第23話 不穏な気配

 肩が熱い。腹部が痛い。腕が痛い。全身が痛い。体内から液体が流れ出て行くこの感覚が気色悪い。

 怖い、また死ぬことが、またあれを体験することが、また形容しがたいあの感覚を味わうことが。

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。

 何度死に、何度生き返った? 

 ──数えられないほどだ。

 何でこんな目にわなくてはならない?

 ──仲間を、友達を救って、幸せになるためだ。

 痛みに顔をしかめることさえできないくらい、体力は消耗していた⋯⋯いや、今の顔の筋肉で、それができるかすら怪しい。

 二人に、男女の死体に、酷い肉塊に、魂が消滅した抜け殻に、腕を伸ばす。

 唾液だえきと血と鼻水と涙で顔を汚していた。目は殆ど見えない。声帯は潰れかけて、発声は非常に難しい。


「──必ず」


 人は何故生きるのか。それは幸せのためだ。その幸せが自分のものか、他人のものかは分からない。

 もし、その幸せを獲得するために、何度でもやり直せるならば、人はやり直すだろうか? そのやり直しに想像もできない苦痛がともなうとしても。

 ──おそらく、しない人が大半だ。それほど、『死』は恐怖である。

 では、する人はどんな人か? ⋯⋯狂人だ。強欲な人だ。


「──俺が」


 死は怖い。決して慣れるものではないし、慣れてはならないものである。

 ⋯⋯なぜ、『死』が怖いのだろうか?

 その答えは、人間にとって最も強く、最も古い恐怖とは、未知に対する恐怖であるからだ。死んで、生き返っても『死』を理解することはできなかった。ただ、後に怖い、気持ち悪いという感情のみが生まれただけだった。理解することが、知ることができなかったし、したくないとも思った。

 ⋯⋯でも、それが、どうした? 俺以外に、二人を助けられる存在がいるのか? 居ないだろう? 


「──お前らを」


 何度でもやり直せる。何度でもやり直してやる。この暗闇の中から、光を見つけるまで。この死のループから、全員が笑って、抜け出せるまで。俺だけが、それを実現させられるのだから。


「──救ってやる」


 そして、世界の時間が、ビデオの逆再生時のように巻き戻る。


 ◆◆◆


「⋯⋯最近多いな」


 マサカズは、宿で新聞を読んでいた。その新聞の見出しには『続々と増える死亡者!』とある。

 近頃、王都内や王都周辺の村落ではある事件、ないしは災害が発生している。内容は、取り扱っているメディアによって多少の差異があるものの、凄惨なものには変わらない。

 曰く、食人種系モンスターによる捕食事件。

 曰く、新種の病気。

 曰く、魔女の仕業。

 それらの殆どが流言飛語りゅうげんひごでしかなく、人々の不安をあおることが目的のように思えた。⋯⋯そう、あくまで殆どだ。

 ある新聞記事では、感染症やウィルスなどの病気関連の専門家、魔法専門家、そして魔獣・モンスター専門家などによる様々な考察が紹介されていた。

 彼らの結論は、『ありえない出来事』であるとのこと。そもそも感染症であるのならば、健康な成人をすぐに殺すような性質は持たないし、魔獣やモンスターであるとしても、ここまでの殺人事件を引き起こせるほど大量発生するとは思えなく、また殺害方法も多彩すぎて、あまりにも種類が多いことになる。魔女も魔女で、もし仮に、本当に魔女の仕業なら今頃王国は滅んでいるはずだ。

 つまるところ『原因不明』であること。それこそ、魔獣や、かかれば致死率100%の病原体を生み出せる存在でもいなければ。だが、そんな事ができる存在など、一般的に知られている中ならば、それこそ魔女くらいで、そうなれば人類には滅亡の結末しか残されていないことになる。


「⋯⋯マサカズ、ユナ、冒険者組合から招集しょうしゅうだ」


 そんなときだった、宿に訪ねてきた人物の対応をしていたナオトが帰ってきたのは。


「招集? 組合はクエストの斡旋あっせんをするところのはずだが⋯⋯なんでまた?」


「さあ? でも、招集は招集だ。何かあったんだろう。まあ、おそらく⋯⋯」


「⋯⋯最近の猟奇りょうき殺人事件のこと、ですか」


 冒険者は、対モンスター兵士だ。冒険する者とは何なのか、はなはだ疑問ではあるが、今はそれを考えるより、先に招集に応える方が優先すべき事だ。

 三人が冒険者組合に到着頃には、既にそこには多くの冒険者が居た。組合施設内は騒然そうぜんとしていたが、うるさくしているのは殆どが若い冒険者で、熟練じゅくれんの冒険者の多くは、神妙しんみょう面持おももちで、組合関係者が今回の招集理由を明かすのを待っていた。


「冒険者の皆さん、まず最初に、集まっていただきありがとうございます。⋯⋯今回、このような招集をさせていただいたのは、近頃発生している猟奇殺人事件に関係しています」


 先程までのうるささが嘘かのように、組合内は粛然しゅくぜんとなる。


「率直に申し上げますと⋯⋯魔獣の、大量発生です」


 ──魔獣。魔力を通常の動物よりも多く持っており、知能も高い、人類の敵。

 だが本来、その数は非常に少ない。能力が高いゆえに、繁殖する必要が少ないからだ。


「⋯⋯どんな魔獣が含まれている?」


 魔獣は基本的に強い個体ばかりであるが、その中でも当然ながら優劣がある。


「現在確認されているのは中位魔獣までです」


 魔獣──もといモンスターは、下位、中位、上位、最上位の四段階にわけられている。中位とは下から二番目ではあるものの、通常の冒険者パーティー全員でその内の一体とやっと互角に戦えるくらいだ。


「⋯⋯また、真偽は定かではありませんが、絶滅したはずの古代種の目撃情報もあります」


 その『古代種』という言葉に、動揺しない冒険者は居なかった、ある二人を除いて。


「⋯⋯古代種?」


「なんですか、それ?」


 マサカズとユナの二人だ。だが、ナオトだけはどうやら古代種とやらを知っていたようで、


「その名の通り、古代に生きていた魔獣。絶滅したはずの種だ。⋯⋯文献ぶんけんによると、最上位魔獣に匹敵、あるいはそれを上回る基礎能力を持ち、更に特殊な能力も持っているらしい」


「⋯⋯受付嬢さんよ、古代種と来て、まさか『アレら』の存在も確認された、なんてのはないよな?」


「⋯⋯今の所は。ですが、古代種が居るかもしれないとなると⋯⋯可能性は、ないとはいえません」


 また、不穏な会話をしている。


「ナオト」


 三人の中で、一番異世界について勉強したのはナオトだろう。


「⋯⋯多分、『破戒魔獣』のこと。十体居るらしくて、遭遇したら死ぬと思えって言われるくらいの化物」


 異世界用語を学んでいると、いつの間にかクエストボートに、緊急クエスト『魔獣掃討』が貼られていた。報酬は完全歩合制かんぜんぶあいせいで、参加人数は無制限だ。それを受けようとしていると、ある別のクエストが目に入る。


「『物資輸送の護衛』?」


 イヨツ村への物資──主に武具や食料の輸送をする馬車の護衛依頼。実力のあるマサカズらにとっては、完全歩合制の『魔獣掃討』の方が都合が良い。別に報酬は悪くないこれなら、別のパーティーがやってくれるだろう。


「ナオト、ユナ、掃討クエスト⋯⋯やるか?」


「ええ、勿論です」


「ボク達が金銭面で困ってるのは、知ってるだろ?」


 受付嬢に、三人はクエストの受注をする。


 ◆◆◆


「エストが居てくれたら、楽なんだけどな」


 マサカズは魔獣を悠々ゆうゆうと蹴り散らかしながら、ナオトとユナにそう話しかける。

 エストは現在、王立魔法学院でバイト中だ。聞くと、今日は大事な大会が開催されるらしい。


「そういえば、エストさん、持っている生徒さんはかなり優秀って言ってましたね」


「魔女に魔法で褒められるなんて、凄いな。⋯⋯っと、注意しろ、何か来るぞ」


 ナオトは最近、常時、知覚系戦技を使えるようになったため、このように雑談をしているときでも、すぐに敵の接近に気づけるようになった。

 やがてその魔獣が現れると、三人は思わず気後れしそうになる。


「⋯⋯今までの魔獣とは、ひと味──いや、ふた味違いそうだな」


「〈戦闘力知覚〉⋯⋯二人共、本気で殺るぞ。こいつは不味い⋯⋯!」


 人形ではあるが、八つの眼を持ち、その身体は赤と黒を基調としている、怪物だ。魔獣は叫ぶ。


「⋯⋯いいえ、私だけで殺らしてください」


「「⋯⋯え?」」


 突拍子もなく、ユナはそんな事を言い出した。


「最近、オリジナルの戦技を創ったんです。それの試験運用には、丁度よいかと」


 困惑したままの二人には、それだけ言って、彼女は創ったばかりの戦技を使う。


「私にはどうなるか分からないので、近寄らないでください。──〈真紅眼〉」


 すると⋯⋯ユナの黒かった瞳が、真紅色に変化する。彼女の雰囲気が変わり、威圧感が増す。その威圧感はケテルのものにも、勝らずとも劣らない程だ。


「⋯⋯嘘だろ?」


 ユナが変わったのは、その瞳だけではないようだ。身体能力も、異常なまでに上がっていた。

 魔獣の攻撃をいとも簡単に避け、〈瞬歩〉かと見間違える速さで移動する。手に持つ矢を魔獣を顔面に突き刺すと、血飛沫を上げて、魔獣は倒れる。致命傷だ。

 だが、ユナはそれでは終わらせないようだ。今度は素手で心臓を抉り取り、その首を捩じ切る。ぐちゃぐちゃと血肉が潰される音が、彼女の気が済むまで続いた。

 ユナの目から紅さが消えると、彼女はその一方的な暴力が終わる。


「⋯⋯やはり、精神汚染がありますね」


 真紅眼しんくがんのデメリットは、精神汚染──正常な倫理観りんりかんや罪悪感が欠如し、暴力的思考におちいるということだ。これが長く続くか、より紅くすると自我すら保てなくなるだろう。

 異世界基準でも、その顔立ちが上の上である彼女のイメージとは、真逆の戦技。先程の状態から察するに、身体能力が大幅に上昇する戦技なのだろう。


「⋯⋯ユナ、風呂に入るのは最後な」


「あっ⋯⋯はい」


 返り血で、元の服の色が見えなくなっている。こんな状態で風呂に入ろうものなら、風呂が血生臭くなるだろう。

 それから、三人は魔獣の掃討を行った。


 ◆◆◆


 二日後。

 魔法学院に魔王の襲撃があったらしく、その上エストが重症を負ったことに驚きながらも、今日も魔獣掃討を受けた三人。いつものように夕方頃まで魔獣を掃討して、王都に帰ろうとした時のことだった。


「⋯⋯なあ、あれは⋯⋯なんだ?」


「⋯⋯待てよ。待て待て待て待て⋯⋯そんな⋯⋯」


「⋯⋯え」


 ──三人の瞳には、有り得ない光景が映っていた。


「なんで⋯⋯魔獣があんなに⋯⋯?」


 王都の至るところが破壊され、人々の死体がそこら中で食い散らかされている。血の匂いが鼻につき、嫌悪感を覚える。


「居なかったはずだ、平原や、森には。なら、どこから現れた⋯⋯?」


「そんな事よりも、今は生存者の救助に行きましょう」


 走る、地獄の中を。今日の朝は、彼らは生きていた。だが、数時間後には屍になっていた。

 これまでに何度も『死』を体験してきたマサカズは、ただ嫌悪感を覚えるだけで済むも、顔見知りの死を経験したことがないナオトとユナは、王都内を歩いている最中に何度も吐きそうになった。


「⋯⋯っ!?」


 ユナは、見た。それは何か? ⋯⋯魔獣のようなものだ。

 それは、限りになく人に近く、また遠い。これまでに、人形の魔獣とは幾度いくど遭遇そうぐうしてきた。だから、人形であることには何の疑問も抱かない。しかし、その六本の足を持ったドーベルマンのような魔獣の頭部は、人間の、子供のものであるのだ。


「ケテ⋯⋯アア⋯⋯ガアッ!」


 『それ』は発声するも、そこに意味があるようには思えなかった。十代前半の子供くらいの大きさの『それ』はユナに飛びかかるが、


「⋯⋯クソッ⋯⋯」


 マサカズは、『それ』を斬り捨てた。『それ』は人間のように苦しみ、死に絶えた。


「⋯⋯あーあ。その子を殺してしまうなんて。まだ意識があったのに」


「誰だ!?」


 いつの間にか、三人の後ろに、セミロングの金髪で、黒を基調とした教団のローブを羽織っている、中性的な少女が居た。


「名前を聞くなら、まずは自分から⋯⋯そんなことも学ばなかったの? 異世界の教育レベルは低いんだね」


 金髪の少女が三人を煽っている間に、ナオトは〈影化〉で少女の影に移動し、後ろから無音でダガーを振る。しかし、ダガーは少女の首に当たることなく、避けられる。


「殺意は大分抑えられている、けど、少しでもあれば反応はできるの。それでスピードが遅ければ、気づいてから避けることだって簡単なのよ」


 少女は鞭でナオトを近くの家の壁に叩きつける。あばらが折れ、肺に刺さり、血反吐ちへどを吐く。そのまま放置していれば死ぬことは想像にかたくないが、少なくとも数分は生きているだろう。


「ナオトさん! このっ⋯⋯!」


「⋯⋯! ユナ、やめろ!」


 マサカズは、金髪の少女がユナを見て、一切ない何もする気がないのを不審がり、ユナにそう叫ぶ。しかし、彼女はマサカズの言葉を聞くことはできなかった。


「〈剛射〉──」


「なっ⋯⋯」


 ユナの上半身が、弾け飛ぶ。なぜ弾け飛んだのか、というか、今何が起きたか、それを一瞬だけ、マサカズは理解できなかった。


「鞭で矢を返しただけだよ。⋯⋯さあ、これであとはお前一人だけだ」


「⋯⋯よくも⋯⋯。〈一閃〉ッ!」


 マサカズの姿がその場から消え、10mほど先に現れる。だが、その直線上から金髪の少女は離れていた。


「遅いね」


 マサカズの右肩から脇腹が抉られ、剣が地面に落ちる。体から熱が無くなり、その命を落とす。

 ──そのとき、世界は逆行を開始した。

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