第4話守山崩れと三河奇襲

1535年12月5日(天文4) 守山城大手門付近 陣中 松平軍


松平清康は信秀の弟織田信光と結託し、10000の兵を率い尾張、守山城を攻めた。清康は守山城に到着し、城を包囲していたが、家臣阿部定吉が織田に通じていると言う噂を聞き、定吉に疑いを掛けていた。


そして朝方、陣中で繋いでいた馬の綱が切れ、その馬が暴れだした。


その騒ぎを聞き、阿部定吉が清康に成敗されたと勘違いし、息子の阿部正豊が背後から清康を一刀両断した。斬られた清康は即死、清康を斬った阿部正豊はその場にいた清康の家臣上村新六郎に処刑された。




この事件は世に言う『守山崩れ』そしてこの事件は始めから信秀によって仕組まれていた物であった。


信秀はまず、与五郎と平手政秀に命じ三河衆の調略をし、こちらに清康の叔父松平定信を寝返らせ、定信が信秀の弟織田信光の義父であることを利用し、清康に尾張を攻めさせるように誘導した。




そして織田に寝返ることに難色を示していた阿部親子を利用して清康を抹殺する事と計画し、成功した。




信秀は上機嫌で与五郎と政秀を呼んだ


「政秀、与五郎、よくやった!。ここまで謀がうまくいくとは思わんかった。改めて、二人とも良くやってくれた」




「「勿体ないお言葉にございます」」




「して、ここからが戦の本番じゃ。三河を切り取りにかかる。急いで戦支度をいたせ!」




「「はっ!」」




信秀は7000以上の兵を率い三河へ侵攻した。三河の松平は、清康の死によって内部分裂を起こし、清康の息子の松平広忠は大叔父の松平信定によって居城の岡崎城を追放された。その上、与五郎と政秀の調略によって多くの三河衆が信秀方に靡いていた。




がしかし、信秀は内にも敵がいた為、一時三河からの撤退を余儀なくされる。


その内の敵とは、尾張那古野城主 今川氏豊と尾張守護代織田達勝であった。




そして信秀はまず、三河から戻り達勝と一戦交え、達勝に和睦をさせる。




∆∆∆∆∆∆∆∆∆∆∆∆∆∆∆∆∆∆∆∆∆∆


1536年(天文5年) 勝幡城 評定の間


信秀は与五郎と政秀を呼び出していた。


信秀は苛立ちながら言う、


「達勝は和睦したが、忌々しい那古野の氏豊は許せん。必ず叩き潰す」




「御尤、しかし那古野城はかなりの堅城、下手に攻めればこちらの損害で大きくなってしまいます」




「わかっておる。そこで与五郎と政秀に策を聞きたいのじゃ。与五郎良い策はないか」




与五郎は急に話を振られ少し慌てたが、策を話した。


「那古野の氏豊は、連歌狂と言われ毎日のように連歌会を開いていると聞きます。そして、連歌好きには悪い者はいないと公言するほどのお人好しと聞きます。そこを突けば那古野の城を容易く手に入るかと…」




それを聞いていた信秀と政秀は、与五郎の策について熟考した。 


そして、信秀は「与五郎、お主の策を使う。」と言い、政秀も「良い策」と言って賛同した。




それを聞いた、与五郎ホッとした。その上で与五郎は、信秀に提言する。


「殿、私の指南を受けたことがあり、その指南をしてくれた者は、氏豊の連歌会に何度か参加している為、氏豊とは顔見知りです。その者を使えば、氏豊に殿を紹介させることができます」




信秀はその話を聞き、少し驚く。


「お主の父もそうだが、与五郎、お主自身もかなり顔が広いの~」




与五郎は、「父上ほどではありません」と笑って返した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る