王女殿下の遊技盤 [改訂版]
いすゞこみち
序章
序章 揺らめく火
私は火が嫌い。闇を照らして暖めてくれる物だとしても、それは私の大切な物を奪った人々を思い出してしまうから。ゆらゆら揺らめく火は私にとって恐怖そのものだった。
あの日、夕陽が沈んだ後になっても街は怖いくらい真っ赤に染まっていた。血の様な赤い光が建物や地面の上で揺れていた。あの光景が今も頭にこびりついて離れない。
夜なのに揺れる光に照らされた大人達が喚きながら通りを駆ける靴音がする。その時まだ十三だった私は火の光と靴音が怖くて仕方なかった。
街を彷徨う大人達はまるで猟犬の様に獰猛な笑みを浮かべている。赤く揺れる光の中で歯を剥き出して笑っている。それはとても同じ人間だとは思えなくて私はただ震えていた。
そしてそんな赤い光と大人達の前に引っ張り出された一人の女の子がいたのよ。
ルーシア・フィオメナ・グリゼルマ。グリゼルマ王国のお姫様。雪みたいに綺麗な白銀色をした長い髪の女の子。私と同じ御年十三歳の、細身の可愛らしい女の子。
怖くて震えるしか出来ない私と違って彼女はとても勇敢だった。広場に作られた木台の上に立たされて、罵倒されても毅然とした態度を崩さなかった。なじられて、暴力を振るわれても彼女は平気な顔で広場を埋め尽くす大人達を眺めていた。
彼女が怖がらない事に腹を立てた大人達は大きな木枠と冷たい大きな刃を見せたけれど、彼女は見向きもしない。何かを探すみたいに周囲を見渡し続ける。そんな彼女のすぐ前でぎり、ぎり、と木枠に沿って重そうな鉄の刃が上がっていく。それでも彼女は気に掛けようともしない。赤い光を映す鉄の刃に私はただ震えている事しか出来なかった。
彼女の細い首が木枠に嵌め込まれる。逃げられない様に上から押さえられているのに彼女は周囲を見渡す事を辞めようとはしない。大人達の中に混じっていた私は怖くて動けない。身体が動かない。声も出せない。ただ彼女を見つめる事しか出来なかった。
やがて刃を留めていた縄に斧が振り下ろされる。その瞬間、彼女が私の目を見た。途端に彼女は花が綻ぶ様に笑う。それまで動けなかった私はいつの間にか駆け出していた。
いつも一緒にいて、傍で見ていた笑顔が落ちる。彼女の優しい顔が木台の下へ転がる。
喉が引きつって声が出せない。私は頭が真っ白になりながら必死に走った。彼女の名前を必死に呼んだ気がする。だけど大人達の喜ぶ声が頭に響いて叫んだのかはっきりしない。
木台の上で彼女の小さくて細い身体が崩れ落ちる。大人達は皆それを見て喜んでいる。
小さかった私はそんな大人達の足元を這いずって、すり抜けて何とか彼女の元へと辿り着いた。つけていたエプロンで彼女を包むと必死で胸に抱きしめて走った。服が真っ赤に染まるのも構わず、私は歓声を背に街の外に向かって必死に走った。
一度も振り返る事はなかった。もう帰る場所なんてなかったから。気が付くと私の隣に先生がいた。私と先生はそれから生涯、王都に戻る事はしなかった。
私は火が嫌い。もうあの国も失くなった。あの子を憶えている人もいない。誰もあの子の事を知らない。だからせめて、私達が知る本当のあの子の事を誰かに知って欲しかった。
いつかあの子とまた会えた時――笑ってその事をお話してあげられる為にね。
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