時に発覚した強盗事件の場合は私が証拠をつかんで犯人逮捕に終わっているわ。147件すべてよ。」

 柿八子は湯飲みを持ったままそういった。

「三栗が生まれてからというもの、お父さんはもう…。」

 山椒はガタガタと震え、手元のお茶はぼたぼたとこぼれている。

「お、お父さん。」

 三栗はこれまでの苦労を謝罪し、労おうと父に手を伸ばした。

「三栗!生まれてきてくれてありがとう!」

 そういって顔を上げた山椒の顔は涙でぐちゃぐちゃだ。

「確かに、三栗の小さい頃はお父さんもお母さんも必死だった。」

 山椒はぼたぼたと涙を流しながら話し続ける。

「とにかく、三栗を死なせまい!不運から助ける!どうにかして普通の子のように育て上げる!…それだけでがむしゃらに頑張ってきた。」

 山椒の言葉を聞いて柿八子もうう…と唸り涙を流し始め、目頭をレースのハンカチで抑えた。

 三栗は自宅だというのになんとも居辛い気分になった。

「けど!三栗が生まれてきてくれてからというもの、父さんも母さんも昇進昇進昇進の嵐…!」

 そういって、山椒は三栗の両手を思い切り握り「三栗!生まれてきてくれてありがとう!」と、近所から苦情がくるんじゃないかというくらいバカでかい声で言った。

 三栗はあまりの勢いにぎょっとしていたが、とりあえず「お父さん、涙と鼻水で、顔がぐちゃぐちゃですよ。」と山椒に声をかけた。

 柿八子はいつのまにやら涙が止まったようでにこにことした表情のまま、机を拭いていた布巾で山椒の顔を乱暴に拭いた。山椒はされるがまま「ありがとう…!」と言った。

「そして三栗…。そんな君に頼みなのだが、」

 山椒はこすって真っ赤になった顔のまま、三栗の手を放し席に座りなおした。

「これから、父さんと母さんと一緒に《おとり捜査官》として捜査に参加してほしい。」

 山椒のその言葉に、三栗はぱちくりと瞬きをした。意味が理解できなかったのだ。

「お父さんの上司さんがね、三栗のうわさを聞いておとり捜査官としてどうだって言ってくれたのよ。」

 柿八子はにこにこと簡単に説明した。…それでも三栗は理解ができない。


「実は最近、テロ行為や殺人が過剰に増えていてな。父さんと母さんが専属でそれらの調査に取り組むことになったんだ。」

 生真面目そうに言う山椒の言葉を聞いて、三栗は口をパクパクさせた。

「ま、まってください。まず娘、それよりも、女子高生を事件に巻き込んでいいんですか?」

 三栗は勢いよく立ち上がり、机をたたいた。冷や汗がだばだば溢れるのを感じた。

「それにそれに、お母さんは検察官じゃないですか。捜査なんてするんですか?」

 三栗は自分の頭から水蒸気がでているような気がするほど体がほてってきていた。

「事件があればそこに向かって、検察官も捜査をするのよ。」

 柿八子はにこやかに答え「それに、三栗がいればそこは事件現場になるんだから、呼び出される時間ロスもないってわけよ。」と、ウィンクをして言った。

「大事な娘を危険な場所に連れて行くというのですか!」

 もう三栗はその場でじっとしていられなかった。優しくて大好きだった両親に余命宣告、いや、殺害予告をされた気分だった。

「何言ってるの三栗、アナタを危険な目にはあわせないわ。それに、アナタ自身も守られなくても大丈夫なほど、武術を身に着けてきたはずよ。」

 隣の席に座っていた柿八子の眼光が鋭くなる。

「そうだ、父さんと母さんは大抵の武術は会得しているし、三栗の安全が確保されていなければこの話は飲んでいない。」

 山椒の眼鏡がぎらりとひかる。三栗は「そうはいっても…」と、テロだの殺人だのと言う単語を想像してぞっと背筋が寒くなった。

「今までいろんな目に合ってきたけど、どれもまぐれでどうにかなってきただけなのに。そんなの無理です…。」

 三栗はもう今にも泣いてしまいそうだった。なんならすでに少し泣いている。

「大丈夫!」

 山椒は立ち上がり天に向かって人差し指を立てた。メガネは煌々と光を反射している。

「三栗は!」

 そういって柿八子が続くと、二人は声を合わせて言った。

「「僕(私)たちの!子どもだから!」」

 三栗はもう二人に話は通じまいとがっくりとうなだれ、ぼたぼたと涙を膝にこぼした。


==


「三栗、お前は今日からこの国の要『ファーストペンギン』だ。」

 山椒はそういって、三栗の涙を武骨な両手で、ぐいっと拭って見せた。

「ふぁーふとぺんぐいん…。」

 山椒に頬をつかまれている状態の三栗はもごもごと話しにくそうに復唱し、大きなため息をついた。

 だって、ファーストペンギンというのは天敵がいるかもしれない海へエサを求めて最初に飛びこむ一羽のペンギンのことだ。三栗には仲間に押されて海へ落ちていくその姿はあまりにも不運で間抜けだと感じていたからだ。

 三栗の気持ちが顔に現れていたのか、山椒はこう続けた。

「三栗、海外ではね、ファーストペンギンは勇敢で素晴らしい、という意味でつかわれるんだ。」

 山椒は三栗の頬から手を放し、にっこりと笑った。

「リスクをとって、チャンスをつかむ存在なんだ。誇らしい存在のことを表す言葉なんだよ。」

 三栗はその言葉を聞きながら、テレビで見たペンギンの映像を思い出した。

 ペンギンたちは氷上の上で仲間とずっと押し合いを続ける。不幸な誰かが落ちていくのを、みんなみんな待っているようで、三栗はひどく悲しくなったのだ。



 家族会議があった日の夜、三栗は恐ろしい夢を見た。

 自分は一匹のペンギンだった。


 氷上にはたくさんのペンギンの群れが蠢き、みるみるうちに間抜けな自分は氷上の一角へ追い詰められてしまいあっという間に氷点下の海へ真っ逆さまになる夢だ。

 耳元でゴウゴウと海が渦巻き、全身がキンキンに冷えて、三栗は何度も「助けて!」と叫んだ。エサを探すのも忘れて必死にみんなのいる氷に手を伸ばした。

 すると、自分の足元がぞわぞわと嫌な雰囲気を感じ、海をみると、海底からすごい勢いでシャチがこちらに向かっているのが見えた。

 私は死を感じ、もっともっと大きな声で「助けて!」と叫んだ。すると、数匹のペンギンを残して、みんなみんな氷上から去っていってしまった。ザバンッという大きな音が聞こえて、背後に目をやると、自分より何倍も何倍も大きなシャチが海上へ飛び上がっていた…。

 …そんな夢を見た後の寝覚めは最悪だった。まだ春だというのに自分の身体が凍ったように冷えている気がして、朝から熱々のシャワーを浴びたくらい、リアルだった。

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