第7話 屏息
今夜の宿は静かでお客は少ないようだが、使用人たちも寝静まったころ。
さくらたちは若女将の居室の押入れに潜んでいた。
サエは妊娠が分かってから、宿の主人とは起居を別々にしている。仕事よりもまずは跡取りを期待されている、といえば聞こえはいいが、サエに言わせてみればそれは言い訳だという。
黒鉄屋の主人には、サエが嫁す以前よりいい人がいて、建前上妻を娶ったものの、そちらに熱心とのこと。なので、嫁いですぐに子ができたのは意外だったらしい。
押入れに入る前、サエが語ってくれた。
「水原の旦那さまは昨年、水害で命を落とされまして。夜、堤が切れたという知らせを受けて、川の様子を見に行ったきり、帰って来へんなって……三日後に、下流で見つかったときにはもう」
当時、励ましてくれたのが義弟の三郎だったという。おそらく、新選組に入る前のこと。兄の葬儀を出して、家は次兄が継ぎ、サエも水原家を出ることが決まったので上洛したと思われた。
「知人にお願いして、再嫁先を探してくださったんも三郎はんでした」
「あなたが危篤とかいう怪文書を読んで、水原は脱走しました。差出人はあなたですか」
申し訳ありません、サエはきれいな江戸ことばで謝罪を述べ、頭を下げた。
「怖うなって。すんまへん。この子、もしかしたら、黒鉄屋の主人の子ぉやないかもて、思うて。おおげさに書いてしもうて。すんまへん」
すぐに関西訛りに戻るあたり、混乱しているのか。それとも媚びているのか。
「堕ろそ思うたけど、無理やった。三郎はん、呼び出してしもた」
妊娠しているのを知らずに、嫁いでしまったサエ。
「水原は、隊に黙ってこちらへ参りました。あなたを思っての動きでしょうが、致命的な隊規違反です。覚悟があったのか、水原に聞きたいのです。このまま、待ちます」
……と、やり取りをしてから一刻が過ぎた。
弟同然と思っていた総司と、狭い押入れに隠れているが、そろそろ息が詰まってきた。そういう目で見たことはないけれど、今では立派な男子。一個の大丈夫である。
「早く水原があらわれませんかね。押入れにふたりって、そろそろきついなあ。暗いし、狭い。ねえ?」
心の内を見透かされたような総司の呼びかけに、さくらはあわてた。
「そ、そうだな」
山南さんでなくて、よかった。こんなに近くにいたら、鼓動が漏れてしまっただろう。勇だったら、だいじょうぶかもしれない。三国志の話などをしてくれて、飽きさせないようにしてくれるはず。歳三は……別の意味で、面倒そうだ。
「あ、来ましたね誰か」
姿は見えないけれど、戸を叩く音がした。人の気配もある。わずかに開いた襖の隙間から、室内を見渡すのは総司の役割。さくらは髪かんざしに手を当てた。臨戦態勢、いつでも戦える。
水原であってほしいような、ほしくないような。本人だったら、つかまえなければならないし、抵抗するようならば傷つけなければならない。印象は薄かったが、挨拶をしっかりとする礼儀正しい隊士だった。
「さあ、行きますよ、水原に間違いありません。私が水原を押さえます。島崎先生は若女将を守って」
「承知ぃ」
総司は脇差を構えた。さくらも飛び出す体勢を整える。総司の号令で、ふたりは部屋の真ん中へ向かって跳んだ。
不意を突かれた水原は身構えるひまもなく、驚いた顔で追っ手を見たけれど遅い。素早く、総司が水原の腕を縛り上げる。さくらは水原がおかしな動きをしないよう、若女将の安全を保ちつつ抱きかかえ、かんざしの先端を首もとに突きつけた。申し訳ないが、人質に取る。
バケモノでも見たかのような目で、水原はさくらを凝視している。
「しま、ざき、せんせい……、女装で?」
この場面で、それか? そこを突っ込むのか? そして、完全に誤解されてしまった。しかし、今は説明するときではない。
「水原三郎、おとなしくしろ。すぐには罰せない。話は聞く」
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