第9話 帰還........そして誓約
「マジっすか...」
ゴブリンを複数相手取りながらも、宗任は紫苑からの報告に暫し唖然とした様子を隠しきれなかった。
「どうしたの?」
先輩自衛官の東に尋ねられても返答に間が空くほどに動揺している。
「自分のグループの一人が群れのボスらしきモンスターと交戦中みたいっす。それでその...」
伝えるのを躊躇してしまうほどに状況は最悪だった。
ダンジョン探索が徐々に盛んになってきているとはいえ、まだまだ始まったばかりに近い。人命を優先して深く潜っている探索者は少ないのだ。
探索者採用試験を仕切っている宗任たちも最近はあまりダンジョン深層には潜れていない。
オーガとは本来上級探索者が複数人で対処するレベルの化け物だ。
宗任と東だけでは戦力不足は否めない。紫苑1人では絶対に無理だ。
早く応援に行かないと死んでしまう。
「なによ、早く言いなさいよ」
ゴブリンとの戦闘が終わり、受験者たちも集まってきた。何事かと不安に思う皆を前に意を決して報告した。
「報告するっす。群れのボスをオーガと推定。現在、
空気が凍ったように感じた。当たり前だ。
前例自体が少ない現象ではあるが、ほぼ確実に死ぬ。報告を聞き、へたり込む者もいた。
「...すぐに本部に連絡するわ。宗任は交戦中の受験者の救出に向かって。受験者の皆さんは全員でダンジョンを脱出してください。緊急事態ですので、現在をもって試験を中止とします。私も連絡を終えたらすぐに救出に向かうわ」
「分かりましたっす」
宗任は東の指示を聞いてすぐさま駆け出した。報告があってからすでに十数分が経過している。
急がなければ大神君が危ない。もしかしたらすでに...
「持ちこたえてください、大神君!」
樹々の破壊跡をたどり、草原に出たとき宗任が見たのは―――
―――
#####
迷宮酔い、という現象が長期間のダンジョン探索中に確認されたことがある。
ダンジョン内には“迷宮粒子”という新物質が満ちている。
これは一定以上人体に取り込まれた状態で特定の条件下に陥った時、感覚の鋭敏化や身体能力の飛躍的な向上など様々な効果を発揮する。
勿論、個人差はあるが過去に
棍棒が振り下ろされるのを見た瞬間、時間の流れが遅くなり視界は明瞭に、音は遠く離れていくような不思議な感覚に陥った。
鈍痛も次第に和らいでいくが、それは治ったというよりも痛覚が鈍くなっているだけだと直感が告げている。
迷宮酔いは確かに大きな恩恵を得られるが、それと同時にダンジョン脱出時にダンジョン内で無理をした反動がいっぺんに返ってくる。
紫苑は知る由もないが反動が強すぎて死んだケースもあるぐらいには危険な状況に変わりなかった。
依然変わらぬ危機的状況にも関わらず頭はすっきりとしていて全身に力が
目前に迫る棍棒を最小限の動きでかわし、
無防備となった鼻っ面に全身のばねを使ったつま先を叩きこむ。
Gugya!!
むやみやたらと振られる棍棒を大きく飛びのいて躱し構える。
呼吸を整え、まだ顔面への一撃から立ち直っていないオーガへと駆け出す。
ブゥオォン!!!
轟音とともに横なぎに振られる棍棒を滑り込んで回避。
股の間を滑り、振り向きざまアキレス腱へ向け一閃。
強化された剛腕で柄がミシリと悲鳴を上げるほど強く握ったまま振り切った一閃は、
先程まで刃が深く刺さらなかったオーガの皮膚を無理やりに切り裂いた。
Gugyaaaoooo!!!
機動力を削がれ満足に立つことも出来なくなった獲物を仕留めるまでそう時間はかからなった。
#####
「大神君...」
誰かが呼ぶ声が聞こえ、そちらを振り向くと宗任さんが驚愕の表情でこちらを見ていた。
「...倒したんすか、オーガ」
絞り出した言葉に含まれる感情は安堵と驚愕、そして得体の知れないモノを目の前にしているかのような恐怖。
「宗任さん...お疲れ様です。すいません、あと...お願い...しま...す」
窮地を乗り切ったことで安心した身体は極度の疲労から意識を手放した。
名前が呼ばれるのを遠くで聞きながら、最後に頭に思い浮かんだのはやはり最愛の妹の顔だった。
#####
「ん...」
全身に鉛が入ったような気だるさを感じながら目を覚ます。
真っ先に目に飛び込んできたのは清潔感のある真っ白な天井だった。
「ここは...」
身体を動かすのが億劫だった紫苑は横になったまま周囲を見回してみた。
「病院か」
清潔感のある白の内装と最低限のものだけがある部屋は病院の個室であるとすぐに気づいた。さてどうしようかと紫苑が考えていると、ドアがスライドする音と共に二人の男性が入ってきた。
宗任さんと笠松さんだ。
「もう起きていたのか」
さほど驚いた様子もなく呟くと、二人は近くのパイプ椅子に座り紫苑がオーガを倒したその後のことについて話し始めた。
「まずは感謝を。君のおかげで死者無く今回の試験を終わらせることが出来た。ありがとう」
そう言うと、笠松さんは綺麗な礼をして話を続ける。
「浅層でオーガが出たことはすでにマスコミを通して世間に広く知らせている。
それまで流暢に説明をしていた笠松さんの口が急に動かなくなる。
まるで何かを躊躇するように。
「どうかしましたか?」
なんとなく何を躊躇っているのかは分かるので促すように尋ねてみた。
「...すまない。オーガ討伐は自衛隊員複数人の功績にするようにと上から圧力が掛かってしまったんだ。マスコミからの発表もそのようになっている。恩を仇で返してしまうようで本当に申し訳ない」
まぁ、しょうがない話ではあると思う。
受験者、特に自分はまだ中学生だし、どのような思惑があったとしても世間を納得させるための最良の形ではないだろうか。
目立ちたいわけでもないし、特に気分を害するほどでもない。それよりも...
「その件に関してそれで問題ありません。それよりも試験の結果を教えてください」
急かすようで悪いが今後の人生がかかっている大事なことだ。結果がどうであれ、早く知っておきたい。
「それに関しては自分が伝えるっす」
それまで静観していた宗任さんが後を引き継いで話し始めた。
「結論から言うと...合格っす。おめでとうございます」
やたら長く感じた間の後に聞かされた結果に心底安心した。
大きく息を吐いて一先ずやり切ったのだと安堵すると溜まっていた疲労が表に出てくる気配がしたが、無視を決め込んで話を促した。
「まぁ、オーガの単独討伐っつー今の上位探索者でもなかなか難しい偉業まで成してる人を不合格にはできないっすよ。他の面々も大体は合格っすね。
2人ほどモンスターの討伐に精神的にキちゃって自分から辞退しましたけど、ムエルテを除けば概ねいつも通りな感じでした。
あ、ちなみに皆さんもう解散してるっす。大神君はあと1週間は安静にしてるようにとお達しが出てるっすよ。それから...」
近況報告の終わりに二人は
#####
「お兄ちゃんっ!!」
宗任さんと笠松さんが帰った後、やることもなく何をしようかと考えていると勢いよくドアが開いた。
「みはる...」
宗任さんたちから保護者には連絡したと言われていた。
十中八九、楓さんだろうし彼女の性格からしてみはるに隠し事はしないんじゃないかと思っていたが、どうやらその通りだったらしい。
抱き着かれた衝撃で体に鈍痛が響くが我慢しよう。
みはるが感じた心細さに比べれば、どうってことないのだから。
抱き着いて泣き出してしまったみはるの背中をさすってあやしながらその涙が止まるまでゆっくりと待つことにした。
暫くすると、みはるも落ち着きを取り戻してきた。
「...おにいちゃん。やっぱり探索者にならなきゃダメなの?」
可憐な双眸に涙を溜めて声を震わせてみはるが聞いてくる。
「...ごめんな」
そんな風に濁すことしかできない。罪悪感を感じながらみはるを見ると――
「ぁ...」
小さく息が漏れた。
改めてよく見たみはるの顔は
怒っているような
泣いているような
悲しんでいるような
何かを我慢しているような
違う
違うんだ
そんな顔をして欲しくて探索者を目指したわけじゃない
叫び出しそうな心を抑えて
「...みはる」
いまだ複雑な表情で俯く妹をギュッと抱きしめる。
「おにいちゃん?」
不思議そうなみはるの声を無視して穏やかな声音で続ける。
「父さんと母さんが亡くなってお葬式をしたときにさ、兄ちゃんが言ったこと覚えてるか?」
「...ぅん」
それは3年前の約束の話。
「兄ちゃんはさ、正直他人のことも自分のこともそんなに大事じゃないんだ。兄ちゃんはみはるに1番に幸せになってほしい。本当にただそれだけなんだ」
「う゛ん」
グジュグジュと鼻を啜りながらもちゃんと話を聞いてくれる。
あぁ、やっぱりみはるはいい子だ。
「もし、みはるが探索者をやめてほしいと思うなら遠慮せずに言ってほしい。せっかく取った資格だけどスッパリ諦めるよ。兄ちゃんはみはるにいつも笑顔でいてほしいから...ごめんな、一番大事なこと忘れちゃってたみたいだ」
「もぅ...うっかりさんなんだから」
「あはは...ごめんな」
優しく頭を撫でて静かに泣き出してしまったみはるを宥める。
今一度深く刻み込む。自分がなぜ足掻くのか、自分がなぜ諦めないのか。
「兄ちゃんはみはるを世界で1番幸せな人間にするよ。だからそれまで兄ちゃんに頑張らせてくれないか?」
「それならお兄ちゃんもちゃんと幸せにならなきゃダメだよ?」
「頑張るよ。みはるの晴れ姿を見るまでは死んでられないもんな」
「やっ!みはるにはお兄ちゃんがいればいいもん...それだけで十分だもん」
それは子供が描いた夢物語のように純真で無垢で曖昧で。
そもそも幸せの定義なんて個人の価値観に左右されるぐらい曖昧だし、
正解なんてない。
それでも今の二人の姿を他の人が見たのなら何の根拠もなく、『あぁ、その約束はきっと守られるんだろうなぁ』と思ってしまうのだろう。
もう1度誓おう
理不尽なことが多いこの世の中で、
君が泣き崩れることが無いように。
君が道を
何度でも誓おう。
#####
――美しい。
病室の前でその様子を静かに見ていた楓は素直にそう思った。それと同時に危ういとも。
3年前の姉の葬式の時に初めて顔を合わせたときから、不幸な兄妹は何も変わらなかった。お互いの幸せを何よりも尊重するそれは一つの理想の形、そのものだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます