お隣Summer ~ペンライト貸したら惚れちゃいました~
結城十維
第1公演
第1ステージ 出会いはすれ違い!?
第1ステージ 出会いはすれ違い!?①
「好き、です」
赤面する彼女の言葉に戸惑う。
「自分は普通」と自信満々には言えないが、『そういった』面では普通だと思っていた。
違った。
『私』は、自分に足りないものを求めた。
『俺』は、普通だったはずだ。
違ったのだ。
一緒に見た光景は綺麗だった。
そして、目の前の彼女も綺麗で、
「無理なんだ」
自分の一言に、表情は泣きそうだった。
それは、ひと夏の運命かもしれない出会い。
彼女は俺の『お隣さま』だった。
× × ×
駅のホームに電車が到着し、扉が開く。まばらに降りる人がいて、少し待ってから乗り込む。
そんなに混んではいないが、座れるほど空いてはいない。
つり革を持ち、窓を見る。地下なので、外の景色は見えなく、映るのは自身の疲れた顔だけ。相変わらず、冴えない顔をしている。ブルートゥースイヤホンの電源も流暢な英語を言い残し、切れてしまったので音楽も聞けない。
「楽しかったねー」
「たくさん、遊んだね」
そんな俺とは対照的に、席に座る子供が母親と楽しそうに話している。何処か遊びにいった帰りなのだろうか。じろじろ見ては悪いと思い、視線を地下の真っ暗闇に戻す。
――世間は夏休みである。
かくいう俺もまだ大学生で夏休みなわけだが、ひどく疲れきっている。
大学生の夏休みは、長い。
長期旅行で海外に出かける人もいれば、サークル活動に熱心に取り組む人もいる。「映画を撮るぞ」と張り切っている映研の奴も見たし、「合宿いくぞー」と愉快に話していたテニスサークルも見た。
一方で大学の人と関わらずにずっと実家に帰っている人もいれば、家に閉じこもってゲーム三昧な人もいる。長期休みの楽しみ方は、人それぞれだ。
で、俺はといえば、バイトばかりの『労働』の日々である。
イベントスタッフ、交通量調査、チラシ配布など日雇いバイトの数々をこなす。せっかくの休みをバイトでほとんど費やしてしまっている。
理由は1つ。単純に『金』が必要だからだ。
暗闇も飽きてきたので携帯を開き、ツブヤイターのタイムラインを眺める。
灰騎士『唯奈さまのライブが、いよいよ明日!』
ネット友達のつぶやきが1番上に表示された。1分前、直近の言葉だ。俺もすかざずコメントする。
ハレ『明日唯奈さまの天使の歌声が聞ける! こんな幸せなことがあるかい?』
何故、金が必要なのか。
それは俺がオタクだからだ。
オタクは金がかかる。オタクにも色々な種類の人がいるだろうが、俺はある声優アイドルにご執心だ。
――
19歳にして、新時代の歌姫と称される、圧倒的歌唱力と、愛嬌と可愛さを兼ね備えるパーフェクトな声優にして、アーティスト。
「橘唯奈は神である」、そういっても過言ではない。実際、女神と呼ぶファンは多くいる。何も間違ってはいない。唯奈イズ、ゴッド。
灰騎士『拙者は唯奈さまと同じ空気を吸えるだけで、天にも昇りそうな気持ちですぞ』
顔も知らない友の変態的なメッセージを見て、つい笑ってしまう。
ハレ『はは、きもい。……がわかるw』
愛しの声優アイドル、橘唯奈、唯奈さまのために今日も俺は働く。
チケット代に、グッズ代に、推しへのプレゼント代。遠征する際にはさらに金が飛ぶ。
でも、それでもライブにいけば費用以上の幸せが待っているんだ。
そして、明日は天使に邂逅する日……まぁ、ライブが開催される日である。
「……えへへへへっ」
気持ち悪い笑い声が漏れ出てしまい、慌てて口を抑える。子供が「何だろう、この人?」とこっちを凝視しており、つい恥ずかしくなって顔を逸らす。お母さんに睨まれた気がしたが、きっと気のせいだ。
けど、嬉しさを抑えられないのも仕方がない。明日はきっと最高の日になる、そう確信している。
× × ×
家に出る時に、何度も荷物を確認した。
チケットオッケー、ペンライトオッケー、予備のペンライトも、予備の電池もオッケー。ライブTシャツはファンクラブで事前注文したものを現地で受け取るつもりだが、サイズが合わなかった時のために前回のツアーのライブTシャツを着てきている。マフラータオルも以下同様。ペットボトルもスポーツドリンクを二本準備し、バッチリだ。
天気もバッチリすぎるほどの快晴。雲一つなく、逆に熱中症が心配になる暑さだ。「唯奈さま、この暑さでライブ大丈夫かな、倒れないよね?」と自分より演者を心配してしまう具合だ。
ただどんなに準備しても不安で心配になってしまう自分がいて、電車内でも何度も持ち物を確認してしまった。
しかしライブ会場に入れば、そんな不安も、心配も一気に吹き飛ぶ。
「やっぱり大きいなー」
幕張のイベントホール。
何度か来たことはあるが、改めて大きい会場だと感心する。都内からのアクセスはあまり良くないが、このキャパなら仕方がないと言えよう。
事前に注文していたグッズを無事に受け取り、会場に入る。
B2の10番、どうやら端から2番目の席のようだ。
ど真ん中ではないが、肉眼でステージ上の唯奈さまの表情がしっかりと見られる位置だ。かなりの良席といってよいだろう。
着席し、ステージを眺める。
「このステージに、あと30分で天使が降臨する……」と感慨にふけること数分。
ふと意識を取り戻した俺は鞄を漁り、ペンライトを取り出す。無事に光ったのを確認し、電源を切る。
よし、後は開演を待つだけだ。
辺りを見渡すと続々と席が埋まってきていた。チケットは事前に完売で、当日券は無し。開演時には満席となっているだろう。
「……」
目をゆっくりと閉じ、今までの唯奈様との歩みを思い出す。
初めて唯奈さまを生で見たのは、ハマっていたスマートフォン用リズムゲームのライブだった。ライバルユニットとして登場した唯奈さまの歌声に俺は圧倒された。可愛く、美しく、誰よりも元気に歌う姿に虜になり、ペンライトを振るのを忘れ、放心していたのを今でも鮮明に覚えている。もう2年ぐらい前のことだ。
それから半年後、唯奈さまはソロデビューすることになり、ファーストアルバムの発売を機に初めての単独ライブが開催されたっけ。さらにセカンドアルバムも発売され、初の全国ツアー。大阪にも、仙台にも、横浜にも、福岡にも行ったな。唯奈さまの輝きはさらに増し、またファンの結束力も高まっていった。ライブ会場でのコール、ペンライトの色替えはもはや芸術である。現場での楽しさは、どのライブよりも楽しいものであった。芸術と言えば唯奈さまの可愛さはもはや世界的名画である。ルーブルに写真が飾られてもおかしくない。むしろ何故飾っていないのか抗議したい。でも唯奈さまの可愛さはやはり歌っている時が最高なのであって、
「あと10分で開演致します。お早めにご着席ください」
会場アナウンスが流れる。いけないいけない、瞑想しすぎて時間があっという間に経っていた。気づけば前も、後ろも、左隣にも唯奈さまファンが席に座っていた。ほとんどの席が唯奈さまオタクたちで埋まっている。それも当然だ。
いよいよ始まる……!
ペンライトを手に持ち、マフラータオルを首にかけ、戦闘モードに切り替える。
ただ右隣には人が来ていなかった。
場内BGMがフェードアウトする。
照明が消え、「おおお」という声と共に、観客たちが一斉に立ち上がる。俺も目を輝かせ、ステージに注目する。
けど、意識は持っていかれた。
「はあはあ……」
隣の席に息を切らした女の子がやってきた。突然の登場に、ライブが始まるというのについつい見てしまった。
良かった、お隣さん間に合ったんだ。安心し、意識を元に戻す。唯奈さまの登場を今か今かと待ちわびる。
そして、
「みんな、いくぞーーー!」
天使がステージに降り立った。
会場のボルテージが一気に跳ね上がる。イントロが始まり、ペンライトを一瞬で切り替える。この歌は、黄色だ!
「あれ、あれ」
……意識が逸れる。
隣から困惑する声が聞こえ、再度見てしまう。遅れてきた女の子がペンライトのスイッチを必死に押している。
が、光らない。
「どうして、買ったばかりなのに」
初期不良だろう。販売側も言っている。買ったら光るかすぐ確認。これが鉄則だ。ただ急いで買って、会場にやってきたので、事前のチェックができなかったのだろう。
「どうして」
ペンライトがなくてもライブは楽しめる。現にペンライトを持たずに手を振る人もいれば、腕組みしてじっくりと聞いている彼氏面、プロデューサー面な人もいる。楽しみ方は人それぞれだ。
けれども、やっぱり皆と一緒になって、唯奈さまを照らす光になるのが一番楽しい。俺はそう思う。
だから、俺は動いた。
大好きな唯奈さまから目を離し、バッグを漁り、取り出す。
「あのー!」
「は、はい!」
いきなり知らない人に話しかけられ、驚く女の子。
そりゃそうだ。俺だってライブ中に、いやライブ前でも後でも突然知らない人に声をかけられたら驚く。
だが、そんなことを考えている暇はない。バッグから取り出した予備のペンライトを彼女に差し出す。
「予備! 予備あるんで良かったら使って下さい」
「いえいえ、そんな! 悪いです!」
「いいから! つかないんだろ? もうライブ始まったから」
躊躇される方が困る。
折れない俺に、彼女は戸惑いながらも受け取った。
「あ、ありがとうございます」
「楽しみましょう」
前を向き、音楽に合わせてペンライトを振る。
……慣れないことをしてしまった。
けど、すぐに隣から光が灯り、安心する。
ライブ中、唯奈さまが熱唱しているにもかかわらず、ついつい気になってしまった。横目で隣の女の子を見る。
彼女は楽しそうにペンライトを振っていた。
良かった。俺の余計なおせっかいとは、ならなかったみたいだ。
× × ×
「今日は唯奈のためにありがとう!! みんな、大好きだよ~~~!」
唯奈さまが最後の挨拶をし、ステージから去る。
「俺もー」、「ありがとー」、「最高ー!」と観客から声が上がる。俺はペンライトを懸命に横に振り、天使に感謝の気持ちを伝える。
やがて唯奈さまはステージ裏に惜しまれつつ消え、会場全体から大きな拍手が起こる。そして終了のアナウンスが流れ、本当に終了となった。アナウンスが流れたらもうアンコールも、ダブルアンコールも起きない。
――最高の時間だった。
毎回最高を更新してくる、唯奈さまのポテンシャルの高さに毎度毎度驚かされる。今日という日だけで、今年は生きていける。まだまだ今年もライブに行く予定はあるけれども。
最高の気分でリュックを背負い、立ち去ろうとする。
すると、隣の女の子に声をかけられた。
「あの、今日はありがとうございました。おかげですっごく楽しめました!」
隣の女の子が俺に笑顔を向ける。
ライブ中は暗くてあまり顔が見えなかったが、終わった後の今はよく見える。
年は俺と同じぐらいだろうか? 背は自分より少し小さく、髪は肩より少し長め。幼さは感じず、ライブTシャツを着ていなければ、代官山にいそうな綺麗なお姉さんだ。代官山に行ったことないけど、そんな勝手なイメージが浮かぶ。
ただその目の輝きと無邪気な言葉からは、『綺麗」というよりは『カワイイ』といった印象を受けた。
「良かった。悲しんだ唯奈さまファンがいなくて!」
ライブ後の高揚感で、自分でも何を言っているのか意味がわからない。キザな台詞を残し、彼女を背に、俺は笑顔で会場を後にした。
× × ×
会場最寄り駅のホームは、ライブ帰りの客で溢れていた。
その中で、俺は1人電車を待つ。
帰りの電車を待つ時間すら幸せだった。耳がまだ現実に戻って来れていないのが愛おしい。耳がバグっていて音をきちっと拾えない。この余韻がたまらない。
あー、唯奈さま可愛すぎだろう。なのに可愛い容姿とは裏腹に、あの力強い歌声。切ないバラードも最高で、泣いた、すごく泣いたわ。
……それに、だ。
らしくない行動もしてしまった。けど隣の人も楽しんでくれたようだし……あっ。
そういえば、貸したペンライトを、女の子から返してもらっていない。
苦笑いを浮かべる。
まぁ、いいか。楽しんでもらえたようだし、どうせ家にはたくさんペンライトがある。一本失ったとしても痛くはない。今日は最高の日だった。ペンライト一本も惜しくはない。
「電車が到着します」
野球チームの応援歌が流れ、電車が停止する。扉が開き、電車に乗り込む。が、ライブ後なので混んでおり、座れそうにない。つり革を持ち、疲労感の残った足で立つ。
窓からホームをぼーっと眺め、現実のことも考え始める。「今日のライブは最高だったから、夕飯はステーキにして奮発しようかな。いや、またライブがあるしな、節約もしないと。でも今日という最高の日を牛丼で済ましていいのか? うーん、今日は兄貴がつくってくれるんだっけ?」と考えていると、
目に入った。
女の子が階段を駆け上がってきた。
「あっ」
隣の席の女の子だった。
偶然にも目があった。彼女も「あっ」といった顔をし、こちらに気づいたようだ。
けど電車の中と、駅のホーム。その距離は一瞬では縮まらない。
そして、残念なことに電車の扉がちょうど閉まった。
彼女の手にはペンライトが握られていた。
わざわざ届けに来てくれたのだ。
電車が動き始める。
窓の外の彼女は、泣きそうな顔をしていた。
やがて彼女の姿は小さくなり、見えなくなった。
「……」
呆然と窓の外を眺める。
……悪いことをしてしまった。
けど次の駅で降りて、戻っても会えるかはわからない。せめて連絡先を知っていれば待ち合わせできるのだが、初対面の女の子だ。会ってすぐに連絡先が聞けるほど、俺はナンパな野郎じゃない。
結局どうすることもできず、そのまま家に帰ったのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます