第48話 月下に踊る。
「プレヴァルゴのメルツェデスだと!? 何故だ、何故ここがわかった!?」
中年男が狼狽えたような声で叫ぶが、それも無理からぬ事。
元々政治にはあまり関わらず諜報にさほど力を入れていない研究者肌のピスケシオス家は、上位貴族の割に抱えている密偵はあまり多くない。
エデリブラ家も公爵家としてはあまり多くないところに、密偵の多くが動かせないタイミングで、さらに動かぬよう脅しをかけておいた。
つまり、両家の密偵に嗅ぎつけられる前に事が終わるよう、仕掛けていたのだ。
だというのに、全くノーマークだったプレヴァルゴの、しかも令嬢が嗅ぎつけてきたのだ、予想外にも程がある。
見張りは何をしていたのかと言えば、そもそもエデリブラとピスケシオス、さらには王城の見張りに相当数人を割いていたのが仇となり、そもそも数が足りていない。
そこになぜか夜中の散歩といった風情で歩くご令嬢が現れ、意識がそちらにいっている間に不意を打たれ、既にプレヴァルゴの密偵によって制圧されている。
そうとは知らない男の困惑を楽しむかのように、メルツェデスは涼しい顔だ。
「あら、先程申し上げたではないですか、涼を求めて、と。
涼しさを辿ってきたらこちらへ辿り着いた、それだけですわ」
「な、何をわけのわからんことを……」
わざわざ答えてやる必要もない、むしろ答えると面倒なことになりかねない、とメルツェデスは煙に巻くような事を言う。
そうしながらチラリとヘルミーナへ視線を向ければ、どこかほっとした顔の彼女がいた。
メルツェデスが辿った涼しさ、とは、ヘルミーナを拉致した馬車が零していた氷だった。
馬車に乗り込んだヘルミーナがブツブツと言っていたのは愚痴ではなく、氷を生み出す呪文。
同乗した人間に気付かれることなく、馬車の下に氷を生じさせ、それを道標に置いてきていたのだ。
新しくメルツェデスの友人となったヘルミーナに、プレヴァルゴの密偵が張り付いていることをヘルミーナは知っていた。
だから、連中の要求通り誰に何も告げずともメルツェデスにメッセージが届くのではないか、と考えたのだ。
残念ながら思ったよりも馬車が速かった上に暗くなり始めていたため見逃され、当初は空振りに終わりかけたのだが……人通りの多い場所では、行き交う人が目にすることもある。
氷を零しながら走る馬車、という奇妙な光景の目撃情報こそが、サムの掴んだ『妙な話』だったのだ。
それを聞いたメルツェデスはすぐにヘルミーナを連想、馬車が通ったと思しきところで捜索し溶けずに残っていた氷を発見、その後を追った結果が、これである。
「あなたにわかって頂く必要もございませんからね。
さて……何を企んでいるのかは知りませんが、こうして見つけてしまったからには捨ててもおけません。
暑気払いならぬネズミ払いと参りましょうか?」
そう言いながらメルツェデスが一歩踏み出せば、男達の目つきが変わる。
今彼女は、彼らをネズミ扱いした上に、払う、と言ったのだ。
まるで虫でも追い払うかのように、軽々しく。
それは、彼らの神経を逆撫でするに十分だったらしい。
「何がネズミ払いだ、ふざけやがって! 生意気な口が二度と叩けないようにしてやらぁ!」
「こんだけの上物だ、楽しませてもらった後に売り払ったら臨時収入にもなるしなぁ!」
中でも沸点の低い二人が、下卑たことを言いながら駆け出し、襲いかかってきた。
どうやらリーダーらしい中年男もそれを止めないあたり、考えることは似たようなものらしい。
それを見て、メルツェデスは、ため息を一つ。
「あらまぁ、お下品なこと」
ぼやくようにそう言えば、そのままさらに歩みを進め。
男二人が迫ってきたところで、ひゅん、と風を切るように加速。
手にした白扇を振るえば、ゴツッ! ガツッ! と鈍い音が二つ。
二人の間をすり抜けたメルツェデスがそれこそ虫を払うように白扇をもう一振りするのに合わせて、男二人はその場に崩れ落ちた。
「レディに聞く口ではなくってよ?」
窘めるようなメルツェデスの言葉に、顎を砕かれたのか、手をあてて悶絶する二人は言い返すことすらできず、呻くことしかできない。
普段軽々と何でも無い顔で扱っているので気付く者はほとんどいないのだが、実はメルツェデスの白扇の骨には、鉄芯が仕込まれている。
普通の令嬢であれば片手で持つのも苦労するそれを、何でも無いかのごとく優雅に操る様を見てクリストファーなどは時々遠い目になったりするのだが。
ともあれ、そんなもので顎を強かに打たれた男達はたまったものではないだろうし、見せつけられた方は驚愕するしかないだろう。
「なっ、き、貴様一体、今何を!?」
「あら、寄ってきたネズミを払っただけですわ? もしかして……わたくしのこと、あまりご存じでないのかしら。
でしたら、先程の名乗りも少々お恥ずかしいですわねぇ」
狼狽える中年男の言葉に、悩ましげに返すメルツェデス。
もちろん中年男とて噂には聞いていた。弱きを助け強きを挫く退屈令嬢、と。
だがそれはあくまでも噂、結局は手下をこき使っているお嬢様の遊びなのだろう、と高をくくっていた。
ところが実際には、これである。
「くそっ、お前等何をしている! あいつを捕まえろ、いや、殺しても構わん!
知られたからには、帰すわけにはいかん!」
「お、おう!」
中年男の叫びに呼応して、剣を手にした十人あまりが彼女を逃がさんとばかりに取り囲もうとするが、メルツェデスの笑みは未だ揺るがない。
「あらあら、熱烈な歓迎ですこと。でしたら流石にわたくしとて、相応にお相手しなければなりませんわねぇ」
そう言いながら白扇を剣帯に差せば、腰に佩いていた長剣へと手を伸ばす。
シャン……と鈴の音にも似た涼やかな音と共に引き抜かれる白刃。
磨き上げられたその輝きに、あるいはそれを手にしたメルツェデスの雰囲気に、ただならぬものを感じて足を止めた男が数人。
しかし気づけなかった者達は、そのままの勢いで斬りかからんと剣を振り上げた。
その光景に、メルツェデスが浮かべるのは笑み。どこか薄く、冷たい笑み。
「一手ご教授、とはいきませんわよ?」
言葉と共に月の光を反射した青白い光が走り、次いで紅い飛沫が飛び散る。
「ぐぁ……?」
何が起こったかよくわかっていない顔の男が呻きを上げてどさりと倒れた時には、メルツェデスの刃がまた一人、男を切り伏せていた。
あまりの早業に。そしてその剣勢の凄まじさに。
荒事に慣れているはずの男達が、思わず後ずさりをしてしまう。
「さあ、お次はどなたかしら? このわたくしの、プレヴァルゴの剣を味わえる機会など、そうはなくってよ?」
一歩、二歩、と男達に迫るメルツェデスの顔に浮かぶのは、笑み。
そう、彼女は笑っていた。
前世ではもちろん無かった、そして今世でも初めての、人を斬る経験。
自らの手を汚した経験に、彼女は……動揺、していなかった。
むしろ漂う血の臭いに。人を斬った感触に。高揚すら覚えている自分を、自覚している。
自覚して尚、平静な心で周囲を見渡していた。
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