第88話 パンとスープとハンバーグ
『バンバン、バシン』
今、あたしは宿の部屋でパン生地を作っているの。早朝まだ日が出るかどうかの時間なのだけど、結構な大人数分のパンを準備するとなるとそれなりに時間もかかるもの。ただ、そうは言ってもこれだけの音をさせては周りに迷惑なので風属性魔法で遮音結界を張ってある。ふふふ、あたしって気配り上手ね。気配りついでにナッツ類を小さめに砕いて混ぜておいたわ。今日はナッツ入りのパンにするつもり。
良い感じに仕上がったパン生地を鍋に入れ、火属性魔法で軽く人肌程度に温め、粗めの布で軽くフタをする。これで昼前までには1次発酵が終わるはず。マルタさんに昼休みの少し前に馬車の中で少し作業をする許可はもらってある。そこでガス抜きをして生地を1時間ほど休ませ、成形してさらに1時間ほど2次発酵。そのくらいでちょうど昼休憩になるはず。計算通りにいけば。さすがに宿の調理場を借りるわけにはいかないので昼に焼いて焼き立てパンを食べてもらうことにした。夜は昼に焼いたパンと買い込んだ食材でちょっとしたものを作ればいいかな。
「おはようございます。アサミ様」
「マルタさん、おはようございます。出発の準備はよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろんです。今日も護衛よろしくお願いしますね」
朝食の後、マルタさんと朝の挨拶をしているのだけど。
おかしいわね。普通、この手の挨拶は護衛チームのリーダーがするものじゃないかしら?
瑶さんを見る。苦笑しているわね。マルティナさんは、なんかキラキラした目で見てる。
それならとフアンさんに視線を向ければ。満面の笑みで親指を突き出してきているわ。この世界でも同じ意味なのかしら。
でも、仕方ないわね。あたしは大きく深呼吸をして号令をかけたの。
「出発」
ゆっくりと動き出す荷馬車とそれに合わせて周囲をあたしたち護衛チームが固める。村の出口の簡素な門を出るところで、あたしは探知魔法を展開した。
うん、特におかしな反応はないわね。野生動物らしいものの反応はいくつかあるけど、それは問題ないわ。普通の野生動物は、あえて人間に近づいてきたりしないから。人の反応は村の中からだけ。
人の住む場所のそれも街道沿いでは魔獣・魔物・盗賊のどれもがめったに襲って来ないっていうことなので初日は探知魔法の練習をかねて普段より魔力をつぎこんで展開範囲を広げてみている。魔力の回復量より多めに消費しながら探知範囲を確認。当然戦うことも想定するので魔力がある程度減ったのを感じれば通常の範囲に切り替えるのだけど、魔力をモリモリ消費すれば探知範囲が今のあたしだと最大で半径500メートルくらいまで……、あ、探知魔法を5つ重ね掛けしてるから5倍消費しているはずね。
試しに展開する探知魔法をマナセンスだけにして魔力をつぎ込んでみた。あら、同じ消費量ならやっぱり広がるわね。探知範囲が大体1500メートルを切るくらいかしら。次にマインドサーチで同じことをしてみた。やっぱり同じように大体1500メートル弱まで行けたわね。これはちょっと実験が必要かもしれないわね。次に町か村で泊まるときに限界まで魔力消費したらどこまで探れるか実験してみようかしら。
そんな事を考えながら時々パン生地の発酵状態を確認して進み、そろそろ発酵状態も良い感じになったので、あたしはマルタさんとフアンさんに声を掛けに行くことにした。
「しばらく食事の準備に馬車の一部を使わせてもらいますね。護衛が必要な状態になるようでしたら参戦できるようにはしておきますので安心くださいね」
1次発酵の終わったパン生地を捏ねてガス抜きをして、丸く小分けにする。大きめのお鍋をいくつか借りてクリーンを掛け、そこに小分けにしたパン生地を並べて上からクリーンでキレイにした布にウォータで出した水で湿らせて上にふわっとかけて一旦作業は終了。ここから20から30分ベンチタイムで生地を休めないとね。あっと忘れてた、少し温度を低めにするのに水属性魔法でやや大ぶりの氷をいくつか作って布の上においておくのがいいわね。
ピョンっと馬車の後ろから飛び降りてマルタさんとフアンさんに声をかけておく。
「作業が一区切りついたのでしばらく護衛に戻りますね。ただ、また少ししたら作業があるのでよろしくお願いします」
「俺たちの飯の準備をしてくれてるんだろう。ありがとうな天使ちゃん」
そう言うフアンさんに頭を撫でられちゃった。子供扱いされてるようで微妙な感じね。
「一応14、あ、この国の数え方だと16歳の女の子なので、あまり子供扱いされるのは抵抗があるんですが」
「え、あ、すまんな、俺の娘と同じ年代に見えたものでつい、な」
子供扱いの意味が違ったのね。実の娘さんと同年代かあ。
「娘さん、おいくつなんですか?」
「ああ、16歳だ。天使ちゃんと同じ年だな。もう少しで嫁に行くことになってるんだ」
なんかフアンさんが視線を遠くに向けて寂しそうな顔になったわね。それにしても、この世界だとあたしの年だともう結婚する人がいるのね。あれ?そういえばエルリックでは、あたし年齢より下に見られること多かったのだけど、フアンさんは年齢を見間違わなかったわね。
「ねえ、フアンさん。あたしエルリックでは年より下に見られること多かったんですけど、ちゃんと16歳にみえます?」
「ん?いや天使ちゃん普通に16歳くらいに見えるぞ。なんで下に見られたのか分からないな」
「そうですか。ありがとうございます」
そんなやりとりの後、あたしは瑶さんの横で探知魔法の練習をしながら護衛についた。
「どうぞ、召し上がってください」
あのあと、成型と2次発酵を終わらせ、土属性魔法で作った竈で焼き上げたナッツ入りのパンに村で仕入れた肉で作ったステーキで昼ご飯をつくり提供した。
「おう、旨いな」
「前から思っていましたけど、アサミ様の焼くパンはフワフワでいい匂いで美味しいですね。私は仕事の関係もあり、王都にも何度か行ったことがあるのですが、これだけのものは味わったことありませんよ」
「ふふ、料理を美味しいって言ってもらえるのはうれしいですね。夜にはパンはこれですけど、ほかにもうちょっと凝ったものを作ってみる予定です。期待していてください」
午後は、特に準備もないので探知魔法の練習をしながら普通に護衛として馬車の横をついていった。
「この辺りは魔獣とか出ないんですか?」
「この辺りは魔獣の出る領域と盗賊の出る領域の境目あたりだな。盗賊も魔獣に十分に対応できるレベルの盗賊になってくるから少々手強くなるな」
「魔獣と戦えるレベルの強さがあるのにわざわざ盗賊になるんですか?普通にハンターでも傭兵でも稼げると思うんですけど」
「実力的には天使ちゃんの言う通りなんだけどな、性格的な問題でな……」
フアンさんの言葉にあたしは女神の雷やハンターギルドでいきなり絡んできたガルフという6級ハンターを思い浮かべた。つまりはそういうことなのね。
「その盗賊はやっぱり町や村の近くには出ないんですか?」
「そうだな、町や村の人間が出歩く場所ではさすがにすぐに討伐隊が組まれるからな。街道までとなるとさすがに国や領主様も手が回らないから、盗賊たちはそういったあたりで獲物を待ち伏せるわけだ」
「そうすると、今日は?」
「まあ今日明日は多分大丈夫だな、明後日あたり盗賊、その翌日から魔獣が襲ってくる可能性がある感じだ」
フアンさんの話を聞きながら午後の護衛を終えて、今は夕食の準備中。
まずは、村で仕入れたキノコと野菜をベースにスープを作って、冷めないように小さめの焚火に掛けておく。
次が本命。買っておいた肉を包丁代わりのナイフで叩くように刻む、いい具合にミンチ状になったところで、玉ねぎっぽいものを細切れにして香草や香辛料を一緒に練りこむ。水魔法で冷たい層を作った両手でパンパンとキャッチボールをするように叩いて空気を抜いて形を整えてパティの完成。
これをフライパンで焼き上げてできあがり。本当はソースも作りたかったんだけどさすがに無理なのでこのままそれぞれのお皿にとりわけて配る。スープも器によそって。パンは昼に多めに焼いたものを自由に取れるように置けばいいわね。
「はい、みなさん。夕ご飯の準備できましたよ。スープはまだありますからお代わりしてくださいね」
あたしの言葉の終わるのも待たないで食べ始めたわ。美味しそうに食べてくれるのはなんか嬉しいわね。
「「「「「ごちそうさま。美味かったよ」」」」
「はい、おそまつさまでした」
スープは鍋をひっくり返して最後の1滴まで飲み干し。お腹をさすって満足そうにしているのを見ると異世界に転移して護衛依頼中だなんていうのが嘘みたい。まるで日本でキャンプでもしてるような錯覚におちいりそうね。
食器類をクリーンでキレイにして片付け、夜の見張りの順番を決めてそれぞれ休んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます